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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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フラウの決意

 とっぷりと夜も更けて。


 フラウは寝台の中でいつものようにアストールの腕の中に包まれていたけれど、眠りは一向に訪れようとしてくれない。部屋の灯りが消えてから、まんじりともせず、もう半刻は過ぎているだろう。


(村で何かあったのかな)

 暗闇の中、フラウは唇を噛む。

 朝、塔を出てルイ村に着くまではいつものアストールだった。彼の様子がおかしくなったのは、ルイ村を発った時からだ。

 いつもなら、夕食事時にその日あったことを話すフラウに頷きながら耳を傾けてくれるのに、今日は一度も彼と眼が合うことがなかった。食卓についた時からアストールはずっとむっつりと黙りこくったままで、皿の上の料理も半分以上残っていて、フラウが食べ終わると同時に何も言わずに席を立ち、そのまま書斎に引きこもってしまった。


 もしかしたら、今日は独りで寝るように言われるのかもしれない――そう思いながら、デボラに勧められたユズ茶を運んでみたのだけれど。


 アストールを抱き締めてしまったのは、たとえ大嵐の中に放り出されても髪一筋揺らすこともないだろうと思っていた彼が、まるで途方に暮れた小さな子どものように見えたからだ。様子がおかしいアストールに不安を抱いていたのはフラウの方だったのに、あの時の彼は、彼女以上に心許なげに見えたのだ。


 フラウからアストールに――他者に触れることは滅多にない。人に触れてはならないという戒めが、彼女の頭の奥に刷り込まれていたせいかもしれない。その理由をアストールから教えられ、彼から魔力を受け取っていれば大丈夫だと言われてからも、自分から誰かに手を伸ばすことにはどこか抵抗があった。


(でも、さっきは考える前に身体が動いてた)

 キュゥと胸が詰まる感じがして、気づいたときには彼に触れていたのだ。


 最近はずいぶん減ったけれども、フラウがまだ幼かった頃は、ふいにアストールが抱き締めてくることがしばしばあった。

 基本、アストールがフラウに触れるのは、過剰な魔力を彼女に渡すためだ。アストールの腕に包まれながら、強張っていた彼の顔が次第に和らいでいく様を、フラウは何度も目にした。だから、アストールがフラウに触れるのは、彼自身のための行為のはずだった。

 なのに、何かの拍子に、アストールは明らかにそういった目的とは関係なくフラウを抱き上げた。

 彼が何をしたいのかは良く解らなかったけれど、そうされるたび、フラウの中に温かな火種のようなものが放り込まれるような感覚があったのは覚えている。

 アストールに抱き締められることで得られた、フラウの中に何かが満ちていく感覚。

 それはすぐに失せてしまう魔力と違って、着実にフラウの胸にポカリと空いた虚を埋めていった。


(多分、そういう時のアストールさまは、さっきのわたしと同じ気持ちだったんだろうな)

 温めたいというか、包み込みたいというか、守りたいというか。

 あの『火種』は、きっと、そういう想いのようなものだったのだろう。

 幼いフラウを見ていて、それを与えたいと思ったとき、アストールは彼女を抱き締めてくれたのだと思う。

 いつものアストールらしくない姿を前にして、フラウは、とにかく、この人に何かしてあげたいと思った。

 彼女のその想いが彼の憂いを吹き飛ばしてくれたらいいのに、と、思った。

 きっと、フラウに対しても同じような思いを抱いて、アストールはそうする必要がない時も彼女に触れ、彼女を抱き締めてくれていたのだろう。


 書斎でアストールはフラウを抱き締め返してくれたけれども、やっぱりいつもの彼とは違っていた。フラウに回された腕は、彼女を抱き締めているというよりも、彼女に縋り付いているというように感じられてならなかった。

(わたしより、ずっと大きいのに)

 フラウは、アストールの眠りを妨げないように、そっと吐息をこぼす。

 アストールは、フラウよりも身体が大きくて、力もあって、ずっとずっと強い人。

 それなのに、書斎で目にした彼を、フラウは抱き締めたいと思った。

 何からなのかも判らないまま、無性に守ってあげたいと思った。


 フラウは幼い頃のこと――この塔に来る前のことを、ほとんど覚えていない。どこにいた、何をしていたという記憶は残っていないけれども、寒さと飢えと孤独の感覚は、胸の奥にこびりついている。さながら、どれだけこすってもなかなか取れない鍋の底の焦げ付きのように。

 客観的に見れば、小さな子どもには苦しい日々だったはずだ。しかし、フラウには、「あの頃はつらかった」という思いは残っていない。

 寒さも、飢えも、孤独も、持っているものがそれしかなければ、その日常が当たり前のものならば、苦痛だと思うこともないらしい。

 けれど、アストールやゼスと過ごす時間の中で幸せを知ってしまった今では、あの頃と同じ日々は過ごせない。慈しみを与えてもらえる幸せを知ってしまった今、それを失うなど、想像することもしたくなかった。

 アストールは、フラウに幸せというものを教えてくれた大事な人だ。孤児院の修道女が教えてくれた神様という存在よりも、フラウにとって、遥かに絶対的な存在だった。

 だから、フラウに幸せをくれたアストールに、同じ、いや、それ以上のものを返したいのだ。

 ――返したいのに。


(あなたのために、わたしには何ができますか?)

 声に出さずにそう呟いて、フラウはアストールの胸に頬を寄せる。


 と、その時。

「……、めん」

 耳に届いた小さな声。


 息をひそめて耳を澄ませていると、途切れ途切れに繰り返されるそれが謝罪の言葉であることが判った。

「そ――な、つもりじゃ……」

 苦悩に満ちた囁きと共に、フラウに回された腕に力がこもる。息が詰まりそうなその力に、フラウは危うく漏れそうになった呻き声をかろうじて喉の奥に押しとどめた。

 きつく抱き締められて、フラウの耳がアストールの胸にピタリと押し付けられる。そこから伝わる彼の鼓動は、とても速かった。


 アストールの喉元に顔を埋める形で抱きすくめられているから、彼の顔を見ることはできない。けれど、彼が目覚めているならば、決してこんなふうにフラウを力任せに扱うことなどしないはずだ。

(眠りながら、謝るなんて)

 こんな苦しそうな声で、いったい誰に向けたものなのだろう。

 フラウはアストールとの間に挟まれていた手をなんとか動かし、彼の黒髪に指を潜らせる。そうして、フラウが小さな頃から彼がしてくれていたように、そっと艶やかな髪を撫でた。


 大丈夫だと囁けば、夢の中のアストールに届くだろうか。

 けれど、アストールの胸の中の重石がどんなものなのかも判らないままそんなことも言えなくて。


「……どんなあなたでも、あなたが何をしたとしても、わたしはアストールさまのお傍にいます。いさせてください」

 アストールの髪を撫でながら、フラウはそう告げた。

 一度だけではなく、二度、三度と。

 繰り返すうち、次第にアストールの鼓動は穏やかになり、苦しげな呟きも途切れ途切れになっていく。

 どれほど経った頃か、いつしか、聴こえるのは静かな寝息だけになっていた。息が止まりそうなほどだったアストールの腕の力も、抜けている。彼の両手はフラウの背中に回っているけれど、ただ、彼女を包み込んでいるだけになっていた。


(もう、だいじょうぶ?)

 フラウは、ほ、と息をついた。アストールの頭に届かせようと無理に伸ばしていたせいで痺れ始めていた手を下ろし、彼の背に置く。彼女にできるのは、それで精いっぱいだ。アストールがいつもフラウにしてくれるように、この腕の中に彼を包み込むことができたらいいのに、と、心の底から思った。


(なんで、わたしはこんなに小さいんだろう)

 小さいし、無力だ。

 精一杯手を伸ばしてもようやくアストールの背に触れることしかできない小さなこの身が、今、無性に悔しくてならなかった。


 けれど、ないものを求めて嘆いていても仕方がない。


(アストールさまのためにわたしにできることを、しよう)

 その決意が手のひらから伝わればいいのにと思いながら、眠りに落ちるまで、フラウはアストールの広い背をそっと撫で続けた。


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