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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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相反する思い

 夕食後、物問いたげなフラウの視線から逃れるようにして書斎にこもったアストールだったが、机上に広げた魔術書に記されている文字を眼で追ったところで内容はさっぱり頭に入ってこない。

 昼間ルイ村で目にしたものは、日が暮れ、夜が更けてもアストールの心に重くのしかかっていた。


 人が溢れる賑やかな村の中にいる、フラウ。

 アストールが知らない者らと言葉を交わしている、フラウ。


 それは、ごくごく自然な光景だった。

 アストールは、頭の中のどこかで、他者から距離を置かれ、そしてそれ以上に、他者とは距離を置くフラウの姿を期待していたのだと思う。塔の外では生きていけないフラウの姿を。

 だが、今日ルイ村で見たフラウは、そうではなかった。


 フラウは、ここで、この塔の中で、幸せなはずだ。

 十年間、アストールはそう思ってきた。彼女が人と触れ合うのも、人形めいた表情を和らげるのも、この塔の中だけのことなのだと。

 フラウが外の世界でも普通にやれているのなら、それは喜ばしいことのはずだというのに、アストールの中に湧いたものは暗く鬱屈した思いだけだった。


 アストールの中に今も鮮明に残っているのは、この塔に来たばかりのフラウだ。

 喜怒哀楽いずれの表情も欠いていて、愛らしいけれども人形のようだった、少女。

 ただ名を呼ばれるだけ、ただ触れられるだけで戸惑いに満ちた喜びを見せていた、少女。

 アストールだけのものだと言えるのは、そんなフラウだ。フラウの中でアストールだけが特別だから、彼は彼女を独占することが許されるのだと、悠長に構えていた。


 なのに、あの光景で、それが揺らいでしまった。


 帰路の馬車の中でも夕食の間も押し黙ったままのアストールに、ゼスは呆れたような、フラウは案ずるような眼差しを向けてきていたことには気付いていたが、彼はそれに応えることはしなかった。いや、できなかったのだ。

 塔の中には、アストールとゼスとフラウの三人だけ。

 安寧に満ちた――しかし、閉ざされた空間だ。


 目を閉じたアストールの脳裏に、八百屋の親子と語らうフラウの姿がよみがえる。通りすがりに声をかけてくる者にも、彼女は自然に応じていた。ごく、自然に。

 きっと、この塔から解放し、あそこに行かせてやることが正しい道なのだろう。

 ゼスが言う通り、他者から魔力を奪うというフラウの特性を解決する方法を見つけて、外の世界に解き放ってやることが、彼女の幸せになるのだろう。

 そうは思っても、自分以外の誰かに笑いかけているフラウを思い浮かべるだけで、アストールは胸が悪くなるのだ。


 不機嫌な自分をフラウに見せているのが耐え難く、夕食を終えた後は早々に書斎に閉じこもったものの、気持ちの立て直しをできぬまま就寝時間を迎えつつある。

 フラウと顔を合わせたくないなど、十年間で初めてだ。

 アストールはイライラと黒髪を掻き乱した。

(今日はあの子を呼ばないでおこうか)

 フラウといたくないのではない。こんなみっともない自分を彼女に見られるのが嫌なのだ。


 迷うアストールの耳に、そっと扉を叩く音が届く。

 その叩き方から扉の外にいるものが誰なのか、容易に知れた。

 アストールはグッと奥歯を食いしばり、表情を整えてから応える。

「入れ」

 彼の返事で入ってきたのは、予想違わずフラウだ。近づいてくると、初めて嗅ぐ良い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。香りのもとは、彼女が手にしているカップのようだ。

「どうぞ」

 言いながら、フラウはアストールの前にカップを置く。中身は柑橘類の皮と思しき物が沈んだ金色の液体だ。


「これは?」

「ユズ茶と言うそうです。東の方の飲み物で、行商の人が持ってきたんだって、八百屋の女将さんが言ってました。身体が温まるから、寝る前に飲むと良いそうです」

「へぇ……」

 アストールは一口含んでみる。心地良い香りと、蜂蜜らしい甘さが満ちた。

「美味いな」

 思わず呟くと、フラウの顔が綻んだ。

「良かった」

 心底から嬉しそうなその笑顔に、アストールのみぞおちの奥がギュッと締め付けられる。

「お前は飲んでいないのか。ほら」

 アストールはフラウの手を引き自分の膝の上に座らせた。そのまま彼女の口元にカップを運ぶ。そこまでしてしまってから、自分の行動に気がついた。


(何をやっているんだ、僕は)

 ついさっきまで、フラウの為には彼女を手放すべきではないかと葛藤していたというのに。

 フラウの笑顔一つで、いとも簡単に天秤がカタンと傾いてしまう。

 アストールは己の堪え性のなさに歯噛みをしたが、そんなことなど露知らぬのフラウは彼の手に小さな手を重ね、そのままカップを傾けた。こくりと喉を鳴らした彼女は、束の間目を丸くし、パッと顔を輝かせる。

「おいしいです!」

 アストールの膝の上にいると、フラウとはちょうど視線の高さが同じになる。青灰色の瞳と間近で真っすぐ目が合った。彼は、その中に安堵の色を見つけてしまう。

 きっと、アストールの妙な態度がフラウを不安にさせていたのだろう。


(ああ、クソ)


 本当に、どうするのが正しい答えなのかが、判らない。

 取るべき行動を決めかねて、アストールはカップを置いた。するべきこと、したいことが彼の中でクルクルと入れ替わり、定まらない。


 と。


 一瞬、何が起きたのか解らなかった。

 アストールの肩に回された華奢な腕。

 耳をくすぐる柔らかな白銀の髪。

 柔らかな身体が、まるで強張ったアストールを温めようとしているかのように、ぴたりと押し付けられていた。


 ――フラウに抱き締められている。

 そう認識できたのは、数回呼吸をしてからのことだ。

 アストールがフラウを抱き締めるのは毎日のようにしてきたが、その逆は――フラウがアストールを抱き締めるのは、記憶に残る限り初めてだった。


「フラウ、どうした」

 困惑しかない声でどうにかそれだけを口にすると、フラウがアストールの肩口に埋めていた顔を上げた。鼻先が触れ合いそうな距離で、春の早朝の色を映した瞳が彼を見つめている。

「わたしの気持ちをどうしたらお伝えできるのかなって」

「口で言えばいいだろう」

 何かを伝えるために言葉というものがあるのだから。

 だが、フラウは小さくかぶりを振る。

「伝えたいのは考えてることじゃなくて気持ちです」

 そう言って、また、ぎゅぅとしがみついてきた。その言葉の通り、触れ合う場所からアストールへ何かを染み渡らせようとしているかのように。


 フラウから伝わってくるものは、温もりと柔らかさだ。それは、取りも直さず彼女そのもので。

 殆ど条件反射で抱き締め返そうとしたアストールの脳裏に再び昼間の光景がよみがえり、彼はぎくりと身を強張らせた。

「アストールさま?」

 彼を見るためか、フラウの腕が解かれ、離れようとする気配があった。

 今の自分の顔を、彼女に晒したくはない。

 フラウが動くより先にアストールは彼女の腰と頭の後ろに手を回し、グッと引き寄せた。と同時にこみあげてくる、充足感。フラウを抱き締めると、いつもそうだった。小さな身体が胸の中にすっぽりと納まると、正しいことなどどうでも良いように思えてくる。


「アストールさま?」

 くぐもった声が胸元から届いたが、返事を拒んで一層腕の力を強くする。

(このまま、この腕の中に閉じ込めておけたらいいのに)

 アストールは押し黙ったままフラウをきつく抱きすくめ、白銀の髪に頬を埋める。息をすれば、甘い花のような香りが胸を満たした。

 ややして、もぞもぞとフラウが身じろぎをし、再び彼女の手がアストールの背に回った。それが、慰撫するようにそっと撫でてくる。そこからアストールが感じ取ったフラウの想いは、きっと、彼女が伝えたいと思っているものと相違ないのだろう。


 だが。


 自分は、フラウに慕われるに値しない。

 彼女の幸せを求めつつ、それを実現するための道は選ぼうとしない卑怯な男には。


 自嘲と共に胸中でそう呟いたとき、ふいに、それに被せるように頭の中で小さな声が囁いた。

 ――この無垢な少女に相応しくない理由は、他にもあるだろう、と。

 刹那、記憶の底で揺らめいた深紅。消したくても、決して消せない――消してはならない、罪の色。

 

 それを押し潰すように固く目を閉じても、その色がアストールの眼裏から消え去ることは、なかった。


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