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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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正しい選択

「僕のフラウが可愛すぎてマジ天使もう死にそう」


 バカげた、だが、限りなくアストールの心の声に近い台詞が耳に届き、一瞬、無意識のうちに思考を口から吐き出してしまっていたのかと思った。だが、すぐに彼はそれが隣から発せられたものだと気づく。


「ゼス」

 半ば本気の殺意を含んだ眼で睨んだアストールにも、ゼスはどこ吹く風だ。

「あ、違いました? じゃあ、自主的僕のもの宣言とかあんな小悪魔に育てた覚えはない、の方ですかね?」

 訳知り顔のニヤニヤ笑いがアストールの苛立ちを掻き立てる。

「黙れ。いいからさっさとあいつを追え」

 フラウがアストールの――塔の魔王の通り名で恐れられている彼のもとで働いているのだということは周知のことだから、村人がフラウに良からぬ考えを抱くということはないだろうが、今は外からの出入りも激しい時だ。浮かれた市の空気で羽目を外す輩がいるかもしれないし、事情を知らない馬鹿者が、彼女に手を出そうとするかもしれない。

 それを危惧する気持ちとさっさとこの男を追い払いたい気持ちとから成る低い声での命令に、そこにみなぎるアストールの怒気を完全に無視したゼスが肩をすくめて返す。

「大丈夫ですよ。あの子がちんまい頃からの常連ですから。あなたのところで働いてるって同情票込みで可愛がられてますよ。アホな奴がちょっかい出そうとしても総出で守ってくれますって」

 安心させるために、ゼスはそう言ったのだろう。だが、フラウが村に馴染んでいるというその言葉に、アストールの胸は安堵よりも不快なざわつきを覚える。


 かつてのように、触れただけで相手から魔力を奪い、昏倒させてしまえるフラウであれば、こんなふうにアストールの感情が掻き乱されるようなことはなかったのに。


 連夜アストールと寝台を共にしていることで、フラウには魔力が充填されるようになった。それにより、誰でもフラウに触れられるようになってしまったのだ――少なくとも彼からの魔力が身の内にある間は。半日もすればそれも失せてしまうのだが、アストールの魔力がある間は、フラウは彼だけのものではなくなるのだ。


 それは、アストールにとって非常に気に食わない事態ではある。

 しかし、フラウを独りで彼の目の届かないところに行かせることを是としないのは、その感情的な理由からだけではない。叶うことなら彼女を塔の中に閉じ込めておきたいと思うのは、アストールがそうしたいからというだけの話では、なかった。


(『あのこと』が他の者に知られれば、フラウは……)

 アストールは、拳を握りしめた。

 そんな事態は、想像すらしたくない。


 アストールだけが気づいた、フラウ自身も知らない、フラウの秘密。

 他者の魔力を奪うということ以上に彼女を危険に晒すその秘密は、ゼスにすら教えていない。

 この先も、決して誰にも漏らさないつもりだった。

 もしも知る者が出れば、その者を抹殺することもためらわないだろう。


 動き出そうとしないゼスに業を煮やし、アストールは村の入り口に向けて歩き出した。数歩遅れて、ゼスの足音がついてくる。

 アストールがルイ村の中に足を踏み入れるのは、十二年前、あの塔に押し込められる前に来た時以来だ。

 だが、アストールの漆黒の髪、漆黒の瞳は、他に類を見ない色だ。そしてそれを持つのは何者なのか、ルイ村では知れ渡っている。

 十年経った今でも、かつての悪評は健在らしい。

 行商市で浮き立つ村人たちも、アストールに気づいた瞬間動きを止めて、彼の姿が消えるまで息をひそめて見送っているのが気配で判った。

 ひそひそ声と怯えを含んだ眼差しを浴びつつ、アストールは村の中を行く。


 フラウを見つけたのは、野菜を商っている店の前だった。人が溢れ返っていても視界の片隅をかすめただけですぐに見つけられてしまうのは、輝くようなあの白銀のせいだろうか。


 まだ声も届かぬほど離れた場所で足を止め、アストールは彼女を見つめた。

 フラウは、八百屋の女将と思しき中年女性に話しかけられ、頷きながら品が並んだ棚を覗き込んでいる。時折棚の上を指さし女性の話に耳を傾けているのは、調理方法でも聞いているのだろうか。


 フラウは、十年前とは打って変わって表情豊かになった。

 今でも、同じ年頃の少女に比べれば喜怒哀楽は乏しいのかもしれない。だが、それでも、話しかけても頬を緩めることなくただ頷きを返すだけだった子どもとは雲泥の差だ。

 満面の笑みは見せることがないが、美味しいものを食べたときや庭にきれいな花が咲いたときに浮かべる微かな笑みは、とてつもなく愛らしい。それを目にする機会を増やしたくて温室を設えたのは、七年ほど前のことだ。

 

 フラウの笑顔はアストールにとって小さな花の種のようだった。

 十年前に塔に訪れた彼女がふとした拍子に顔を綻ばせるたび、荒んでいたアストールの胸の中にその種が落とされた。フラウがくれた種がどれだけ芽吹いても、その下にあるものは消え失せるわけではない。だが、記憶の汚泥に足を取られて動けなかったアストールに、一歩を踏み出すための足場を与えてくれた。

 フラウが夜毎に過剰な魔力を奪ってくれていたこともあるが、それ以上に、彼女を傷付けることだけはしたくないと思えば、自ずと力も制御できるようになった。

 フラウの日々をより良いものにしたいという想いが、アストールを魔術の研究に向かわせた。一から魔術を学び直し、研鑽を重ね、王都の宮廷魔術師も知らないような術を編み出し、フラウのために様々な道具も作り出した。


(今の僕があるのは、フラウがいるからだ)

 フラウが、屈託のない眼差しをアストールに向けてくれたから。


 柔らかな表情を浮かべているフラウに見入るアストールの隣に気配が並ぶ。

「あの子が来てからちょうど十年ですね」

 アストールと同じくフラウを目で追いながら、ゼスが呟いた。

「そうだな」

「少なくとも十五にはなりましたね」

「だから何だ」

「いい加減、あの子と寝るのをやめた方がいいと思うんですけどね」

 淡々とした声でのその正論に、アストールはグッと息を詰めた。

「それは――」

「お互い、魔力をやり取りするため、ですよね」

「判っているなら黙っていろ」

 苛立ちを隠すことなくピシャリと返したアストールに、ゼスは揺らがぬ眼差しを返してくる。そこに、常のふざけた色はない。

「でも、それはもうあなた的には必要ないことのはずだ」

 確認でも質問でもない、確信に満ちた断言。

 アストールはゼスを睨み付けたが、彼はいつものように冗談やからかいでお茶を濁そうとはしなかった。

「アストール様。あなたは、もうご自分の力を完璧に制御できている――フラウの助けがなくとも、大丈夫なはずです」


 それは、事実だった。

 アストールの魔力の暴走を抑えるという目的では、確かに、もう、フラウは必要ない。


 だが。


(そんなのは、関係ない)


「フラウには、僕が必要だ」

 食いしばった奥歯の間から押し出すように言ったアストールに、ゼスが小さくため息をこぼす。

「ソレにしたって、あなたなら何とかできるかもしれないんじゃないですか? ……この十年、何とかしようと考えることすらしておられないようですが」

「フラウは僕のものだ。どうしようが僕の勝手だ」

 ついさっき、彼女自身もそう言ったではないか。

 フラウの居場所は、アストールの隣だけ。

 彼だけが、フラウを守ってやれるのだ。

 だから、彼女に触れられるのは、アストールだけのままでいい。

「フラウは、絶対にどこにもやらない」

 アストールは頑なに言い切り、それ以上の議論を拒む。


 ゼスはそんな主人をしばらく見つめていたが、ふと、まだ八百屋の前にとどまっているフラウに視線を流した。

「まあ、夜のことだけではなくてですね、お互い、ぼちぼち動き出す頃合いじゃないんですかって話です。あなただって、どうするのが正しい選択なのか、判っているでしょうに。あなた自身のことも、彼女のことも」

 含みのある声に釣られるように、アストールはゼスが見ているものへ目を移す。

 そこにいるのは、フラウ。


 と。


「あれ、八百屋の息子ですよ。村でも有名な好青年で。たまに塔にも配達に来てくれてますけど、あなたは部屋に引きこもってますからね」

 そう言ってゼスが顎で示したのは、アストールと同じ年頃の栗色の髪をした青年だ。遠目でも、実直を絵に描いたような凡庸な顔立ちをしているのが見て取れる。彼に話しかけられ、フラウは小鳥のように微かに首をかしげて見上げていた。ごく自然な様子で。


 八百屋の女将と青年と、フラウと。

 そこに、初めて出会った時のような、人と触れ合うことに戸惑いを覚えていた少女の面影はない。


「あなたが許せば、あの子の世界はいくらでも広がるんですけどね」

 ゼスの言葉が、細い、けれども鋭い針のようにアストールのみぞおちに刺さる。


 アストールは、そんなことは望んでいなかった。それが、フラウにとって正しいことだとしても。


「フラウの世界には、僕だけがいればいい」

 喉に苦味を残す台詞を吐き出して、アストールは踵を返す。

 足早にその場を立ち去る彼を引き留める声がかけられることは、なかった。


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