カセットテープの花
記憶に残る声よりもずっと若くて良く通る声。もう聞く事の出来ない声。
私は磨りガラスの窓を開けて、朝からずっと、その声を聞いていた。
竹網棚が付いた小さなテーブルにラジカセを置いて、箱に詰まったカセットテープを順に再生していく。
エアチェックのテープもあったけど、私が聞いているのはカセットテープの交換日記。
日付は飛び飛び。だけど、日常が見て取れる。
再生が終わって、私は次のテープをセットした。
「昨日の今日で録音してるからさ、いつもと違うな。ははっ。少し緊張する」
出だしの言葉だった。
今まで聞いたテープの出だしは「〇年〇月〇日、君に贈る」から始まる。
私は姿勢を正し、少し前かがみになって耳を傾けた。
「あ~うん。その、なんだ。……ありがとう。僕の気持ちに答えてくれて。ははっ。顔見て言うよりも恥ずかしいな」
やっと見つけた。聞きたかったのはこのテープだ、と私は思った。
もうすぐ尽きる命。
私にはもう、時間がなかった。
「何度も言うけど、君を初めて見た時、あのダンスホールで僕の心は奪われたんだ。ヒールを履いた君は誰よりも美しくて、よく目立っていた。何度も誘って、初めて頷いてくれた時は嬉しかった。あの日の喫茶店で流れていたレコード。何だったか覚えてるかい? シモンズ。シモンズの”ひとつぶの涙”……君はこの曲が好きって言ってたね。僕は覚えてる。はっきりとね。だからさ、昨日、同じ喫茶店で同じ曲が流れた時は嬉しかった。僕は今しかないって思ったんだ。……泣きながら指輪を見つめる君を見て、やっぱり君を好きになって良かったって思った。一緒に渡した花。シザンサス。君ならその意味が分かるよね。うん……そういう事。僕の気持ち。……そ、そうだ、こ、今度ボウリングに行こう。君はまだ行った事無かったよね……」
私はここでテープを止めた。
六畳和室に広がる昭和。
名残惜しいけど、もうそろそろ迎えが来る。
「あなた……お花ありがとう。私、嬉しかったの……」
病院の天井を見つめてそう繰り返すだけの曾祖母は百八歳。
この時代に来れて良かった。
もう過去にしか存在しない、このテープを聞けて良かった。
早く戻ろう。未来に戻ろう。
そしてシザンサスの花を飾ってあげよう。
”いつまでも一緒に”
それは私達家族の気持ちでもあるのだから。
なろうラジオ大賞用です。超短編です。
70年代の事は流石に分かりませんので色々調べました。
変な所あったらすみません。
楽しんで頂けたなら幸いです。