因縁とごめんなさい
男どもの騒動から少し……人間の感覚で一ヶ月ほど経った頃、また森に訪問者が現れた。敵意を感じなかったことから応対を人間にさせていたが、何やらてこずっているようだった。
意識を飛ばしてみると、百年近く前に我と敵対していた国の男衆だった。数は五人。草木の生い茂る道なき道に、布のかかった荷台を馬で引いてきている。
昔と変わらない紅白が特徴的な幅広の装束は、彼らに言わせれば正装だ。それを着て土下座をしているのだ。人間は彼らに頭をあげるように促すが、聞く気がないと認めると話を進め出した。
「材木が一切なくなったって?」
人間の質問に、先頭の髭面が答える。
「そうなんです。山火事で材木が乏しくなり、今まではどうにかやりくりをしていたんですが、もうここの森以外にめぼしい場所はなく……」
「ちょっと待って。もしかして一ヶ月前の男たちが来たのって」
「うちの国に腕利きの傭兵が来たときに動いた者だと思います。街で一時期、竜の森の噂が広がったことがありましたから」
「じゃあその人たちに聞かなかったの? 行っても追い返されるって」
「だから今回はこの通りです。それに、対価も用意してあります」
髭面が後ろの若い男に合図をすると、男は荷台にかかっていた布を剥がした。
「……」
そこに乗せられていたのは、若い女十数人だった。皆きれいに粧しこまれ、恐怖からか震えが止まらない者も見えた。
「生贄はこの通り。どうされるかは竜神様のおもいの……」
「ふざけるな!」
珍しく叫ぶ人間の声に、我すら驚いた。
「お前たちは何か、この子たちをここにおいて、のうのうと家に帰るのか! そうしてどうにかなってよかったねと、このことは語り継いでいこうとだけ言って、幸せに暮らすつもりか! なぜ国を収める立場にある者すべてがここにいない! つまりはそういうことだろう⁉︎ 自分たちは被害を受けず、若い方が神が喜ぶだ何だと言って、何の責任もない命を薪のようにくべるんだ!」
男衆の反論の隙などない、怒号だった。震えていた女も、呆気にとられていた。
しかし、これはまずい。男衆が発する言葉に、人間が聞く耳を持たなくなっている。
確かに人間の言うことはもっともだ。だが、現に困っていることをどうにかしたくて、供物として最適なものを選んだ結果がこれなのだ。
それにこの供物が運ばれる原因は、あの国の民だけではなかろう。代を重ねる中で、和解を申し出る者もいたのに、それを退けたことを、我は覚えている。そうして隔たった関係を、無理やり埋めるためのものだ。
ここは、あの人間だけに任せていいことではない。湖から、すぐさま彼らのいる場所へと跳んだ。
「なんで出てきたのさ!」
「対応を任せていたが、ここからは我が代わる」
「なんでさ!」
「これは、お前の問題ではない」
我の言葉に、人間の意気が消えた。
「彼の国の民たちよ」
言葉の先を彼らに向けると、跳び上がりそうなほど驚かれた。
「我はそなたたちを取って食いなどはせん。だから安心しろ。無論、生贄も要らん」
荷台の女たちは、安らいだり、泣いたり、失神したり、様々だった。男衆も同じように胸を撫で下ろすが、先頭の男だけは脂汗をかきながら我から目を離さない。おそらくは、この事の責任者であろう。
「必要なだけの木々は、我が直接そなたらの国へと運ぶ。その代わり、長と話をさせてくれ」
後ろはざわめき、先頭の男は「国民に被害を与えないという約束をしてくださるのであれば」と、条件を取り付けてきた。
「約束しよう」
我の言葉に頷いて、男たちは女たちを返しに、そして、事の次第を伝えに森を出て行った。
森の整理もかねて木々を伐採し始めると、人間は問うてきた。
「あの人たち、どうするの?」
「言ったであろう。どうもせん」
「なら何で出てきたの」
「彼の国とは浅からぬ因縁があるからな」
「じゃあ……」
「それに、お主は平静ではなかった」
「……」
「恐れるな。壊れた関係を戻せると我に教えたのは、不遜なお前なのだから」
人間は我の言葉にしばし固まり、そして微笑んだ。
───*───*───
人間を背に乗せ、材木を念力で浮かせたまま、彼の国へと飛んだ。国の防壁の周りにはびっしりと弓兵と魔導兵が配置され、内外には砲兵や騎馬兵などが臨戦態勢で待ち構えている。人間たちからすれば、伝説の邪竜がいきなり国に来たのだから、当然の対応と言えよう。
材木を彼らの前に並べ置き、長の所在を尋ねる。しかし、答えは拒絶だった。居場所を言って、殺されることを危惧しているのだろう。
ならば、と。
我は空から地面へと体を落とした。
「今この状態で、我と背に乗っている人間は、お前たちすべてにとって攻撃可能な対象となったわけだ」
「……」
「我は約束を守った、今度はそちらが約束を守る番ではないか?」
約束、という言葉に兵士たちはいたく反応し、やがて、国王が我の目の前にやってきた。豪奢な鎧兜の面を上げて、すこし丸身を帯びた、鼻下の髭が特徴的な顔が見えた。垂れた目は温和な光を宿している、
「お初にお目にかかる、国王」
「こちらこそ、竜神様。この度は、我が国の危機を救っていただき、感謝します。して、私とのお話、とは?」
「うむ」
上体を起こした我を警戒して兵士たちが武器を構えるが、国王がそれをおさめた。
そのまま、我は目を閉じ、顔を下へ向ける。
「長らくの間、そちらの先祖たちの和解も受け入れず、頑なに拒絶していて、ごめんなさい」
我の言葉は、国王や兵たちに動揺を与えたらしい。
「自分が間違えたと感じたことを謝ることで、関係性を修復することができるらしいと、最近知った。お前たちが許してくれるとも限らないのも知っている。ただ、これは謝らねばならないと思ったのだ」
誰かが近づいてくる足音がした。
「顔をあげてください、竜神様」
それは、国王のものだった。目を開けると、国王も頭を下げていた。
「こちらこそ、先祖代々の度重なる無礼を、代表して謝罪します。本当に、すみませんでした」
国王だけでなく、後ろに控える兵士たちも、一斉に頭を下げた。
「……これだけ頭を下げられると、我も同じ数だけ下げないと合わなくないか?」
ぼそっと告げた一言は周囲をポカンとさせ、やがて人間が「ぷっ」と吹き出した。国王も笑みを浮かべ、兵士たちは何とも言えない顔をしている。
「大丈夫だよ。多分ね」
「そ、そうか?」
「はい。そうでございます」
国王は、続けて、手を伸ばしながら懇願してくる。
「竜神様、また二百余年前のように、我々と共になってくれますか?」
国王の手に鼻先を当てながら、我は答えた。
「ああ、また困ったときは頼るといい。何かのお菓子やうまいものでも、なければ、またそれらが作れるようになったときにでも、持ってきてくれれば。それ以外の時は、できる限り静かにさせてくれ」
こうして、長く続いた因縁は、解きほぐされることとなった。