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人間嫌いの竜

 人間は嫌いだ。無闇に寝床を荒らすから。

 誰が寝ているとも知らず、誰が生きているとも知らず、泉の周りの木を倒し、自分たちのために地を汚し、ひとが文句を言おうと出ていくと「化け物だ」「攻撃だ」と刃を向ける。

 どちらが攻撃者だ。どちらが化け物だ。その場の半数を氷漬けにして「ここに二度と近寄るな」と言えば怯え、溶かして湖の中へ帰ると威勢よく何かを喚きながら去っていく。

 まこと、人間は嫌いだ。

 だから、


「食べていいよ」


 黒い服で身を隠して、突然現れたかと思えばこのようなことを言ってくる、何も知らない奴も。


───*───*───


 ことはつい最近、200年ほど前に遡る。

 遠い昔から我はこの森と湖を治めていた。昔の人間は木々と水と、そして我に敬意をもって、必要なだけのものを採り、収穫の季節になれば祭りを催し、貢物を持ってきた。うまい酒と少しの肉。干ばつの年に雨を降らせば、翌年の貢物は量や質が上がるものだった。森の木々の病を人間が治せば、助ける回数を増やしてやったりもした。

 我と人間は、悪くない関係にあったのだ。


 しかし、文明が発達し、水や木々の効率的な利用方法を人間が考案するようになると、少しずつ変わっていった。貢物は少なくなり、森の木々を多くとるようになり、しまいには我が眠る湖の水さえも川にひこうとしだした。脅かすつもりで出ていけば、我が出てくることを見越していたのか、武器を持った兵隊どもが周りに群がってきた。弓を持つ者は火薬を塗った矢を放ち、盾を持つ者は我と作業員との間に入った。剣や槍を携えた者たちがじり、じり、と近寄ってくる。

 無駄だと分からせるために、一声吠えた。我の吐息は辺りを凍てつかせる。地も、水も、木も、無論、人間も。当たらなかった人間は数人、それぞれ口をあんぐりと開けて腰を抜かし、失禁していた。


「お前らの腐った肉など食いとうもない。死にたくなければ二度と近づくな!」


 息を吸い込むと、凍っていたものが溶け、息を吹き返す。人間たちは我先にと森の外へと駆けていった。


 それからも、端の端ならバレまいと思ったか人間がちょこまかと来ることがあったが、そのことごとくを追い返していた。10年もすれば立派なもの。「あの森には凶悪な竜がいて、近づけば食い殺される」と風に乗って噂が流れてきた。これでもう静かに暮らせる。喜びはないが治めるに足る、日常を手に入れることができる。

 そう考えていたところだったというのに。


───*───*───


「あの森? 旅人さん、悪いことは言わねえから近づかねえ方がいい。あそこには恐ろしい竜が住んでんだから」

「竜、ですか?」


 緑豊かな街の公衆食堂。湯気の立つ野菜スープを飲みつつパンをかじりながら、カウンターで店主に周囲のことを聞いていると、興味深い言葉を耳にした。


「ああそうさ、森に入ってきた全ての人間を氷漬けにしては食い殺す、恐ろしい水竜さ」

「その竜は、昔からそこにいるんですか?」

「そうだよ。50年くらい前はあそこでの被害が後を絶たなかったそうだ」

「もっと昔の情報は?」

「ん? うちのひい爺さんたちより上の代も、竜のことは語ってたらしいが……。なんでえ旅人さん、えらくご執心じゃねえか。変な包帯まで巻いて、前が見えなくねえのか?」


 面白半分といったにやけ顔で、両眼に巻いた包帯に伸びてきた店主の手を、慌ててかわす。

 失礼をごまかすために「えへへ」と笑ってから、残りの食事を口の中にかき込んだ。


「忠告ありがとうございます、それじゃ」


 足早に食堂を去る私の背に「ごめんよ、いい旅を」という店主の快活な声がかかった。


「竜のいる森、か」


 歴史はどれほど古いのか分からないが、相当の格がある竜だと考えられる。

 それなら、もしかすると。

 私を殺してくれるかもしれない。


───*───*───


 今日になって、妙に森が騒がしかったために湖の底で目を覚ました。森の木々や動物たちが怯えている。人間が来たときのそれに近いが、少々異質な雰囲気だ。何かが違う。湖の傍へとそれが近づいてきて、我にもわかった。

 そして、追い出さねばならないと直感した。


「去れ、人間。去らねば食い殺すぞ」


 湖の中から首を出し、大口を開けて威圧する。周りを凍らせれば、ある程度は効くだろう。そうすれば帰ると、普通でないと分かっていながら普通の人間に対する撃退行動を見せた我に、その人間は軽く笑った。


「ほんとに大きい。それに、とても格の高い竜神様みたい」


 遠浅の湖に足を濡らしながら、両手をこちらに広げて、緊張も、後悔もなさそうに、


「食べていいよ」


 躊躇いなく、言い切った。自分勝手な人間らしく、我のことなど意にも介さず、己の都合だけを淡々と。


「お前のような憑物がついたゲテモノ、誰が食うか」

「え?」


 我が食わないと言うと安心する大体の人間とは逆に、その人間は食われないことに戸惑い始めた。しどろもどろに意味のない言葉をぶつぶつと唱えながら、腕をジタバタとさせて、ああでもないこうでもないと一人小さく大騒ぎしている。おおかた、変なところで変なものを憑けてきたから、我の厄介払いついでにここに送り出されたのだろう。いや待て、それなら何故我を恐れていない? 近いところに住むのなら、我の話は小さい時から聞かされるはず。それに格の高い神などではなく、恐ろしい邪竜ほどの温度感で伝えられるだろう。


「アリアケの村から出て、ついにと思ったけど……」


 ぼそっと聞こえた村の名に耳を疑った。アリアケ? 風に聞く話では西の最果て近くにあるという村からここまで?


「ねえ、竜神さん」


 考えている間に体の向きを正して聞いてくる人間に、少々驚きながらもそれを感じさせないように「なんだ」と重く問う。


「この辺りで、あなたより神格が高くて、私を食べてくれそうな神様っていないかな?」

「知らん。長らくこの湖を出ていない。疾く去れ。人ならば人に聞けばいいだろう」

「そっか。じゃあもう少し周りを探してみるよ。お騒がせしてごめんなさい」

「二度と来るでない」


 頭を深々と下げると、湖から上がり、北に向かって歩き出した。水に沈んでいた靴を見てみると、水滴一つも残さぬほど乾いていた。異常でわかりにくくはなっているが、あの人間自身が相当の魔術師らしい。もう二度と見ることもないであろう背中が森を抜けたことを確認して、また湖の底へと潜った。


───*───*───


 三年後。ちょっと見ぬ間に少しだけ背が伸びたように思えるそいつは、申し訳なさそうに手を合わせながら森に入ってきて、また湖で対峙した。


「周りのすべてをできる限り調べてみたけど、あなた以上に強い神様はいなかったよ」

「我は二度と来るなと言ったはずだが」

「そこで相談なんだけど、ここに住まわせてくれない?」

「断る」

「断られても、勝手に住むつもりなんだけどね」

「こいつ、調子に乗りおって……!」


 言わせておけば好き勝手なことばかり()かすのは、我が決死の攻撃をこの人間に加えていないからだ。

 死にたいなら殺してやる。

 口に魔力を集中させ、常人なら即死の氷結魔法を構築し、人間めがけて吐き出した。水蒸気の白い煙を纏った氷塊は、まっすぐ人間へと飛んでいく。

 しかし、人間にあたる直前、塊は破裂、散乱し、人間の周囲の草木を氷漬けにした。人間が特に何をしたと言うふうにも見えない。魔術を使ったのでも、体術でもない。あれも、憑物の力なのか?


「私に憑いているのはね、特別な疫病神なの。自分に直撃する魔術的な厄災はことごとくかわし、相手には厄災を与える。物理的な攻撃は誰のものでも効くけど、攻撃者は厄災をもらう。唯一これを防ぐことができるのは、より格の高い神様だけ」

「それが、我のみであると?」

「ご名答。人の近くにいると、私のこれが悪さをするかもしれないから、今日からここで住まわせてほしいんだ」


 バカも休み休み言え。なぜ人間の都合に我があわせることになるのだ。

 しかし、この人間を追い払う唯一の手段は喰らうこと。それは嫌だ。


「どうかな?」

「勝手にしろ。……いや待て」


 人間を野放しにする前に、両眼を隠す包帯に、魔力を混ぜた吐息を吹きかける。


「お前の不完全な封印を締め直した。森の生き物たちのためだ」

「ありがとうね。でもこれ、毎日変えるからなぁ。……ねえ、よかったら毎日やってくれる?」

「包帯の束を出せ。最初に全部にかければいいのだろうが!」

「あー、私の包帯は毎朝おまじないをかけてるんだ。力が弱いからね。だから、ただの包帯に術式まで仕込んでもらうのは気がひけるよ」

「……」


 こうして、厚かましい人間が森に住み着いた。


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