師弟デート
カミーユがクロエに連れて来られたのは、お洒落なカフェだった。注文したものを店員が運んでくると、クロエは「きゃー!来たわ!」と静かな店内に喜びの声を響かせた。
―クロカンブッシュ。
カミーユは目の前に積み上げられたシュークリームのタワーに目が点になった。クロエは興奮して「頼んでみたかったのよねえ~」と色んな角度からタワーを眺めている。
「ほら、一人じゃ太っちゃうでしょ?」
「さっき、体形は死んでも維持って…。」
例え四、五人がかりでも太りそうだと思ったカミーユの苦言はさらりと無視された。クロエの嬉しそうな顔を見れば、カミーユはそれ以上何も言えず、クロエに続いて上の方のシュークリームを一つ取った。
―あえて気を遣わない気遣い…。
クロエの本気の喜びようが、カミーユにとってはありがたかった。
シュークリームはとても美味しかった。生クリームとカスタードクリームの配分といい、甘さの塩梅といい、完璧だった。しかしカミーユが「おいしい」と思って食べることができる限界は意外と早く訪れた。
カミーユの中の熱血が「この程度か」と煽って来たが、物理的な限界には抗えない。四つ目のシュークリームを食べ終わった後、カミーユは口元をナプキンで拭くと、静かに息を吐きだした。満腹を見て取ったクロエは、わざとらしく眉を寄せる。
「やだ、まだこんなにあるのよ。」
「知ってます…。」
クロエは立派だった。流石に一人で食べると太るからと案じただけあって、本当に一人で食べ切れてしまいそうな勢いだった。カミーユの手が止まってもクロエのペースは落ちない。カミーユは信じられない、という目でクロエを見た。
「そんな目で見るんじゃないわよ。アタシ結構大食いよ?」
―知っている。
カミーユは表情を固くした。クロエが「太っちゃう」と言いながらお菓子やご飯をもりもり食べても、結果そう太らないことをカミーユはよく知っていた。
クロエは「残り食べちゃうわよ」と言いながら、ひょいと最後のシュークリームを手に取る。
細くて長い指がきれいな手つきでシューを口に運んだ。その所作はお手本の様に美しいが、大きく口を開けたのを見た時、どうしてかカミーユはドキリとした。見慣れたはずの喉元の骨や顎のラインが妙に目に留まったのである。
―なんか…あら?
クロエは骨張っている方でしかも細身の服を着るから骨格がよく分かるし、髪も短めに整えているから一口に女性っぽいとは言い難い面もあるのだが、普段はそんなことを感じさせる隙も与えさせない位に「女性らしい」。カミーユは自分でも驚くクロエの謎の発見に心を奪われていた。
「食べるところをじろじろ見るなんて失礼よ!」
カミーユの視線に気が付いたクロエは目を吊り上げてお小言を言ったが、その耳が少し赤かったのをカミーユは見逃さなかった。不躾なことをしたと思いつつも、カミーユにはどうしてか先に感じたことをそのまま言い訳として口にすることができなかった
―何だか、私も恥ずかしくなってきてしまったわ。
「すみません、ねえ先生、教えてください。」
カミーユは誤魔化すように話を変えた。クロエは生徒の体で質問してきたカミーユに「何よ」と先の辱めへの不満を込めて答えた。
「なんか、その、人を見極める方法って何でしょう。」
「何よ浮いた話?!言いなさい隈なく!」
「…。」
急に掌を返して興味津々な表情になったクロエを、カミーユは責めるようにジトリと見た。
「浮いた話などありません。」
クロエはカミーユの冷めた発言に肩を竦め、長い足を組んだ。社交界に出る以上、人との交流が色恋に発展する可能性は大いにあり得る。確かに、カミーユには厳しく「浮かれない方がいい」と忠告したが、それは妙な輩に引っかかっては大変だし、自分の結婚に対して余計な期待を抱かないようにするためだ。
とはいえ、家のための結婚と言えど、気に入った相手と結ばれるほど幸せなことは無い。
クロエはカミーユが忠実に自分の教えを飲み込んでいたことを知り、少々しまったと思った。浮かれるなと言っても浮かれてしまうものが世の常なのに。クロエは嫌な予感がした。カミーユのこうと決めたらひたすらにその道を行くストイックさが妙な働きをしている気がしてならない。
「まあその、確かに縁談は来てはいるんです…。家柄も申し分ないところです。ご本人も気さくに話しかけてくださいますし、良くしてくださいます。でも何だか、ピンと来ないんです。どちらかというと胡散臭く思えてしまって。これって私に問題があるんでしょうか?」
真面目な顔をして話すカミーユに、クロエはぎくりとした。そのピンと来る、来ないが恋になるかどうかという機微であるが、カミーユはそれに気が付いていない。理性的に生きて欲しいとは思っていたが、まさか通り越して朴念仁なのでは?と一抹の不安が過ぎった。
「カミーユは、こう、胸が高鳴ったり、目で追ってしまったりする人はいないの?」
元婚約者との顛末はクロエの記憶にも新しい。カミーユが乗り気になれないのはよく分かる。しかし恋愛、もっと言えば人間との関りとは楽しくて面白いものだということを伝えなくてはと思った。
そんなクロエの思惑を余所に、カミーユはしばし深刻そうに長考した結果、「いや…無いですね」と真顔で答えたのだった。
その様子に、クロエは「ひえっ」と身を引いた。教え子は想像以上の固さだった。
カミーユは眉間に皺を寄せて不満を露わにした。
「クロエは、胸が高鳴ることはありますか?」
クロエの失礼な反応に弱冠憤慨してカミーユは尋ねた。クロエは一瞬ぎくりとしたように見えたが、それも束の間、パッと笑顔を作った。
「せ、背中から…腰かしらね…!」
「腰…!?」
カミーユは目を見張った。まさかの答えである。あれ程普段から「優しくないと駄目だ」とか「誠実が一番」などと人に口酸っぱく指導してきた人が。人間は腰だと言うのか。
どういうことだ、とカミーユの表情に困惑が浮かび、静かにカバンから手帳とペンを取り出した。
「そう、逞しいライン…!筋肉のこう、がっしりとした…。」
「筋肉…!?成程…!」
教えを乞う時には馬鹿が付く程真面目なカミーユは真剣にクロエの言葉を聞いた。カミーユからしたら目から鱗の境地である。成程、自分に無いものに憧れると言うのはひとつの指針かもしれないとポジティブに解釈して新たな扉が開きかけたとき。
カミーユの頭の中に先のクロエのシュークリームを食べる姿が閃光のように過ぎった。
―あれ?
カミーユはピタリと動かなくなった。
「あ、アンタねこれは私の意見だから…って。」
筋肉と骨格の造形美について懸命に言葉を連ねていたクロエは、突然彫像のように固まったカミーユの目の前で「どうしたの?」と手を振った。カミーユはハッとすると「何でもない」と言って慌てて下手な笑顔を浮かべた。
カフェを出た二人はそのままぶらぶらと街を歩いた。他愛無いことを話している内にカミーユの心は幾分か軽くなっていた。
歩きながら、ショーウインドウを覗きつつ世間話をするようにクロエは口を開いた。悩み過ぎている時は軽めに伝えた方がいいというのは経験上分かっていた。
「アンタのお父様が待っていてくれるなら、アンタがその気になるまで慌てなくていいんじゃない?アンタが胡散臭いって思うなら、きっと本当に胡散臭い奴なのよ。」
「クロエ…。」
「家のためだって大事よ?待っていてくれるお父様に気が引けるのも分かる。アンタも真面目だからね。でもいつも言ってたでしょ?自分のことも大事にしないと。」
「…はい。」
クロエの言葉はストンとカミーユの胸に落ちる。繕わない言葉を嬉しいと感じた。
―先生はいつも私に「正解」をくれる。でも、頼ってばかりはいられないわね。もっとしっかりしなくちゃ。
カミーユは隣に立つクロエを見つめる。
自分よりも白い肌。金色の髪と美しい碧眼。頭からつま先まで、作り物のように端正である。自然とカミーユの視線はクロエの耳元から首へと移った。綺麗だな、と思うのはカミーユだけではないだろう。
あまり見てはいけないと思い、目線をよそに移すと、立ち並ぶ店のショーウインドウが目に入った。そして、ある物がカミーユの目の中に飛び込んできた。
「―、ちょっと待っててください!」
「え!?」
考えるよりも先に足が動く。驚くクロエをそのままに、カミーユは迷わず店に飛び込み、「あれ下さい!」とショーウインドウに飾られていた物を指した。店主は驚いて直ぐに立ち上がった。
「いきなり何!?」と続いてクロエがカミーユを追いかけて店に入ってくる。突然走り出したカミーユにお怒りのようで、眉を寄せていた。
クロエがカミーユに近づくよりも前に、店主が「こちらですね」とカミーユに商品を渡した。カミーユはクロエに背を向けたまま、店主とコソコソと支払に移る。
クロエは大人しく店の隅に立って不思議そうにそのやり取りを見ていた。何を買ったのか知らないが、衝動買いなんて珍しい、と思った。
「ありがとうございます。こちら、いい品ですので。またどうぞ。」
店主は嬉しそうにカミーユに挨拶をした。カミーユも嬉しそうに会釈をする。そして、買った品物をそのままクロエに差し出した。肝を抜かれたのはクロエだった。
「どうぞ。」
「は!?何!?」
「お礼です。受け取ってください。」
クロエは目を見開いた。クロエにとっては何がなんやら、という状況である。クロエは遠慮したが、カミーユは清々しい顔をしたままだった。
「ねえ、これ高いんじゃないの?アタシお礼なんていいわよ。」
店主に温かい微笑みを向けられながら店を出ると、クロエは声を潜めてカミーユに確かめるように言う。しかしカミーユはにこにこと首を横に振った。クロエは何かと葛藤するように押し黙り、困った様に目を伏せた。
「ずっとお世話になってしまっていますし。今日も元気を貰ったので。それじゃ全然足りないくらいですけど。」
沈黙が続き、迷惑だっただろうかとカミーユが心配になりかけたころ、クロエはやっと口を開いた。
「…本当、いいから。お礼なんて。今回だけ、ありがとう。」
珍しく視線を合わせないクロエを不安に思ったカミーユだったが、クロエの赤くなった耳を見れば、自然と顔が綻んだ。