新人の洗礼
茶会や夜会でカミーユは色んな人に囲まれた。紳士も淑女もカミーユに一言声をかけずにはいられなかった。
「あの時の凛とした姿、私も胸がすく思いでしたわ。」
まずやってきたのは浮気男への制裁を加えた勇敢な掌を称賛しに来る奥方だった。旦那の浮気心は奥方たちの尽きぬ悩みのタネらしく、彼女たちのやりたいことをやってのけたカミーユは密かに「よくやった」と称えられた。
ただ、相手の頬を腫らしたという物理的制裁手段は大っぴらに褒めていいことではないということはカミーユも重々承知していた。
―ここで調子に乗ったら私は簡単に『ただの非常識な娘』にされる。
自分でも少々可愛げが無い思考だなと思いつつも、カミーユは奥方たちに対して首を振った。
「お恥ずかしいところをご覧に入れまして…申し訳ありません。」
カミーユの一言に、社交界の奥方たちは更に満足そうに笑みを浮かべた。
奥方以外にも、蕾の園を新しく出て来た淑女を値踏みしに来るどこかの老紳士、そして面白そうな娘がデビューしたらしいと興味を持った人々がそれぞれカミーユに集まり、世間話をする体で話題になった新参者への厳しい審査をした。
カミーユは誰に対しても礼儀正しく、クロエの指導の成果を存分に発揮した。どの人の目にも、カミーユは「まとも以上」に映り、やはり彼女の婚約解消に全面的に非があるのはミシュー・プランタンとその父親であると確信した。
誰が言ったか知らないが、「ミシューがみっともなくカミーユを追いかけている」という噂が立つと、社交界で二人を同席させることはタブーとされ、結果プランタン伯爵家が招待される場が激減した。
実際はカミーユが平手打ちをしたあの日からミシューとの関りは皆無だったのだが、プランタン家から謝罪文が届いたという話がどこかに漏れて膨れ上がったらしい。
―ミシューと顔を合わさなくて良くなったのはありがたいけれど…。凄いわ、根も葉もないとまでは言わないけれど、噂に尾ひれどころではないスペックが付けられているわ。
人の噂の力の恐ろしさを目の当たりにしたカミーユは、プランタン家に対して無意識的に些かの憐れみを抱かざるを得なかった。
「未だ大変だとお聞きしました。何かあれば私を頼ってください。しつこい男など、追い払って差し上げます。」
「あ、ありがとうございます…。」
噂を耳にした紳士は、カミーユに向かってドンと自分の胸を叩き、頼もしさをアピールした。カミーユはその様子に乾いた笑いを浮かべる。
事実、今つきまとっているのはミシューなどではなく、善意やそれに準じるものを大義名分に掲げた紳士たちであった。
大量の手紙に当たり障りのない返事をしたは良いが、それを読んで「まだ押せる」と判断した大勢の紳士はカミーユに直談判しに来るようになった。ミシューとの件を引き合いに出し、自分の誠実さを語る彼らにカミーユの心が動くことは無かった。
―だって付きまとわれてはいないし…。ミシューとはもう自分でケリをつけたし。
「自分は一途な質でして」と言われても、実が伴わなくては「はあそうなんですか」としか思えず、言われれば言われるほど胡散臭く見えてしまう。謙虚な人は自分のことを謙虚だと吹聴しない。誠実だと信じて欲しければ、相応の行動で示して貰わないと分からない、というのがカミーユの感想だった。
―やっぱり。誰も彼も、私の事を見ているのではない。オレガノ子爵家との繋がりが欲しいだけの空っぽなプレゼンテーションだわ。
人々の温度の無い優しい言葉を受けたことで、本当の人の温かさがいかに貴重であるかを知った。
いくら利益のためとは言っても、自身のことを相応の人間だと判断した上で選んで貰いたいのがカミーユが人々に望む誠実であり、そしてそのために尽力するのが自身の世間への誠実だと気が付いた。名門を出ていてもガッカリされては意味がない。また、一個人としての評価を得られないことをカミーユの心意気が良しとしなかった。
―どうぞ評価なさって。私はそれに報います。
カミーユの中の隠れ熱血がゆらりと立ち上がる。カミーユは社交界で確固とした立ち位置を得るための臨戦態勢の構えを取った。
「あれがオレガノ子爵のお嬢さんか。偉いな。煩く囲まれても嫌な顔せず。」
カミーユの決意とは別に、実際カミーユを遠くから観察している人々も存在した。先着順だと言わんばかりに手紙を書いた人々とは一線を画した紳士たちである。歴史あるオレガノ子爵家に正しく尊敬を置きつつ、その娘がその名にふさわしい人物かどうかを見極めていた。
「いいよなあ亜麻色の髪。いつもドレスのセンスもいいし。もう少し笑ってくれれば…。」
「ちょっと興味が湧いた。行ってくる。」
「あ、おい!」
カミーユの気合の入った自己プロデュースは功を奏したようで、内面から湧き出る(ように見える)美しさ、毅然とした態度はそんな観察者たちの票を着実に得ていた。
「失礼、カミーユ嬢。私も混ぜていただいても構いませんか?」
新たに現れた男の美しく作り上げられた微笑みに、さっきまで必死に己をアピールしていた紳士達は一歩退いた。
「ガルシア卿…!」
カミーユは聞き覚えのある名前にピクリと反応した。面識は無かったが、知らないではこの社交界を生きていけない家の名前である。
ガルシア卿と呼ばれるその人は、洗練された身のこなしに、衣装負けしない体躯と顔を備えていた。キリリとした眉がその人の自尊心と気高さをよく表しているようだった。
―この方が嫡子なら…いずれ侯爵になる人だわ。
カミーユは内心驚きつつも、目の前の人物を冷静に観察した。
「お目にかかれて光栄です、ダニノス・ガルシアと申します。」
「カミーユ・オレガノと申します。こちらこそ、お会いできて嬉しく思います。」
折り目正しいダニノスの挨拶に、カミーユは恭しく答える裏側で『ダニノス』の名にこの青年がガルシア侯爵の嫡子であると確信した。
ダニノスはカミーユのぶれない態度に感心した。自分が話しかけて動じない娘というのは珍しい、と思った。大抵は顔を上気させて取り乱すか、己の魅力を確信して媚びようとするか、いずれも少しは素を出してしまうものである。
―私を審査しに来ている。
カミーユは直感した。
ダニノスの黒い瞳は、にっこりと細められてはいるが、ある種の冷たさが宿っていた。ここで有力な貴族が近づいてきたからといって浮かれたりしてはみっともない。それにさっきの紳士達とあからさまな態度の差をつけては無礼千万。
「突然割り入ってしまって、お気を悪くされませんでしたか。」
「まだ皆様と面識の浅い身ですので、お話しかけていただけて嬉しい限りです。」
カミーユの落ち着いた対応はダニノスに「流石、蕾の園を出た娘」だと思わせた。
「やあ、カミーユ嬢。」
「ごきげんよう、ガルシア様。」
以降ダニノスはカミーユを見かければ声をかけ、話をする。
「またそんなに他人行儀になさって。ダニノスと呼んでくださいと言ったのに。」
「お言葉に甘えて無礼を働くのが恐ろしいのです。ガルシア様。」
しかし幾度会話を重ねても、カミーユの態度は一貫して変わることはなかった。
「ガルシア卿はどうだ?」
夕食後、書斎で憩っている娘にオレガノ子爵は言った。子爵は娘の社交界での評判に満足していた。他の貴族から単純に褒められることも少なくない。
そして、そんな娘がダニノスの気に入りになっていることは勿論把握している。実際、ダニノスの父親、ガルシア侯爵から「あの二人は仲が良くて微笑ましいことだ」と声をかけられていた。縁談の打診といっても過言ではない。
対して、そうとは知らないカミーユの反応は極めて芳しくなく、困ったように首を傾げるだけだった。
子爵はその様子から、娘に全く気が無いことを察し、誤魔化すように笑うと「邪魔したな」と言って書斎から出て行った。
カミーユは父親の足音が聞こえなくなったのを確認すると、開いていた本をパタンと閉じて天井を見上げた。
「分からないけど、妙な気配を感じるわ…!」
カミーユは足早に自室に戻ると、「むむむ」と額を押さえた。明らかにさっきのはお友達として「どうだ?」ではなく、縁談を見据えた相手として「どうだ?」と聞いたのだろう。カミーユは極めて険しい顔で、父親のいつもと違う雰囲気を思い返した。
「お父様…?そんなに仲が良さそうに見えまして…?」
カミーユにつれないと言って来るダニノスだって、カミーユから見れば始終冷たい仮面を被っている。実を言うと少し穿った言い方をすれば、ちょっとだけ胡散臭さを感じている。
―まだ社交界に出て三カ月…。なんだか酷く疲れたわ…。
誰もが取り繕いのプロ。社交界は今や貴族だけのものではなく、舞踏会は素敵な相手と踊るだけの場ではない。自分の地位が確立できなけば家の名も忘れられる。情勢を把握できなければ利用されるか、時流に乗れずに廃れていくだけ。
「何て世知辛い世の中なの…。」
最後にクロエのところに行ってから手紙も音沙汰もない。クロエは元気だろうか。急にどっと疲れを感じ、カミーユはクロエに会いたくなった。
「久しぶりじゃなーい。三カ月振り?」
クロエは変わらず元気そうだった。
「やだちょっと痩せた?アンタ駄目よ、その体形は死んでも維持しなさい。」
クロエはカミーユの顔を両手で挟むと、心配を滲ませつつ冗談めかして言った。そして優しく抱えるようにカミーユを部屋に入れると、いつものように温かい紅茶を淹れた。
「聞いたわよ、アンタの評判。なんか色んな人に囲まれてるそうじゃない。やるわね~。」
「…そうですね。」
明るく話しかけたクロエだったが、芳しくない反応のカミーユにすぐに表情を変える。「どうしたの?」と落ち着いた調子で聞けば、カミーユはしょんぼりと笑った。
「怒られてしまうかもしれないのですが、少し、疲れてしまったみたいで。」
カミーユはクロエの心配そうな顔を見て、どうしようもなく安心を覚えた。そして、久しぶりに重たい鎧を外したような気持ちになった。
「皆、凄いですよね。どうやって息抜きしているんでしょう。」
ホッとした様子のカミーユに、クロエはさらに心配が募った。カミーユは決意を固めたらフルスロットルに振り切って、息切れを起こすことがある。体力切れならぬ、気力切れである。
「そりゃ、あそこに残り続けてる連中は息をするように取り繕える人ばっかりだから。アンタほど気力を使わずに生きてんのよ。」
クロエは「アンタは努力型だからねえ」とカミーユの髪に手を差し入れる。カミーユはクロエの手が懐かしくて暖かくて、たまらない気持ちになった。
「よしよし。頑張ってるわね。いいわ、今日はちょっと気晴らしに出かけましょうか。」
クロエの提案に、カミーユは不思議そうに顔を上げた。
「どこに?」
「どこだっていいのよ。その辺でお茶でもして、可愛いものを見ましょうよ。」
クロエはさっさと身支度を整え、張り切ってカミーユの髪形を整え、化粧を施すと「どう?」と鏡を見せた。カミーユはいつもの自分とは違うラフで今風の雰囲気に少し心が躍った。