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巣立つ雛

 会えなかった期間に溜まった話題をひとしきり話し終えると、仲の良い同期達は席を立った。カミーユの話を勿論耳にしていた彼女たちは、カミーユを抱きしめて「頼ってね」と言って去って行った。学校に居たときのように何かあればすぐに駆け付ける、ということが難しくなったもどかしさは誰の胸にも抱かれていた。

 彼女たちの気持ちを受け取ったカミーユの心にじんわりと温かさが宿る。



「ああ喧しかった。」

「すみません先生…あ、ええと。」


 呼び方、と戸惑ったカミーユにクロエはクスリと笑った。


「クロエ、でいいったら。」


 恩師を呼び捨てることにはやはり抵抗を覚える。


「皆は先生って呼んでるのに…。」


 カミーユが口を尖らせると、クロエは今気が付いたかのように「あら、ほんと」と口元に手を当てた。


「なんでかしら。アンタには言っとかなきゃって思って…。ほらなんか、皆は「先生(笑)」だけど、アンタは度合いが違うじゃない?」


 クロエの存外適当な返しに、カミーユは呆れて肩を落とした。釈然としなかったが、頑として先生と呼びたい拘りも無かったし、クロエが先生呼びをやめろというからには、カミーユは従わない法は無い。


「クロエ…。」


 カミーユがほんの小さな声でその名を呼ぶと、クロエはとても優しく「なあに?」と答えた。しかしカミーユに猛烈な罪悪感が生まれ、「クロエ様、クロエさん」と、敬称をつけてブツブツ唱え始める。クロエは苦笑し、「好きに呼びなさい」と言ったが、カミーユはイマイチどう呼んでもしっくりくるものが無く、しばらくウンウンと頭を悩ませていた。



「じゃあね、頑張るのよ。」

「はい、クロエ…。」

「ぶふっ!」

「笑わないでくださいよ!」

 

 結局慣れなくてぎこちなくなるカミーユに噴き出したクロエをカミーユは恨めし気に見る。クロエは「笑わせないでよ」と軽く答え、もう一度「じゃあね」と言うとカミーユの頬に愛情を込めて自身の頬をくっ付けた。




「―さて。片付けるか。」


 元気な女の子たちが去った後の静寂は少々寂しい気がしたが、クロエは「よし」と気を入れ替えた。しばらく我が家にはお菓子が潤沢にあると思うと心が躍るも、当然発生する問題にも目が向いた。


「ひとりで短期間にこんなに食べたら太っちゃうわね。休暇、もっと短くしようかしら…。」


 クロエは私室に向かうと手帳を開いた。


 「一番近い予約は来月か」と元より私的な花嫁修業の家庭教師をしていたクロエは、新規顧客の依頼を確認した。

 蕾の園の仕事は長期過ぎるため、一度任期を終えると半年~一年間は次を請けるかどうかの意思決定の猶予期間が設けられている。クロエは次を請けるかどうか悩んでいた。前回は学校からの強い要望があったが、今後を考えたとき、自分はどうすべきだろうか。


『エミール・ランベール様 蕾の園の講師のご依頼』


 クロエは目についてしまった蕾の園からの手紙の上に手帳を置いて隠した。結局、追加で仕事を入れるのはやめにしてゆっくりと思う存分休暇を楽しむことにした。



 

 家に帰ったカミーユは更に積みあがっていた手紙と贈り物の量に目を剥いた。


―いや、これしきのことで動揺していてはやっていけないわ。作業。これは仕分けの作業よ。


 カミーユは気を落ち着けて送り主を確認してゆく。


「これは、ロジェール伯爵の次男、こちらはメンデル男爵の甥…。」


 カミーユは呆れてため息をついた。爵位を継いでいるあるいは継ぐ予定がある者だけを貴族と呼ぶのではない。その血縁を自負する者を貴族とするならば、サラダボウルだと言わんばかりの家名の羅列。本家の次男と分家の長男等、同じ家名から二通出してきているところもある。聞いたことのある名前もあれば、全く耳にしたことのない家もあった。

 気が付いたことは、大貴族と呼ばれる大きな権力と財力を持った貴族たちからは一通も届いていなこと。彼らは必死になって相手を探す立場ではない。乞われて選ぶ側なのだ。些細なことをきっかけに慌てんぼうよろしく手紙をしたためるような野暮なことは決してしないのである。そして、カミーユ自身もそんな野暮は気に入るところではなく、どうしたものかとため息をついた。


―それにしても、どこにどんな返事を出したら適当か、私にはまだ分からない。


 父親の目を通せば政治的に都合のよいものがあるのかもしれないが、家を離れていたカミーユには細かいことを判断できかねた。父親に相談すべきだと結論付けたカミーユは一通り目を通した手紙の束をひとくくりにすると、丁寧に箱に仕舞った。




「凄い山だな。」


 帰って来たオレガノ子爵は一日の間に娘に届いた贈り物の山に目を丸くした。カミーユは苦笑いを返すと、子爵に手紙の束を手渡した。子爵は上着だけ脱ぐと身も整える前に直ぐに手紙に目を通し始めた。


―しまったわ。帰って来られたばかりなのに乗り込んでしまったわ。もっと落ち着かれてから来なくてはいけなかったわね。


 カミーユの気後れした様子を気に留めること無く、子爵は手際よく差出人の名前を選別し、「ここには顔を出した方がいい」と言った数通の夜会への招待状をカミーユに手渡した。残りの大多数はカミーユ自身が気になるものが無ければ当たり障りのない返事を出して問題ないとのことだった。

 

「あの、実は縁談は当分御免というか、もっと時間を置きたいと言うか…。」


 オレガノ子爵は少し考える素振りを見せた。 

 子爵は届いた手紙の束に目を遣り、この機に乗じることは憚られると思った。落ち着いてから動くことは必然だ。


「分かった。私としても短慮に動くつもりはない。お前ももう大きくなったし、お前の意見を無視したりはしない。返事は…そうだな、『娘は深く傷付いているので、しばらく考える時間をいただきたい』とでも書いて私から出しておこう。」


 カミーユは父親の返答にホッとした。それなら妙な角も立たないだろう。何より、縁談に駆け足でないことが分かって安心した。


「ありがとうございます。でもまさか、こんなに反響があるとは思いませんでした。」


 カミーユは昨日の騒動について必要以上に注目されている気がしてならなかった。オレガノ子爵は釈然としない体の娘にフッと笑みを零した。


「蕾の園を出た娘の婚約者が居なくなったんだ。普通は欲しがらない手はない。…そう、普通は。」


 言外にカミーユを捨てたプランタン家の非常識さを示唆する父親にカミーユは顔を引きつらせたが、一方で本人としてはその言葉に引っかかりを覚える。


「…でも皆様、私という人間を知っているわけではないのですから、肩書だけ見られても複雑な気持ちです。」

「そう思ってくれるだけ親としては安心だよ。表面的にチヤホヤされて浮かれてしまう人もいるからね。…ひいき目無しに、お前の成長には見張ったのは確かだ。同期のお嬢さんたちとも良い関係を築いたと聞いている。おかげで同期の家の方々とも思わぬ繋がりができた。立派なお前が誇らしいと思う。」

「お父様…ありがとうございます。その、私が成長したとおっしゃっていただけるなら、それはクロエ先生のおかげです。…あの方はちょっと、周りから見たら変わっていらっしゃるように映るかもしれませんが、私たちは皆尊敬しています。」


 オレガノ子爵はクロエの成果が目の前に立つ娘だという事実を素直に受け入れ、納得した様子で頷いた。


「頑張ったお前自身も、先生の指導を賜ったのもオレガノ家の自慢だ。」


 カミーユは自分よりも、クロエのことを父親に褒められたことが嬉しかった。




 それから、カミーユはいくつかの招待を受けた夜会に出るための準備を始めた。エスコート役を全てオレガノ子爵が務めるということに気が引けるが、招待側はそれを見越してのことだろう。


―お父様が一緒に来ることも含めて、私に声をかけているんでしょうね。


 あらゆることに思惑がある。物事の裏に意図があろうと、いちいち気にしていては身が持たないということをカミーユは理解した。その人が親切だから、優しいから、自分に良くしてくれる訳では必ずしもないのである。

 クロエはかつて「自分の事を一番に考えないと生きていけない世界」だと言った。カミーユは社交界で起こることに一喜一憂したり、心を使い過ぎたりしてはいけないのだという忠告を思い出した。


―成程、メンタルが強くないとやっていけない。


 大体、習った処世術が在学中にピンとこないものが多かったのは、実際に体験していないからだと気が付いた。


「とにかくとやかく言う人は必ずいるんだから、気にしちゃだめよ。」

「まず仲良くなっておくべきはご主人では無く夫人の方。」

「人に対して否定から入れば、アンタもまず否定されるようになるのよ。」


 しかもクロエが教えてくれたのは妙に具体的で、もしかしたらクロエ自身が経験したことだったのでは、と思わずにはいられなかった。


「いや、先生は貴族ではないから…。」


 口にしたところでカミーユは頭を振った。クロエが最も口を酸っぱくして言ったのは「生きる上で大切なことの数々は、貴族であるなしは関係ない」ということだ。きっと周りから特異な目で見られることも多く、嫌な思いもしてきたのだろうが、クロエは全て飲み込んで逞しく生きているのだろうとカミーユは考えた。

 カミーユは改めてクロエの大きさを悟った。色んな意味でカミーユの狭い世界をこじ開けたのは紛れもなくクロエ。貴族という枠に拘らず、一人の人間として立派になるよう育ててくれた。師の精神は確実にカミーユへと受け継がれていたが、本人にその自覚はまだない。カミーユはまだ大海へ飛び込んだばかりの小さな魚に過ぎないのだった。


 カミーユはクロエと過ごした頃を思い出しながら自分に一番似合うドレスやアクセサリーを見繕い、どんな髪形にしようかと思いを馳せた。あれかこれかと悩む中で、時折「違う」と言うクロエの声が聞こえたような気がした。


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