開幕
大きなエントランスからホールまで続く広々とした空間には、煌びやかなシャンデリア、大輪の花々、見事な調度品が場を盛り上げている。
人々がごった返すレスコー邸はかつてない程賑々しかった。まるで王宮の舞踏会を彷彿とさせる豪華さと、それほどの人を招待できる財力と権力に人々は感心し、羨んだ。
オレガノ夫妻とカミーユが到着すると、他の招待客と同じように恭しく邸宅の中に案内された。
カミーユがホールに目を凝らすと、知っている顔がいくつもある。家で交流のある親しい人であったり、高名な貴族であったり。
ホスト席で客に笑顔を向けるデュランを見つけ、カミーユは武者震いした。デュランも鋭くカミーユの視線に気が付くと、柔らかな笑みを浮かべた。
そのとき、ひときわ大きな声がエントランスからあがる。
―何かしら…えっ!?
人の間から見えたのは、紛れもなくユリウス第一王子だった。人々は予想していなかったやんごとなき方の登場に肝を抜かれた。
そして、ユリウス殿下の隣には淑やかにリジーが佇んでいる。正式な発表こそまだだが、人々は彼女が婚約者として選ばれたのだろうと、確信に近い憶測を立てた。
ユリウスはごちゃごちゃとした人の群れの中にカミーユを見つけると、優しい笑みを投げかける。
―え。
カミーユはパッと腰を折ったが、まさか自分に微笑んだのではあるまいと思った。
―きっとこの一帯に向けて会釈されたのよね…?
どうにもユリウスのことは掴めない。あの舞踏会のときのやり取りも、未だ意図が分からないままである。
一方リジーは意味ありげにカミーユに一瞥を投げると、スッと顔を正面に向けた。カミーユはリジーの態度に心が燻る。
―あんな風に見なくても。
カミーユはやれやれ、とホスト席に近づいていく彼らを見守った。
「殿下!よくお越しくださいました!」
「貴公からの招待だ。出ねばなるまい。リジーのおまけかもしれないが?」
「殿下、とんでもありませんわ。私こそがおまけです!」
軽口を叩き、高貴なる人々は笑い合った。ホスト席は今や招待客たちの注目を集めている。
「―さて、今日は面白い催しがあるとか?」
ユリウスが楽しそうに微笑むと、公爵はにっこりと笑った。
「ええ、そうなんですよ。ま、それはもう少し後で…。今しばらくはどうぞお楽しみください。―皆様!」
招待客が概ね揃ったのを見ると、レスコー公爵は舞踏会の開催の挨拶に移った。リジーはデュランに目配せをし、デュランは口元をにんまりと緩ませた。
舞踏会は至って普通に始まった。カミーユも数人からダンスの相手を求められたが、人を探していると言ってうまく躱した。呑気に踊っている間に事を始められたら、たまったものではない。
そうしてしばらく会場を影の様に移動して様子を窺っていると、「やあ」と背後から声をかけられた。
―来たわ。
振り返ったカミーユの前には、いつにも増して麗しいデュランが立っていた。デュランはカミーユの手を取ると、軽く口づける。
「こんばんは。来てくれて嬉しいよ。」
「お招きいただき、ありがとうございます。」
デュランはカミーユの落ち着き払った様子を見て笑みを深めた。
「誰とも踊っていないみたいだね。せっかくの舞踏会なのに。」
見ていたのか、とカミーユは内心毒づいた。こちらはそっちを探してうろうろしていたというのに。
「私―もう舞踏会では踊らないと思います。」
「それは…意味深なことをおっしゃるね。」
カミーユとデュランの瞳は蛇のように絡まった。
―デュランがカミーユ嬢を捕まえたわ。
リジーはユリウスの隣でにこにこと大人しく笑っていたが、会場を監視することを欠かさなかった。
―そろそろ、発表かしら。
期待を込めて今日の主催であるレスコー公爵に視線を向ける。そして、リジーは些か眉を寄せた。
公爵を、リジーの知っている顔が取り囲んでいたのだ。一寸の隙も無く、がっちりとマークするかのように公爵に張り付いているではないか。
「今日は本当に光栄です、レスコー様。」
「全てが素晴らしいですわ。」
「ところで、今の社交界の情勢と今後の展望について…。」
「これからの経済のご意見を…。」
ニコニコと公爵を取り囲むのは、サラザン家の娘とその婚約者のグラース伯爵、そしてミニエ家の娘の婚約者のコルフ卿。更には新興貴族のモンラッシュ家の娘とその婿になるブラガ卿、フルニエ家と縁を結ぼうとしているドリュオン卿まで加勢している。
公爵は彼らに囲まれて姿さえ見えなくなっていった。
―な、何をしているの!?
リジーは明らかな妨害の予感を察知し、無意識に唇を引き結ぶ。
「あの…殿下…。」
控えめな可憐な声がすぐそばで響く。リジーが公爵に意識を奪われている間に、ユリウスの近くには淑女たちが列をなしていた。
「君たちは…。」
ユリウスは驚きの声を上げる。集まっていたのは、今まで『婚約者候補』に名が挙がっていた令嬢達だった。案内役を務めるかのように立っていたのは、フルニエ男爵の娘のアルトという娘。
「ご無礼をお許しください。私達、是非殿下にお目見えしたくて…!」
ユリウスはリジーが婚約者に内定した故に、脱落者となった彼女たちのこれまでの献身と努力に報いなくて良いものかと自問した。
「あなたは…フルニエ男爵のアルト嬢ですね。皆を連れてきてくれたのですか。」
アルトはユリウスからの言葉に恐縮して身を縮こまらせた。ブンブンと頭を横に振り、「いいえ!」と震える声を上げる。妖精のような、儚くて美しい姿に、男女問わず周囲の目はアルトに向いた。
「私が、皆様にお願いしたのです。ご挨拶したいのですが、あの…私は殿下からの覚えの浅い身ですので…。そうしましたら、皆様もご挨拶にと。」
ユリウスはアルトに優しく頷き、彼女の背後の令嬢たちに声をかけた。
「私も皆に挨拶がしたい。…よく来てくれた。」
令嬢達からは感極まった声が漏れる。列の中には、ヴィオレットの姿もあった。
―殿下も捕まった…!
淑女たちはユリウスを離さないだろう。憧れの人と近くで親しく話せる最後のチャンスと心得ているはずだ。リジーはユリウスの傍を遠慮するしかなく、会場に身を泳がせた。
―デュランに、言いに行かなくては。邪魔をされていると。
余裕のない顔をしているリジーに、不遜と言えるほど余裕たっぷりの淑女が見計らったかのようにするりと近づいた。
リジーは彼女の顔を見て口元を引きつらせる。
「ご機嫌よう、リジー様。」
「デルフィーヌ、様。」
にやにやと笑うデルフィーヌに、リジーは思わず眉をひそめた。
―そう。私までも、封じようと言うのね。
デルフィーヌは挑戦的な眼差しを投げてくるリジーににっこりと笑った。
「アルトって、やる時はやりますのよ~。彼女たちにぐいぐい話しかけてあんなに集めてしまうのですもの。もっと評価されるべきだと思いません?」
「…あなた方の友情を馬鹿にする気はありません。でも、どうあがこうと結果は変わらないわ。」
「あら、何をおっしゃっているの?それはあなたの方ですわ。醜いやっかみも横恋慕も、初めから適わないものですわよ。」
「…あなたに何が分かって?」
バチバチ、とデルフィーヌとリジーの間に火花が飛ぶ。
「どいて頂戴。」
「絶対嫌。」
デルフィーヌはいよいよ強気に笑い、リジーの瞳は冷酷な光を放った。
「あなたのお友達がリジーと話しているね。…おやおや、父も熱心な若者に囲まれて。」
カミーユはデュランが目を細めて眺める方を見た。
―皆で、妨害をしようとしてくれている…?
「…。」
「ま、それはいいさ。僕が話したいのは君だからね。」
デュランがうっとりと笑う。ピリリ、とした緊張が二人の間に走った。妨害何てもろともしない、という体のデュランは、どう見ても虚勢などではなさそうだった。
しかし、もとよりカミーユも援護は期待していなかったのだ。皆の協力を知り、一層の気合を貰った今、カミーユも闘志を燃やした。
「様子を察するに、君は今日のこの会の目的が分かっているようだ。」
カミーユは静かに首を横に振った。
「いいえ。今日は、レスコー様が催された盛大な舞踏会ですわ。」
「へえ…。」
デュランの瞳が怪しい光を放つ。
「でも、残念ながらあなた様とお話しできるのは今日で最後かもしれません。」
「―どういう意味かな。」
剣呑な紫の瞳がゆらりとカミーユを捕らえる。そこにはわずかな怒りが滲んでいた。返すカミーユの視線は、風の無い湖の様にひたすら静かで穏やかだった。




