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乱れた調子と不協和音

 しまった、とカミーユは思った。出て来たクロエはどう見てもこれから出かけようとしている。それにドアの前に突っ立っていたのもバレた。何と言い訳したらいいのか、焦る気持ちが邪魔して頭が働かない。


「あの、その、今来たところで、ええとごめんなさい。これからお出かけですよね?失礼しました、帰りま…。」

「いえ。いいの。入って。」


 言葉少なく、クロエはカミーユを迎え入れた。カミーユはクロエの様子に違和感を覚える。どことなく、いつもと違って暗い雰囲気を纏っているような気がした。少なくとも、以前出迎えてくれたときの笑顔ではない。



 クロエの部屋はいつになく雑然としていた。カミーユは思わず視線を巡らせた。物が何となくあちらこちらに無造作に置かれて、椅子には畳まれていない上着が適当にかけられ、花瓶には何も活けられていない。カミーユは悲しい気持ちに襲われた。


「悪いわね、散らかってて。」

「突然来てすみません。」


 突然押しかけるのはいつものことだったが、どの時もクロエの部屋は綺麗だった。カミーユはクロエに何かあったのでは、と心配になる。

 クロエは静かに湯を沸かすと、紅茶を淹れてカミーユの前にカップを置いた。以前にも出された紅茶と同じものだったが、今日は同じものかと疑うくらいにその香りが儚く感じられた。


「今日はどうしたの。」


 カミーユは恋心を原動力に勢いで来てしまった、ということを思い出したが、何と答えたらよいものかと固まった。


「ええと…。」

「…もしかして、恋の相談?」

「は?」


 カミーユはドキリとした。どうしてそれを当の本人が知っているのか。もしかしてエスパー?などとカミーユの脳内に呑気な軽い混乱が起こっているなどと露知らず、クロエは薄く笑った。


「レスコー公爵のとこのご嫡男と、仲良くしているんでしょう?」

「…え?」

「凄い人に見初められたじゃない。レッスン先で耳にしたわ。」

「ちょっと…いやそれ…。」

「いい人ができたなら良かった…。」

「違うったら!!」


 突然大きな声を出したカミーユにクロエが目を瞬かせる。カミーユはいたたまれないやら、悲しいやら、腹が立つやらで思わず立ち上がっていた。


「…違うの?」


 遠慮がちにクロエが確認すると、カミーユは顔を赤くして憤然と頷いた。




 ―何だ。って、ホッとしてちゃ世話が無い…。


 クロエは密かに息を吐きだした。ただでさえ今後の身の振り方に懊悩していたところ、リジーという悩みが降りかかり、更にカミーユの浮いた噂話。この数日、クロエは心身共に疲労困憊を極めていた。先ほども、何とか気合で三日ぶりに食事をしようという気を起こし、簡単に食べられるものを買いに行こうとしたところだった。


「確かによく話しかけていただいていますけど、それだけです。」

「それだけ、ねえ…。」


 本当にそれだけだろうか。そう思っているのは彼女だけではないか。いや敢えて、それだけと言い切っているのか。クロエは疑わしい気持ちでカミーユを一瞥すると曖昧に頷いた。




 どうして好きな人から別の人間との交際を指摘されなくてはならないのか。この屈辱、やるせなさをどう表現しよう。カミーユはあまり信じていない様子のクロエを恨めしく思った。

 自分だって、リジーとレッスンを重ね、彼女がクロエの秘密を知り得るような関係になっているではないか。


「クロエだって…リジー様と…。」

「え?」

「聞きました。レッスンを受けているって。素敵な先生だって、おっしゃってましたよ。」

「…それだけ?他に何か言っていた?」


 含みのある聞き方に、カミーユの心がざわつく。リジーの言っていた『秘密』のことだろうか。まるでカミーユには知られたくないとでも言うような物言いは、カミーユを傷つけるに十分だった。


「いえ…何も。」


 クロエはカミーユの回答に「そう…」と安堵を零した。カミーユは泣きたくなった。どうしてリジーは知っていて、自分は知らないのだろう。親しいと思っていたのは自分だけで、大事に思われていると思っていたのは思い上がりだったのだろうか、という気さえしてきた。

 考えてみれば自分はクロエの性格や趣味については熟知していても、クロエが蕾の園に来た経緯さえ碌に知らない。その事実に気が付くと、カミーユは急にクロエと繋がっていた糸が細くて頼り無いもののように感じられ、心許なくなった。




 ―良かった。


 クロエはカミーユがレッスンの情報を持っていたことに内心驚いた。そして、リジーがカミーユに自身の出自を漏らしたのではないかと疑った。カミーユの前では常に完璧でいたい。自分の一番好きな自分で居たい。愚かなエゴだと分かってはいたが、第二王子だと明らかにされ、あの頃の自分を知られることが恐ろしかった。クロエが何よりも厭うあの頃を。


「カミーユ?」


 黙りこくるカミーユに気が付いてクロエが顔を上げると、カミーユは浮かない顔をしていた。そういえば、彼女が来た理由をまだ彼女の口から聞いていない。



「ごめんなさい。話を逸らしてしまったわね。で、どういう用だったの?」

「私はクロエのことがもっと知りたい…。」


 答えになっていない、とカミーユは自分でも分かっていた。何しに来たのかと聞かれても、用事は無いのだ。ただ、会いたくて来たのだから。

 縋るような思いを込めて吐き出した言葉は、カミーユの願いとは裏腹に冷たい言葉で返された。


「もっと知ってどうするの。」

「どうするって…。」

「今だって…何を知っているの?」


 カミーユは黙るしかなった。嘲りともとれるクロエの言葉に、涙が滲む。突き放されたような気がした。


 ―クロエ、どうしたの?





 殆ど無意識に口をついて出た言葉に、カミーユ以上に驚いたのは言った張本人クロエだった。


 ―アタシ、今何て…。


 クロエは青ざめながら手で口を抑えた。しかしもう言葉は発せられた後。クロエはそろりとカミーユに視線を移した。


「カミーユ…ちが、ごめんなさい!」


 張り詰めた顔で涙を溜めたカミーユは、クロエがこちらを見たと気が付くと弾かれたように踵を返した。自分を呼ぶ声も聞かず、部屋のドアへと駆ける。


「待って!」

「知らないわよ!クロエが隠してるんじゃん!!」


 カミーユの叫びはクロエの心臓を貫いた。


「…待って!」


カミーユを傷つけた。愛しくて仕方がない彼女を。クロエが蒼白になって咄嗟に捕まえたカミーユの腕は相変わらず骨太だったが、クロエは容易くその自由を奪った。


 必死にカミーユを留めようとするクロエに対し、カミーユは何とかしてクロエの手をはがそうと身を捩る。カミーユを引き留めようとすればするほどクロエの手に力が入り、あまりの力の強さにカミーユは「痛っ…!」と顔をしかめた。

 ハッとしてクロエはカミーユの手を放す。そして自分がしていることの罪深さに恐怖し口を押えた。


「ごめんなさい…。」


 クロエの謝罪が、カミーユを傷つけたことに対するものなのか、腕を強く握り過ぎたことに対するものなのかはもはや分からなかった。

 腕が解放されるとカミーユはそのまま逃げるようにアパルトマンを出た。乱れる歩調で幾分か路地を進む。もうすっかり外は暗くなっていた。夜の涼しい風がカミーユの頬を撫でた。涙の通った後がひんやりとする。カミーユは鼻をすすりながら顔を乱暴に拭った。




 ドン、と壁に背中から強くもたれかかる。骨ばった手でいつも以上に青白い顔を覆った。


 ―何てことを。アタシが一番に理解を求めていた相手を、突き放してしまったわ。アタシのどうでもいいエゴで…。


 自分を知っていると言いながら涙したリジーと、知らないと言って声を張り上げたカミーユ。クロエの心臓はそれぞれに揺さぶられた。あまりの振れ幅の大きさに、クロエの心が付いていかない。

 クロエはズルズルと壁伝いにしゃがみ込み、自身を呪った。




「はあ、はあ…!」


 クロエのアパルトマンから飛び出した後、カミーユは真っ白な頭で走り続けた。クロエに強く掴まれた手首が酷く熱かった。段々と駆ける足は速度を落とし、やがてカミーユはとぼとぼと歩き出した。顔は涙でぐしゃぐしゃになっており、嗚咽を堪えるために顔を手で覆った。カミーユは指の隙間から足元を見て進んだ。夜分にこんな住宅地で鳴き声が響いたら迷惑だろうと思った。


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