逆転ダンス
クロエはリジーが始めた我慢比べにやむなく付き合った。リジーの何かを言いたげな顔つき、時折見せる恥じらいの表情、そして探るような視線をクロエは素知らぬ顔でやり過ごす。彼女がクロエに何かを期待しているのは明らかだった。
―思ったよりも厄介なことで呼ばれたのかもしれないわね…。
というのも、何かを探る素振りの間で、リジーが必死に隠そうとしているクロエへの好意が手に取るように分かってしまうからだ。クロエは彼女が頬を染める理由が分からない。記憶にある限り、初めて出会ったのはあの王宮の夜会だ。巷でも名高い令嬢である彼女が、第一王子の筆頭婚約者候補であるということは周知の事実。そしてそんな彼女が自分の責務を心得ていないはずがない。
クロエは「これは仕事」と己に言い聞かせてプロ根性を発揮し、とびきり気高く優秀な生徒を受け持ったコーチを全うした。
―そろそろ潮時だわ。レッスンをしたという事実も作れたし。次回でお暇しましょう。
クロエは上着を整えながら考えを固め、折り目正しくリジーに挨拶した。
「では、失礼します。」
「ありがとうございました。」
四回目のレッスンを終え、リジーは焦っていた。そろそろダンスに妙な癖がついているからと言って、クロエにレッスンを頼めるのも限界が近づいている。そもそも、自分のダンスに不備がないのはリジーもクロエも分かりきっているのだ。クロエも怪しんでいるに違いない。
これまで、リジーがそれとなくクロエに投げかけた質問は全て軽くいなされている。
「王宮の、何て言いましたっけ。大広間前の大きな絵。私あれがとても好きで。」
「そうですか。残念ながら先日はそういったものに目を向ける余裕がありませんでした。惜しいことをしました。」
「蕾の園の宿舎にありましたモミの木が聖夜祭で飾られるのは素敵でしたわね。」
「蕾の園にモミの木はありましたでしょうか。うーん…どちらでしょう?」
「…やだ、王宮の中庭と間違えましたわ。」
リジーが懸命に考え、カマをかけようと目論んでも全て見事に空振りに終わった。
クロエがリジーの求めるかつての初恋の人物かどうか、リジーは確証が持てずにいた。もしかしたら、本当に人違いなのかもしれないと思わされる節もある。
もどかしいのは、リジーの知りたいことが中々分からないからということだけではなかった。ここ数回の逢瀬の間、クロエは至って他人行儀であり、距離を詰めさせない態度はリジーをやきもきさせた。王宮の舞踏会で見たクロエがカミーユに向けた眼差し、微笑みの一片すらリジーに向けられることはなかったのである。
カミーユはしばらくリジーとはご無沙汰で、どことなく落ち着かない気持ちで過ごしていた。クロエとも舞踏会以来会っていない。
―デルフィーヌが気になることを言うから…。
もしかしたら、自分の知らないところで何かが起こっているのかも?と考えると、胸の辺りがモヤモヤとした。
「やあ、カミーユ嬢。お元気ですか?」
「ご機嫌よう。しばらくぶりでしたわね。」
悶々としていると、カミーユの前にリジーとデュランが現れた。二人は以前と変わらない様子で気さくにカミーユに声をかけた。カミーユはホッとしたような、気になるような複雑な心境だった。
そんなカミーユの心中も知らず、デュランは「ひとり?」とさも面白そうに無邪気に笑った。リジーはデュランを疎まし気に睨む。
カミーユは二人が近づいてきたおかげで一人になったところだ、とはとても口にはできず、曖昧に会釈を返した。
リジーはカミーユを冷静に眺めた。蕾の園でクロエが担当した唯一の生徒。六年間クロエと二人三脚を歩み、以降もクロエの笑顔を独り占めにしているカミーユ。リジーの心の中に黒い感情がジワリと沸き上がった。
「そういえば、クロエ先生にお会いしましたわ。」
「え?」
「ダンスのレッスンをつけていただいたの。」
どこか不安そうなカミーユに、リジーはその心境を読み取った。リジーは何ともない顔つきで、余裕を込めて笑った。
「とってもいい先生ですわね。教えるのがお上手だし、あそこまで踊りやすくリードしてくださる方って滅多にいらっしゃらないもの。」
デュランはリジーの言葉に眉を上げたが、何も言わずにカミーユの反応を見た。カミーユの口元はわずかに強張っており、瞬きするのも忘れているようだった。
「あはは!それじゃあ僕ではお相手にならないね。今夜はカミーユ嬢に踊ってもらうことにするよ。」
「まあ。ご勝手に。」
デュランは無理やりカミーユの手を取ると、ダンスの輪の中へと連れ込んだ。リジーは険しい顔で二人を見送る。困惑したカミーユと目があったが、リジーはフイとどこかに行ってしまった。
了承もなくいきなりダンスを始められたカミーユは慌てて崩れそうになっていた体制を整えた。
「ちょっと、デュラン様…!」
頭の中には先のリジーの言葉が渦巻いていたが、考える暇もなくカミーユはデュランのペースに巻き込まれる。思わず抗議するように名前を呼んだが、デュランはどこ吹く風で、悪びれもせずニコニコしている。デュラン自らがリジー以外をダンスに誘うことは珍しく、周りからは驚きの声と視線が投げられていた。
やりづらい、とカミーユが思っているとデュランが「ねえ、カミーユ嬢?」と明るく話しかけてくる。デュランの精神力の強さにカミーユは何度となく驚かされる。
「僕、実は女性のパートも踊れるんだ。」
カミーユが「は?」という顔を向けるやいなや、デュランは唐突に女性側のステップを踏み出した。
―足を踏む!!
カミーユは心底焦って、必死にデュランのこっそり逆転したダンスに合わせた。すなわち、カミーユが男性パートのステップを担ったのである。
するとデュランは嬉しそうに息を飲んだ。
「こっち。」
大きな幕で四方を囲まれた小部屋にデュランはカミーユを引っ張り込んだ。カミーユはまたもや突然のアクションに振り回される。何が何だかとカミーユが混乱している間に、デュランは手の組み方、腕の回し方を今度こそ完璧に逆転させた。
「君もこっち側を踊れるとは思わなかった!」
何故かご機嫌のデュランに、カミーユはいよいよ頭が痛くなった。どうして自分は今男性パートを踊らされているのだろうか。仕方なく付き合うが、流石に体格差がありデュランを支えることはできかねた。
しかしデュランはそこまで完璧を求めているようではなさそうで、ただただ形だけでも踊れていることが楽しいらしく、ご満悦な様子だった。
踊りながらデュランは尋ねる。
「どうして君は男性パートも心得ているの?」
「蕾の園時代…同期達と自主練習するときに相手役を務めるため、コーチに教わりました。まさか卒業後に日の目を見るとは思いませんでしたが。」
カミーユのもはや隠そうとしないげんなりした表情を見て、デュランは盛大に笑った。
―クロエとはまた違った種類の、自由な方だわ…。何がそんなに楽しいのかしら。
最初こそ面倒くさく思っていたカミーユだったが、デュランがあまりに楽しそうに笑うものだから、カミーユも段々と色んな事がどうでも良くなって、最終的には笑うしかなくなった。
数曲踊り終わり、カミーユとデュランは小部屋にあるソファで息を整えていた。慣れないダンスと、込みあがる笑いを抑えることで、必要以上の体力を使ったのである。
「ああ、楽しかった。」
清々しい顔でデュランが言った。カミーユは本当に変な人だと思い、おかしくなってまた笑った。
「君がそんなに笑うのは初めて見たよ。」
デュランの率直な感想に、カミーユは恥ずかしくなった。隠れていたからいいものの、とても社交界に出入りする淑女の振る舞いではなかった。デュランも同様だが。カミーユが反省してむっつりすると、デュランは不思議そうな声を上げる。
「何をむくれているの?ここには僕しかいないんだから。」
カミーユの髪を遊ぶように手に取ると、デュランはうっとりするような顔を浮かべる。カミーユはもうすっかりデュランに髪を触られることに慣れてしまったが、これもあまり褒められたことではない。カミーユはいつものようにデュランを目で諫めた。
「またその顔。」
絆されてくれないと見て、デュランは先の甘い表情を引っ込める。
「僕はどっちを踊るのも好き。女性側を覚えたのは興味だったけど、今まで誰にも披露したことは無かったんだ。」
「それは…ようございました。お相手を務めることができて。」
カミーユはデュランの奔放さや自由さに、クロエの影を見た。少しだけ懐かしい気持ちが顔をのぞかせ、カミーユの表情が自然と柔らかくなる。デュランはそのわずかな変化を見逃さなかった。
「どうしたの?」
「いえ…好きな方を、踊ればいいですよね。」
カミーユの優しい眼差しは、デュランの目を惹きつけた。珍しくきょとんとするデュランに、カミーユは素直に笑いを漏らした。




