三人揃えばマウントの取り合い
こっそりと、ひっそりとクロエは王宮の廊下を進んだ。手に握りしめていた舞踏会の招待状を慌てて懐に仕舞う。
綺麗に整った金髪、白い肌に映えるラピスラズリ、それよりも澄んだブルーの瞳。見覚えの無い美貌の青年に、すれ違う人々は思わず視線を奪われた。
―やだアタシったら!こんなに手間取るなんて!カミーユ、どこ!?
当の本人はそれどころではなく、心臓が打つ早鐘を必死に隠すことで精一杯だ。
広間を突き進む途中、誰かの相手をしているアルトと出会い、彼女の非常に慌てた顔からクロエはカミーユに何かあったことを察した。困り顔のアルトに目配せして通り過ぎると、クロエは目を凝らし、行きかう人々の中にカミーユを探した。
「居た…!けど…?」
クロエは何とかカミーユを発見したが、彼女が誰かと一緒にいることに気が付くと、足を止めた。自分が出て行くべきか否か、判断に迷う。クロエは遠くから二人の様子を観察した。
「突然すみません、僕はデュラン・レスコーと言います。オレガノ子爵のお嬢様ですね?」
「はい。そうです。初めまして。」
カミーユの頭にはレスコー公爵の名が過ぎり、目の間の人物がその血縁者であることを直ぐに理解した。同時にそんな社交界の花形がどうして自分に声をかけてきたのだろうか、という疑問を抱く。
神妙に頷くカミーユに向かってデュラン卿は警戒を解くように朗らかに話かける。
「いえ、先程怖い顔をしたセリーズ嬢とお話ししていらしたので、何かあったかと思いまして。」
カミーユは見られていたのか、とドキリとした。大事にしたらまた面倒なことになる、と内心冷や汗が流れる。
「まあ、気づきませんでした。怖い顔をなさっていましたでしょうか?これからお庭のお散歩をご一緒させていただくことになっています。」
だから気にかけてもらうことなど何もない、と伝えようとした時、デュランの瞳が意味深に細められ、カミーユは思わず言葉を切る。
デュランは見惚れるような優雅でかつ自然な動きでカミーユの髪をひと房取った。
「お力になれることがあれば、何なりと。」
カミーユはぎくりとして固まる。知っているのだ。自分と、かの令嬢たちの軋轢を。
カミーユはデュランの意図が測りかねた。彼女達への権力的な牽制?オレガノ家への恩売り?それとも…。
―いいえ、どれでもいい。私がこの場ですべき回答はひとつ。
カミーユは気を奮い立たせると、デュランの綺麗な顔を一直線に見つめた。何の気後れも無い視線に、デュランは「おや」という表情を浮かべる。
「お言葉痛み入りますが、どうぞ、目を瞑ってください。これは女の…いえ、私たちの問題でございます。」
デュランはカミーユの言葉に目を瞬かせる。デュランの反応を待たず、勢いよく一礼して去って行くカミーユに声もかけることができなかった。なんの未練も無く、手にした髪がするりと離れていく。
「成程。」
デュランはそのまま離れて行くカミーユを逃したが、小さくなる背中を見送りながら素晴らしい楽しみを見つけた子供のような顔で嬉しそうに笑った。
「ちょっと、先生、何してるの!カミーユがどこかに攫われたらしいわよ!」
立ち尽くすクロエを見つけたセシルは、息を弾ませて駆け寄った。声を低くして尋ねるが、クロエは寂しそうに笑い、緩く首を横に振った。
「今アタシが出て行ったら、あの子の不利になるわ。」
「え?」
セシルはクロエの言った意味が分からず、怪訝な声を上げた。
「遅かったわね。何をしていらしたの?」
庭の方角をその辺に居た人に尋ね、カミーユはやっとセリーズを見つけることができた。
―本当に、人をいびる才能に長けた方ね…。
彼女の問いに、カミーユはただ「すみません」と言う他なかった。社交界の花形、デュラン・レスコーに声をかけられていたなどと言えば、新たな火種になりかねない。
また、だからこそデュランにどんな意図があろうと、自分の味方をさせるわけにはいかなかったとも言える。この場は乗り切れたかもしれないが、事態はきっと一層悪化しただろう。
「もう一人遅れているのだから、別によろしいわよ。私、エトワール・ノディエと言いますわ。どうぞよろしく。」
カミーユは初めて話すエトワールに丁寧に挨拶をした。アルトを彷彿とさせる美人だと思った。彼女の言うもう一人が、ヴィオレット嬢であることは容易に想像できた。
いよいよ三人が揃うとカミーユが密かに意気込むと、エトワールとセリーズは「あの人はいつもこう」と嘲るようにため息を漏らした。
「見てらっしゃい。またどこぞの有名な殿方に捕まってたって言うから。」
セリーズが棘のある言い方でエトワールを見れば、エトワールは薄く笑いながら冷たく「はしたないやっかみと思われますわよ?」と返した。
カミーユは大人しく佇んでいたが、場の空気の冷たさに妙な汗が流れた。彼女たちは結託こそしているが、お互いを尊重しているわけではないのだということに気が付いた。
―仲良しな三人、というわけでは無さそうね…。
ピリッとした空気が辺りを占め、誰も何も言わず、カミーユは非常に居心地が悪かった。先方が三人集まらないと話は始まらないらしいと察し、カミーユも沈黙を貫いた。
気まずい空気が辺りを支配してから少しすると、「ごめんなさいね、お待たせして」とヴィオレット・カーン嬢が姿を見せた。ヴィオレットはその名にちなんだ菫色のドレスを身に纏った色気の漂う女性だった。
広く開いた襟元から陶器の様に美しい胸元が見えている。カミーユは同性ながらも自然とその辺りに目が向き、成程「お姉さま」であると妙な納得をした。
ヴィオレットは既に役者が揃っていることを確認すると、申し訳なさそうな顔で「アデルノ公爵に捕まってしまって」と言い訳をした。セリーズはエトワールに向かって「ほら」と目配せをする。
ヴィオレットは彼女達の反応を気にすることなく、「さて」とカミーユに向き合った。カミーユは先に腰を折り、挨拶を並べた。
「セリーズ様にお誘いいただきました。カミーユ・オレガノと申します。ご一緒させていただいて光栄です。」
「ヴィオレット・カーンですわ。父は侯爵を授かっています。」
―知っている。
カミーユは毒々しさを放つヴィオレットの微笑みに、恭しい笑顔を向けた。
四人は宮殿の明かりが照らす庭を何事も無いような様子で少し歩いた。セリーズの言う通り、庭は素晴らしかった。手入れされた植物に、美しく並ぶよう計算されつくした配置。カミーユは素直に庭に感動した。
「ねえ、カミーユ様。今日は初めての陛下へのご挨拶だったでしょう?いかがでした?」
不意に、ヴィオレットがカミーユに尋ねた。カミーユは当たり障りなく「緊張しました」と答えた。ヴィオレットは張り付けた笑顔で頷く。カミーユの真意を探っているかのようだった。
「ユリウス様は?」と痺れを切らしたエトワールが問う。セリーズが咎めるように睨んだが、エトワールは更に「何かお話ししていらしたじゃない?」と続けた。
―見ていたのね。
カミーユは感心した。カミーユとユリウス王子のやり取りはほんの些細なものだったのに、何と鋭い観察眼と注意力だろうか。彼女たちの必死さがどれ程のものか、カミーユは初めて分かったような気がした。
カミーユが持ち合わせている返事は彼女たちにとっては予想外であり、かつ期待に沿うはずなのだが、狂った歯車をどう嚙合わせるべきか。カミーユは慎重に言葉を選ぶ。
「お話という程のものではありません。名前を確認されただけです。」
カミーユを囲む三人は眉をひそめた。
「皆様は勿論王子様から覚えられているでしょうが、私は今日初めてご挨拶ができた身ですから。きっと初めて来た者への、あの場のお心配りだったのではないかと、私もとてもありがたく思っております。これを人生の良い思い出にして生きて行こうと思います。」
いっそ清々しく、晴れ晴れと言い切ったカミーユは密かに彼女達の反応を観察した。今後の人生計画に王子が登場すること等、少しも期待していないことを表現したつもりだが、言い回しが柔らかすぎたかもしれないと心の中に不安が過ぎる。
「…貴女は、今ご婚約者がいらっしゃらないとお聞きしましたけれど、それは…。」
ヴィオレットの確かめるような言葉に、「今だ」とカミーユは大仰に残念がった。
「そうなんです!お恥ずかしい話ですけれど婚約を白紙にされまして。私も父と母を安心させたいのは山々なんですが、どうしても、その、殿方のことをどう信じたらいいのか分からなくなってしまって。」
カミーユは当然彼女達も知っているであろう自分の婚約破棄を引き合いに出し、ひたすらに勢いよく、自虐の道を選んだ。カミーユの脳内に繰り広げられた世界では、茨の道に『近道』と看板が立てられている。
乙女心を最も備えているエトワールは「まあ…」と憐れみがこもった声を漏らした。
「皆様に教えていただきたいくらいです!」
カミーユが自分でも思った以上の熱を込めて言い切ると、辺りに奇妙な沈黙が訪れた。三人の令嬢は、変なものでも口にしたような顔をしていた。
―勝った。
カミーユは確かな手ごたえを感じた。「思ったのと違う」。彼女たちの顔にははっきりとそう書かれていた。こいつとは争う意味がない、そう思わせるというカミーユの目的はうまくいったかのように思われた。




