代理戦争
エトワールは愛らしく、美しい人形のような容姿をしていた。ふわふわとした銀髪は月の光を紡いだ糸のよう、赤い目元はルビーの如く輝いた。
小さな頭がバランスよく乗った真っ白な体は、しなやかで繊細な印象を与える。バラ色の頬に赤い唇は少女のようなあどけなさを残していた。実際はデルフィーヌとセシルの方が二つ年下なのだが、見た目からは二人の方が上に見えるほどだった。
彼女と似たような容姿の系統にアルトがいるが、アルトは自分の美しさの価値を分かっていない節がある。アルトとは違い、このエトワールは自覚する愛らしさで上手く立ち回っているらしかった。
エトワールは全く害の無い調子で二人に話しかけた。
「先日、私のお友達が言い負かされてしまったと聞いて…もしかしたら怖い方なのかしらと思ってしまいましたわ。」
エトワールの語るお友達が、セリーズのことであるとセシルとデルフィーヌはすぐに察した。実際に色々言ったのはウージェニーだと聞いているが、それは彼女にとってはさして重要なのではないのだろう。今話をしたいのはカミーユのことなのだから。
「怖いなど、とんでもありません。カミーユ嬢は穏やかな方ですわ。」
セシルは差し当たって、当たり障りのないことを答えた。エトワールはぼんやりとした目で、「うーん」とワカラナイ感を表す。
「先のご婚約者を打ったのでしょう?しかも二回も。」
セシルとデルフィーヌは驚いた。まさかまだカミーユのあの事を持ち出す人間がいるとは。そこで二人は瞬時に気が付く。彼女は自分達と会話をしにきたのではない、ということを。
周りには聞き耳を立てている人間が大勢いた。社交界に出入りする人間は、自分達の話に花を咲かせているフリをして、周囲の会話に耳をそばだてる術を心得ている。
地位と身分がある者ほど、人々の注意は一層向けられる。だからこそ、三人の令嬢たちの心無い噂は社交界に蔓延したのである。
エトワールは周囲の人間に聞かせるために喋っている。さっき自分達がしたことと同じことを目論んでいるのだと確信したセシルとデルフィーヌは表には出さずに警戒心を強めた。
「お相手は仲良しな女性が大勢いた挙句に、彼女との婚約を一方的にお断りした方です。打たれる理由はあったようですけれど。」
「いくら腹が立っても人を打ってはならないと思いますわ。」
セシルが周知の事実を改めて説明すると、エトワール嬢は悲しそうに頭を振る。セシルはエトワール嬢の正論に口を噤んだ。正論をかざしてくる者はセシルにとって分が悪い。何故ならいつもはセシルが正論を口にする側なのだから。
二人のやり取りに、デルフィーヌは薄く笑った。お利口で真面目ないい子のセシル。その固さからデルフィーヌと衝突することは多々あったが、自分たちなりにそれぞれの役割を意識している。
少々大胆なことを言ってデルフィーヌが奔放に振舞えば、セシルが良識に従って苦言を呈す。それで場はいい塩梅の均衡が保たれる。
逆もまた然り。今回は、正論が先である。
「それは、自身の尊厳を損なっても?」
「ええ。」
「どんなに許しがたいことがあっても?」
「勿論です。」
問答の末、セシルが冷たく「ご立派ですわ」と言ったところで、デルフィーヌは自分の出番だと場を見極めた。
「では、教えていただけますか?カミーユ嬢も是非知りたいと思っているはずです。」
それまで黙っていたデルフィーヌがふいに口を開くと、エトワール嬢は「何ですの?」と首を傾げた。セシルはデルフィーヌに代わって口を閉じる。
「どうあれば、彼女は彼を打たなくて良かったと思いますか?」
結果としてカミーユは元婚約者に平手を食らわせたが、彼女は在学中その婚約者と結婚をするものと心得て日々精進していたのだ。あんなことになるのはそれ相応のことがあったのである。
『浮気』と『婚約破棄』は許されることではないが、『理由があれば人を打ってもいい』かどうかはまた別の話、というエトワールの言い分は紛うことなく正論である。
しかし、世情は敢えてその二つを切り離さなかった。それが冷徹な世間の見解であり、人情であり、そしてミシュー・プランタンへの評価だった。正式な裁判こそ開かれなかったが、人々の間では暗黙の裁決が取られていたのだ。
わざわざここでその話を持ち出すと言うことは、単にカミーユの人間性を貶めたいがためでしかない。
セシルとデルフィーヌは慎重に言葉を選んだ。ここで適当にエトワールに賛同するような返事をすれば、カミーユに友人たちからも見放されたというレッテルが付く。
そうはさせるか、とデルフィーヌは上流貴族の令嬢らしく謙虚で威厳のある微笑みを浮かべた。いつもの適当な表情とは違った顔つきにセシルは内心でため息をついた。いつもそうしていろ、と言っているのに。
「どうすればよかったか」と突然質問を投げられたエトワールは狼狽えることはなかったが、「うーん」と口元に手を当てて考える素振りを見せた。そして「あ!」といいことを閃いたかのように目を見開く。
「他の女性よりもうんと美しければ良かったと思いますわ。よそ見もさせないくらいに。」
「!!!」
「!!!!!」
パッと顔を輝かせたエトワールから出て来た答えに、セシルとデルフィーヌは思わず吹き出しそうになるのを、すんでのところで堪えた。『蕾の園』の厳しい教育の賜物である。
セシルはどうツッコんだらよいのか分からなかったし、デルフィーヌは笑いを殺すことに必死だった。二人はそれぞれの事情でしばらく黙ることを余儀なくされる。
何も言わないデルフィーヌとセシルに、「言い負かせたわ!」と思ったエトワールの表情が得意気になると、二人はいよいよ何も言えなくなった。
「ああ、やっと見つけた。居ましたよ!コルフ様!あなたのデルフィーヌ嬢もご一緒です!」
カオスになりかけた場の空気を破ったのは疲れを忍ばせた青年の声だった。
「うわ…」と顔をしかめたのはセシルだった。青年は一直線にセシルに向かってやって来た。セシルと同じ黒い髪のキリリとした美男である。デルフィーヌは彼に向いたエトワールの目がある種の輝きを放ったのを見逃さなかった。
「どうして君は俺の言うことを受け入れない?いつもどこかに行くときは俺に一言…ああ失礼、デルフィーヌ嬢だけではありませんでしたか。」
セシルの婚約者グラース・ランソンは家が持ついくつかの爵位の内より、既に伯爵を継いでいたが、まだ年若い青年らしくセシルとよく衝突していた。
今も自分の言うことを聞かないセシルにいつも通り声をかけたのだったが、普段見ぬ顔に気が付くと若い伯爵は恭しくエトワールに礼をした。
「グラース・ランソンと申します。」
「まあ、素敵なお名前。私、エトワール・ノディエです。」
エトワールは嬉しそうに手を差し出す。セシルはその様子を座った目で見ていた。伯爵はエトワールの手を取って口元に寄せたが、その唇が触れることはなかった。
形だけの挨拶にエトワール嬢は空振ったようなもどかしさを覚えた。セシルは何食わぬ顔でそっぽを向く。
「失礼、エトワール嬢。セシルと話したいことが。お借りしても?」
「ちょっと、私達はまだお話の途中なのよ。弁えてくださらない?あなたはいつもそうやって…。」
「そう言う君こそ…。」
ぎすぎすした空気を発し始めた二人の間に、エトワールが柔らかな声を滑り込ませる。
「私、もっと一緒にお話したいですわ。」
誰と、とは言わなかったがエトワールがグラースに興味を示していることは明らかだった。デルフィーヌは事の経過を楽しみながら観察した。居心地の悪そうなセシルと目が合うと、「面白がるな」と言いたげな目で睨まれる。
「申し訳ない、いずれの機会に。セシル、行こう。」
甘い表情と声で誘ったエトワールに目もくれず、グラースはセシルの手を取ると一礼して場を坐した。
「……。」
エトワールは思いもよらぬ対応に固まった。いくら相手に婚約者が居ようと、異性に微笑まれないどころか、全く相手にされなかったことなど初めてだったのである。
「彼女、美しいですものねえ。伯爵が他の女性に目もくれないのも分かりますわ~。」
エトワールは傍から聞こえたデルフィーヌの心の籠っていない声にビクリとした。
「友人が安泰で私も安心です~。つまり、ああいうことですわね?エトワール様がおっしゃっていたことを既にセシルが実行していただなんて~。」
「あ、その…ええ…。」
自らの美しさを自負していたエトワールは羞恥で顔が赤くなった。
「恐れ入りますわ~直接どういうことか見せていただけ…。」
「デルフィーヌ!!」
デルフィーヌが俄然強気でさらに追い打ちをかけようとしたところに現れたのは息を切らした婚約者のコルフだった。デルフィーヌはあからさまにガッカリした顔になる。
「デルフィーヌ、探しましたよ。あちらで侯爵が呼んでいます。」
エトワールは新たに現れた麗しい青年に気を取り直して思い切り愛想よく微笑んだが、コルフは急いだ様子で「どうも」と挨拶をしただけで、気だるげなデルフィーヌの肩を抱え移動を促す。
「今いいところなのに…。」
「何を言っているんですか。もう三十分も探したんですから。」
文句を垂れながらデルフィーヌはコルフによって父親のところへ連行されていった。
「……。」
ひとり残されたエトワールは愕然とする。絶対だと思っていた自分の美しさがいとも簡単に無視されたことに対する純粋な驚きで、しばらくエトワールはその場を動くことができなかった。
「あの方はどなたでしたか?しまった、慌てていてきちんとご挨拶をしませんでした。」
「あなたって真面目な割にはそそっかしいわよね。」
コルフはデルフィーヌの一言に「うっ」と顔を歪める。
「さあ。確か、ノディエとか名乗ったかしら。」
デルフィーヌの適当な回答に「新興の伯爵家ですよ」とコルフは諫めるように言う。
「あんな風だから、頭の固い人たちに新興貴族は無礼過ぎるって言われるのよね。」
今や社交界では爵位が権力と身分の絶対の力関係を表すものでなくなったことは確かであり、デルフィーヌもセシルも新しい風を受け入れているからこそ露わにはしなかったが、エトワールの態度は目に付くところがいくつもあった。
「まず、普通に私たちをダシにしようとしてくる辺り、よく分かってないわよね。王子の婚約者候補に名前が挙がっているから何だと言うの?ちょっと家に勢いがあって、可愛くて…それで自分が私達よりも上だとでもいう訳?どういう理屈よ。」
「貴女の家は勿論、セシル様の家もノディエ家より上なのに…。度胸があるというか…怖いもの知らずというか…。」
「可愛いと偉いのかしら?」
デルフィーヌの本気ともふざけているとも取りかねる調子に、コルフは「可愛いだけでは困ります」と至って真面目に答えた。




