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現れた刺客

『親愛なるカミーユへ。お変わりないですか。先日、社交界で耳にした良くない話が心配になり、筆を執った次第です。貴女の素晴らしいご評判を耳にしては、友人である私も誇らしく思っておりましたが、それを面白く思わない方もいらっしゃるようです。しっかり者の貴女なら、他愛の無いこととお笑いになるかもしれませんが、私は心配でなりません。ヴィオレット・カーン嬢、エトワール・ノディエ嬢、セリーズ・メレ嬢という名だたる淑女たちが囁いていたからです。人の評判が全てのこの社交界です。取り急ぎ、お知らせいたします。何事も無ければ、どうぞ手紙は捨て置いてください。―心配性のアルトより。』



 カミーユはアルトからの手紙を受け取って首を傾げた。アルトの繊細な字が必死に訴えかけてきた。一生懸命書いた様子がよく伝わってくる。

 手紙にある通り、社交界というところでは時には人の評判というものが当人の意思を無視してその人の立場を振り回す。

 多かれ少なかれ、悪口を言う人間は存在する。だからと言って春先の土筆のようにひょこひょこと出てくるものをいちいち摘み取っていてはキリがないのはアルトもカミーユも当然のこととして受け止めている。気を付けなくてはならないのは発言力のある人物の口から飛び出る言葉だ。

 アルトが心配したのも、今社交界で力のある家の娘たちが噂していたからこそである。しかし、それを考慮してもカミーユはいまいちピンと来なかった。


「お三方とも全く面識が無いわ。」


 覚えている限り、手紙に書いてあるヴィオレット・カーン嬢もエトワール・ノディエ嬢も、セリーズ・メレ嬢もカミーユには名前に憶えこそあれども、顔も分からない。もしかしたら同じ招待を受けたこともあったのかもしれないが、仲介する人物もいなければ、すぐに知り合わなくてはならない理由も無かった。


 ―彼女たちの話のタネにされただけであれば気にすることはないと思うけれど…。


 カミーユは手紙をテーブルに置くと、ソファにもたれかかった。

 理由は分からないが、ともかくお姉さま方の口に上がるくらいには目を付けられてしまったらしいということだけは分かった。目の付けられ具合がどの程度のものであるかは今のカミーユには分かりかね、どうしたものかと大きく伸びをした。


 ―今狼狽えても仕方がないけれど。


 カミーユは部屋に常備しているドラジェの詰まった瓶を取り出し、蓋を開けると手を突っ込んで一掴みし、プレートに色とりどりのドラジェを並べた。クロエに見られたら怒られそうな粗雑さである。

 考えるときには甘いものがいい、と秀才ウージェニーが言っていた。甘いものを食べれば考えが捗るという彼女に習い、カミーユはいつも菓子を常備している。

 考えるから甘いものを食べるのか、甘いものを食べたら考えが捗るのか。ニワトリが先か卵が先かはどうでも良かった。


 カミーユはボリボリとドラジェを咀嚼しながら知っている情報を頭から引っ張り出した。


 ヴィオレット・カーン嬢と言えば、蕾の園の二期上の先輩だったはずだ。すなわち高潔の三十期と呼ばれる世代。デルフィーヌの言葉を借りれば「意識高い三十期」である。そもそも一人のカリスマ的存在が居たために周りが迎合したとのことだったが、カミーユはそんなところに飛び込まなくて良かったと心の底から思っている。

 それに、カーン侯爵と言えば国の重鎮で、財政官長を務めている。カミーユはヴィオレットの扱い辛さに思わず渋い顔になる。

 取っ掛かりも引っかかりも無い他の二つの家にしても、同様だった。ノディエ公は新興の伯爵だが国の経営に絡む貿易業で富と名声は国でもトップを争っている家だし、メレ家は古い家柄で確か親戚に王族へ嫁いだ人間がいる。


 どれも今部屋でドラジェを貪っているカミーユの手に余る人間のような気がしてならない。ましてやどうしてそんな人々の口に上がるようなことになったのだろうか。社交界にデビューしたての、格下の自分に絡んで何のいいことがあろう。

 カミーユは社交界とはやっぱりまだまだ分からない、と思いながら甘くなった口の中を中和するために冷めた紅茶を口に含んだ。




「目を付けられている。」

「出る杭を打とうとしている。」


 時を同じくしてアルトから手紙を受け取ったウージェニーとセシルはそれぞれ違う場所で手紙を読み終わって低く呟いた。

 近頃カミーユの評判を耳にすることは確かに多かった。残念ながらデビューしたあの日以来、同じ場に居合わせることはなく、友人の名を他人の口から聞いてはその評価を誇らしく思っていたのだが…。評判が裏目に出たらしい。

 しかも、面倒そうな人たちに。


 ウージェニーは生クリームにサクランボのシロップ漬けが乗ったマフィンを頬張りながら考えた。彼女は燃費が悪いのである。


「この三人だとすると…アレが原因かしら。」


 白いふっくらした手がもう一つ、マフィンを掴んだ。




 妙なことになりそうだと思った通り、カミーユの周りに少々変化が起きていた。カミーユを見る人々の目が何となくいつもと違い、明らかに周りから人が減った。


 ―避けられている。


 親しく話しかけてくれていた人々はよそよそしくなり、知らぬ人々は遠巻きにコソコソと何か囁いている。

 カミーユは父親の様子を窺おうと思ったが、どこかに連れられて行ってしまったらしく、仕方なく一人で立ち尽くしていた。


 ―凄く、嫌な感じだわ。


 カミーユは苛立っていた。この状況にではない。理由も分からなく知らないところで妙な状況を作り出されているからである。

 あからさまに避けられていると分かっていて無理に喋りかけに行く程無策ではなく、カミーユはむしろいつもよりも堂々とした立ち姿を見せることに努めた。


 ―これが例のお姉さま方の仕業なら、あまりにも無礼が過ぎるわ。


 カミーユはスカートのひだに隠して握りこぶしを作った。


「カミーユ!」


 不意にカミーユは知った声に呼ばれた。声の主を認めると、「あ!」とカミーユは顔を綻ばせた。


「ウージェニー!来ていたの!?」

「今来たところ!…大丈夫?」


 ふわふわと綿菓子のような柔らかさをたたえたウージェニーと、比較して一層細く見える婚約者がその後ろをついて歩いてきた。ウージェニーは今日の夜会の様子に眉を顰ませ、カミーユの身を両手でそっと支えた。


「こちら、婚約者のブラガ様。銀行家よ。」

「初めまして。オレガノ嬢。お話しは彼女からよく伺っています。」

「お会いできて嬉しいですわ。どうぞよろしくお願いいたします。」


 カミーユは初めて見るウージェニーの婚約者に挨拶をした。ウージェニーのモンラッシュ家は男子が居ない。彼が跡取りに入るのだろうとカミーユは推察した。

 ブラガはウージェニーとは対照的にほっそりしているが、彼女同様とても優しい顔つきをしていた。


 三人は供されている食事を求めて料理の並ぶテーブルに向かった。途中ひそひそと聞こえる声が耳障りで、三人の心をざわつかせる。


「ウージェニー、今あまり私といない方がいいかもしれないわ。」

「カミーユ!何てこと言うの!?」


 自分は良いが、一緒にいるウージェニーやブラガにまで嫌な思いをさせる申し訳なさに耐えかねたカミーユはきっぱりとウージェニーに申し出た。しかしウージェニーは怒って眉を吊り上げると、ガッとローストビーフに食いついた。


「私たちは結束の三十二期よ。何があっても味方するわ。いいこと、皆が何て言っているか知っている?」


 カミーユはウージェニーの言葉にジンとしながら、その問いかけに首を横に振った。皆声が小さくて聞こえないのである。


「貴女の事を知らない人は『高慢な勘違い女らしい』って噂しているの。こないだまで貴女に付きまとっていた人たちは、面倒なことが起きたこと察して距離を取ってるってわけ。」

「何でそんなことに…。ねえ、もしかしなくてもアルトが教えてくれたお姉さま方が発端?」


 ウージェニーはこくりと頷いた。隣のブラガがタイミングを見計らってウージェニーに新しい料理が乗った皿を渡す。

 カミーユはせっせとウージェニーの給仕をするブラガが気になったが、今はそれどころではない。


「私、何か失礼なことをしたかしら?」

「カミーユ、あのね…。」


 ウージェニーが次の言葉を言おうとした瞬間、視界の隅にこちらに向かって歩いてくる人影を認め、咄嗟に口を噤んだ。


 それは一人の令嬢だった。吊り目気味の黒い目に小さな口、ツンと澄ました表情はいかにも気が強そうで、ほっそりした華奢な体でつかつかと歩いてくる様は優雅と言うよりも一生懸命歩いているという印象を与えた。


 彼女はカミーユ達の近くまで来ると、不遜で意味ありげな視線を投げた。彼女と交流の無かった二人は、一応下手に出て自分達から頭を下げた。

 二人が先に頭を下げたことに満足したのか、令嬢は「どうも」と気取って声をかけた。彼女はブラガが貴族でないことを一瞬で見抜き、侮蔑的なまなざしを投げると、まるでそこに誰もいないかのようにブラガの礼を無視した。


「ごきげんよう。セリーズ・メレと言います。」


 強気の笑顔を浮かべ、セリーズは二人だけに向かって名乗った。

 それを見て青筋を浮かべたのはウージェニーである。カミーユも信じられない光景に目を見張った。社交界に貴族以外が参入するようになってからしばらく経ったにも関わらず、セリーズの侮辱はあからさまだった。


 ―古参の貴族では新興貴族さえも疎ましく思っている人がいるとは知っているけれど。誇りを持つのと、人に礼を失するのは別の話だわ。


「カミーユ・オレガノです。」


 カミーユが冷え切った心で挨拶をすると、セリーズは目を光らせる。


「ウージェニー・モンラッシュです。こちらはブラガ卿。」


 ウージェニーが先の辱めに対して負けじと婚約者を紹介したが、セリーズ嬢は全く興味がないと言わんばかりに軽く頷いただけだった。

 セリーズの振る舞いは、貴族でないブラガだけでなく、その婚約者でありれっきとした貴族であるウージェニーまで貶めたも同然の行為だった。

 セリーズは貴族である・無しに加え、古参貴族・新興貴族の間にもはっきりと線を引いたのである。セリーズの偏った社会的思想にカミーユは背筋が寒くなった。ウージェニーは目を丸くしてセリーズを見ている。


「私、お話ししてみたかったんです。カミーユ様?」


 冷たい笑顔を向けられ、カミーユの内なる熱血がゆらりと頭をもたげた。


「何でしょう。」


 カミーユは涼しい顔で応えた。


「近頃、よくお噂を聞きますから。」

「どんな噂でしょう。お恥ずかしいです。」


 セリーズは白魚のような手で並べられているパイを指さした。そしてカミーユを試すように見つめる。


「世界がこのパイだとしたら、貴女はどう分ける?」


 カミーユはセリーズの質問の意図が分かりかねた。矜持が高い程話を回りくどくする多くの貴族に見られる悪い癖だと思った。さておき、世界とは大きく出たではないか。


 ―何の話?どうして彼女は私と政治権力の話をしたいのかしら。私に何の関係があるの?


 カミーユの思案顔を、パイをどう分けようかと考えているものと受け取ったセリーズはにっこりと笑った。


「意地悪な聞き方をしましたわね。私の答えはこうよ。『全てを取るか、取られるか』。」

「…全てを取るおつもりであると。」


 セリーズは挑戦的な視線を投げかけた。

 意味深な瞳だったが、カミーユは彼女と世界を競うつもりはない。あまりにピンとこないので相手を間違えているのではないか、という気さえしてくる。人違いであるならば、要らぬ火の粉を被ったウージェニーとブラガはいい迷惑だ。

 カミーユは友人を貶められたという怒り以外にセリーズに抱く感情は無いし、何ら思うことも無い。


 ―何だかこちらが一方的に傷つけられているだけでは?


 今は早急に引き取っていただくことが吉だと脳内会議が結論を出す。満場一致である。適当に返事をして追い払うこともできるが、疎かにしてはならないのは今ここに自分よりも当然怒っている人物がいるということだ。


 カミーユは遠慮がちに微笑むと、隣に立つウージェニーの肩を抱いた。


「私はこういうのを分けるのが苦手です。私でしたら彼女に任せますわ。」



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