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怒りの掌

 両脇には可憐な乙女。自分を見つめる熱い視線。新興貴族プランタン伯爵の長男ミシュー・プランタンは有頂天だった。自分を縛るものは何もなく、金もあり、容姿も申し分ない。当然の如く寄ってくる美しい娘はよりどりみどり。

 腕にすり寄り、胸をくっつけてしなだれかかってくる娘たちは愛らしく、ミシューは彼女たちの可愛らしい後れ毛をクルクルと指に巻きつけながら甘い言葉を囁いた。

 しかし、内心そろそろこの取り巻き達にも飽きてきた。どこかに目新しい可愛い子はいないかと、ミシューは舞踏会の会場を見渡した。十八歳になり、今日社交界にデビューした娘が何人かいると聞いている。


 ―居た。


 我ながら、美しい娘を発見する能力に長けているとミシューはにんまりした。

 エスコートも無く、壁際に一人で立っているその娘は、白い肌に亜麻色の柔らかそうな髪をした乙女だった。バラ色の頬がオレンジがかった明りに照らされている。自然と目が向く胸元には張りがあり、ドレスが美しく映える体つきをしている。

 凛として立ってはいるが、きゅっと結んだ口元を見れば緊張が抜けきらないのがよく分かった。

 ミシューは浮足立って目当ての彼女に足を向ける。両側の娘たちが咎めるように腕を引いたが、ミシューは悪戯っ子のように笑うだけだった。


「お嬢さん、お一人では退屈でしょう。」


 ミシューが声をかけると、亜麻色の髪をした彼女は静かにミシューと両脇の女性を見た。初めての舞踏会で緊張しない者はいない。ミシューは強張ったままの顔の彼女に優しく微笑みかけた。


「今日がデビューの日とお見受けいたします。どうか貴女の麗しいお名前を教えてください。」


 娘は体ごとミシューに向き合った。正面から見た彼女はやはり美しく、静かで涼やかな雰囲気を纏っていたが、目だけは燃えるような光が灯っていた。情熱的、と言うには毛色が違う。これは―。


「わたくし、先日貴方に一方的に婚約を解消されたオレガノの娘のカミーユと申します。」


 カミーユ・オレガノ。ミシューはその名を聞き、へらりとした顔のまま目を瞬かせた。そして、数拍置いて「え」と口元を引きつらせる。

 カミーユはミシューの反応を見て取ると、キリリと眉を吊り上げ、驚き呆れたように目を見開いた。


 ―まさか、自分が振った婚約者にへらへらと下心たっぷりで近づき、名前を尋ねてくるなんて。


 カミーユはスッと美しい右手を自身の顔の前に掲げ、怒りで震える唇をこじ開けた。


「本日は確かにデビューの日ですが…。私は今日あなた様にきちんとお返事をお伝えしに参ったのです。きちんと、私の言葉で。なのにあなたときたら――。」


 バチン!!


 ミシューが何かを言いかける前に、その場に大きな音が鳴った。両腕を娘たちに捕らえられていたミシューはもろにカミーユの平手を左頬に食らった。痛さと驚きでミシューの目が白黒する。

 両脇の彼女たちも、周りで見ていた人々も、その光景を目にした者は唖然として固まった。


「これは『私という婚約者がありながら他所の女性に手を出した挙句、一方的に突きつけてきた不当な婚約破棄、承知仕りましたビンタ』です。では、失礼。」


 カミーユははっきりと言い渡すと、その場に居る彼らを残して堂々と踵を返した。


「大丈夫!?」「何あの子!?」と口々に言いながらミシューの頬を撫でる彼女たちの声は当人の耳には届いていなかった。ミシューは去っていくカミーユの背中をただ茫然と眺めていた。じんじんする頬の痛みを感じながら。


 カミーユは美しかった。すれ違う人々の目を引いた。容姿だけでなく、彼女が発する雰囲気に女性も男性も視線を奪われていく。


 ミシューは後悔した。公衆の面前で平手を食らったからではなく、逃がした魚が大きかったことを悟ったからである。

 両側の彼女達からするりと腕を抜くと、ミシューは赤くなった頬を晒したままカミーユを追いかけた。


「何ですか!」


 ミシューに追いつかれ、後ろから腕を取られたカミーユは男を睨み上げた。ミシューは怯むことなくカミーユに顔を近づける。その動物的にギラつく瞳と、紅潮した頬がカミーユの背中をゾワリとさせた。


「僕が間違っていた。あんな断りの文書、捨ててください。また僕と―。」


 ―バチン!!!


 ミシューが言い終わるよりも前に、さっきよりも大きな音が響き、ドサリと倒れる音が続く。床に転がるミシューを、軽蔑を露わにしたカミーユが見下ろした。


「これは、『恥を知るということをお教えするビンタ』です。今度こそ失礼。もう無関係ですから。」


 カミーユは迷いなく踵を返すと、猛然と会場を突っ切って歩いて行った。床には両頬を腫らしたミシューが残された。




 カミーユは自分の社交界デビューなどもうどうでも良かった。本当であれば、婚約者にエスコートされて華々しく輝かしい日を迎えるはずだったのだが、既に滅茶苦茶にされていたからである。

 足早に会場の外に出ると、待ち構えていた人物に駆け寄った。心配そうに廊下に立っていたのは、金髪に美しい碧眼の若い男だった。と言っても、カミーユよりも七つも年上なのだが。


「先生!」

「よくやったわね!流石アタシの教え子よ!」


 二人はひしと一瞬強く抱きしめ合うと、直ぐに体を離し、逃げるように会場を後にした。





 ミシューは床に座ったまま、しばらく呆然としていた。心配して駆け寄ってきた娘たちの声にミシューは真っ白になった頭で生返事をした。信じられなかった。自分が女性に平手を食らうとは。しかも二発も。


 ―それに。おかしい、あんな子ではなかったはずだ。


 ミシューの記憶するカミーユ・オレガノはもっと内気で、パッとせず、印象の薄い少女だった。いつも女の子に囲まれている自分を遠くから控えめに見ていた、という記憶しかない。 

 そもそも幼い頃両親が勝手に結んだ婚約であり、冴えず特筆すべきところのないカミーユに興味も無かったのが、本当のところだ。

 カミーユが寄宿制の女学校を卒業する時期が近づき、ミシューは親に言われて彼女との婚約を思い出した。ミシューの周りには相変わらずたくさんの女性が居た。

 もともと豪商だった実家が伯爵の称号を買い取り、晴れて新興貴族として成り上った次の手として、歴史と由緒を求めて結んだのがオレガノ子爵の娘との婚約だ。

 こんなに選べる女の子が居るのに、どうしてわざわざそんな古臭い箔を求めて気に入ってもいない娘と結婚しなくてはならないのか。もっと自分にも家にも有益になる結婚が無いわけがない。

 ミシューの意見に、プランタン伯爵夫妻は「それもそうだ」と納得した。婚約から長い時間が経っており、歴史しか取り柄の無い子爵家と結婚することの益を改めて計算したのである。

 そして、気楽な取引を辞めるときと同様の手続きを以てオレガノ家との婚約を解消したのだった。


「可哀そうなミシュー。さあさあこっちで慰めてあげるわ。もう忘れてワインを飲みましょうよ。」


 可愛らしい巻き毛の娘はミシューの顔を両手で包み、優しく撫でるとミシューを立たせた。彼女に促され、ミシューは誘われるままその場から離れた。



 彼らの去った後に、くすくすとバカにするような笑いが零れる。事の一部始終を見物していた古参の貴族に名を連ねる者達だった。


「見た?プランタン家の息子。両頬真っ赤にして。」

「オレガノ子爵家を振るなんて、バカなことを。」

「金しかない新参者はこれだから。」

「金もない奴がよく言う。」

「何だと!?」

「やめなさいよ。…それにしても、すごいわあカミーユ嬢。」

「かっこよかったな。バチンバチン!って。」


 社交界は今や、古くからの貴族達と元平民の新興貴族が入り乱れ、新たな局面を迎えていた。由緒と誇りを掲げる古参貴族と斬新で自由な思想を持つ新興貴族が競合したり、迎合したりしている。

 もはや社交界への出入りは貴族だけにとどまらず、招待があり、身なりを整えてさえいれば誰でも入場することができる時代になった。ミシューが侍らしている女性も、貴族ではない商家の娘だったり、時には娼婦だったりすることもあった。

 だからこそ、由緒を重んじる貴族達はいっそう自分たちの誇りと格を大事にした。新興貴族たちの中にはその格式にこそ憧れる者もいれば、古臭い風習だと嘲笑う者もいた。


 件のオレガノ子爵家と言えば古参の公爵家たちも知らぬ者はいない程の歴史ある家の一つである。故に娘の社交界デビューを軽視していた訳がない、というのは周囲の当然の理解であったが、そこにエスコート無しの登場、怒りのビンタ、勢いの退場。誇りある家の娘の目を見張る行動に、古参・新興問わず噂好きな人々はオレガノ家の内情を想像してはあれこれと推察するのだった。


第一話、お読みいただきありがとうございます。

最後までお付き合いいただけますと幸いです。全40話の予定です。

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[気になる点] いきなりお金で伯爵位が買えるのか・・・ まずは男爵位からでは?
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