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許して欲しい、そう思った事はない。
そんなおこがましい事を望んだりはしない。
守れなかった、もしかしたら傷付けたかもしれない。
だから、自分はもっと傷つくべきだ。
死んで詫びるなんて、馬鹿馬鹿しい。
死んでしまえば終わるのだ、謝罪の手段じゃない。
もっと苦しんで、白い目で見られながら、それでも生きて苦しむ事。
それが自分に出来る罪滅ぼし。
空には月がない。
今日は新月だ、雲一つない空には無数の星が輝いている。
けれど、残念ながらほとんどが見えない。
明け方近くにやっと眠りに就く街は、真夜中の空でさえ照らしてしまう。
街灯や窓から漏れる光で星はほとんど目立たない。
そんな夜空を、腕いっぱいに広げた桜の枝が、葉が隠していく。
たまに吹く風が茂みを揺らして、影が揺らぐ。
そんな空を、見上げていた。
夏が近付くこの時期は空気に湿気が混じっていて纏わりつく。
結構気持ち悪いのだけど、それでも晴れた日の夜は外に出ていた。
今時、浴衣なんか着て、ブタの形の陶器にグルグル回る蚊取り線香を入れて。
真夜中ではないにしても不用心だけど、自分の家の庭なら問題ない。
いくら、他人の出入りが制限されてなくても自分の家なら変質者扱いされる事はない。
自分の家、雪之冬月の家は神社である。
基本的にいつでも参拝が可能な為、門はいつでも開いている。
黒月神社と呼ばれて皆にも親しまれている。
とはいうものの、実際に夜の参拝客などほとんどない。
だから浴衣でブタを持ってフラつける。
――――筈だった。
「こんばんは。」
「・・・・・・・」
今までもこうして夢遊病者のように庭、基、神社内を徘徊していた。
だが、一度として声をかけられた事はない。
目立たない場所を選んで歩いていたし、こんな時間に参拝する人は居ない。
そもそも居たとしても話しかけてなんてこない、普通。
だから、反応が出来なかった。
立ち尽くしたまま、目を大きくして首だけを動かす。
自分が居るのは木の影、持っているのは蚊取り線香入りのブタ。
明るいわけもないし、目立つわけでもない。
見つかるわけがない、と思っているわけじゃないけど驚いた。
「・・・・こんばんは。」
「立派なご神木だね。」
彼が見上げたのは境内の真ん中にある大木。
昔はノリやカズが登って降りられなくなって、黒月神社の当主に怒られていたご神木。
確か、あの時も自分はこの木の枝を見上げていた。
高い所が嫌いだからと、木登りが下手な千尋と一緒に此処にいた。
「こんな時間にこんな処で何してるの?」
「そんな時間じゃないよ。まだ日も跨いでないし。バイトしてる高校生だから、健全でしょ?」
「十八歳未満の健全な高校生がバイト出来るのは10時までよ。」
「帰りだとこんな時間になっちゃうんだ。」
「だったらさっさと帰りなさいよ。明日も平日よ。」
神社なんかに寄り道に来ずに、さっさと帰って寝れば良い。
自分ならそうする。
もちろん、家で寝ていても襲ってくる授業中の睡魔に抗う気も起きず、基本的に学校では睡眠学習だが。
彼は柔らかく微笑んで近付いてくる。
対する自分は、微動だに出来ない。
「今時、浴衣に蚊取り線香なんて古風だね。」
「浴衣にスニーカー履いててどこが“古風”よ。」
今時珍しい程古風なのはむしろノリの方だ。
なにせ中学まで下駄で登下校していたのだから。
高校に入って止めたのは一重にカズが五月蠅かったからだ。
カズは極端にノリに突っ掛かる。
昔から。
当のノリはかなり鬱陶しそうだけど。
「それより、さっさと帰りなさいよ。転校早々、寝坊なんてして副風紀委員長に遊ばれたくないでしょ。」
「それも楽しそうだね。」
彼は笑った。
そう、彼は転校生。
この日、音楽室や美術室がある管理棟へと渡り廊下を歩いていたら、彼と擦違った。
季節外れの上に時間もおかしい転校生。
紹介されたのは昼休みの後だった。
一般的に転校生はガラクタ箱こと拾参組に入る。
その後、最初のテストで別のクラスへと移るのだ。
尤も、専門課程は別。
あのクラスで自分と同じ動揺を心に飼っていたのはどれくらい居るのだろう?
むしろ居ないかもしれない。
自分とノリとカズ、この三人は知っている。
けれど、同じじゃない。
驚愕した、頭が真っ白になった。
何も考えられなくて、ただ後ろの空いていたらしい席に彼が座ったのだけ覚えている。
そんなはずない。
いくら同じ顔が三人世界に居ると言っても。
黒板に白いチョークで名前が書かれ、彼は笑顔で挨拶した。
名前を、
「日々野千鶴くん。」
「千鶴、で良いよ。」
「もう遅いから帰りなさい。」
「参拝したら帰ります。それより、」
見た事ある横顔、聞いた事のある声。
まるで夢の世界から飛び出してきたかのように。
「名前、教えて?」
「名前?」
「同じクラスで席も近所なのに、名前も知らないなんて切ないから。」
知らなくて良いわよ、どうせ来月には同じクラスじゃないから。
そう言って躱す、いつもなら。
でも、出来ない。
逆らえない。
「雪之・・・・冬月。」
「冬月さん。」
『冬月さん――――』
幻が付き纏う。
無邪気な笑顔、優しさが滲み出る声。
違う人だ、関係ないと思っても逃げられない。
日々野千鶴はとても千尋に似ていた。
似ているどころじゃないかもしれない。
千尋があのまま自分と一緒に育っていたら、きっとこんな風に育っていた。
それくらい似ている。
ついでにいうと、この間ノリに話した夢に出てきた男、そのままだ。
あれは千尋ではなく、日々野千鶴の予知夢だったのか。
「冬月さん。」
もう一度、そう呼んで千鶴は近付く。
すでに相当近くに居たのだがのだが。
千鶴はそのまま自分の頬に手を伸ばしてきた。
「また、明日。」
「・・・・・うん。」
許して欲しいなんて、おこがましい事、思ったことがない。
それはただの自分勝手な欲だ。
許される筈がない、許さないで欲しい。
もっと蔑んで、罵倒して、軽蔑して罰して欲しい。
寂しいかもしれないけれど、代わりが欲しいわけじゃない。
代わりを求めるなんて、我儘で失礼だ。
だけど、報われたかった。
最大の我儘で報われたかった。
そして今は、救われたい。
ちょっとした間章。