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幸せ願う死神

作者: 望森ゆき

 秋風の優しさなんていつの間にか忘れていた。

 あたしの仕事での暗黙の了解っていうのがある。

 “刈った後に現れるモノを開いてはいけない。開いたら――。”

 どうなるのかは、ある歳をとらない少女以外、誰も知らなかった。

 でも、秋風の優しさの中であたしは知る。

 知ることにより払った対価をあたしは後悔してない。


*****


 あたしが今の仕事を始めて間もない頃の仕事帰りの話だ。

 夏の海に面した崖で彼に会った。

 一目惚れだったと今にして思う。

 あの頃は、ただ生きていた時の自分と重なって見えたからだと思っていた。


 誰かに止めて欲しい。

 でも、周りには誰もいないから止める人なんか居やしない。

 “誰か”ってだーれ?


 とにかく彼が海へと消えていってしまいそうで。

 それが無性に嫌だった。

 あたしは仕事に慣れてなくて、且つこの仕事につかなくてはならなくなった経緯により、気持ちが不安定だったからだと当時はそう思い込もうとした。

 彼でなくても、あたしは止めていただろう、と。


 死のうとしてる人を留めるために何を言ったら良いかなんて、正直分からない。

 人によって言って欲しい言葉は違うと思うから。

 だから「死を止めさせるために言葉をかける」という行為を吐き気するほど嫌っていた。

 貴方があたしのことがわからないように、あたしも貴方のことがわからない。

 あたしにとって、それは当り前で、わからないのに口を挟むのは変だと思っている、今でもね。


 ――それでも。

 私の声は人間に聴こえないはずでも、叫ばずにはいられなかった。


「早まらないで! 死んじゃ駄目!!」


 私の姿は人間に視えないし触れないはずだが、私は必死に彼を後ろから抱きしめた。

 ただただ彼に死んでほしくなくて。


 ビクッとして彼は振り返った。

 こちらを見て、目を丸くさせた。

 そんなことにさえ気付かず、あたしは喚いた。


「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!!!」

「おい?」

「死んじゃ嫌だ!」

「……」


 あたしの頭を熱気と海の潮風が撫でた。

 その風が懐かしくてあたしは涙を零した。

 しばらく、彼の背中で泣いていて、ふとあたしは気付く。


 あたしの声は聴こえないはず。

 あたしの姿は視えないし触れないはず。


 あれ?

 おかしい。


 彼は静かに感心したように言う。


「君みたいに小さな女の子も大鎌を持っているんだな」

「……“死神”を知ってる? 信じてたりする?」

「うん、勿論」


 彼は一瞬キョトンとした後、肯定した。

 恐る恐る私は聞いたのに。

 緊張感のない空気になったことで、私は無駄な心配をしたと損した気分になったことをよく覚えてる。

 でもそういう空気を読まないのが彼だった。


「だって君は“死神”だろう?」


 彼が気付いたことに驚いて、でも何故だかとても嬉しくて。

 笑みが零れた。

 彼はそんなあたしを視て、戸惑ったようだった。

 そのあと、あたしは不安で彼が家に帰って部屋に電気が付くまで付いて行ったんだった。


 それから、彼の様子が気になって、あたしは何度となく彼に会いに行った。

 あたしが行く度に、彼は何かしらの“事故”に巻き込まれた。


*****


 それから。

 あたしは遅まきながらも気付くんだ。


 あたしは、死神。

 死を呼ぶモノ。

 不幸を引き寄せる。


 あたしたち、死神は仕事の関係で、魂がみえる。

 死期リストに載ったモノの魂が本当に最期なのか確認してからその魂を刈りに行く。

 それがあたしたちの“仕事”だ。

 彼の魂はまだまだ最期ではなかった。

 これから先の未来がある魂だった。

 だから、あたしのせいで未来が陰る彼のことを想ったら、胸が張り裂けそうに辛かった。

 それを恋心と呼ぶのなら、あたしは彼に生きていて欲しいと思った。

 そして生きている彼との別れのときなのだと悟った。

 だから別れを決めた時、彼に無理やり約束させた。

 その約束を叶えるのは、あたしであることを祈って。


 それから、あたしは彼の前に現れることはなかった。


*****


 あれから、何度目かの秋になった。

 回数を重ねれば変わることができる。

 あたしがそうだった。

 あたしはもう泣き喚いて迷惑しかかけない小さな女の子じゃない。

 立派な女性になった。

 ――外見も。

 ――中身も。

 変わった。

 ――“想い”も変わった。

 そう信じたから、最期を迎える貴方に会いに行けたんだ。


*****


 いつの間にか肌を攻めるのではなく、優しくなでる秋口。

 夏の残り香である熱気にまとわりつかれていたのを懐かしく思う。

 程良く冷めた心地良い風が駆け抜ける。

 空は高くてどこまでも続く気がする。

 夕方の紅い太陽がさよならを告げる頃、いつの間にか妖しげな雲が空を隠す。

 ゴロゴロとどこかで雷の鳴る音が聴こえた。


 ある古びた家屋にあたしはやってきた。

 玄関の呼び鈴も押さず、戸を横にスライドさせた。

 ガタガタと音が鳴りつつも案外滑らかに戸は開いた。

 あたしたちはそんなことせずとも、空を飛べたり壁を通り抜けられたりするけれど。

 でも、彼の最期を見取るのは死神ではなく人間でありたかった。

 だから、人間の真似事をして彼のもとへと向かった。


 あたしは戸惑うこともなく、廊下をまっすぐに進んだ。

 それから左に曲がって更に進んで、階段の前に来た。


 ――もう、戻れない。


 あたしは唇を噛み締めて階段をあがりはじめた。

 空が静かに涙を流す音が聴こえてくる。

 妙に薄明るい橙色の光が窓からその部屋を照らしていた。

 ベッドに横たわるその人はあたしを見、一瞬顔を強張らせた。

 でも、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「やっと来てくれたね」


 男の人にしてみたら高めな声だった。

 女の人にしてみたら低めな声だった。

 ハスキーボイスというのか、耳触りのいい声だった。


「待ってたんだ、君を」


 熱に浮かされている声だった。

 あたしは視線を下げた。


 嗚呼、変わらない“彼”が居る。

 そう思ったら、どうしても理解したくなくなった。

 自分の立場を。

 ――彼の立場を。


 立派な女性になったはずじゃないのか?


 声を出せば、ばれてしまうだろう。

 だから黙った。

 聡い彼が相手だといつも以上に慎重になるのは覚悟していた。

 でも声が出せないほど動揺する己が信じられなかった。

 なんだというのだ。

 刈るのは彼で百十三回目になるのに。


 覚悟は決めていただろう?


 あたしは静かに目線を彼へと戻した。

 この仕事を始めた頃より会わなかった分、老けた彼を見た。

 十年以上も経てば、人は変わるだろう。

 ――外見も。

 ――中身も。

 ――想いも。


 だから大丈夫だと思ったんだ。

 根拠は年数が経ったから。

 そんな不確かなものを心において、彼のところに来たあたしは莫迦者以外何者でもなかった。


「さぁ。その鎌で僕の魂を刈って、連れていってくれ。君のそばへ」


 あたしは背中に担いでいた、絵本の中に出てくるような死神が持っている大ぶりな鎌をおろして、手に持った。

 そして、静かに彼を見据えて、鎌を振り下ろした。


*****


 ――いつまでそこにいただろう。

 彼はどこまでも幸せそうに刈られた。

 彼の部屋の窓から差し込んでいた光はいつの間にか消えていた。

 薄暗がりの中、あたしの涙腺は決壊していて、“仲間”に見せられるようなものではなかった。


 しばらくして、雷が鳴り終わった。

 月だけが雲の隙間から朧に現れていた。

 あたしの涙は枯れて、月の光が部屋を微かに照らした。

 その光を頼りに、彼の魂を具現化したモノである“ノート”をベッドから拾い上げた。

 和綴じの日本古来の本を思い起こさせる“ノート”だった。

 魂を刈られた時に、過去を振り返っていたことを示す“和綴じのノート”。


 あたしは思ってしまった。


 彼の中での良い想い出とはなんだろう?

 彼の中では私は何番目の存在だったんだろう?

 私が消えてから彼は何を思っていたのだろう?


 魂の記録を見ることは禁じられている。

 何故、禁じられているのか。

 守人がどうのとかいうよく分からない話だった覚えだ。

 深いところまでは知らない。

 守人って何だと聞かれても、あたしは知らないから答えられない。

 とりあえず、駄目だということのみは分かっていた。

 でもあたしにとって彼のいない世界に用はなかった。

 だから、迷わず彼の“ノート”を開いた。



 彼の優しい声がその場に響く。


 “出会いの季節は春だとよく言う。

 別れの季節も春だと言われる気がする。

 ――僕が勝手にそう思っているだけかもしれないのだけど。


 でも、君に初めて会ったのは夏だったし、君が勝手に消えたのは幾度目か後の秋だった。”


「……ライトノベルの冒頭か何かかよ」


 あたしは彼らしいノートの始まり方に一人呆れツッコミを入れつつ、そのノートをパラパラとめくった。


 頁をめくる度に“僕”と“君”の想い出が描かれていた。

 綺麗な形をした想い出ばかりだった。

 出会った夏の海岸での出来事。

 秋雨のせいで雨宿りした時のお喋りした内容。

 勝敗のつかなかった雪合戦。

 “君”が珍しく酔っぱらってしまったお花見事件。


 頁をめくればめくる程に“僕”の“君”への想いはだんだんと憧れから恋情へと変化していく。

 最初は戸惑い。

 それから憧れへ。

 憧れから恋情に変わるのに時間はそうかからなかった。


 “君は悲しそうな顔していた。

 君が言ったあの言葉が忘れられない。


「あたしが視えなくなって、次もし視えたら貴方の魂をいただきに来るわ」


 僕は君を待っていた。

 ずっと。

 ずっとずっと。

 ――たとえ、それが僕の寿命を知らせる再会だったとしても。”


 あたしは読むというよりも彼の声を聴くのが辛くなって静かにノートを閉じた。

 そして感じる。

 “仲間”の気配を。


「嬢。“暗黙の了解”を破った覚悟はできているの?」


 あたしは思わず目を見開いた。

 彼女はあたしを“嬢”と呼び、可愛がってくれた恩ある死神だ。

 そして死神の長をも勤めるのに、可愛らしい姿をした歳をとらない少女でもある。

 “仲間”は“仲間”でも、彼女は私を見逃す気はない。

 もとから逃げる気はなかったけれど、それでも。

 厄介な人が来てくれたものだ。

 あたしは鎌を手にし、彼の“ノート”は懐に隠した。


「あたしはあたしの守るべきモノがあるって気がついたの」

「嬢……」


 彼女は珍しくも目を見開いた。

 でもすぐに冷めた目つきで私の手をみやった。


「そんな震える手で勝てると?」

「やってみなくちゃ分からないこともあるっていうのよ」


 あたしはニヤリと笑ってやった。

 冷や汗を流す自分を追い出すように。

 長の彼女は変わらず、あたしに言った。


「そんなに“ソレ”が大事か?」

「大事よ」

「己よりか?」

「ええ」

「では、誓え」


 あたしの眉間に皺が寄ったのをみた少女は少し顔を緩ませ言った。

 彼女の悪戯が成功した時のように。


「“ソレ”の守人となることを」


 それの意味が私には分からず、頭を傾げる。

 少女はあたしの手から鎌を易々とひったくり鎌を回しながらあたしに問う。


「“ソレ”は珍しくも我々がいつも視えていたようだな」

「え……」

「どうなの?」

「何故、それを知ってるの?」


 あたしの答えに満足したのか、少女は私の鎌をくるりと手でもう一度回し構えた。


「普通は視えない、聴こえない、触れない。それは知っているな?」


 戸惑いが広がりながらもあたしは頷く。


「普通は我々が視えないように守人がフィルターになる役目を負っている。“ソレ”は生まれ直しができる者のようだ。視えることが危険だということも知っているな? だから“ソレ”の来世を守る、守人になれ」


 あたしは目をぱちくりさせた。

 あたしは死神の間における“暗黙の了解”を破ったのだ。

 罰せられるのではないのか?

 だから、つい確認をしてしまった。


「良いの? あたしは――」

「もともと、“ソレ”の守人探しをしていたところ故。それに、守人になれば“ソレ”との会話は勿論、顔を見せることも何もできなくなる。罰則以上の罰だろう?」


 クククと少女は見た目では考えられない、喉で嘲笑うとあたしに言った。


「最期だ。“ソレ”に一言を贈ることを許そう」


 少女が指をパチンと鳴らした。

 するとあたしの懐に入れいていた彼の“ノート”が光った。

 そして、彼があたしと出会った時と同じ姿で現れた。


 ――彼の瞳が開いた。

 そして視線があたしに向くと、慌てて駆け寄ってきた。


「どうして僕の部屋に居るの? え? 君が涙なんて珍しい。どうしたんだい?」


 あたしは彼に抱きついて、彼の耳元で囁いた。


「忘れないで。君の傍らにいるから、いつまでも」


 彼が何か言う前に、少女は彼を“ノート”の姿に戻した。

 “ノート”を抱えている状態になったあたしを鎌であたしと“彼”を引き裂いた。

 あたしと“彼”は光となって、輪廻の輪へ戻るべく、その場を去った。

 それを少女は静かに見送った。


「嬢……。次、会う時は笑顔でな」


 そして、少女もその場から立ち去った。

 少女たちの去った後には、秋口独特の雨があがった後のにおいが広がっていた。

 そして、程良く冷めた心地よい風が駆け抜けていったのだった。


【完】

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