コーヒー幽霊(完結編)
俺は、マスターの開けてくれたドアから、雨垂れの中に足を踏み入れる。ロマン派が似合うブラウニーから来ると、現代音楽が流れる雨垂れは、新鮮だ。
店内の雰囲気と音楽はマッチしている。しかし、店名がやはり気になる。
店の壁に貼られたお勧めケーキは、ザッハトルテだった。「店主がウィーンで修行してきた本格派!」らしい。
なんとなく納得がいかない。
窓際の席を見る。幽霊青年がメニューを読んでいる。最早、メニューを選ぶというよりも、まるで読書のようだ。
こんなお洒落なカフェに似合わない、部屋着に毛が生えた程度のトレーナー姿の若者だ。茶色っぽい緩めの綿パンに紺のソックスと茶色いスニーカー。
顔立ちも体型も、印象が薄い。髪型も、地味目な短髪である。
「何か探してんのかい」
俺は、出来るだけ自然に話しかける。この手の執着心を持つ幽霊は、ちょっとした刺激で逆恨み迷惑悪霊に豹変しかねないからな。慎重にいく。
青年は、俺なんか見向きもしない。脇目も降らず、メニューを読む。無視された。
仕方ないので、雨垂れのマスターに声をかける。
「で、あの人が気に入ってたメニューはすぐ出せますかね?」
「それが、限定メニューで、今はやってないんですよ」
「材料、すぐ手に入りますか?」
「うーん、たまたま海外旅行のお土産にもらったフレーバーを使ってたからなあ」
「日本では買えないんでしょうか」
「多分、本国でも、もう販売終了してるんですよね」
こりゃ、説得するしかねえなあ。
マスターの言うことなら、聞くかな?
「マスター、試しに注文聞いてみて下さいよ」
「えっ、大丈夫でしょうか?他のお客様もいらっしゃいますし」
「安全は保障します。任せて下さい」
雨垂れのマスターは、おそるおそる注文にいく。
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
「ペッパーナッツクリームコーヒー」
「申し訳ございません。そのフレーバーは、販売終了いたしました」
マスターは、顔色を悪くしながらも、幽霊に説明を試みる。
「海外製のフレーバーでして、本国でも販売終了してしまいました。大変申し訳無いのですが、今後の販売予定はございません」
「ないの。似たようなの、つくれるでしょ。プロなんだから」
やばい客だったか。単なる、思い出に縛られた地味な幽霊かと思ったら。正面から行って失敗したかな。
「君ね、メニューにない品、頼んじゃ駄目でしょ」
勿論、俺の苦言なんか、幽霊は聞いてない。
「当店のメニューは、市販のフレーバーを利用する場合でも、何ヵ月も試行錯誤して開発しております」
マスターは、果敢に説得を続けた。
「どんくらいかかんの。具体的に。何ヵ月ですか」
「毎回違います」
「だいたいは解るでしょ。言えるでしょ、プロなんだから」
「そのフレーバーに関しては、再現予定がございません」
「なんで。できないの?プロでしょ。」
プロプロうるさい幽霊だな。
もう、めんどくせえな。
「悪霊退散」
悪霊ってか、粘着クレーマーだけどな。幽霊の。
俺は、秘伝の紙屑、つまり、伏見の小父さんが『お札のようなもの』って呼ぶ媒介を握る。
紙の端っこを持って、静電気程度の生命力を流す。
神霊赤ちゃん的な何かが、ひょいっと力を貸してくれた。
紙の、握ってない方の端っこで、幽霊の頭をペシッと叩く。
幽霊は、嘘みたいに消えちまう。
「ああ、生臭いのも寒いのも無くなった。どうもありがとうございます」
数名居た店の客からも、拍手が起こった。
次回、庭園幽霊
よろしくお願いいたします