待ち望んだ戦い
人域の地理はわかりやすい。
円形の地面の周りは空。
空中に浮かぶ島の中央には唯一の都市がある。
そしてその外周部分には森などの自然物がある。
海はなく川のみが水源。
それだけの土地だ。
だが住まう生物はまともではない。
小動物でさえ最強の生物であり、凶暴であり、闘争心の塊だ。
近づけば襲われ、戦いを挑まれる。
彼等はどこかの世界で生物の頂点に立った。
体躯は小さくともそれだけの実力が伴っている。
普段ならば受けて立っているところだ。
が。
アキラは走っていた。
彼の後方にはヒューイが続いている。
速度は遅い。
「速く走れ」
「はぁはぁ、そ、そんなこと言われ、ても……はっはっ!」
彼らの後方からあらゆる動物達が迫っている。
すべてを相手にしてはキリがない。
それに彼等よりもアキラの方が確実に強い。
都度、相手をしては時間の無駄だし、倒してもすべて食べるわけにもいかない。
ということで。
逃げていた。
大荷物を背負ったまま走っているアキラよりも、身軽なヒューイの方が足が遅い。
「は、早すぎます……!」
「おまえが遅すぎるんだよ。速度を上げるぞ」
「え? ちょ、ちょ、待って!」
あくまでヒューイの同行を認めただけで、仲間だとは微塵も思っていない。
ついてこれないなら捨てる。
自らの目的の邪魔をするならば、そんなものは必要ない。
冷徹だが、純粋。
それがアキラの考え方だった。
駆けるアキラの背中を必死で追いかけるヒューイ。
一応は自世界の最強だけあって、なんとか食い下がってはいる。
もちろんアキラは全力ではない。
だが過剰なほどに加減をしてはいない。
ヒューイの身体能力自体は、悪くはないようだ。
木々を縫い、流れるように進むアキラに対し、ヒューイは枝や草を大げさに払いながら走っている。
異世界に転移して一日。
夜を超え、多くの猛獣達と戦い。
ようやくたどり着く。
見えた。中央都市が。
開けた視界の中央にそれはあった。
都市の中心からは一本の線が天井に向けて伸びている。
もしかしてあそこから登るのだろうか。
「あ、あそこ、が、はっ、人域の都市、です……し、死ぬ……おぇっ」
「吐くなら走りながら吐けよ」
「うぇぇ……無茶苦茶だぁ……」
泣き言を漏らすヒューイを無視して、アキラは森を抜ける。
前方には崖。
回り道すれば安全に降りることは可能。
だが、アキラはそのまま突っ切った。
「は? はああああああああああっ!?」
ヒューイはアキラに釣られてそのまま速度を緩めずに走った。
結果、彼も崖に自ら飛び込むことになる。
高度三十メートルほど。
落下すれば死ぬ。
重力に身体を引っ張られている二人。
「だじゅげでぇええええええっ!」
悲鳴を上げるヒューイは号泣しながら、空中で手足をバタバタとさせていた。
アキラは風に頭髪をなびかせつつ、冷静に崖の岩場を確認。
落下しながら。
回転し、岩場を殴った。
その反動で身体が軌道を変える。
再び殴る、蹴る。
落下しながらも速度を一定に保ち始める。
出っ張っている岩壁を横から蹴り、自分の身体を上方へ投げる。
そうしてアキラは後から落ちてきたヒューイを飛び越えた。
「アギラざぁぁぁん!」
飛び上がるアキラを通り過ぎて、ヒューイは落下する。
このまま地面に着地したら死ぬだろう。
だが、アキラはヒューイを助けるつもりはなかったので、そのまま重力に身体を委ねた。
地面まで十メートル程度。
これくらいならば受け身で完全に衝撃を打ち消すことが可能だ。
アキラだからこそなので、真似をしてはいけない。
ヒューイは地面に落ちていく。
だが、アキラの行動を見ていたのか、彼は岩場を必死で掴み、何度も足掻き続けていたようだった。
おかげで一応は落下速度が下がっている。
腐ってもどこかの世界の最強というわけか。
しかし付け焼刃の行動で上手くいくはずもなく。
ヒューイは見事に地面に墜落した。
「ぎゃあああっ!」
死んだかもしれない。
無感情にそう思ったアキラは、ヒューイの隣に、綺麗に着地した。
彼は百二十キロ程度の荷物を持ったままなのに、だ。
たゆまぬ鍛錬でたどり着いた境地。
それは人間の枠組みを大きく逸脱したものであった。
アキラは隣を一瞥すると、スタスタと歩き始めた。
「じ、じぬがど、思っだ……ううっ、か、肩が外れちゃった……」
ヒューイは足をガクガクと震わせながら立ち上がった。
どうやら足から着地し、そのまま身体を傾けて、左手を犠牲にして受け身を取ったようだ。
咄嗟の判断にしては上々。
死ななければ後はどうにかなる場合が多いからだ。
ただ、彼の肩はぶらぶらと揺れている。
先ほどの恐怖を思い出したのか、それとも単純に痛いのかヒューイは泣きながらアキラの後ろに続いた。
アキラは無言で振り返りヒューイの目の前に移動する。
「な、なんでずがぁ……」
無言でヒューイの腕をつかむと、そのまま肩をはめてやった。
「いだいぃっ!」
「これくらいでガタガタ言うな、どこかの最強」
「ううぅっ、やめてください……僕なんて、僕なんて」
またネガティブモードになってしまった。
こうなると面倒なので、アキラは無視して都市に向かった。
後方でぶつぶつ何か言っているヒューイを気にせず、歩き続ける。
都市が視界を埋める。
都市といっても、現代的な建築技術も素材もないし、粗雑な造りだ。
人が住んでいるんだろうな、とわかる程度の見目だった。
茅屋のようだ。
それでも住めなくはないのだから、まだいい方なのだろう。
しかしひどい。家に家をつなげたような城塞に近い見た目だ。
九龍城を思わせる外観だった。
近くに行くと空に上るものが何か分かった。
塔だ。
円形上の塔が上階層に向けて伸びているのだ。
それ以外に登る方法はなさそうだった。
都市近くには人の姿が多く見受けられた。
出入りをして、森に入ったり、別の方向へ移動したりしている。
「あ、あれは外に狩りに行ってる、みたいですね」
「その割には数が少ねぇな」
「序列が低い人達は、上位者にこき使われるので……」
「ああ、それでおまえも荷物持ちをさせられてたのか」
「……うぅっ、そ、そうですよぉ」
どこの世界も弱い者は強い者の食い物にされる。
防壁はない。外敵から身を守る気がないことがわかる。
最強の人間達が住まう土地だ。
ならば敵は内部にしかいないということだろう。
内にいるのに、外からの侵入を警戒する必要はない。
ここにほとんどの人間が住んでいるらしい。
当然ながら、規模は大きくなる。
滞在域の序列を見れば、少なくとも十五万程度の人口が存在していることがわかる。
この場所にそれだけの人間がいるのだ。
しかも全員がどこかの世界の最強。
胸が高鳴らないはずがない。
入り口は特に定まっていない。家が立ち並び、伸びている間に通路が無数にある。
適当に中へと入った。
「ああ、入りたくないな……」
ヒューイが愚痴を言っているが、当然無視する。
中は人通りが多く、そこかしこに人がいる。
まるでどこぞの国にある貧民街だ。
店のような華美な装いはなく、ただ家が並んでいるだけ。
アキラは移動しながらヒューイから異世界の説明を受ける。
ここには金銭がないようだ。
食料や物品が財産となるが、その入手は低序列の人間がおこなう。
上位の人間がそのほとんどを搾取するわけだ。
最強達の中にも、職人のような輩もいるだろうし、ある程度の道具は生み出せる。
前時代的だが、人は多く、搾取する物も少なくない。
そしてその最下位にいる人間は『転移したばかりの相手』である。
つまり転移者狩りが日常的な慣習となっているらしい。
アキラを襲ったあの男達はその一派で、アキラの荷物を奪おうとしたのだ。
まさか食料だけしか入っていないとは思わなかっただろうが。
転移してくる存在は少なくない。
人間以外の生物も転移してくるようだ。
だがただの人間とはあまりに実力差があるため、人域ではなく、上層域に直接転移することになっているらしい。
その話をヒューイから聞いたアキラは、全生物の中で人間は脆弱というレッテルを貼られているという事実を知る。
憤慨はない。だが覆してやろうとは思う。
この階層は、ぬるま湯のようだ。
ただし強い存在からすれば、だが。
ヒューイのような人間は虐げられるだけの生活を強いられる。
しかし、この世界にいる人間は誰しも己が望んできたのだ。
誰のせいにもできない。
己が選んだ道なのだから。
街の中を通ると、様々な人間に出くわす。
生気を失った者、乞食のようなことをしている者、血色がよく楽しそうに笑う者、弱者を虐げる者、酔っ払い、乱暴者。そこにいる者は全員が無法者だ。
当たり前だ、ここに法はない。
ルールは一つ。勝てば対価を得られるということ。
「店、みたいなもんはねぇのか」
「なくはないですけど……交換屋が多いですね。
お金がないので物々交換が基本になりますし」
「飯屋は?」
「ありますよ。ただ、お店はレジュラ一派が牛耳っているんで、ぼったくられますけど。
だから低序列のみんなは自給自足するようにしてるんです。
遠くの森に行って獲物をとったりとかして何とか生活してる感じですね」
「そこまでしてここに住むか?」
「外は危険ですから……。
みんなアキラさんみたいに、寝ている状態で猛獣を撃退とかできないんで」
昨夜、立ったまま寝ていた時、猛獣が何体か襲ってきた。
だがアキラは楽々と撃退している。
いかな達人でも就寝時は無防備になる。
鍛錬していても、いつでも察知できるわけではない。
アキラのような存在を除けば、だが。
なるほど、ヒューイの言葉は最もだった。
ある意味、強者の威光を利用し、都市に住むことで猛獣達の襲来を回避している、と。
最強達の集まりでも、敗者は生まれる。
そうなれば上下関係ができてもおかしくはない。
「とりあえず、適当な奴に喧嘩売っていくか」
「ちょ、ちょっと待って!
こんなところで誰かに危害を加えたら、レジュラ一派が来ます!
というか、血の気が多い人達ばかりなんで、袋叩きに会いますよ!」
ヒューイは説得のために言ったつもりだろうが、それは間違いだ。
アキラはニィッと笑った。
「いいね。是非そうしてくれ」
ヒューイはわかりやすいほどに、絶望を表情に出した。
彼はやっと理解したらしい。
アキラはただの戦闘馬鹿だということを。
顔面蒼白のヒューイを無視して、アキラは近くを通りかかった男の肩を叩いた。
「よう、喧嘩しようぜ」
「あ?」
顔中毛だらけ、厳めしい顔つき。
肩を触るだけで鍛え上げられた筋肉だとわかる。
肉付きからパワー系。俊敏性はないが、腕力は尋常ではない。
男が返答する前に、アキラは男の顔を殴る。
が。
男は首を傾げて、アキラの拳打を回避した。
半ば不意打ちの攻撃ながら反射的に避けたのだ。
男は驚きもなく、冷静にアキラに体当たりする。
アキラは後方へ吹き飛ばされた。
百キロ以上の鞄を持ちながら、だ。
鞄で着地したと同時に、アキラは鞄を下ろして、態勢を整える。
当然、アキラは無傷だ。
衝撃を吸収するように後方へ飛んでいたのだ。
「ヒューイ、鞄持てよ。中身こぼしたらぶん殴る」
「一方的に過ぎるぅっ!」
文句を言いながらも、急いで鞄を背負う。
「お、おもっ……こ、腰がやられるぅ……」
足を痙攣させつつも何とか立ち上がるヒューイ。
細い体で持ち上げられるだけ大したものだろう。
そんな彼をおいて、アキラは男と向き合う。
街中で始まった諍いに気づいた別の男達が集まってきた。
「たまにいるんだ、てめぇみたいな、勘違いした野郎がな」
こういうことには慣れているらしく、大男は関節を鳴らしつつ、構えた。
なるほど。最強を自負して転移してきた人間が考えることは同じらしい。
数々の修羅場をくぐり勝ち続けていた存在ばかりが、転移しているのだ。
必然、自分の実力を疑わず、傲慢になる。
それはアキラも同じだった。
だが、彼等と違うことが一つある。
アキラは別に勝てると思って戦いを挑んだわけではないということ。
むしろ負けるほどに強い相手がいて欲しいとさえ思っているということ。
「かっかっか、まぁた無謀な新人が現れたぞ!」
「やってやれ!」
男とアキラが対峙する。
周りには野次馬が続々とできあがる。
喧騒が広がる中、アキラの耳には何も届かない。
数秒の間隔を経て、互いに動いた。
一度だけの交錯。
男の大ぶりな拳がアキラに向かう。
だがそんなテレフォンパンチが当たるはずもなく、アキラは華麗に回避。
そのまま踏込み、カウンターの掌打で、男の顎を勝ちあげる。
が。
手ごたえが薄い。
「きかねぇな」
歯をかみ合わせたまま笑う男は、余裕の表情でアキラを見下ろす。
恵まれた体格に鍛錬で磨き上げられた頑丈な首。
相手が衝撃を完全に吸収したのだと気づいたアキラは、即座に後方へ逃げる。
と、見せかけてすぐに前方へ踏み込む。
男はアキラの挙動につられ、一歩前方へ進んでしまう。
結果、男は無防備な身体をさらす。
アキラは膝を曲げ、左肩を差し出す。
そのまま。
全力で地を蹴る。
ドンと聞きなれない音が響くと、大男の身体は宙を舞った。
推定百三、四十キロ。
その男が、八十数キロ程度の体重の男に吹き飛ばされたのだ。
驚愕は一瞬にして場に浸透する。
男が地面に落ちた音が響く中、喧騒は止んでいた。
大柄の男は失神していた。
アキラは半身の状態から緩慢に姿勢を伸ばす。
そして近場にいた男に不用意に近づくと、前蹴りで鳩尾を狙う。
「ぐぇぇっ!」
男は呆気にとられたまま、悶絶した。
完全に巻き込まれただけである。
だがここは普通の世界ではない。
弱肉強食がはびこる世界。
ならば覚悟を持つべきだろう。
いつでも殺される覚悟を。
「何見てんだ? 全員かかってこいよ」
アキラが叫ぶと、誰もが顔色を変える。
野次馬から当事者へと変貌する男達の中、ヒューイは後ずさる。
「もう、何なんだよぉ、この人はぁっ!」
何を言っても何をしてもアキラは止まらない。
突如として、走り出したアキラに続き、ヒューイも男達も追走する。
というかヒューイは板挟みになって逃げているだけだ。
「逃がすな!」
「挑発しておいて、逃げんじゃねぇぞ、コラァ!」
「殺せぇっ! ぶっ殺せ!」
多くの男達がアキラを追う。
その騒動に遭遇した誰もが、状況を理解しないままに参加する。
そうして人の塊は徐々に増大していった。
戦いに飢えた者達の集団は、細い路地を通り、次第に家屋を破壊しつつ進む。
やがて。
アキラは目的の場所を見つけ、立ち止まった。
そこは広場。
家が少ない、開けた空間。
およそ、直径五十メートルほどの場所だ。
そこにアキラとヒューイ、そして戦いに誘われた男達が終結する。
誰もが、興奮し、誰もがアキラを睨んでいた。
数にして二百。
その一人一人がどこかの世界で最強だった。
彼等の誰もが、他人に頼るような人間ではない。
ただ、この集団の目的が今だけは一致している。
アキラにやられた男達も、常人では対峙することすら不可能なほど。
それほどの実力を持っていた。
ただ単にアキラがそれを上回っているだけにすぎない。
アキラと二百の男達が対峙する。