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森にて

 鬱蒼と茂った森の中。

 双対の角がアキラに迫る。

 鋭く尖っており、刺されば絶命するだろう。

 だがアキラはその場から動かない。

 腰を落とし受けて立つ構え。

 イノシシとウシと色んなものを混ぜたような容姿をしている動物が迫ってきた。

 体躯はアキラの数倍。

 全力の疾走。木々をなぎ倒しながら走り続ける獣。

 目を血走らせた猛獣はアキラを標的に定め、真っ直ぐ向かう。

 普通の人間であれば恐怖に駆られ逃げる状態。

 当たれば命はない。

 が。

 アキラはその攻撃を、真っ向から受け止める。

 両脇に角を挟んで力を込めると、大胸筋と広背筋が膨張する。

 尋常ならざらぬ膂力によって、猛獣の速度は一気に緩まる。

 結果。

 猛進は止まる。

 アキラは、そのまま力任せに獣を持ち上げると、背後にある岩に叩きつけた。

 獣は痙攣を続けるだけで、立ち上がる気配はなかった。

 どうやら死んだらしい。

 アキラは迷いなく獣に近づき観察する。


「こりゃ、食えそうだな」


 獣の体中に傷が残っている。

 相当な戦いを潜り抜けた猛者らしい。

 なるほど。最強の生物が集う世界と謳っているだけはある。

 動物も、ご多分に漏れず最強の存在らしい。

 だがそれは過去の話。

 ここは敗者は勝者に奪われる世界なのだから。

 しかし人域に動物がいるとは、これは動物は人と同程度の強さしかないということなのだろうか。

 いや、単純に食物がなければ生物は生きていけないからかもしれない。

 最強の存在でも食事は必要だ。

 これはこの世界に招待した何者かの、最低限の配慮なのかもしれない。

 とりあえず獣を持ち上げて、近くの川へ持ち運んで解体することにした。

 日本から持ってきた荷物はかなりの量があるが、それでも長持ちはしない。

 すぐになくなるだろうし、当然ながら現地調達をしなければならなくなる。

 手際よく皮を剥ぎ、内臓を洗い、肉を切り分けて、火を起こして焼いて食べる。

 この間、なんと十分である。

 ちなみに毒があるかどうかはニオイで大体わかる。

 アキラだけに限ってはのことなので、普通の人間は真似してはいけない。


「はふっ! はふっ! んむっ!」


 ムニッ、ニチッ、クチャクチャ。

 モリッモリッ、ゴクッ。

 胃袋が徐々に満たされていき、同時に胃液によって溶かされる。

 消化と食事が同時進行する。

 フライパンに乗せた肉が焼ける度に口へと運ぶ。

 ろ過した水をペットボトルに入れて、粉末プロテインを溶かすと一気に飲み干す。

 そして肉を貪る。

 食べながら料理を始める。

 鍋を取り出す。寸胴である。

 鍋に入れたたっぷりの水に醤油、日本酒と出汁の元となる粉末を入れる。アキラが事前に作っていたものだ。

 鞄から白菜を取り出した。

 白菜である。なぜか白菜である。

 本人は至って真面目、むしろ白菜を最初に荷物に入れたくらいだ。

 明らかにカロリーを考えると悪手だが、もう遅いし、アキラは気にしない。

 鍋には白菜。これは譲れなかった。

 洗って、適度に切って鍋にぶち込む。

 鍋奉行とやらがいれば入れる順番に口出しするが、そんなものはどうでもいい。

 美味けりゃいいのである。

 イノシシモドキの肉を投入、これだけで美味いだろうが、まだ足りない。


 近場にあったキノコをむしるとニオイを嗅ぐ。

 いける。

 土を払い、切って、投入。

 川を漂う魚が見えたので、掴む。

 流れるように包丁で捌くと、鍋に投入。

 ぐつぐつと煮込んでいる間も、肉は継続的に焼いている。

 鍋ができた。

 椀に入れてすする。

 美味い。

 ズズッ、ズズッ、ゴクッ。

 この瞬間が最高だ。

 体中に食材が染み込むようだった。

 食す。食す。食す。

 長ったらしい形容も、比喩も何もかもが必要ない。

 ただ美味い。喉が小気味よく鳴るだけで旨味が伝わる。


 貪食。

 それが正しい人間の姿だ。

 寸胴の中身がなくなった。

 さすがに腹が膨れたが、イノシシの肉を焼きながら食べることだけは止めない。

 この肉、まさにイノシシのように独特で舌に引っかかるような味と臭みがある。

 だがそれもいい。

 獣臭も慣れればスパイスのようなものだ。

 イノシシモドキの体躯はかなり巨大。

 おそらく総カロリーは百万を優に超える。

 さすがのアキラも一部しか食べられない。

 だが、もったいない。

 捨てるわけにもいかない。


「おい」


 アキラは食事を一旦、止めて言った。

 すると、木陰からヒューイが現れる。


「す、すみません」

「バレバレすぎる。もっとうまく気配を隠せ。何の用だ?」

「い、いえ、用という用はないんですが……」

「だったら街に戻るなりしろ。俺は誰かとつるむ気はない。

 それに、強者に下るような人間は嫌いだからよ」


 アキラの言葉は辛辣だったが、そこに悪意はない。 

 率直な意見であり、相手を傷つける意図はなかった。

 それ故にヒューイには突き刺さっただろう。

 ヒューイは顔をしかめて、悔しそうに俯いた。


「ぼ、僕も、できるならそうしてます」

「できるできないじゃない。できるまでやるか、できないと諦めるかだ。

 おまえはできないと諦めてるだけで、何もしてやしない。

 こんな場所まで自分の意志で来ておいて、言い訳をして、何かに責任を転嫁するな」


 アキラ程にその言葉の重みを知っている人間はいない。

 彼ほどに努力し鍛錬し、常に自分を追い込む人間はいないからだ。

 だからこそ最強の座に上り詰めたのだから。


「……あ、あなたにはわからないです!」

「ああ、わからねぇな。弱い奴の言う言葉はいつも同じだしよ。

 まっ、どうでもいい。俺には関係のない話だからな」


 アキラは食器を洗い、残りの肉を燻製にし始めた。

 時間がかかるが、これだけの量はさすがにもったいない。

 というか美味かったので捨てたくない。

 そう思い、アキラはたき火の上に、葉で簡易的な覆いを作り、網に塩を塗り付けた肉を乗せた。

 満足そうに頷くと、立ち上がり開けた場所へ移動する。


「なんだ、まだいたのか。さっさと行けよ」


 突け放すように聞こえるが、声音は温和だ。

 彼にとっては、ヒューイがいること自体が不思議なことだった。

 別段、邪険にしているわけではなく、ただそこにいることは無駄だと教えているだけだった。

 ヒューイは棒立ちしているだけだった。

 アキラは何を言っても無駄と思い、それ以上は何も言わなかった。

 いつも通り、イメージトレーニングを始める。

 相手は最強の敵。

 想定し、ひたすらに架空の存在と戦う。

 いつか出会えると信じて。

 ひたすらにそれを続け、燻製ができたら、また別の肉を燻す。

 途中、腹が減ると肉を焼き、また鍛錬。

 それを続けると夕刻になった。

 もうすぐ日が落ちるだろう。

 今日一日が少し無駄になったがまあいいだろう。

 焦る必要はない。

 もう戻ることもできないのだから。

 たき火の場所に戻ると、まだヒューイの姿があった。

 彼は同じ姿勢のままだった。

 さすがに訝しがったアキラは、半眼でヒューイを見つめる。


「何がしたくてここに来たんだ、おまえ」

「……わ、わからないんです」

「わからない?」

「ぼ、僕はただ、流されてここに来た……だけなので」

「流されて、ね」


 自分の意思がなく、環境によって意見を決める人種は多い。

 何かに責任を押し付けて、委ねて、それで自分の行動を決めるのだ。

 アキラからすれば愚か以外の何物でもない。

 自分のことなのに、なぜ何かに決断を委ねるのか。

 そんなことをして、何かがあれば誰かの、何かのせいだと声高に叫んで、それが何になるのか。

 自分を守れるのは自分だけだ。

 ならば自分で選択する方がいいに決まっているのに。

 そんな心理を理解しようとは思わない。

 なので、アキラは一切の情も共感もなく言った。


「じゃあ、流されて適当に生きていけばいいんじゃねぇの?

 おまえ、その内、何の意味もなくどっかで野垂れ死にそうだな」

「ぎっ!」


 怒りが膨張し、ヒューイが動いた。

 彼の手の先には短剣が握られていた。

 その俊敏さには目を見張るものがあったが、そんな短絡的な行動がアキラに通用するはずもない。

 伸びた殺意の軌道は途中で消え失せる。

 アキラが軽く手を払っただけで短剣が吹き飛んだ。

 ヒューイは手を伸ばしたままの姿勢で呆気にとられている。

 確実に戦意を喪失しているし、武器もない。

 だというのに、アキラは腕を振るった。


「ギャッ!」


 奇声を上げながらヒューイは後方へ弾かれ、そのまま地面を転がる。

 呻きながら倒れ、立ち上がることもなかった。

 アキラはそんなヒューイの姿を興味のなさそうに見下ろす。

 そして自分の右手を一瞥し、小さく嘆息した。


「うぅっ、ううぅ……ぼ、僕だって……こ、こんな……ううっ」


 泣いてる。

 ああ、もうなんだっていうんだ。

 アキラはガシガシと後頭部をかきむしって不愉快そうに渋面を浮かべる。


「はぁ……面倒くせぇな」


 腰に両手をあてて、視線を落とす。

 再び顔を上げて、ヒューイに近づいた。

 そのまま襟首を掴んで持ち上げる。


「ぐ、ぐるじぃ」


 くるっと回して、ヒューイの顔を自分に向けさせると、地面に下ろしてやった。


「で?」

「……な、何が……ですか……」

「だぁかぁらぁ! てめぇはどうしたいんだって聞いてんだ! 

 なんでここにいるんだ、なんで俺を追ってきたんだ、何がしたいんだよ」


 ヒューイは涙を拭うことも忘れて、顔をくしゃっと歪めた。


「で……で、弟子にしてくらはい……」

「なんでだ?」

「つ、強くなりたい、れす……、ひ、一人でも生きていけるくらいに……強く」


 懇願するヒューイを前に、アキラは眉間にしわを寄せながら言った。


「やだね」


 更にヒューイの絶望感は高まった。

 だがアキラの言葉はそこから続く。


「俺は弟子なんてもんはとらねぇ、けど勝手についてくる分には何も言わねぇ。

 ただし何も教えねぇし、世話もしねぇ。それでもいいなら、好きにしろ」


 言うだけ言ってアキラはさっさとたき火まで戻った。

 すでに日は暮れている。

 闇に包まれていく中、篝火に寄り添う人影は二つ。

 ぐじぐじと泣いていたヒューイだったが、涙を袖で拭うと、恐々とアキラの近くに移動する。


「突っ立ってんじゃねぇよ、座れ」

「ひゃ、ひゃい……」


 近くで見たヒューイは思っていた以上に汚れ、貧相だった。

 服はボロボロ、乞食の方がいい服を着ているんじゃないだろうか。

 散切り髪で、顔も汚れている。

 風呂なんてしばらく入ってないんじゃないだろうか。

 はっきり言って、かなり近づきたくない。


「おまえ、もっとマシな恰好しろよ」

「……こ、この方が楽というか」

「俺が楽じゃねぇんだよ」

「で、でも、ですね……あの、その……」


 アキラはため息を漏らす。

 ああ、だから他人と過ごすのは嫌いなんだ。

 相手の心情を慮ったり、気を遣ったり、面倒以外の何物でもない。

 だが、受け入れてしまった。

 だったら最低限の責任は生まれてしまう。

 仕方がない。

 なぜかそうしてしまったのは、過去の自分と重なったからだろうか。


「とにかく、風呂は入れ。服も、もう少しまともなものを着ろ。

 俺と行動を共にするならそれが最低条件だ」

「うぅっ……わ、わかりました」


 アキラは鞄を漁り、服を取り出すとヒューイに投げて渡した。


「これを着ろ。荷物、ないだろ?」

「……あの、大きいんですけど」

「知るか。切るなりして調整しろよ」

「もう、滅茶苦茶だ、この人」

「あ? 何か言ったか?」

「い、いえ! な、何も! わー、すごく柔らかい生地だなー」


 アキラは棒読みで褒めるヒューイを半眼で見つめる。


「さっさと行けよ」

「……はい」


 ヒューイは川の上流に向かっていった。

 どうやら調子に乗りやすい性格らしい。

 子供なのだろう。

 年齢的には中学生くらいに見える。

 それで一世界の最強な存在となれたことは称賛に値するような気がする。

 だがアキラにはそんな考えはない。 

 面倒事を抱えてしまったという後悔しかない。

 彼にしては珍しく、己の行動を悔いた。

 だがもう遅い。

 ならばどうするかを考えるしかあるまい。

 しばらく考え事をしながら料理をしていると、足音が聞こえた。

 音の方を見ると、沐浴を終えたヒューイが立っていた。

 月明かりに照らされて、端正な顔立ちを浮き彫りにしている。

 薄汚れていた時は包み隠されていた姿を明るみに出していた。

 華奢で未成熟な身体。

 過剰なほどに美しい顔。

 人の目を引く空気と容姿と佇まい。

 この世界でこのような美少年がいればどうなるか、想像に難くない。

 Tシャツを腰のあたりで結んで丈を合わせている。

 ズボンはそのまま。彼の持っていたものだが、下半身だけなので比較的目立たない。


「あ、あの」

「おまえ」

「は、はい……」


 ヒューイは緊張した面持ちでアキラの次の言葉を待った。


「細すぎるだろ」

「え?」

「細すぎる。もっと飯を食え」

「……そ、それだけですか?」

「他に何があんだよ」

「いえ、な、何もないです、けど」

「だったらさっさと座れ。そして飯を食え」


 スープをかき回しながら、アキラは淡々と言った。

 ヒューイがその時、どう思ったのかはアキラにはわからない。

 だが、ヒューイは戸惑いながら、アキラの隣に座り。

 スープの入った椀を受け取り。

 啜ると。


「おいし……」


 そう言った。

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