第三話 「一つ目の計画」
本日二度目の投稿になります。
その表情が認識できてしまった瞬間自分は顔を逸らすこともできず唯々固ま事しかできなかった。
顔をじっと見たまま固まっている自分に気が付いた女性は先程よりも顔を顰め、酷く不快そうに小さく「・・・・醜い悪魔め」と呟くとそそくさと自分をベッドに戻しこの部屋を出て行った。
自分以外誰もいなくなった部屋はしんと静まり返りひんやりとした空気が充満している。
数十秒かかりようやく我に返ったが、未だに先程のことが理解できず困惑していた。
その為、一番初めに思い浮かんだ言葉が「音声言語は一致してるんだ。よかった」と言うあまりにも素っ頓狂なものであった。
後に思い出せば出産時にも既に言葉は聞いていたため今更なのだが、あの時はまだ転生(仮)をはっきり自覚していたわけでは無いため、
名実ともに、転生後に初めて言葉を聞いたのはこの時であった。
そしてようやくまともな思考が追い付いてきたのか、次いで浮かんだは至極真っ当な疑問だった。
何故?
一体何故彼女はあれほど自分に対して不快を露わにしたのだろうか?
会ったのは今が初めてのはずだが・・・
もしや、知らず知らずのうちに何かしてしまったのでろうか?
だが、もし何かしてしまったのだとしても首も座らぬ赤ん坊にできることなどたかがしれているだろう。
では、一体何があそこまで彼女を不快にさせたのだろうか。
そして彼女の呟いた言葉、「・・・・醜い悪魔め」・・・あれは自分に対して発せられたものであるのは確かでだろう。
醜い・・・・自分の容姿が問題なのだろうか・・・しかしこの部屋には鏡もないため確認もできない。
まぁ、あったとしても今の視力では至近距離まで近づかなければ見えないのだ。
移動する術がないのだから結局鏡があろうがなかろうが確認のしようもない。
しかし、容姿一つであそこまで拒絶されるのだからそれはもう酷いものなのだろう。
ん?だが容姿だけなら「醜い」とはののしられようとも「悪魔」と言われるほどなのだろうか?
「悪魔」・・・要は人ではない邪悪なもの。生まれたばかりでありながら人外と罵られる。只容姿が醜いだけならばそこまでは言われまい。
生まれてすぐでも見て取れる人外とみなされる要因・・・・・・
ある可能性が自分の中で生まれる
先天性の奇形もしくは奇病----
成る程、それならばすべてに合点がいくと言うものだ。
外見から分かるほどの奇形・奇病ならばいくら母親と言えどもそう易々とは受け入れ難いのであろう。
部位は、手足は自分で見られるところには特にこれと言った問題はなさそうに見えることから体の胴体部分か頭部に絞られるが、手で触れてみるだけでは判断がつかないためこれは一旦保留にしておこう。
そう考えるとすぐに殺されても全くおかしくなかったのだな・・・と、苦笑した。
先程考えていた生きるか死ぬ確率の話も、あくまでも一般の赤ん坊の場合だ、奇形・奇病を持った赤ん坊ならば確率は絶望的なまでに低くなるだろう。
最近では出産前の検査で先天性の遺伝子的な障害等は手軽に調べられるため判明した時点で堕ろす・・・つまり中絶する人も多いのだ。
まぁ確かにどんな障害でもある人とない人では育てるという観点からいえばない人を育てるほうが良いと考えるのが一般的だ。
ただ子どもを育てる事でも多くの苦労を要するのだ、障害があればその分不安や苦労も増える。
負う苦労・リスクを減らしたいと考えるのは当然の回避行動と言えるだろうし、それを咎めようとは思わない。
賛否両論あるだろうが、少なくとも自分は育てる覚悟もなく無責任に産み落とされ、やっぱ違ったと捨てられる方が子ども当人にとっては不幸だと思うのだ。
話は逸れたが、胎児期に検査をしたのかどうかは分からないが、生まれた時点で殺されず、一応育ててくれる意思が今のところあるのだから上々と言えよう。
こちらは育ててもらっている身だし、いつ「もう無理だ」と捨てられてもおかしくないのだからできるだけ迷惑を掛けず可能な限り従順であろう。と思った。
淡泊な人間だと言われても否定はしない。家族とは、家族であろうとお互いに思っていなければ、所詮は只の血のながりが有るだけの他人に過ぎないのだと思っているし。
自分にはそれは事実だと信じれるだけの過去もある。
だから今回も彼女が自分を拒絶するならばあえて近づこうとは思わなかった。
◇
それからと言うもの、月日は驚くほど早く過ぎて行った。
生まれてから暫くは、空腹や尿意・便意が限界になれば泣いて彼女を呼びその度に世話をしてもらい、それ以外はよるの沐浴(乳児の入浴)以外で彼女が来ることないため静かにしていた。
暇であるが仕方がない。これも自分が生きて生きていくためだ。
しかし2か月を過ぎたあたりだろうか?今までは感じなかった音を感じるようになった。
この時ようやく自分は視覚同様聴覚も未熟だったことに気が付いた。
そしてその未熟な聴覚ですら聞き取れた彼女の発した呟きは自分が思っていたよりも大きく強いものであったのだろうと思い、少しだけ苦しかった。
日に日に見える色や形、聞こえる音が増えていった。
その中で、ようやく求めていた音にであったのは生まれたから3か月目に入ろうかと言う頃だった。
時計の音だ、決して針の音が聞こえるというわけではなく、大きな振り子時計特有の一時間ごとに時刻を告げるボーンボーンと言うあの音だ。
しかも、ありがたいことにこの振り子時計は時刻の分だけ音が出るタイプのようでたとえ寝てしまい、音の回数を数えていられなくても時刻を間違うことがないのだ。
実に助かる。
赤ん坊如きに時計など不要だと思うかもしれないがこれがあるのとないのとではある違いが出て来る。
今までは泣かねば彼女は来なかったが、もし今後自分が特定の時間に定期的に泣くようになったらどうだろう。
毎日同じ時間に同じ内容で泣き、彼女を呼べば彼女も自分の世話が必要になるタイミングを時間で知ることができるようになる。
これ育児における負担において大きいことだと思う。いつ何をすればよいかわかっているだけでも準備やなんかを突然する必要がなくなるのだ。
それに、彼女は必要最低限しかここに来ないが定期的に続け習慣にしてしまえば、彼女もこの時間で決まった世話の仕方が最も効率よく最低限の接触で済むことにも気付くだろう。
つまりは、だ。
自分で泣かずとも決まった時間に世話をしてくれるようになる、と言うことだよ!!
毎日何度も泣いていれば、そりゃぁ慣れることは慣れる。
しかしだ、決して恥を捨てたわけではない。
泣かずともすむ方法があるならばそれに越したことはないのだ。
翌日からこの計画は実行された。
一日に食事は5回夜間は避けて3時間毎に設定し、排泄は食事のタイミングの食後か食前のどちらかと、それ以外には起床時と睡眠前の計7回に抑えた。
我慢は健康に悪いかとも思ったが、必要なリスクだと思い頑張った。
彼女の順応能力と理解度は驚くほど高かった。
少なくとも1か月は必よ言うかと思っていたが、たった4日目から彼女は自分が泣かずとも決まった時間に決まった内容に沿った準備をして部屋に来るようになった。
はじめて泣く前に来た時は流石に驚いた。「あぁ~尿意と便意がぁ~もうちょっとで時間だからもうしばらく我慢だぁ~」と呑気に考えていると突然ドアが開き替えのおむつと布巾、そして水の入った桶の3つを持った彼女がそこに立っていたのだ。
今までは、自分が泣くと彼女が部屋を訪れ食事ならその場で、それ以外は内容を確認したのち必要なものを手に再度部屋に戻ってくるというものだったのではじめに部屋を乙津れるときはいつも手ぶらであったのだが・・・・・彼女は予想以上に早くこの計画に沿って動いてくれたようだ。
その日から彼女は決まった時間に決まった内容の準備をした上ではやをおとづれるようになり、自分もなく必要もなくなった。
静かに日々が過ぎていく
泣かぬ赤子にあの日以来一言も発さぬ彼女
二人しかいないこの部屋はいつもしんと静まり返っていたが、今日も彼女はただ粛々とやることをやりは部屋から出ていく。
そうした静かな日々が続き、自分が生まれて1年が経った。
次回からようやく話か少し進みます。