相良油田と燃料タンク開発
相良油田
主人公が現代の知識を元に、田沼家の相良藩領にある油田を100年近く早く採掘させたもの。
当初、主人公はここから採れる原油をそのまま重油代わりにして石炭をすっ飛ばしで蒸気機関を実用化しようと画策していた。
しかし、この油田は色んな意味でチートだった。
普通の原油は世界中どこであっても、重油分の比率が4~7割ある・・・例えば日本で最も用いられている中東産のアラビアンライトは48%が重油分。インドネシアのスマトラライトは66%が重油分である。しかし、相良油田のそれは9.5%である。
当然、重油の含有比率が低いので、原油=黒い水って広く知れ渡ったイメージと異なり、相良油田の原油はブランデーとかウィスキーみたいな色をしている。
そう、相良油田の原油はガソリン34%、灯油34%、軽油22.5%という、精油しなくてもガソリンエンジンや石油ストーブが稼働してしまうチートなそれだった。
で、問題はこのチート過ぎる原油で、保管そのものが非常に面倒なのである。江戸時代にポリタンクなんてものはない。保存用容器と言えば、壺や瓶が一般的である。でも、密閉性がそもそもないそんなものにガソリンなんて入れたらどうなるか・・・火を見るよりも明らかである。
マリアナ沖海戦で沈んだ装甲空母大鳳のそれが実例としては最もわかりやすいだろう。常温保存でも気化するし、そもそも気化ガスは有毒である。しかも、気化ガスはちょっとしたことで引火しやすい。そして、当時の家屋建物は基本的に木造建築だ。そんな世界にガソリンなんて危険を通り越している。
灯油はガソリンに比べればマシとは言えども、保管の難しさはクリアできていない。よって、普及の難易度は格段に高い。
というわけで、相良油田は採掘してみたが、肝心の重油は採れないし、チート原油は使い道がないわで、ただの骨折り損のくたびれ儲けという始末。
そこで、産業革命計画の第一歩は密閉できる燃料タンクの開発が急務となったのである。ゴムパッキンなんてものは当然存在しないので、密閉性が劣る代物には代わりはない。よって、鋳物を溶接するという形で開発をすすめることとなったのである。
調べていくうちに判明したことだが、日本において溶接は割りと普及した技術であったらしく、この当時でも問題なく用いることが出来た。
よって、ここに日本初の・・・世界初になるかもしれないが・・・燃料タンクが完成したのである。しかし、金属鋳物製であるので、普及には至らない。原油の保管用に程度にしか使えないのである。あとは、灯台とかに設置して燈火用燃料タンク代わりにする程度か。