十間廊下にて
悩みがある時、私は十間廊下というものを試している。
豊島与志雄氏の『夢の図』という作品に少しだけ登場したものだ。
詳細を知りたい人は青空文庫にも当該作品は納められているため、そちらを参照していただきたい。
簡単に説明すると、悩みがある時に長い廊下を思い浮かべ、そこを歩くのである。
そして十間――約18メートル毎に扉と曲がり角がある。
悩みながらその廊下を歩き、もし答えらしきモノが見えたなら、扉を開けて外に出る。
もし答えが見えなければ、その曲がり角を曲がって再び十間を歩く。
これを繰り返すうちにいつの間に悩みに対する答えが手に入るというわけである。
私の場合、作品が全く書けない場合にこの手法をよく試している。
しかしながら私は如何せん雑念が多いのか。よく脱線して廊下以外の光景になってしまう。
最初は薄暗い廊下を想像して歩いているのだが、いつの間にか周りがすべてガラス張りの廊下になっていたことがある。
この時に見えた草原とその先に広がる大海の景色は素晴らしかった。
もっと近くで見たいと思うが、廊下のガラスが邪魔ですぐにたどり着けない。
急いで十間の廊下を駆け抜け、扉を開けるとその風景はふっと消えてしまう。
そして悩みだけが残ってしまうのだ。
また、ある時はこんな風景になった。
廊下を歩いていると、誰かとすれ違いざまに肩がドンっと当たってしまったのだ。
「あ、すいません」
と私が謝ると、相手は制服を着た若い男性であった。
あれっと思って回りを見回すと、見慣れない、学校の廊下にいるではないか!
また脱線した! こうなると悩みを解決する糸口を見つけるどころではなくなってしまう。
そして学校の廊下にいるという認識が強まるほど、その光景は現実味を増すのだ。
生徒達の談笑、廊下を駆け抜ける男子を叱りつける女性教師、教材を運ぶ生徒など……。
なんでまたこんな所にきてしまったのか……と私自身、呆れながら廊下を歩くのだ。
大概このような雑念まみれになると、悩みはどっかに行ってしまう。もっとも廊下から出た後にまた悩みと対面する事になるのだが。
しかし、私がこの十間廊下を続けるには訳がある。
それは時たま、本当に悩みの答えが見つかるからだ。
その時、廊下は白い壁で覆われる。
私一人がやっと通れるかどうか、というその狭い廊下を歩きながら、ふと側面を見ると何かの絵が飾られているのだ。
その絵は有名な絵画というわけではなく、風景だったり、一人の女性だったり、あるいはロボットだったり、様々だ。
だが、この光景こそが私の追い求めていた答えなのだ。
急いでその絵を手にして、廊下を駆け抜ける。
手にした絵が消えぬ内に、私の手から抜け落ちる前に、全力で走るのだ。
そして扉から出て、その絵を再確認する。
それをまじまじと見直してから、私は十間廊下を後にする。
そしてまた、新たな悩みと共のこの地へと戻るのだ。