記憶のピース
自分の過去は自分にしか分からない、だが、忘れてしまっては話は別である。それが記憶喪失なのか、はたまた、ただのド忘れなのか、事の重大さは相当変わるだろう。ただのド忘れなら、その内思い出す。が、それが記憶喪失となるなら、戻る可能性は極めて低いのではないだろうか。
大翔が、中学以前の記憶を失って、3年が経過した。そこで出会った女性、神坂芽衣が、大翔の頭を悩ませる。
事情を知っている竜也が、相談部全員に話をする。
「それで、あいつに何があったの?」
音華が、腕を組んで竜也を睨んだ、音華は、現在の状況に腹が立っているらしい。
「大翔、中学から前の記憶が無いんだ。」
「え!?」
音華が目を見開く。
「そういうことか、それで、僕の事も初対面の接し方をしたのか。」
椿が目を瞑る。それを眺めていた竜也は次に、芽衣を見る。
「芽衣さん、あなたは、大翔の事を知っているんだね。」
「はい、小学校の時に。」
芽衣が頷きながら話す。
「残念ながら、大翔は君の事を知らないよ。」
芽衣は、顔を俯けたまま、動かない。
「ま、しょうがないわね、記憶が無いなんて、私達の手には負えないわ。」
音華が呆れた表情を見せ、目を瞑った。
「芽衣さん、あなたは、大翔をどうしたいの?」
音華が、芽衣を鋭い目で見つめた。
「え?えと、わ、私は…。」
芽衣がもじもじしながら、音華を見たり、俯いたりしている。若干の苛立ちを見せる音華が、ワンテンポ置いて口を開いた。
「まあいいわ、あなた、部活は?」
「合唱部に入ってます。」
「そ、あなた、掛け持ちする気は?」
音華がさり気無く勧誘モードに入る。
「か、掛け持ちですか?でも、2つも部活なんて、大変だし…。」
「うちは、あんまりハードにはやらないわよ?」
「でも…。」
音華の勧誘を、もじもじ否定する。音華は、決定的な言葉を付け加える。
「大翔に協力できるなら、ここしかないわよ。」
「っ!」
芽衣が反応した。
「どうするの?」
音華が再度、確認する。
「わ、分かりました、やります。」
「OK、あなたは、大翔の記憶戻しに参加して貰うわ。」
芽衣は、首を縦にふった。
「さて、もう大翔はいいわ、ほっときましょう。」
「お、音華さん!?」
芽衣が立ち上がって音華を見る。
「今の私達には、どうこう出来る問題じゃないでしょ。せっかくあいつが部活にはいってくれたんだもの、大翔のしたいようにやらせればいいわ。」
大翔の記憶に、音華や椿達は存在していない。音華達が当然のように知っていることも、今の大翔にはわからない。なら、少しづつでも思い出して貰えるようにするのが、今の自分達に出来ること、そう考えたのだ。
「子狐の場合、気性が荒いからね、そっとしておくのが妥当だね。」
椿が立ち上がり、部室を出ようとする。
「どこ行くの?」
竜也が問う。
「今日はもう帰るよ、明日からまた、大翔を誘うとしようじゃないか。」
そう言って、椿は手を振りながら部室を後にした。
次の日の放課後、大翔が部活に来た。気まずそうな表情で、辺りを見回し、ゆっくり部室の隅にある椅子に座った。
「ちょっと、なんでそんな隅っこに座ってんのよ。」
音華が書類を整理しながら大翔を睨んだ。
「え、いや。」
「さすが子狐君だ、やはり陰気なところがあるよね?」
椿が大翔を指さす。
「大翔、部室でもそれで通すの?」
竜也が笑う。
「大翔、後でなんかしようよ。」
香山が大翔に視線を向けた。
「え、え?」
大翔が動揺する。昨日、大翔が怒鳴って部室を飛び出してから、あまり時間は経っていない。
「お、お前ら、気にしてないのか?」
大翔が恐る恐る問う。
「は?あんなの今更気にすることじゃないわ、ほら、早くこっち来て仕事手伝いなさい。」
音華が書類を見せつける。両脇には大量に書類が積み重なっている。
「お、おう。」
動揺しつつも、鞄を置いて、音華の隣に座った。
「おい、音華。」
「なによ、まだなんかあんの?」
音華は手を休めずに、耳だけを傾けた。
「ありがとな、あと、ごめん、昨日あの後、頭冷やした。」
大翔が俯きつつ話す。
「ちょっと、大翔らしくないわね、気持ち悪い。」
音華が拒絶反応を見せる。大翔を見る目は、異臭を放つ腐った卵を見る目だ。
「な、なんだよ、反省してんだよ、怒鳴ったこと。」
「過去なんて振り返らなくていいわ、でも、記憶は取り戻しなさいよ、大事な記憶だってあるんでしょ。」
「そうだな、俺、がんばる。」
そんなやり取りをしていると、部室に、新入部員の芽衣が入っていた。大翔は、若干芽衣に反応したが、すぐに正気を取り戻した。
芽衣が真っ先に向った先は、大翔の所だ。座っていた大翔は、下から芽衣のオドオドしている表情を眺める。
「あ、あの…。」
手を前で組み、モジモジさせながら小さい声量で、大翔に話しかける。大翔は、それを黙って見つめていた。
「私、合唱部と掛け持ちで、ここに入部する事になりました、よろしくおねがいします。」
芽衣が勢いよく頭を下げる。
「おう、よろしくな、芽衣さん。」
「あ、あの、さんは要らないですよ?」
芽衣が訂正を求めた。
「え!?いや、初対面で女の子に呼び捨てなんて…。」
大翔が顔を赤く染めて下を向く。
「芽衣でいいですよ。」
そう言って、芽衣はニッコリ笑った。女性嫌いな大翔が、不覚にもときめいてしまう。
「わ、わかった…その…芽衣。」
大翔はあちこちに視線を逸らしながら芽衣の名前を呼んだ。
視線を逸らしていると、音華と目が合った。何故か睨まれている気がする。否。睨まれている。殺気が溢れていて、大翔の体から汗が吹き出る。
「お、音華?」
大翔が恐る恐る喋りかけると、音華が立ち上がり、芽衣の横に来る。
「芽衣のことを下の名前で呼ぶなら、私のこともそう呼びなさいよ。」
音華がそう言って、芽衣の肩に手を掛けた。
「はあ?別にいいじゃねえか音華で。」
そう大翔が要求を否定すると、音華が大翔を睨み倒す。その殺気の鋭さに、とっさに大翔は椅子を背後に引いて、遠ざかる。
「わ、分かった、月寧!これでいいだろ!」
大翔があっさり月寧の名前を口にする。
それを聞いた月寧は、驚いた表情を見せた。その後、何故かとっさに後ろを振り向き、作業に戻る。
「ん?どうした?」
大翔が異変に気付き、問いかける。
「な、なんでも無いわよ!それより、仕事手伝いなさい!今日中に終わらせるわよ!」
そう言って作業に没頭する月寧は、心なしか顔が赤かった気がした。
大翔には無い過去の記憶、大翔の思い出は、言わば、全く揃っていない記憶のピースである。そのピースを探すのは、そう簡単では無い。大翔は自覚しつつも、希望を抱いていた。記憶が戻ったら。どんな記憶なのか。
いつ戻ってくるだろう。大翔は、今日も、記憶のピースを探す。