強さを増す鎖
それは突然やってきた。大翔の中で何かが警報を鳴らしている。「ここにいちゃダメだ、にげろ、まずい。」頭が自分の感情でいっぱいだ。うるさい。
彼女は何か言っていた。しかし、警報がうるさくて何を言っているのか聞き取れなかった。
「なんで…お前…。」
大翔にとっては当然の質問だと思っていた。しかし、彼女側からしたら、何を言っているんだ、という様子だ。
「ど、どうしたの?大翔君?」
名前を呼ばれる大翔。
大翔はそれに反応し、ピクッと動く。視界が歪んで、立ちくらんだ。
「き、きき、今日は、もう活動終了です…。」
そういって大翔が静かに廊下を出た。
「ひ、大翔君?」
その出来事があった次の日、大翔は部活を休んだ。
「あれ、今日大翔は?」
「なんか、気分が乗らないから帰るって。」
「ふうーん。」
辺りが静かになった。聞こえるのは、運動部の爽やかな掛け声のみだ。
「あ、俺、そろそろ陸上部の方に行ってくるよ。」
竜也がバックを持って、扉を出る。
「竜也。」
音華が呼び止める。
「ん?何?」
竜也が振り向く。
「大翔に何があったか、聞けたら聞いといて頂戴、少し心配だわ。」
「アイツ、隠し事すると俺にも話さないんだ、多分無理だと思うよ、ま、一応聞いて見るけどね。」
「頼んだわよ。」
竜也は、音華の話を聞いた後に、走って陸上部に行った。今日も香山は、茶道部の方に行っていて欠席して、部室には、椿と音華のみだ。
「子狐が休むなんて、珍しいね。」
さすがの椿も心配を隠さない。
「何かあったのは確かね、ま、そんな事情は知らないけどね。」
音華が椅子にもたれて天井を見た。
「あなた、大翔と幼稚園、同じだったんでしょ?」
体制は変えず、視線だけを椿に送る。
「そうだが?それがどうしたっていうんだい?」
椿も視線だけを向ける。
「何か知らないの?あいつの過去とか。」
「幼稚園児の過去を引きずるかい?」
「あいつならやりかねないわ」
音華が愛想笑いを振りまいた。
「それに、子狐が僕に会った時の反応は、前に1度会った反応では無かった…忘れているのだろうね。」
「そうかー、あとは竜也ねー、彼なら何か知ってるかも。」
音華が脱力しながら喋る。
しばらく沈黙の時間が流れたが、その後、1人の来客者が来た。
「あら、相談部に何か用?相談?それとも、入部希望者?」
音華が来客者に視線を向けた。
「こんにちは、相談部で合ってますか?」
そこには、美しいと言うのがふさわしい女性が立っていた。それは、音華ですら見とれるほどだ。
「な、なんの用かしら?」
音華が動揺を見せた。
「あの、大翔…有馬 大翔君、居ますか?」
「何?あのバカに用なの?悪いわね、今日は部活を休んでるわ。」
音華が女性に近づく。
「あれ、あなた、どこかで会ったことあったかしら?」
音華が女性の顔を見入る。
「い、いえ、それより、やっぱり来てないんですね。」
「や、やっぱり?何か知ってるの?」
女性の話を聞くため、音華が部室の中へ招き入れた。
椿、音華の向かいに、女性を座らせた。
「私、神坂 芽衣、と言います。」
神坂が丁寧にお辞儀をした。
「私は音華よ。」
「僕は椿、ところで神坂さん、僕とお付きあ…痛い!」
椿のナンパを瞬時に察知し、音華がグーで後頭部に打撃を食らわす。
「はいはい、ナンパは後、てか、ナンパしない!…さて、本題に入るわよ。」
音華が頬杖をついて話を始める。
「あなた、芽衣さんは、大翔が休んだ理由を知っているのね?」
「はい、実は昨日、私を見て、逃げたんです、大翔。」
芽衣がうつむいてそう言った。
「逃げた?随分失礼な話ね。」
音華が顔をしかめた。
「私もよく分かりません。小学校からの付き合いだったのですが…。」
「え?小学校から?もしかしてあなたも、嵐山小?」
音華が問う。
「ええ、大翔の事は知っていました。」
「なるほど、じゃあ、大翔が変わったのも知ってるのね。」
大翔は変わった。何があったのかは分からない。恋愛を拒み、人を避けようとする大翔は、何か自分の鎖に縛られていた。
「私も、気にしていました。中学に入ってからというもの、大翔は何故か部活には入らず、1人で過ごしているのを、見たことがあります。」
芽衣も気づいていた。だが理由は分からない。付き合いのある芽衣でさえ、理由を突き止めることはできない。それほどまでに謎が深い人物なのだ、大翔は。
「ま、大翔がそれでヘコタレようが、どうでもいいわ。」
音華が椅子から立ち上がる。
「おやおや、いいのかい?」
椿が問う。
「いいのよ、まさか、簡単にヘコタレる奴だとは思わなかったわ。」
音華が窓を眺める。
大翔は、部活を休み、自宅へ帰っていた。大翔は、過去の出来事を思い返した。
「何なんだよ…。」
大翔は頭を抱えた。何故かは分からないが、胸が痛い。
「意味わかんね、誰だよ、あいつ…。」
次は頭が痛む。
「ダメだ、分からない。」
彼女が、分からないのだ、どこの誰なのか。いや、そうではない、彼女の素性など、どうでもいい。
「何で、俺の名前知ってんだよ…。」
彼女は自分の名前を知っている。どうして?
「もういい…今日は寝る、頭が痛い…。」
大翔は、体が倒れるままに、ベッドに倒れこんだ。
次の日、大翔は相談部部員が無理矢理部室に連れ込んだ。
「俺は、1週間休むって言ったろ!!」
大翔がもがくが、椅子に座らされた。
「何で俺が来なきゃいけないんだよ。」
「会って欲しい人がいるの、ね、芽衣さん」
「っ…!」
大翔が座る席の向かいに、芽衣が座っていた。
「こ、こんにちは…。」
大翔が愛想笑いで挨拶をした。
「こ、神坂 芽衣です、よろしくお願いします…。」
沈黙した。大翔は口を開こうとしないし、芽衣も挨拶したきりだ。
「そ、その、貴方達は、初対面なのよね…?」
音華が口を開く。
「は、はい。」
芽衣が俯きながら答えた。
昨日のその後に遡る。
「いい?大翔はきっと、あなたの事を知らないわ。」
「え!?」
芽衣が驚く。
「だって、私、小学校の頃…!」
「落ち着きた前、芽衣さん。」
椿が足を組んで座った。
「芽衣さん、あなたのことだけを忘れている訳では無いんだよ。」
「どういうこと?」
芽衣が椿の方を見た。音華は考えるように、目を瞑っている。
「僕も同様に、忘れられているんだ、幼稚園の時だから、忘れるのも無理無いかもしれないけど。」
椿が、やれやれといった仕草を見せる。すると、黙っていた音華が目を開け、口を開いた。
「芽衣さん、あなたは、大翔の事を知らないという設定にして。」
「え、どうして?」
「大翔には何かがあるわ。知らない女性に名前を呼ばれて、彼は戸惑ってる。」
「わ、分かりました。」
芽衣が俯く。
それからというもの、3人は口を合わせて知らないという設定にした。
「俺も、初対面だ。なんで名前を知ってるか知らないけどな。」
「め、名簿で知ったの、進学名簿、全員分あるでしょ?」
「あー、なるほど。」
アホなやつめ、チョロイな。音華が思う。
「んで、お前ら…」
大翔が音華と椿を睨む。
「は、はい?」
音華が椅子を後ろへ引いた。
「こんな事のためにわざわざ引きずり回してくれたのかなー…?」
大翔が立ち上がる。
「い、いや、その…えっと…つ、椿が!」
「ぼ、僕かい!?」
音華が椿を売る。
「ほお、椿、どうせまた、「あの子狐はアホだから、連れ回せばすぐ…」なんて言ってたんだろうなぁ?」
大翔がゆらりゆらりと歩く。
「お、おおおお落ち着いて!!」
音華が焦る。椿が立ち上がる。芽衣が後ろであたふたしている。
すると、大翔は立ち止まった。
「ま、起こる気も無いわ、もうこれで終わりか?なら、帰りたいんだけど。」
大翔がだるそうな顔を上げる。
「へ!?あ、うん、これだけ…あはは…。」
音華がため息をついた。
「じゃあ。帰るわ。」
大翔が踵を返した。
「あ、そう、また明日…。」
「神坂さん…だっけ?」
大翔が顔を芽衣に向ける。
「は、はい。」
「あんたを見てると、頭が痛くなってくる。何かこう、頭の中のタンスをグチャグチャにされるんだよ。」
「え、え?」
芽衣が落ち込む。
大翔がそう言うと、ゆっくり部室を出た。
次の日、放課後。
「ひ、大翔!?大丈夫!?」
大翔のゲッソリとした顔を見て、竜也が驚く。
「ん?大丈夫だ、少し疲れただけだ。」
「昨日、部活言ったんでしょ?一週間休むって言ってたのに。」
「無理矢理連れてかれたんだ。会わせたい人が居るとか言って。」
大翔が前を見ながら言った。
「大翔も大変だねえ。」
「ふん、まあな…」
くまのできた大翔が苦笑いした。
「竜也、今日は相談部、行くのか?」
「うん、陸上部は、大会後だから、休みに入ってる。」
「そうなのか。」
「大翔は?どうするの?」
大翔は黙ったまま、頬杖をついた。
「大翔…さ、もしかして…」
「ご察しの通りだ。「まだ」記憶が戻らない。」
「やっぱりか…で、中学入って初めて、記憶が戻りそうなの?」
「分からない。神坂 芽衣…あいつを見ると、ぽっかり空いてた暗闇の記憶が捌けようとする。そこに踏み込んだら、奈落へ落ちそうで、怖かった記憶が戻りそうになる…。」
「大翔…。」
竜也が大翔の背中に手をやる。
「大翔、部活、行こう。」
大翔は少し間を置いたが、頷いた。
部室には、すでに香山を含む部員が揃っていた。
「あ、大翔さん!」
香山が手を振った。
「香山じゃねえか、珍しいな。」
「今日は茶道部お休みです。」
その会話に、音華が割って入る。
「大翔、来なさい。」
「…。」
大翔が俯きながら歩み寄る。音華は腕を組んで、足を組んで構えている。
「何があったのか…話しなさい。」
音華はトーンの低い声で言う。全員が心配そうに見つめた。
「話せない。」
「どうして!?どうして1人で抱えるの!?」
音華が立ち上がる。
「話そうが話さまいが、変わらねえからだよ!!」
大翔が机を叩いた。
「何なんだよ、何が理由で、こんな事になってんだよ!」
大翔が俯く。
「神坂を見ただけで、頭痛がする…!椿!」
「っ?」
椿が反応する。
「お前を最初に見た時、頭が勝手に、記憶を辿り始めた…。」
大翔が音華に視線をやった。
「音華、お前もだ、何故か、特定の人に会うと、勝手に記憶を辿るんだよ!!意味わかんねえ!」
「ひ、ろと?」
音華が怯える。落ち着いた大翔は、椅子に座った。
「もういい、俺は大丈夫だ。」
「今のを聞いて大丈夫だなんて、思えないわよ!!」
音華が大翔による。
「今日はもう帰る。」
大翔が勢いよく部室を飛び出した。沈黙を、竜也が破った。
「お、俺が話すよ、あいつの事情、いつか…誰かに話さなきゃならないと思ってた。3年もたったけど…。」
大翔に何があったのか。竜也のみぞしる知る世界に、相談部は、耳を傾けた。
「なんなんだよ。」
大翔は、帰り道に頭が勝手に整理を始めた。そして…。また、鎖が締められた。
「意味わかんねえ!ああ、くそ!」
大翔が壁を殴る。
大翔を3年間縛ってきたものが、3年目に、更に縛られた。強さを増す鎖。大翔は、更に恋愛を拒んだ。