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原書の罪  作者: 玉之浦椿
起ノ章
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/3-1

       /3

 


 雨が降っていた。空から落ちてくる小さな雫が私にかかることはなかったが、代わりに、窓打つ雑音が心を逆撫でするようだった。

 父と姿(、)のない二人の学者。楽しそうに話し合っている。学者の一人は流れ星を見逃した子供めいていて、もう一方の学者はそれを慰める父親めいていた。遠巻きにいる小さな私は少し不貞腐れ、微笑む父を眺めている。二人に父をとられたと思っているのだ。


 目の前の私は、見えない誰かを、つまらなそうに見ている。

 私は、目の前の見えない誰かを、無性に殺したくなったのだ。


 ——場面が変わる。


 雨が降っている。空から落ちてくる小さな刃が肌を傷つけることはなかったが、代わりに、流れる冷気が心を細切れにするようだった。

 頬を伝う流れが雨のせいなのか涙のせいなのか、とうの昔に分からなくなってしまった。

 肌を撫でる風は多分に湿気を含んで、空気を白く染めている。見えるのは、椿の花と整えられた二つの墓石だけだった。今ここには私たちしかいない。ほかのものはすべて、神が隠してくれている。

 思い出すのは、優しげに微笑む顔だけだった。困っているときも辛いときもその顔だけは絶対に崩れず、私をやきもきさせてくれた。

 何にでも微笑むということは、無感動と同じではないか。

 誰にでも優しいということは、無関心と同じではないか。

 そんな風に考えたこともあった。それでも、その優しさと笑みにどれだけ自分が救われていたのかと気づくまでにも、そこまで時間はかからなかったが。

 地面に横たわる墓石には名前と没年だけが刻まれている。

 それだけで、人は人の死を表せてしまう。単に……死んだという事実だけを。

 それ以外には、何も伝わらない。

 何かを伝えたければ、風化していく記憶を語るしかないのだ。

 だから、少しだけ独白しよう。何故、こんなことになってしまったのかを。

 ——すべて、私のせいなのだ。

 背後でぱしゃりと音が鳴った。水たまりに足を下ろしてしまったときの、水の跳ねる音。誰かが後ろにいる。一体どういうことだろうか、これは。神は私に罪の懺悔も独白もさせてくれないのか。

 そう思いながら振り返った先に見たものは…………


 アイリス・フランロッドは、はっと目を覚ました。瞬きも忘れてしばらく、やっと今のが夢なのだと気がついた。同時に、止まっていた呼吸も、荒々しく活動を再開する。汗のせいでまとわりつく服が、異常に気持ち悪かった。

 急速に輪郭を無くしていく夢の中で知らず知らずのうちに枕を抱いていたアイリスは、ふと、ベッド近くの小さな丸テーブルに水の入ったコップが置かれていることに気がついた。アルマが用意してくれたのだろう。埃よけのコースターをどけて一気に喉に流し込む。そうすると、フワフワとした夢想が鳴りを潜めて、現実というものが輪郭を鋭くしていった。

 悪夢を追い払うことに成功したアイリスは、ゆるりとあたりを見渡す。昨日はそんなことをする余裕なんてなかったからいくつか新しい発見があった。

 かなり広い部屋だ。多分、二人部屋、無理をすれば三人部屋としても使えるかもしれない。これが横一列に十数と並んでいるんだとすると、どれだけヴィネルマ図書館が広いのか分かるというものだった。

 必要最低限のものしかないためか、部屋は閑散としてもの寂びしい空気を醸し出していた。ベッドから降りて、アイリスは壁にかけられたカレンダーの前まで歩いていく。

 カレンダーは四の月が開かれていた。自分の世界と同じ月だ。つるりとした手触りを堪能しつつ、アイリスは五の月、六の月と続けてめくっていく。そのまま十二の月まで到達して、月日の数え方が自分のいた世界とこの世界とで全く変わらないということに、なぜか少し驚いた。魔法なんてものがあるから、てっきりいろいろ違っているのだと思っていたからだろうか。

 考えるアイリスの思慮外で勝手に扉の取っ手が回転し、仮締りが外れる。唐突に音がしたせいで、アイリスは身を固く強張らせた。さらには、扉の方を見て軽く悲鳴を上げてしまった。

 扉とその枠の間に少し空いた隙間から、黒い瞳がこちらをじっとのぞいている。人のものだった。どこか弱々しい上目づかい。アイリスもまじまじと見返す。少しの間、その状態で時間が止まった。

「何を、やっているの?」

「…………」

 監視。扉の向こうから幼げな少女の声が微かに聞こえてきた。今にも消え入ってしまいそうで、耳を澄ましてやっと音を拾える。

「監視?」

 アルマに頼まれたのか、それとも、昨日この部屋にやってきたブックって人のいいつけだろうか。

「……そう」

 扉向こうの少女がひどく間を空けて話すせいで、会話はとぎれとぎれですごく話しづらい。いつまでもこの状況のままというわけにはいかず、アイリスは少女の全身像を確認するためにも行動を始めた。

 アイリスが一歩目を踏み出したときだ、さっと瞳が扉の影に隠れた。廊下へと出てみると、つかず離れずのところで黒髪の女の子がこちらを見つめている。その子がしている特徴的な髪飾りがアイリスの目を引いた。何かの翼を象ったような大きな金属が頭の左右で羽を休めていて、そこからぴょこんと飛び出した髪の房が見ててかわいらしい。

 年の端十二、三と言ったところだろうか。警戒心むき出しなその姿は、どこか小鳥じみていた。

 アイリスが近づくと、少女はやぁぁと逃げていく。これはだめだと、アルマを探そうとすると今度は後ろをぴょこぴょこついてくる。話しかけようと振り向くと、やっぱり逃げてしまう。これでも、あくまで監視だということなのだろうか。何となくだけれど、アイリスは内気な妹を持つ姉のような気分を味わっていた。

 そうするとどうだろう、少しうれしくなってくる。

「監視がてらに、お話でもしましょう」

 ね、と手をうち少女を顧みる。

「…………」

 逃げ出す直前、階段前で不自然に体をひねったまま止まっていた少女は、いいよといった。近づきさえしなえれば話は出来そうだ。

「私はアイリス・フランロッド・イリール。あなたは?」

「コハネ。コハネ・サブナハ」

「コハネ。かわいい名前ね」

 名は体を表すとはこのことだろうか。性格や姿が名前に引きずれられたかのように、コハネという名前は、ぎゅっと口をつぐんでうつむく少女に合っていると感じられた。

「ここって、一番大きな図書館なのだそうね。あなたはここに本を読みにきているの?」

 それならばここには来ないだろう。分かってはいたが、話の掴みとしてアイリスは聞いた。

「……ちがう」

 あ、ちがくはないかも。……でもやっぱりちがう。

 あたふたと意見を変えるコハネは、最終的にうんうんと自己完結したようだった。

「探索班にいるの。でも、飛び回って探さなくても魔術書を見つけられるから、仕事中も外に出る必要がなくて、だからいつも本を読んでる」

 今度はアイリスが言葉をとぎらせる番だった。話しが続くようにと用意していた間の手も必要ないほどに、コハネはすらすらと話し続ける。

「天啓のおりって言って、あっちに何かあるなって言うのがなんとなく分かるの。ふっとした時にときどき。まだ|コハネ(、、、)しか使えないから外にはでちゃだめなんだって。そんなことしたら神様に怒られちゃうんだぁ〜って、ブックがそう言ってた」

 コハネが天啓の折について説明した時、自分のことのはずなのに、人ごとのように話すんだなとアイリスは思った。これが口癖だというのなら、そうなのかもしれない。今ここで初めて会ったのだから、口癖なのかどうかなんて分かるはずもないのだけれど。

 ただ、彼女の雰囲気はまるで良く知りもしない知人の噂を誰かに話しているときのような、自分を他人として捉えているような、そんな感じがした。

 どうしてだろうと考えて、ふとコハネの右腕に目が行った。

 作り物のようだった。さっきからずっと力を抜いているのだと思っていたが、コハネの右腕は血の供給を受けつつも、役割は全うしていない。

 動いていなかった。重力と慣性に任せるままになっている。

 それが折れた翼に見えてしまって……

「閉じ込められてるの?」

 口をついて出た言葉は、あまりに相手を顧みないもので、アイリスがしまったと思うより先にコハネが声を荒げた。

「そんなことない! ガルもシィちゃんもアルもブックも、みんなわたしを守ってくれてるもん。……みんな、わたしのこと家族だって言ってくれるもん」

「……ごめんなさい」

 二人揃って顔をうつむかせる。

 これ以上は話しづらくなって、かといってこのまま別れるなんてことが許されることもなく、どうしようとおろおろし始めたアイリスの前で、救いの手が、文字通りにゅっと階段の影からのびてきた。

「その通りよ」

 白衣を着た細目の女性。

 そのままコハネを後ろから抱きしめて、アルマは頭を撫で始めた。「みんなみんな家族」

 にぇあと面白い悲鳴を上げて手足をばたばたと暴れさせていたコハネはすぐにおとなしくなった。地面におろしてもらえず、右腕どころか四肢全てをぶらぶらさせている。コハネなりに不機嫌を表しているのかもしれない。

「気分はどうでしょうか。アイリスさん」

「おかげさまで、だいぶ落ち着きました」

 ぶすっとこっちに目を向けるコハネをなるべく見ないようにしてアイリスは言った。

 あれだけ自分が近づくことを拒絶していたというのに、アルマには為すがままなその姿は、見ているとすこし寂しくなる。なまじ、さっきコハネのことが妹のように感じられたからだろうし、きっと自分はまだ姉らしいことをしたいと思っているのだ。

 それは、過去に出来なかった憧れだったから。

「そうですか。それは良かった」

 このような場所で話している理由は何となく分かります。腕の中でコハネが視線を横に流した。「この子に貴方のことを話したら、楽しそうに走っていってしまいまして」

 起こされませんでしたか? とアルマが言って、もう起きてたとコハネが答えた。本当に家族みたいだ。

 本当は夢のせいで眠れた気なんてしなかったけど、別に伝えることでもない。それよりも、どうやらコハネが言った監視という言葉にはそれほど深い意味はなかったようだ。きっと、様子見を難しく脚色しただけなのだろう。覚えたての単語を意味もよくわからず使ってしまったのかもしれない。

「話は変わるけれど」コハネを撫でる手を止めて、アルマが言う。「コハネが自分の事を話すなんて珍しいわね」

「……うん、なんとなく言ったほうがいいかなって」

 そうなの、とアルマは微笑んだ。それからすぐ、

「初対面でおかしな話と思うかもしれませんが、コハネは本当に気を許した人にしか自分の事を打ち明けません。今はこうして頬を膨らませていますが、内心貴方のことを身近に感じているのですよ。失言一つに気をもむ必要はありません。親しき中にも礼儀ありとは言いつつも、誰だって間違いは起こすのですから」

 アルマの言葉を信じなかったわけではないが、アイリスはコハネに確認を取るように視線を移していた。本当? という念がコハネに届いたどうかアイリスには分からない。けれど、いぃっと片腕で口の端を引き伸ばす仕草からは突き放すような感じはしなかった。

「……コハネ」

「……まって。近寄り方がこわい」

「はい、どうぞ」

 コハネは逃げ出そうにもアルマに抱えられていて、更にはアイリスに差し出されようとしている。小さな体で暴れてもアルマはびくともせず、結局、アイリスに抱きつかれてしまったのだった。

「ごめんね、酷いこと言って」

「……いいよ。ただくるしい。しんじゃう」

 そう言われてはアイリスも力を緩めるほかなく、その隙を突いてコハネがするりと安全圏へと離れてしまった。

 一抹の寂寥を空っぽになった腕に宿すアイリスに、それとですねとアルマが言う。

「コハネの言った『天啓の折』の力は自分の身の内にだけ留めて、他言しないでくださいな。コハネが言ったとおり、外の人達にとって非常に希少なもので、知られればコハネの身に何が起こるかわかりませんので」

 細く開いた瞼から覗く瞳に真面目な光を感じて、アイリスは頷いた。

「分かりました」

 

 アルマがアイリスのところへ来た理由は、様子を見るためでもあったけれど、朝食が準備できたことを知らせるためでもあった。ヴィネルマ図書館での食事のルールは、みんなで一緒に、なのだそうだ。アルマの先導で最上階の大食堂へと到達したアイリスは、がやがやとざわめくあまりの人の多さに一瞬のまれた。

 信じられないことに天井や壁のほとんどが脆いはずのガラス張りで、遠くで朝霧にまぎれる山嶺や見栄の良い城の姿を透かしている。居住区の部屋の多さに見合う、たくさんの住人達が青空の下で食事をしながら会話に花を咲かしている様は、それこそピクニックにでも出かけているような印象だった。

 どこかしらで魔術書が盗まれたという不穏な話から、最近家内に頭が上がらないなどというとりとめのない話まで。耳を澄まさなくてもいろいろな話題が転がり込んできた。

 よくもこれだけの人が集まるものだ。

 ぐるりと全体を見回したアイリスは、一角にある大きな丸テーブルでシシーとガルド、そしてこの図書館の館長であるブックが席に着いて談笑しているのを見つけた。

 とてとてという表現が似合う小走りで、コハネが一番にガルドの隣の席を陣取る。残りの二つの席に、アルマとアイリスが座った。気のせいか、隣でシシーが固くなっている。

 自分が来る前に何かあったのだろうか、疑問はブックにかき消された。

「おはよう。アイリス君」

 その声を聞いたとき、なぜか胸の辺りがちくりと痛くなった。

「おはようございます」

 それは些細なもので、小さな石を裸足で踏みつけてしまった時のように、すんなりと痛みは引いていく。だから、アイリスはその痛みの訳を考えはしなかった。

 昨日は済まなかったねとブックは言った。不躾なことをしてしまったと。

 昨日、部屋へ案内されたアイリスは、身の着を替えることなくベッドに倒れ込んでしまっていた。あまりの出来事に神経が麻痺していたのかもしれない。体はとっくに限界を迎えていて、しかしそれに気付きもしなかった。

 動くのが怠くて身じろぎせずにいると、うつぶせの彼女に毛布をかけてアルマは部屋を出て行ってしまった。もう眠ったと思ったんだろうか、それともすぐに眠るだろうと考えたのだろうか。

 目だけがひどく冴えていて、アイリスは痛くなるほどにまぶたをぎゅっと閉じていた。思い出すのはもとの世界のことばかり。父や母の顔を思い浮かべると、自然、涙が溢れていた。

 そんな時に彼は来たのだ。扉がノックされるその時まで、アイリスは自分が廊下に漏れだすほどの大きな嗚咽を漏らしていることに気がつかなかった。

 彼は一言詫びを言ってから、名乗った。…………ような気がする。良く覚えていない。その後幾らか会話していたはずだが、やっぱりよく覚えていなかった。

 そういえば、彼の顔をまじまじと見つめたのは、今日、この朝食の場が初めてではないだろうか。人と話すときには相手の顔をちゃんと見据えるよう心掛けているが、あの時は逆光と涙のせいで彼の輪郭はぼやけていたと今になって思う。

 アイリスはえぇと曖昧に返事をした。

 実際、昨日ちゃんと顔を見ていたのなら今になってこんな思いは抱かなかった。すぐに尋ねてみたはずだ。

「あの、アルマさんとブックさんって」

「うん? あぁ、兄妹だよ」

 アイリスが二人の顔を交互に見比べていたからだろう、質問するまでもなくブックは答えた。それは予想通りのものだったけれど、一つ、気になった。

 アルマ・カンパネルダとブック・スパイン。

「家族名が違うのですね」

「生まれこそ同じでしたが、育った家は違った。ということですよ、アイリスさん」

「そういうことだね」

 アイリスはなるほどと呟いて、口をつぐんだ。育ての親が変わる理由を考えて、明るい理由なんてひとつも思い浮かばなかった。

 そしてもう一つ、母と母にそっくりなアルマの違いがここにはあった。アルマにはブックという兄がいる。けれど母に兄はいなかった。受け入れているとはいえ、やはり別人なのだ。

「ここはどうだい?」

「え?」

 だからここはと、ブックは両手を広げてみせた。こことはつまりこの場所だろうか、それともヴィネルマ図書館全体のことだろうか。あまりに唐突だ。アルマがひどく呆れたように、「それでは伝わりませんよ。言葉足らずもいい加減にして下さい」と窘めている。

「いやあ、ごめんごめん。さっき興味深そうにあたりを見渡していたから、目新しいものがあったのかなと思ったんだ。やっぱり、元の世界とは違うのかい?」

「そうですね。違います、すごく」皆がアイリスに注目する。とりわけシシーは、瞳に星すらも飛ばしているようだった。未知を知ることが非常に好きな性分らしい。好感の持てる姿勢だった。

 話題には事欠かなかった。

 目を凝らさずとも脆いはずのガラスが壁のほぼ全域を覆っていること、凝らせばこの空間を作り上げているオブジェクトの材質に至るまで、アイリスにとっては未知の技術の集積だ。そんなことをつらつらと。

「目を開けばそれだけで知らないものが見つかります」

 強いて言うならとアイリスは窓の外へと視線を移した。皆もつられるようにして首をひねる。

「ここから見える景色だけが、私の世界と同じです」

 自分の知らない技術で栄える町並みも、少し離れたこの図書館からは、詳細が潰れている。

 それは、自分が城から見下ろしたときの、城下町の姿とほとんど変わりはしなかった。

 ——違うか。

 今は視界の端に城が映り込んでいる。視点が入れ替わっている。

 これは、過去と現在を明確に区別する印のように感じられた。

 シシーがまたも表情を強張らせたことに、アイリスは気づいていない。


「言っておかなければいけないことがあった」

 口に含んでいたフォークをアイリスに向けるブック。すぐさまアルマのお叱りが飛び、いそいそとテーブルに置いて居住まいを正していた。

「君が家に帰るため、ヴィネルマは時系統魔術の探索にリソースの多くを割くことにしたよ。今まであるかどうかも定かではなかった時系統だけど、証拠が出てきたからね、これからの探索は速度が増すと思う」

 アルマの目に居心地悪そうにしながらブックは現状を伝えてくれた。その朗報にアイリスは頭を下げつつも、内心うまくいくかどうか首をひねっている。

「ということは、またあの遺跡に?」

 『時の子』の魔術書は、アイリスと入れ替わりに消えてしまった。シシーたちは遺跡の仕掛けが発動してしまったからと言っていたが、同時に遺跡が魔術書の保管庫であるとも言っていた。保管庫が自らに保管されたものを消滅させたり紛失したりすることは|さすがに(、、、、)考えられず、再度探索というものを行えばあっさり見つかるかもしれない。他の時の魔術書を探すよりは現実的だろう。アイリスはそう考えて発言してみたが、

「いや、あそこの探索は打ち切るよ。今はもう何もないから」

 ブックに素気無く否定されてしまった。むっとなることはなかったが、疑問には思う。

「何故分かるのですか」

「うちの探索班は優秀だから」

 そのせいなのかその代わりなのか知らないけど、おかしな人ばっかり。なんて冗談交じりに肩を諌めるブックはいたずら好きの気がありそうだ。その最たる例がお前だなとガルドに皮肉を返されてもどこ吹く風。いやはや自分はおかしいだけだよ、優秀さで君たちに負けてるからね。と、皮肉に皮肉をかぶせる始末。

 アイリスへの返答も完全に誤魔化されていた。

 秘密、ということだろうか。

 アイリスはコハネをついと見る。秘密といえば、直前に拵えた鮮度抜群なものがあった。『天啓の折』で何かあることが分かるなら、なにもないことも分かるかもしれない。

 秘密を口走るという浅はかなことを毛頭するつもりはなかったが、アイリスの視線の変移だけでブックは十を知ったようだった。

「おや、もしかしてコハネのことを知ってるのかい」

 少なからずアイリスは動揺した。それだけの挙動で自分の意図を読まれたのかと。どれだけの観察眼を持っているのかと。この動揺も表に出るほどのものではなかったはずだが、珍しそうに口を尖らすブックは全てを見通しているようだった。

「なんとなく言ったほうがいいかな、だそうですよ」

 アルマとは違い、ブックは眉間を寄せて唸った。

「それはまた……珍しい。まぁ、アルマが言ってるだろうから端折るけど、それは秘密だからね。ここのメンバー以外には」

「はい、大丈夫です」

 コハネの力なんだと確信を得つつ、ほんとに秘密だからね、はいというやりとりを二度ほど繰り返して話は終わる。

「それと君がこちらに来た経歴も秘密に。理由はまぁ割と同じかな。こっちに関しては後々アルマに説明させるから」

 さっき叱られたことをもう忘れたのか、ブックはフォークをアルマに向けて彼女の怒りを買っていた。


「……おなかへった」

 アルマのお説教を聞きつつ料理はまだなのかと考え始めた頃、コハネが椅子の上で器用に膝を抱えて言った。それでアルマは止まる。あからさまにほっとした顔つきのブックにアイリスは少し笑ってしまった。

「そうですね。ワタクシ達も朝食を取りに行きましょうか」

「運ばれてくるわけではないのですね」

 いつもの習慣で、てっきり運ばれてくるのだと思い込んでいた。

「そりゃそうだ」

 声の方を向くと、フォークに刺さった肉の切れ端を口へと運ぶガルドがいる。丁寧に咀嚼して飲み込む姿は、すごく行儀が良かった。

 ちょっと意外だ。

「……なんだ?」

「いえ、なんでもないです」

 はははとブックが笑い声を上げた。

「まぁ、あれだよ。これだけ大勢の人に朝食を運んでくるにはどれだけの時間、または給仕の人が必要になるかって話なんだよね。それに、自分で好きな料理を持ってくるというのも楽しいものだよ」

 ほら、アルマが案内してくれるから行っておいで。そういってブックはアイリスを立たせた。

 アルマとコハネはもう席を離れていて、アイリスを待っている。

「あ」

 不意に思い出したことがあった。部屋のカレンダーを見た時に聞こうと思ったことだ。

「今日って、何月何日でしょうか」

四月よのつきの二十一だね。そういえば、君がこっちに来た日は向こうの世界でいつのことだったのかな?」

「……四月よのつきの二十のはずです」

「自分たちとの間に時差があるわけではなさそうだね」

 アイリスは少し言葉に詰まってから、そうですねと言った。コハネをのぞいた皆の顔に影が差す。

「どうかしたのかい?」

 アイリスはなるべく平常に見えるように意識しながら、

「ここは同じなのかと思っただけです」

 と、嘘をついた。

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