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原書の罪  作者: 玉之浦椿
起ノ章
4/19

/2-2

       ◇

 


 日が傾き始めて、木漏れ日に淡い橙が混じり始めた。昨日か今朝に雨でも降ったのか、地面に群青する葉の窪みでは水玉が瞬いている。慣らされたことのない柔らかな地面を一歩一歩踏みしめるたびにスカートの端や靴下が少しずつ濡れていくけれど、悪い気はしなかった。

 長話は難だとアルマが言い、アイリスはヴィネルマ図書館へと案内されていた。傷を痛がりながらも、シシーはアイリスの目の前を自力で歩いている。時々ふらりと体が傾くが、その度にガルドが体を支えている。

 左手にそびえる遺跡は同じ景観を続かせて、時々に優美な曲線を描く土台柱が蔦の浮き上がりによって存在を主張している。

「そういえば、確か先ほど私のことを時の子などと呼んでいたように聞こえましたが」

 寝ぼけた頭でも記憶に留めてしまうくらいには、出会い頭のあの一言は特殊だった。

 ——時の子。

 時間に関することだと容易に推察できるが、一方で自分がそう呼ばれたことにいまいちピンとこないと、アイリスはスカートの端を持って雑草を跨ぎながら聞いた。

「あぁ、そうだな。軽く説明しないといけないか」

 アイリスが跨ぐには難しい低木などは、前方を歩くガルドが事前に折るなり除けるなりして処理されている。細かい気配りを先程からガルドはしていた。アイリスが思う以上にガルドは紳士だった。

「さっき俺達が魔術書を探していると言っていたのは覚えてるか」

「えぇ」

「魔術書というのは過去の遺物だ。今の俺達には想像もつかない叡智がその中に収められている」

 こんこんとガルドが背中の本を叩いた。さっきまでシシーが持っていた魔術書だ。背中を怪我したシシーの代わりにガルドが背負っていた。人が持つものだとは思えないそれも、魔術書だと言われれば不思議と納得できる気がする。あの中に魔法の呪文が、と考えた所で二人がさっきから言葉を使い分けていることに気がついた。

「魔術……遺跡でシシーが見せてくれたのは魔法ですよね」

「そうだよ?」

 シシーはそれだけ言って首を傾げた。一瞬の間が開いて、質問の意図を汲み取ってくれたのはアルマだった。

「魔術というのは魔を扱うすべという意味合いだけではないんですよ。アイリスさん」

 魔術書と言うのは魔法や技術またはその混成という意味での魔術について、その知識の集まりを目に見える形にしたものだとアルマは続ける。魔術というのはそれらをまとめて表す言葉だった。

「魔術書は何処にでも転がっているわけじゃない。例えばの話だ」ガルドは右手に広がる森を示す。「森の中には妖精達が住んでいて、彼らの住処に魔術書が隠されていたなんてことをのたまう奴がいたとする。こいつの顛末はどうなるか。どっとかふっとかは場合によるだろうが、どちらにせよ大衆の一笑を買うだけだ」

 じゃぁ、何処にあるか。

 次いでガルドは森を指していた指を反対側へと倒した。

 遺された跡と書く割に、劣化の欠片も見られない建造物。毎日隅々まで手入れがされているようなというよりは、それこそここにあるもの全てが毎日新しいものに交換されているように感じられるほどに時の流れを感じさせない空間。

「遺跡ですね」

「そうだ。俺らはここを遺跡と呼んでいるが、つまりは魔術書の保管庫だ。魔術書は今のところ遺跡の中、幾重に施された仕掛けを解いた先にのみ存在する……とされている。遺跡以外で魔術書が発見された事例は聞いたことがないからな」

「なるほど」

 途中、意味深に区切られた空白にガルドの考えを覗こうとしたアイリスだったが、今自分の持つ知識がその暗がりを照らせるほどの明るさを伴っていないことを明確に知るだけに留まった。浅く推察するならば、反例がこの先現れる可能性が多いにあるか、そも反例に片足を踏み込んだ事象が起きているか、その程度の私見が頭の片隅に残る。

 ところで、ガルドはこうやって例えや身振り、質問を交えて説明してくれる。話題が話題だからこそというのもあるけれど、お城で作法や歴史を教わっている時よりもよっぽど興味を引くレクチャーだ。「でも、なんというか」考えれば考える程。

「その例えは似合いませんね」

「ほっとけ」

 シシーが隣で吹き出した。背中を気にしつつもあまりに大袈裟に大笑いしているものだから、結局ガルドの拳がシシーの額を捉えていた。何となく、ガルドの素を垣間見た気がする。


「まぁ、詳しい話は後々アルマにでも聞くんだな。魔術の根幹はアルマが一番熟知している」

「根幹なんて知り得てませんよ。人より少し深いだけです」

 頭を抑えてうずくまろうとして、背中の痛みによくわからない格好で硬直したシシーがアルマに介抱されている。そんな彼に魔術書を手渡して、ガルドは本を開くよう指示した。

 あの大きさだ、さぞかし重いだろう。そう考えるアイリスの目の前でシシーはむしろ軽やかに本を取る。アイリスが重くないのかと聞くと、それどころか片手で持ちあげてみせた。

 本の表紙がアイリスの方を向く。

「題名がない」

 綺麗に飾られた題枠が、綺麗に空白を抱えていた。

「だから僕達もこの本の真題を知らないの」

 たぶん『知識』『守』辺りが含まれてそうなんだけどね〜なんていまいち意味のわからないことを言いながら、シシーは本を開いた。端の方に印字された8192という数字が目に入る。

 8192ページ。どれだけ紙が薄くても、千ページも束ねれば十分分厚い本になる。シシーの持つ魔術書は大きく見積もってもその二倍程の厚さしかなかった。しかもシシーはちょうど本の中ほどを開いている。おおまかに計算して一万四千。あるいはそれ以上のページはきっと魔法で消えたのだ。

 ならもっと小さくすれば良かったのにと、アイリスは著者だか発明者だかわからない魔術書の生みの親に思いを飛ばした。

「これ読める?」

 シシーの指先に示された言葉。

 "Chronopaidia"

「クロノパイディア?」

 読めるが意味が分からなかった。

「そうそう。これがこの遺跡の名前。意味はね〜」

 時の子って言うんだ。シシーが指差すその次の行から、アイリスはページいっぱいに書かれた説明文を見て取った。確かに、時の子を冠すると一文に綴られている。

「私が時の子と呼ばれたのは、私があそこに現れたから?」

「正確には触れた瞬間に消え去った魔術書クロノパイディアと入れ替わるようにアイリスが現れたからだ」

「うんうん」

「私が時の子の代わりに」

 だからシシーが自分のことをそう呼んだ。アイリスは自分自身に問うように小さく呟いた。確かに、それならシシーの第一声があれだったのも頷ける。彼らからしてみれば、魔術書が姿を変えたようなものだったのだろう。

「でも、私はただの人よ」

 ここに来る前に神から啓示を受けたわけでもない。

「だろうなとは思う。だが、それだけにしては状況が少し特殊だ」

「特殊、と言うよりは唯一なのだと先ほど聞いた覚えがあるのだけど」

 唯一、時を越えた人間。

「唯一なのはアイリスの置かれている状況だ。そこに目をつぶれば俺らは殆どいつも通りとすら言える。いや、遺跡はというべきか。魔術書を取ろうとして遺跡の仕掛けが発動してしまった。他の遺跡と変わらない」

 表情がほとんど変わらないガルドにしては、非常に悔しそうに眉をゆがめている。

「そう。ならば特殊というのはその仕掛けにでも関わることなのでしょうね」

「察しがいいね〜」

 胡座をしたその足首を掴んで、シシーは大きく身を乗り出した。楽しさ半分、驚き半分。そんな感情が透けて見える瞳が、顔にかかる若草色の髪から覗く。

「ちゃんと確認して、もう仕掛けは残ってないと思ってたんだけどね。いざ魔術書ゲット〜って手を触れたら、それはもう目が潰れるんじゃないかって光が襲ってきてね。さすがにあの時はもうダメかと思ったよ」

 動詞が出てくるたびに、その動作をぎこちなく実演するシシー。けれどそこで動きが止まった。言葉が途切れたからだ。少し待ってもシシーは何も喋らない。言い切ったような、満足そうな表情を浮かべている。

「……え? で、何が特殊なのよ」

 シシーは首を傾げて、何かに思い至ったように両手を打ち鳴らした。

 そして、

「僕たち、まだ生きてるからね」

 あっけらかんと、言ってのけた。



       ◇



 ヴィネルマへの道を謀られているのではひしひし感じ始めた頃、一続きだと思われた壁の一部が唐突に途切れた。二つの部屋をつなぐ通路に当たる部分のようで、上から見てコの字にへこんでいる。日が当たらず、遺跡本来の色がむき出しになっているこの空間には、何かがあった。

 黒と白。劣化の見られない遺跡よりもことさらに異様だった。宵闇にまぎれてしまいそうな漆黒の物体は、ひたすらに研がれた剣を彷彿とさせる。対して、影が意志を持って触れるのを拒否しているのかと思えるほどの純白の物体は、流れる雲を思い起こさせた。

 どこか真逆な印象を与える二つに共通していることといえば、側面から飛び出した取っ手のようなものと革のような材質で出来た腰掛けがあることだろう。前後に車輪をつければ多少なりとも乗り物の体裁はとれそうだけれども、車輪は見当たらない。代わりに、まとわりついた蛇のように青白い線を纏う球体があった。

 それらが自重に倒れることなく整然となんでいるのは、左右にのびたつっかえ棒が両側から支えているからだ。あまりの細さに一瞬でひしゃげてしまいそうなのに、二つの足はしっかりと本体を空中にとどめていた。

 アイリスの世界では見たことのない形だった。どうやって使うのだろうか。

 この中途半端に乗り物の形をしたものの使い方を想像していたアイリスの前で、答えはすぐに出た。

「光天起動」シシーの声と、

「霄劔起動」ガルドの声。

 触れてもいないのに、かすれた金属音を立ててつっかえ棒が本体へとたたまれた。二つの物体——”ひかるかみ”と”よいはや”と呼ばれたそれらがほんの少しのあいだ、惰性に身を任せてその場に静止する。そのまま下向きの加速を伴って物体が動き始めた時だった、球体がひときわ強い光を放った。今まで一本だった線がすぐに数えきれないほどになる。

 短い時間に球体の表面のほとんどを占めた青白い光だったが、力が抜けるかのようにその大半を消失させた。落下が止まったのとどっちが早かっただろうか。

 そのまま左右どちらかに倒れるかと思って見ていれば、二つとも礼儀正しく直立したまま動かない。どころか、地面とそれらの間にはいくらか距離が開いていた。

 明らかに浮いている。

「魔導二輪。遺跡の中で空を飛べる呪文がどうとかと言ってただろう? 呪文という訳ではないが、飛行するための魔術だ」

 アルマが作ったんだと説明されて、アイリスは目を見張った。

「擬似的な飛行術式へのアプローチですけどね」

 アルマのよくわからない謙遜を端にこうやって実物を見ていても、やっぱりどこか夢みたいで、ふとした拍子に飛び起きてみれば、そこはかわらず自分の部屋なのではなかろうか。アイリスはそう思った。

「シシー様、帰りはワタクシが光天を運転させていただきますね。その傷で運転は無理があるでしょう」

 アルマが向かったのは白い方の魔導二輪だった。光天の隣まで行って、そこで立ち止まっている。

 ガルドが霄劔へと跨がり、背負われていたシシーがずるずると腰掛けまで降りてくると、アルマも光天へと手をかけた。

「アイリスさんはこちらへ。ワタクシの後ろに乗ってくださいな」

 促されるまま、私もアルマの後ろに乗り込む。固そうに見えた革の腰掛けは、意外にも座り心地がよかった。

「それじゃぁ、先に行ってるよ〜」

 語尾をか細くさせながら、黒い機体が空へと上っていく。目で追う先で霄劔は遺跡の陰に隠れて見えなくなった。では、と光天が後を追い始める。

 地面から足が離れたとたんに感じる不安。

「何か体を固定するようなものはないのですか?」

 このままじゃ、ちょっとバランスを崩しただけで落ちてしまう。

「魔術的な拘束が緩衝装置や安全装置のほとんどを担っていますので、そういったものは付いていません。……貴方は魔術のない世界から来たのですよね。すいません、失念していました」

 言葉の意味は分かりますかと問われて、アイリスははいと答えた。言葉の意味自体は何となく推察できる。けれど、安心できるかと聞かれてもうなずくことは出来ないだろう。

 すでに地面からはかなりの距離が開いていた。落ちたら無傷ではすむはずのない距離だ。

「大丈夫だよ〜」

 どこからともなく、シシーの声が聞こえてくる。

「馬車とかよりよっぽど安全に出来てるから。逆さになっても落ちたりしないし、事故を起こしたことないからはっきりとは分からないけど、何かにぶつかったりしても向こうだけが壊れるんじゃないかな? ね、アルマ?」

 長く聞いていたからわかったのだが、この音声は光天から発せられていた。けれど、耳を澄ましてみても音源がどこにあるのかあやふやだ。

「もうそんなことはありませんよ。緩衝装置を改良しましたので、衝突してもお互い被害はほとんどありません。精神的に怖かったと思うくらいでしょうか」

 そのとき、アイリスの視界が大きく開けた。遺跡の屋根を越えたのだ。

 また別世界に来てしまったのではと思った。

 褪せた土煉瓦色の巨大な城。その周りを囲む統一された城下町——そう見えたのは一瞬で、どの建物も渡り廊下でひとつに接続されていた。きっと、これで一つの建物なのだ。橙水晶だいだいずいしょうのような空の下にどっしりと構えた姿は厳かを通り越して神々しくすら見えた。

 大地を覆い尽くしている森は城の防人で、その城を中心に据えて円状に連なる鋭い山脈はあたかも自然の城壁のよう。こんなところ、普通は人など入り込める隙などなさそうなものだが、この魔術は隙などと言わず、大空を抜けてくるのだ。これはもう便利だと言える段階を軽く超えている。

 シシー達はそこまで遠くないところに静止していた。道理に反して、上下さかしまに。シシーが両手を振っている。頭から落ちていくこともなかった。

「ガルド様。ワタクシたちはゆっくりと飛んでいくことにしますので、先にお帰りくださいな」

 短い返事が響いて、霄劔が動き出す。

 そう見えたときにはすでに、二人の姿は手のひらに隠せてしまうくらいにまで小さくなっていた。

 何もしゃべらずにその後ろ姿を眺め続けていたからだろう。アルマが苦笑まじりに口を開いた。

「ワタシたちは安全運転で行きましょうね」

「……はい、お願いします」

 本心からだった。



       /



 お風呂はそこまで好きじゃない。今は一ページでも多く続きが読みたいのに、ガルもブックも風呂場では読むものじゃないと言って僕の本を取っていってしまった。別にいいじゃないか、濡れても大丈夫なんだから。

 シシー・ノーレッジは、長い髪をガルドが洗うのに任せて、ぶすっと不貞腐れていた。豪快な洗い方に、時々首があらぬ方向に曲がりそうになるが、そんなことは気にならない。むしろ今は背中を怪我しているから、いつもよりもやさしかった。ただ違うのは、手元に本がないということだけ。遺跡を攻略するのは大好きだけど、攻略した後のお風呂ほど嫌なものはなかった。いつもいつも本を取り上げられるから。早く出たい、早く出たいと思うたび、シシーの機嫌は悪くなっていった。

 ガルドはそんなシシーの様子を気にすることもなく、少しずつ髪についた泡を流していく。一通り流し終わって綺麗になった頭を一回だけ軽くたたいて、ガルドは湯船に向かった。

 怒られてしまった。

 両手でぶたれたところを押さえて、シシーは素直に後を追った。

 張られたお湯に足を浸して、いつも通りの熱さに出した足を引っ込めた。毎回思うけど、こんなのに入ってたら、汗でまた体が汚れるじゃないか。そんな自己矛盾を含んだ場所で、とりわけ深いところに腰を下ろしてくつろいでいるガルド。なんで我慢できるのか、全然分からない。

 シシーは石で出来た浴槽の縁に座っていた。怪我のせいで自分は湯船にはつかれないからだ。

 背中を怪我してよかったことと言えばこれくらいだろう。

 人二人の入浴にしてはあまりに大きすぎる浴場は、もわもわと湯気が充満していて、どこからか水滴の落ちる音が聞こえてくる。

 ガルドは落ち着くと言ってこの雰囲気を好むけど、僕は怖かった。おばけでも出てきそうってのもあるけど、どちらかというと水滴が落ちるたびに何かが自分から消えていくような気がして、そのうち自分が自分じゃなくなってしまう気がするんだ。

「なぁ」

 こっちを見ずにガルドが言う。声色はどこか固かった。

「アイリスがどこから来たかって話をしたろ?」

 クロノパイディア遺跡での会話だ。いろんなことが一気に起きたせいで頭の隅におきっぱなしだった。

「そのときにお前、ちょっと先の未来から来たのかもしれないと言っていただろう。どういう意味だ?」

 そんなことも言ったなぁとシシーは呟いた。あの遺跡には時の魔術書が保管されているのは分かっていたから、そんな話になったんだ。魔術書の効果でどこかから飛ばされてきたんだと。

 遺跡を攻略して、さて目の前の魔術書に手を触れたとたんに、部屋が光の奔流に飲み込まれて、それはなくなってしまった。かわりに、彼女が地に横たわっていたのだ。

 透き通るような銀の髪。黒一辺倒のどこか物悲しい雰囲気をたたえるドレスとそれに包まれた清らかな白肌。

 何よりも、アイリスの顔は昔のアルマに限りなく似ていた。

「変だと思わなかった?」

 ガルドが困ったように顔を歪めた。

「あいつがここに来たことか?」

「それは魔術書のせいでしょ〜。……ん〜、じゃあ問題。アイリスの住んでいた国の名前は?」

「イリール国だろう?」

「正解〜。じゃあ、なんで僕たちはそのことを知っているのでしょう」

「あいつが話してくれたからだろうが」

 ガルドは最後の問いだけかなりの時間を空けてから答えた。考えて考えて、結局それしか思いつかなかったのだろう。正解だ。それ以外の答えがあるはずもない。

「あたりまえだよね〜。だって僕たち、アイリスの話を聞くまで|知らなかった(、、、、、、)んだから」

「……小さな国だったとか」

「口ぶりからは大国だったみたいだよ。知らない人はいないくらいの。僕たちがアイリスにヴィネルマから来たって言った時と様子が一緒だったでしょ?」

 そんな国が、歴史書に載っていないのだ。これでも、ヴィネルマにある何百とある歴史書をひも解いている。

 人類が文字を生み出してからの歩みはすべて網羅しているつもりだ。

「考えられるとすれば、歴史書が存在しないか」

 そもそも、国自体が存在しないかのどっちかしかないじゃないか。

「大国で、しかも文字も普及していた。魔術書を見せた時、アイリスは文字を読んでいたからね。なのに国の偉業や功績、歴史が後世に伝わることなくひっそりと滅んでいく。考えられる〜?」

「だから、過去にそんな国はなかったと」

「そういうこと〜」

 難しい顔をしてうんうん呻いていたけど、ある程度の折り合いを自分の中で付けたのだろう、ガルドがシシーに向きなおった。

「なら、彼女が未来から来たとして、どうして近い未来なんて言ったんだ。別に遥か未来だとしても変わらないだろ。いや、むしろそうじゃないとおかしい」

「アイリスと会話出来たのは、言語体系が今の状態ですでに完成形として成り立っているからと考えて。それについては、遺跡の中でガルが言った言葉をそのまま言わせてもらうね。少なくとも百年前から人を飛ばすことなんてあり得るのか、だよ。ガル〜」

「……つまり?」

「無理に決まってるでしょ〜。この星の生き物全部集めたとしても生命片マナが足りなくなっちゃうよ。アルマ達が人一人浮かばせて移動させるためだけにどれだけ苦労してたかは僕よりガルの方が知ってるはずだよね?」

「そりゃそうだが、でも、ならなんで」


 ——彼女は魔術を知らないんだ——


「それだけじゃないよ。アイリスはヴィネルマも知らなかったからね。ここは僕たちが今いる文明の象徴だよ? 本だって何冊も出回って、今だって刷新され続けてる」

 さすがに肌寒くなってきて、シシーは近くに転がっている桶で風呂の湯をすくって軽く冷ましてから体に浴びせた。背中の傷は医療班がうまく治療してくれていて、少しヒリヒリする程度に留まっている。

「時間的隔たりで説明できそうもない状況だな。空間の隔絶を疑うレベルだぞ」

「うん、でも時の魔術書が引き起こした結果としてそれは相応しくない」風呂の縁から乗り出すように、シシーは姿勢を前に傾けた。「だからちょっと考えてみたよ」

「まず一つ目。アイリスがこっちに来る前に、魔術に関する記憶を改竄された」

 こうすれば、アイリスは魔術を知らない。

「精神異常者の出来上がりってか。大幅な記憶の改竄や消去がそいつの精神構造ゲシュタルトに大きなダメージをを与えることは忌まわしい過去が実証している。ヘタすれば廃人だぞ」

 特に魔術に関しては生まれた時から身近に存在していたもので、その記憶を改竄するということはつまり、大幅どころかほぼ全ての記憶に手を加える事と同義で、良くて精神乖離、ヘタをしなくても精神崩壊は免れない。

 出会い頭に流暢に自己紹介なんて行えるはずがなかった。

「二つ目。近い未来、魔術に関する事象、歴史が消滅する」

 こうすれば、アイリスは魔術を知らない。

「荒唐無稽だな、文明崩壊どころか世界崩壊でも起きるのか? この世界は」

「でも魔術がこの世界に現れたのも唐突(、、)だったって聞いてるよ? だったら消えるのも一瞬かもしれない」

「魔術書や遺跡が消えることは確かにあるかもしれない。ブラックボックスの底に自己崩壊の術式が刻まれていても。まぁ、納得はできるな、一応」

 だが、とガルドは強調した。

「結局一つ目と同じ問題を孕んでる。記憶はどうする。今の人間たちによって記された書物はどうする」

「だよねぇ〜」

 シシーはケラケラと笑った。言うだけ言って、指摘された問題点は既に自分の中で処理されているようだった。

「最後。実はほんとに『時の子』さんだったり」

「それこそお前の腑に落ちない考察だろ。アルマに調べるよう言っておきはするが」

「さすがガル。僕のことよく分かってる。結局、現状だと全くお話しにならないわけだね〜」

 それっきり黙りこくってしまったガルドは放っておいて、シシーは風呂から足を上げた。ひたひたと扉まで歩いていって、扉の前で髪を軽くはたいた。これをしないとガルドに怒られるのだ。

「あ、そうか。別に時の魔術が空間の隔絶を行う必要はないんだ」不意に、もう一つの方法を思いついた。

「アイリスやその周りの人たちが魔術から隔絶されたところで生活してたってのはどう?」

「……なんでそんなことをする必要がある」

「さぁ? 誰かが副作用でも見つけたんじゃない? 例えば、アルマの子孫とか」

 開いた扉から冷気が一気に流れ込んできて、シシーの体を震わせる。

「それはないな」同じくらい冷たい感情がシシーを後ろから襲った。

「絶対に、ない」振り返った先にいたのは、今まで見たことのないガルドだった。

 はじめは怒っているのかと思った。

 でも、言いつけを破って、しかもそれを隠そうとついた嘘がばれたときでも、こんな怒り方はしなかった。こんな……触れるだけで壊れそうな顔はしなかった。

 それからガルドは不気味なほどに態度を豹変させて、

「なんでそう考えたんだ?」

 穏やかに言った。

「え、えぇと」

 特に意味などなかったんだ。ぱっとした思いつき。

「アイリスがアルマにすごく似てたからってだけだよ」

「そうか」

 ざぱりとガルドがまた湯船の深い方へと向かう。それを見て、シシーはそそくさと風呂場を後にした。



       ◆



 本当に、これでいいのだろうか。

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