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原書の罪  作者: 玉之浦椿
承ノ章
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「見て見て、今度はナナフシ」

 そう言ってツバサが手のひらに乗せているのは、ペンのような体躯が紙よりも薄っぺらくなった胴体に、針のような六本の足と触覚を伸ばして揺れては止まり揺れては止まるを繰り返す昆虫の『影』。

「危ないから消して」

「ぼくたちが襲われることはないからヘーキだって」

「違うわ、影を引き連れた先で被影ひえい者に出くわすかもしれないからよ」

 もちろんいつ何時に自分たちが被影者にならないとも分からないのだから、楽観的に構えるだけの余裕を持ってはいないのだけど。

 ぽいっと気楽に放り投げられた『影』は放物線をなぞって草陰に紛れる手前、ツバサの短刀に霞と消された。終ぞ自分から動こうとはしなかったなとアイリスは思う。

 ツバサの手にかかればオノギス国外縁から中央への道程も立派なおもちゃ箱に変貌するようだ。三十分を掛けずアイリスは数十種にも及ぶ『影』を見せつけられていた。ツバサの『影』に対する鋭さはさるものながら、なるほど、最も『影』の発生率が高い国だというのも頷ける。

「シシーも標本箱みたいになってないで。ほら来て、取ってあげるから」

 ツバサのおもちゃにされていたシシーも自分の癖の強い長髪が『影』図鑑にされることにいっそ子供らしい面白さを感じていたようで、多少渋りながらもアイリスの言うとおりにする。

 ――その面影に幽鬼の影はない。途方に暮れているわけでもない。

 シシーは調子を取り戻しつつあったが、それでも迷子になったかのように呆けることが時折あり、その時はアイリスも思い出してしまうのだった。高度治療室に移され眠り続けるコハネを。

 ただそれもしばらくもしない内に静まるだろう。

「唯でさえ悪目立ちし始めているのだから、ここからはしっかりとしましょう」

 巷を騒がす魔道二輪の、さらには銘付きの『光天ひかるかみ』。ツバサの機体――『鐔黎つばくろ』と並んで晒す姿は純白の雲と青黒色のツバメのよう。

 光天ひかるかみはともかく、鐔黎つばくろもまたツバサの心の模型であることだろう。オノギス領空までのツバサの飛行は目に見えるほど遊び心に溢れ、言い換えれば何処までも無駄な軌跡を楽しんでいた。密な木々の合間をするすると駆け抜けるさまは機体の形状を合わせてまさしくツバメで、シシーの駆る光天ひかるかみではこのような曲芸飛行は出来ないとのことだからツバサの心の何を表すのかなどすぐさま察せた。

 操作性への特化。ツバサはヴィネルマで構築してきた人付き合いの立ち位置をそのまま空に置き換えている。

 知れて量産型魔道二輪までのオノギス国民にとってこれほど目を引くものはなかった。加えて『影』まみれの一団に誰が気を割かないことか。

 田園地帯を抜けて人気ひとけの増した街路に差し掛かれば自然、人は集まる。

 虫を象る『影』を若草色の髪から引き剥がしツバサの眼前に投擲するたび、ツバサの剣閃はそれらを漏れ無く捉えた。そこに新たな楽しさを見出したシシーが投擲頻度を三倍にまで引き上げて、興の乗ったツバサが曲芸を交える姿はそれはもう子供たちの歓声の的で、アイリスは粛々とした進行を早々に諦めた。

「外聞など気にせずとも良いと思うのだがね」

「何言ってるのよ、悪目立ち筆頭。地面を歩くな、上を向くな」

 フクロウのくせに囀りではなく言葉を介するマイレンにそっけなく棘を返して、アイリスは最後の『影』を投げ終える。その間に忌避感を露わにするオノギスの民はごく少数に留まり、その忌避感も大半は『影』に対してと言うよりは虫に対するものばかりだった。

 オノギスの民がここまで『影』を受け入れている理由――『影』について興味深いのは、ここオノギスがマドニア国の近隣諸国において『影』の最頻出の地でありながら『影』の被害が最も少ない土地でもあるというところだった。国家問題にまで発展しているマドニアに比べるまでもなく、オノギスから上る被害は小虫に引っかかれた程度のもの。たとえ毒虫を模した『影』であっても、その身に毒がないことが確認されているために、オノギスの『影』対策は鈍速を極めている。

 この事実に辿りつくために用いた『影』の統計、傾向を示した文書は公表されたものよりも一層詳しいヴィネルマ製。魔術監察班のみが閲覧可能な秘密情報シークレット・スタック。魔術監察班に配属されたアイリスがすぐさま行った情報検索で『影』被害者へ突撃をかけていたアイリスの一月半は無駄になっていた。

 『影』はやはり何者かの意思を感じさせるように分布と傾向が偏っている。

 そのくせ、何者かの生命片マナでは発現出来ないほどの範囲、数を誇ってもいる。

 文書を読めば誰しも思い至る不審点はアイリスを多分に不安に駆らせた。おおよそ、自分と関係が有ることなのだろうとアイリスは思っているからだ。


 というのも、『影』はアイリスがこの世界にやってきた瞬間から生まれ始めたからだった。理由など分かるはずもない。


 場違いに賑やかなアイリス達の向かう先、アイリスは意識せずとも多数の教会の側を歩いた。地面に膝をつき両手を組んで一心に祈る人々の姿をアイリスは窓越しの礼拝堂に見やる。魔術が叶えた不滅の炎を聖像の手のひらに満たして、教会は頭を垂れた人々の想いをその神炎で神へと捧げている。歩を止めず過ぎれば、教会のすぐ脇の公園では遊ぶ子どもたちに紛れて、また別の形姿で祈る集団もいる。それは魔法国家の特色を多分に反映した光景と言えた。

 魔法国家たらしめる魔法主義はアイリスが魔術に感じている源流不在の恐怖をそのまま神の畏怖に置き換えて論じている。宗教と相性が良い思想であることは間違いなく、オノギスは神の御身に抱かれた国と国民は口をそろえて言う。

「エルアノールには教会がないのでしょう? それだけでも二国がどれだけ仲が悪いのか分かるというものね」

 源流不在の恐怖を未知への不信とする思想――科学主義は神を否定する。科学国家エルアノールとの間に横たわる冷戦という不文律も勃発してしまった戦争も、思想対立の元、ある意味当たり前として歴史は語る。

「それなのにアイちゃんが派遣されるっていうね。わけ分かんない」

「信頼に足る人物だそうよ、私は」

 襟首の草臥れた白衣で病弱そうな青白い肌を包んで、ブックはアイリスにそう言っていた。

 曰く、自分の由来には裏がない。ヴィネルマを毒するこの世界の思想、利権、人脈、その他すべての要素について関わりがないと確信できる人材がどれだけ貴重であるか。

 ブックはこれからのアイリスの心変わりを観察することで、これを最大級の信頼とした。

 それがコハネに纏わる一連の事件にヴィネルマがしゃしゃり出るための、オノギスが提示した条件だった。

 一つ、事件に関与する一切の情報、特に魔術書に関わる発言、資料、行動をオノギス国上層とヴィネルマ上層との共有に留め、秘匿すること。

 二つ、オノギス国領内におけるオノギス国法の遵守を徹底すること、ただし捜査上やむなく必要となった破壊については事前申告を受け入れるだけの余裕をオノギス国は持っている。

 三つ、事件の解決のみを目的とすること。解決とは事件実行犯の特定、捕縛である。

 それらでもって信頼とする。

「だからって、まだ鍛錬もまともに熟せないアイちゃんに渡す仕事かね。この国の陽気さに忘れかけるけど、ここ戦争中だからね」

「そういえばガルドも怒ってたね〜。アイリス、吐くまで鍛錬させられてたし」

 ぐっと詰まるアイリス。ツバサとシシーの言うことは正しい。正しいが、忘れたかったこともある。

「だからこそシシー・ノーレッジ、ツバサ・サブナハ、主ら両人が護衛として派遣されている。しっかりと務めを果たすことだ。悪意は事前に私が発見するのだから簡単なことだろう」

「下着を覗いていなければ様になったというのに」

「それは異なことを、お嬢さん。私はただツバサ・サブナハの顔を伺っただけだというのに」

 ツバサの足元をわざわざ歩いて付いて行くフクロウの言葉など無視する。アイリスは両の翼で忙しなくバランスを取るマイレンをひょいと持ち上げ、そのままシシーへと押し付けた。自由にさせていればこちらの気が休まらない。けれど、自分で抱えているのも癪に障る。マイレンの体温にぶーたれるシシーには尊い犠牲になってもらおうとアイリスは心に決めた。

 質素な統一感を醸す石造の町並みは、自然との見事な一体化を見せた風景から緻密な装飾煉瓦に彩られた職人の造景へとなめらかに移ろい、噴水広場に差し掛かる頃にはその豪奢を極めた。

 噴水は球体を鷲掴む猛禽の彫刻を頂上に此処から先がオノギス城であることを誇るようにある。城門は威風堂々として、赤塗装の両開きの鉄扉の開けた先にオノギス城を望む事ができた。

 金刺繍で晴れやかなベルベット生地の軍服を纏ったおおよそ軍将と呼べる者が城門の内から現れるのを噴水越しに確認して、アイリスはさっと自分の襟元を整える。ヴィネルマの司書服をより格調高くした服装は、アイリスの苦手とするスカートの丈の短さが緩和されよりドレスとしての意味合いを強くし、羽織るベストの左胸に刻まれたヴィネルマの紋様がヴィネルマの立場を補強する。

 同様のドレスコードに則ったシシーとツバサにも身嗜みを整えるよう注意し――特に、動き回っていたツバサに寄れたシャツをしっかりと直させ、アイリスはさっと自分の前髪を払う。両のこめかみを指で二度叩いたアイリスは微笑んだ。

 上辺を貼り付けるための動作ルーチンを久々に行ったアイリスは、自分の表情が柔らかく固定されていることを確かめてオノギス城へと臨む。

少々周りが立て込んでいるため、一週間を目処に次話を投稿しようと思いますが大幅に遅れる可能性が高いです。申し訳ありません。

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