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原書の罪  作者: 玉之浦椿
承ノ章
18/19

/0~1

プロットの圧縮を図った結果、二週間では足りませんでした。

次話は一週間後を予定しています。

   原初の罪 承の章



       /0



 繊月せんげつの薄光に照らされて、花の都が美しい。なまじ重なる月光花が天の川めいているために、天地の空に挟まれて、城市が幽玄を謡っている。額縁に四角く切り出すだけで、時代、文化の主義をまたいで万人の心を打つだろう。

 作品として取り上げるまでもなく、それそのものが建築と確立の空間芸術のようでもあった。

 空間芸術。つまりは、一瞬の美を永遠に残そうという気概が成せる技。これに属する全てのモノは自然の摂理に反逆しようと試みた人間に作られた。

 花の都は変わらず在る。咲き誇る花は動かない。生き物の声も聞こえない。今この一瞬こそが美しいのだと言うように、全てが頑なに停止している。

 まさしく、空間芸術だった。

 一方で、城内にうごめく者がいる。深度を打ち消す黒衣を纏って、床に何かを書き付けている。

 『黒』は笑った、謁見の間が異界に変貌していくその様に。記号と図形が空白を満たし、ついには巨大な魔法陣が出来上がる。その意味するところを彼らは知らない。『黒』を見つめる者達はそこに希望を見出せない。

 魔法陣の中心で彼らは結界に囚われていた。泣いて懇願する者や、肩を怒らせ怒鳴る者、老若男女が入り混じり危機から脱しようと必死だった。けれど『黒』は止まらない。結界は音を遮断して、『黒』の耳には届かない。

 立ち上がる『黒』は結界の囚人を視界に入れるも、その目は決して彼らを映していなかった。

 手にある魔術書が開かれて、『黒』は流れるように唱え始める。


  『素なる我はただ送ろう

   希望に生を託した者も

   絶望に死を覚えた者も

   すべてを等しく平等に


   そこに善意も悪意もなく

   おのれを苛む罪過もない

   無情な皇の命する通りに

   滔々変わる事なく延々と


   死者には天使に見えよう

   生者には悪魔に見えよう

   されども真は其処になく

   我は命を届ける送りびと

 

   虚空に響くは木鈴の音

   虚実を拉ぐは螺旋の円

   死生外れた哲学あれど

   思考せずして哲理なし』


 この広場のかなりに掛かる魔法陣が不吉な、不吉な黒い光を発すると、命を取り巻く環境は一変した。結界の中、絶望にまみれ、けれど生気の満ちた全ての顔が苦しみに歪んだ。頭、首、胸、腹。手の届かない内側から、命をゆうに焼きつくすほどの死がみりみりと器を割いているようで、皆が皆地獄を体現している。

 まず倒れたのは最年長らしき老人だった。落ち窪んだ眼窩で眼球が焦点を結ばず、小刻みに震えていたが、それもすぐに止まる。『黒』が狂った喜色で見下ろす中、他の者も老人を追うように次々とくずおれ重なった。

 彼らの頭上では白い靄が発散と収縮を繰り返しており、失った命の重さに比例するように、その身を少しずつ大きくしているようだ。最後まで耐え忍んでいた年少の子供たちが遂に生を手放すと、その白い靄は結界の上部に立ち昇り、寄り合い一つの球になった。『黒』の笑いが薄暗い空間に木霊し消えていく中で球体はより存在を強め、身を震わすと同時に割れる様に二等分され、それぞれが一回り小さな球体に変じた。

 大きさは人の頭ほど。綺麗だった球面が醜く泡立ち、内側から飛び出そうとするものを無理やり押さえつけている様に暫く身をくねらせていたが、遂には人の頭蓋に豪奢な羽が生え揃う外見に落ち着いた。その様を『黒』は満足気に眺めると何事かを口走る。

 それが合図になった。

 傅くように浮かぶ魔術が水を得た魚の如く中空を泳ぎ、結界や壁をないものとしてすり抜け消えた。使命を帯びて向かう先には数多の命が集まっている。

 二つの魔術の向かう先、月明かりに照らされて、花の都が美しかった。

 


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「お嬢さん、どうにも気分が悪そうだね」

 マイレンへの返事に、アイリスはもう頭をつかうことはない。無気力と諦観を肺から押し出せば、それだけで十分意思を発信できていた。それは、相手に少しの教養があれば話を即座に切り上げてそそくさと立ち退かせることの出来るほどのものだったが、それを彼は「生理でも来たのかね」とこの上なく下品な解釈をしくさって、付せてスカートの中に頭を突っ込んでこようとするものだからもう訳がわからない。人間の言語位相を適用してもいいのか、アイリスは判断しかねていた。

「その言動に垣間見える道徳性に比例してるのよ、私の気分は」

 マイレンの頭を押しやって彼をベッドから転がり落とし、アイリスはキルトで足元を完全に覆い隠した。

 激動の今日をどうにかこうにか乗り越えて、やっとのこと宿での休息を取ろうという時のマイレンの訪問ははっきり言って無礼極まる。『影』、そして『黒』の襲撃を事前に感知してくれた恩も、落ちきった砂時計の上部にしつこく張り付く砂粒ほどもありはしない。

「それならば、お嬢さんは今頃天国にも昇る気持ちのはずさ。比例係数が負に落ち込んだ理由は欲求不満かい?」

「人間社会の法を規範に行動するべき組織にいるとは思えないわね。檻のほうがお似合いよ」

「法そのものに道徳なんてものは無いと思うのだがね。そんなことよりも、お嬢さんに飼われるというのは、はてさて、どうしてこんなにも淫靡な音色を響かせるのかね」

 こういう遣り取りはこれ以前にも繰り返されており、アイリスとしてはもううんざりとするほど|これ(、、)との馬の合わなさを実感していた。そもそも顔合わせの際に自分の下着の色を公表された時点でこれはもう女の敵だった。

「あなたが部屋から出て行ってくれれば、私の気分も落ち着くのだけど」

「それは異な事。一般に私は人の、特には女性に対して非常に強い精神浄化作用をもたらす事を知っているよ。具体的には私の頭でも撫でてみればいい。私は抵抗しないよ、お嬢さん」

「私が抵抗するのよ」

 とは言いつつも、アイリスはそれが無理だということを知っている。なにせこれは監視役。アイリスがヴィネルマの機密を漏出させないか観察するためにブックから遣わされているのだから。

 ただせめてもう少しまともな者を寄越せなかったのかと、アイリスの恨み節は長くなるばかり。

 やれやれと、こちらの気を逆なでするような溜息を吐いてマイレンは音もなく木製の安楽椅子に移動すると、彫刻の施されたその背もたれで身を休ませ始める。

「仕方ないがこのままでは話も進まない。単刀直入に報告だけでも済ませよう」

 あたかもこちらに非があるような口ぶり。アイリスもまた溜息で流した。ここで口を挟んでまたしても無益な話が続いてしまってはたまらない。

「先の焼死体。どうやらオノギス国から失踪した二人の学者の片割れで間違い無いようだ。オノギス国からの正式な返答だ。本名、ノルムヤード・イルムッド。アロンド・シルドルフの失踪先はご存知の通りマドニア国だったわけだが、どうにもこの男は失踪してから死体が発見されるまでの間、人の目から終ぞ隠れおおせたらしい」

「何をやっていたのかしらね」

「何も出来はしなかったろう。なにせ『乱惑の知』が強奪された明日みょうじつに失踪したうえ、同日に死亡していたことが検死から発覚している。これで目星を付けた犯人役は全員退場してしまったわけだ。アロンド・シルドルフ、ノルムヤード・イルムッド、ドルイド・バハド。国をまたいだ三人の学者。この中に『黒』が存在しているのだと睨んでいたのだろう?」

「そんな言い方、するものではないわ」

「ふむ、お嬢さんに合わせたつもりだったのだがね」アイリスはぎくりと背筋を伸ばした。「事件を内心物語として捉えているのはそちらだろう、お嬢さん。私情なく客観視出来るという点には非常に有用かもしれんがね、感情移入してしまっては元の木阿弥だ」

 アイリスはマイレンのこういうところもたまらなく嫌いだった。マイレンの中では人間的な感情がどこまでも希釈されているように感じてしまう。それはなまじ言葉が通じてしまうからこそ強調された生物学的差異であるのかもしれないが、ならば言葉など介さずどこまでも動物的に振る舞ってもらえたほうがまだ気楽だった。

「もう寝るわ」

「エルアノールは寒暖差の激しい土地柄だ。六月ろのつきに入ったとはいえ夜は冷え込む。どうだろう、私を抱えて寝るというのは。ぬくもりは保証しよう」

「要らないわ。キルトで十分」

 マイレンに背を向ける形でアイリスはベッドに横たわった。生命片マナ灯の明かりを消すよう頼むと、暖色光が音もなく月明かりに移り変わる。窓枠の縁に置かれた鉢植えが斜光に照らされて、視界の端に青みがかった一輪の花が映り込む。月光花と言うらしい。夜にしか開くことのない大輪は薄く、透けた花脈と表面に産毛のように生え揃ったトライコームがキラキラと繊細に輝いている。

「花は好きだろうか」

「何よ、いきなり」

 自分の視線でも見られていたのかとアイリスは勘ぐるものの、マイレンの気配は先程から動いてなどいない。ただの偶然かはたまた動物的勘のようである。

「芸術はどうだろう」

「どっちも好きよ」

「ならば花の都に言ってみるといい。あそこは正しく芸術の地であるが故に」

 そうしてマイレンは沈黙した。意図を伺おうにも振り返った先には一羽のふくろうが膨らんだ羽毛の中で目を閉じているばかりで、質問する気も起きないアイリスはそのまま瞼を下ろした。

 体はひどく疲れを訴えるものの思考はまだまだ眠ることを許してくれず、瞼の裏で今日までの出来事が去来する。

 それらを無視することは逆に睡眠を阻害することをアイリスは知っていて、逆らわずアイリスは過去の一点から今までをゆっくりとなぞり始める。

 『黒』へと繋がる記憶を。アイリスはまだ三人の学者への疑いを捨て去ったわけではなかった。


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