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原書の罪  作者: 玉之浦椿
起ノ章
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 燃え盛る倉庫の前で、犯罪を見出したガルドはすぐさま捜索班を編成して痕跡を辿らせていたそうだが、土砂降りの雨は延焼を防ぐ代わりに、『黒』の残り香をことごとく消し去ってしまったようだった。『黒』の纏う黒衣は生命片の拡散を抑えるものだとコハネの記憶から結論付けられ、生命片探査は意味を成さないと早々に打ち切られた。泥濘に残る誰ともつかない足跡や目撃者を国警が今日まで追跡していたが、聞いた限り状況は好転しそうにない。

 その間ヴィネルマはというとマドニア、オノギス、エルアノール、その他周辺国に声明を届けていたようで、一般公開されている文書を要約すると『ヴィネルマ図書館所有物プロパティへの攻撃者捕縛に向けて、ヴィネルマの自国への捜査権認可またはヴィネルマへの積極的協力を要請する』といった具合で、情勢の荒れ具合と言ったらもう肌を見られた少女が国の威信をかけて、人、財、言葉のビンタを浴びせかけているようなもので、それをのらりくらりと躱しながら今日までに各国から消極的協力を取り付けているあたりにヴィネルマの強大さを再認識する。国を導く立場にいた自分からすれば同情を禁じ得ない状況だ。

 言い換えれば事件は未解決で、未来のコハネに罪悪感だけ押し付けて『黒』はのうのうとどこかしらに隠れおおせたということになる。

 アイリスのため息が、本の山へ掻き消えた。

「本当、この世界は謎ばかり」

 ぷらぷらと揺れるペン先がノートに何かを書きつけることもなく、ゆっくりと時間が過ぎていく。それは謎が多すぎて手が付けられないのではなく、アイリスなりに謎をリスト化し終えていたからだった。

 アイリスがこちらに来てから今までに体験した様々な出来事。それを受けて感じた数々の疑問や気づきがノートには整列している。最新の項目はもちろん、コハネ誘拐事件だった。

 業務時間が過ぎて司書達の引き払った図書区は、明かりが落とされてしまうため、アイリスは魔法、光の一単語(フォス)と月明かりを頼りに関連書籍の収集に努めていた。自分の持つ司書という肩書を用いれば、業務時間外の図書区利用も割と簡単に許可が降りた。代わりに、昼間は業務に従事し、時間が取れるのは日が落ちてからになっているわけだけど。

 この一ヶ月の間に定位置と化した勉強机にうずたかく積まれた書籍達は、リストされた謎を解くにはいまいち役に立たなそうだった。特に、『黒』については。

 新聞や魔術論文からひっかき集めてきた背景を元にアロンド・シルドルフの立場を考えてみるものの、若手ながら既存研究に強大な切り口を持ち込んだ優秀者として周りから評価されていたことが知れたくらいで、それを事件に、魔術書に、『黒』に結び付けられるだけの根拠がアイリスには少なすぎる。

 その彼が今際に言いかけた魔術書の題名は何なのか。

 『黒』は一体誰なのか。その目的は。

 そして何故『黒』は琥珀のお守りを持って行ったのか。

 ノートにまとめられた考えは根拠の無い独りよがりな考察ばかりで、アイリスがどう頭を捻ってもそれらが線と繋がることは現状ありそうにない。

 夜もかなり更けている。ペンが全く動かなくなって一体どれぐらいの時が経っただろう。

 それでもアイリスは考えることを辞めたくはなかった。

 図書の森に大扉の締まる音がする。開放時間外に図書区を利用する人はアイリスだけではない。アイリスは特に気にすることもなかったが、ちょうどいいとばかりにノートの項目を移した。

 ヴィネルマの空気に感化され、殆ど手を付けられなかった項目がある。コハネ誘拐事件以上に皆が口をつぐむ出来事。

 『魔術暴走』。それに連なる——

「あの事件……」

「こ〜もりちゃん、なにやってんの」

「ひっ」

 背後から不意を突く形で、ツバサが首に抱きついてきた。思考に没入していたこともあったが、この面白がる声色は、アイリスを脅かすために忍び足で近づいて来たのだと伝えている。今更のことではあるけれど、それでもアイリスは毎回のようにツバサの思惑に乗せられた。

「日記でも書いてる……わけじゃないね、これ。見てると頭痛を引き起こすタイプの何かだ」

 全く繕わない表情。アイリスと二人きりでいるときのみツバサが見せるようになったものだった。今は心底嫌そうな顔をしている。勉強よりも訓練だといつも机から逃げているツバサらしい表情。

「疑問点や気づいた点を書き留めてるだけじゃない」

 コハネの一件でツバサはより一層甘えるようになっていた。もちろん、アイリスに対してのみのこと。コハネとツバサは双子の十四歳で、こちらのほうが自然だとアイリスは思う。

 手元の時計は夜中の十二時をとうにまわり、そうなると事件からちょうど一週間。慌ただしかったヴィネルマも、多少なりとも落ち着きを取り戻してきている。事件当時あそこまで取り乱したアルマ達はちょくちょくと話ができるまでに回復し、一転したアイリスの日常も少しは軌道に戻りそうだった。

「そんなもの、他人から見ればただの頭痛の種でしょ」

「方向性が同じなら宝になりえると思うのだけれど」

 絶対、そうは見れないのだろうなと分かりきってはいたが、アイリスはあえて言ってみた。果たして、ツバサはこの点について心の内でアイリスとの線引を終えたとばかりに、

「なるほど、これが複雑系魔法を使える人とそうじゃない人の違いか」

 と、おちゃらけて話を流しつつ近場にあったソファに歩いていった。

 何の話とアイリスが聞いてもこっちの話と取り合わず、ソファの背もたれに体の前面を押し付けてツバサがソファ越しにこちらを指差す。先は机の上に置かれた『蝶の黙示』だった。

「アイちゃんは『蝶の黙示』、どこまで読み進んだの」

「一通りは。でも使えないところを見るにまだ細かい点で理解には遠いみたい。もう少しで分かりそうな気もするんだけどね」

 魔術は理解しなければ使えない。緊急処置室でブックに言ったことは、『蝶の黙示』を借り受ける時アルマに言われたことそのままだった。

「使えてたりしたら、アルマが瞠目したかも」

 でもそんなことは無いんだろうなぁ、みてみたいなぁ。と言うツバサにアイリスは同意した。

 ないない。母の時からそんなことはなかった。

 でも、『蝶の黙示』を使えていたらそんなに驚くところなのだろうか。

「それ、中級者が上級への足がかりに使う魔術書だってシィちゃんが言ってたよ。複雑系魔術の第一歩。少なくとも魔法の魔の字も知らない人が渡されるもんじゃないと思うんだけど。ま、分かるかもしれないとか言えちゃう辺りアルマ寄りなんだろうね」

 アイリスが口にだす前にツバサは答えた。

 だからか、とアイリスの独り事。『蝶の黙示』は一節の理解に必要な前提知識が膨大だ。一つの疑問を一冊の本、一回の解説で拭えることは稀で、そこで生まれた疑問を解消するためにまた一冊と、より深く再帰していかなければいけない。

 入門書は辞書を片手に数回アルマから助言を貰うだけで理解出来たのだから、差は歴然だった。

「それじゃぁ、シシーもこれ使えるのかしら」

 探索班は遺跡探索以外は割と暇なのだそうだ。図書班仲間が先日文句をたれていた。

 その空き時間の全てをシシーは読書に費やしている。造詣ぞうけいの深さは自分の比ではない。

「うんにゃ」けれど、アイリスの予想は裏切られた。「シィちゃんはぼくと同じく初級より上は使えないから。知識欲の塊みたいなシィちゃんだけど、理解する気は無いみたい。ただ知りたいだけなんじゃないかなぁ」

「あまり信じたくないわね」

 |水の一単語(Nero)を見せてくれたことはある。出会いの時、魔法という夢物語が現実であることを眼前につきつけられた時に。

 確かにシシーが魔法を使っていたのはその一回こっきりで、以降は無題の魔術書に生命片マナ送り込むことで発動する結界を使いこなしているだけだった。

 それだって、理解しなければいけない類のものではない。シシーの魔術書はツバサのナイフと同等の発動手法に則っている。

 魔法は理解しないと使えない道具だが、魔術の施された道具は使い方さえ知っていれば使えるものだ。道具の型にはまるため応用性や発展性は著しく下がるが、機能十分なら不満が出るはずもなく、機能不十分になったらその都度買えばいいのだからわざわざ努力しなくてもと考える人が多くなるのも頷ける。

 けれどどうにも、シシーは違う気がして止まない。彼が質問に答えてくれる時、その説明は深いところを理解している者にしか持ち得ない分かりやすさとほつれのなさがあった。わかりやすさはアルマが、ほつれのなさはブックがそれぞれ凌駕してはいるが、両方を高水準に収めるシシーはやはり、ちゃんと内容を理解しているのではと勘ぐってしまう。

「にしても、たっくさん書き込んでるなぁ。探偵かよって感じ」

 音もなく隣に現れたツバサにアイリスは言った。

「気になるじゃない。それに、事件のもとを辿れば私がお守りを落としてしまったことが原因だもの。私に出来ることってこれぐらいしかないのよね」

 ただしこれはただの自己満足。なにもしないでいるのが嫌なアイリスが勝手に調べまわっているだけのこと。

「愛されてるねぇ、コハ姉は」

「あら、妬いてる?」

 ツバサがうん、なんて真正直に答えるものだから、アイリスは少し面食らった。それから悪戯心たっぷりに笑って、

「演技派のツバサも好きだけど、素直なツバサも好きよ」

「ちくしょう、お姉ちゃん面しやがって」

 悔しさのこもらない声色で言われた所で、むしろアイリスの姉願望が満たされるだけだった。

「ま、それは冗談として。実際のところなんでぼく達にこんな入れ込んでるわけ?」

 それが冗談かはさておいて。真面目な色で質問をされたからにはまじめに答えることにする。

「似てるのよ、あなたたちは。ツバサは行動が、コハネは境遇が他人ごととは思えない」

 上辺で人の前に立つツバサと秘密で人と遠ざかるコハネ。

 この世界に来る前の私とツバサは一緒。この世界に来た後の私とコハネは一緒。

 程度の差はあれど、アイリスだって大きな秘密を抱えている。それは時を越えたということ。知られれば未来や過去に干渉する魔術の足がかりとして襲われても文句は言えない。隠し通さなければいけない重大な秘密。自分をどうこうした所で何の役にも立たないけれど、出歩く時は常に誰かと、とブックに念を押されている。

 お姫様は上辺を繕うお仕事よと冗談めかして言ってみる。

「うへぇ。コハ姉はお姫様なんてものに憧れてるって言ってたけど、聞けば聞くだけ僕のお姫様像が暗くなってくよ」

「意外と向いてるかもしれないわよ、代わってみる?」

「いい、やってもし合ってるなんて分かったら、悲しくなる」

「私へのあてつけ?」

「いんや、おかえし」見飽きたとばかりに、ツバサが勝手にノートを閉じる。「入れ込むのもいいけど、好奇心は猫を殺すらしいから気をつけなよ。花は花らしく高嶺に咲き誇っていてもいいと思うんだ」

 それが忠告か皮肉かは分からない。けれど、どちらにせよアイリスはこう返した。

「気に留めておくわ。けど、私がそういう人間に見える?」

「見えない。むしろ厄介事に突っ込んで後悔するタイプ。それって元の世界からの反動なわけ?」

 すぐには否定も肯定も出来なかった。元からそうだった気もするし、そうでなかった気もする。如何せん、ツバサのように突っ込んだ質問をしてくれる人が居なかった。

 アイリスがうーんと首をひねる。

「わからないけれど、今の私を評価するに、お節介焼きって事は確かね」

 つまりはお姉ちゃん面したいという事。

 これは本心だと思う。

 ツバサはやれやれとでも言いたげだ。

「まぁいいや。僕としてはうれしいんだよ。目に隈まで作って、ここまでしてくれるなんて」

 馬鹿なんじゃないの? って思っちゃうくらい。

「だから言い渋ってる他の人達にかわって僕が教えてあげよう、感謝するがいい」

 ツバサの義父——マルタ・サブナハを真似た物言い。居住区に戻るつもりのようで、本棚の影で足を止め背中で語る。

「あの事件が起きたのは魔暦百年三月みのつきの一だよ。そこら辺引っ張って来ればいいんじゃないかな」アイリスのお礼の言葉に被せる形でツバサが続ける。「先に言っとくけど、僕、この事件のこと知らないから」

 内心をズバリと言い当てられた。その声色の固いこと固いこと。

「姉妹揃って記憶喪失ってな具合。その点を踏まえて覚悟して踏み込むこと」

 安易な詮索は後悔するぞと言っているようなものだった。


「あった」

 新聞の第一面ほぼ全てを覆う、大きな見出し。

 『十進教の異端、魔術暴走か道連れ自殺か』

 正直に、アイリスは躊躇していた。

 コハネとツバサの二人が揃って記憶を失うほどの凄惨な事件が、目の前の平面に収まっているのだ。薄っぺらいのに奥深い。静かに、静かに当時の社会を切り出した代物。

 読むだけで、対岸の火事では居られなくなる。

 もしかすればコハネ達の前に居た堪れなくなる。何故ならば、ちらりと目に入った単語が既に化け物じみていたからだった。

 大量強姦殺人。

 七年前の出来事だ。コハネたちは生まれてから二桁も生きていない。彼女らとこの化け物を一体どう結びつけようというのだろうか。

 ……いや、分かっている。アイリスは覚悟を決めた。知ってなお向き合うのがお姉ちゃんだと思うから。

 段組された文面はまるで狂気を孕む毒。淡々と事実を述べる言葉が、いっそう狂気の輪郭を浮き彫りにする。

 読み進めるうち、アイリスの心底に鬱積した暗黒が吹きすさぶ嵐の如くに手元口元を震わせた。それを抑えて読みきって、アイリスは——のろのろと片付けに取り掛かる。吐き気ばかりが主張して、ノートにまとめる気が一欠片ほども起きなかった。

 コハネの右腕が動かなかったのは、むしろ恵まれた結果だとアイリスは知った。命を拾ったうえ、五体が繋がっていることが奇跡だと、アイリスは悟った。自分の手足がバラバラにされていく苦痛や恐怖がどれほどのものかは想像を絶する。生き残ったサブナハ姉妹がその時どれだけの地獄を見つめていたのかも。

 最終的に犯人は裁かれることなく、町中で魔術を暴走させて死んでいる。

 性的暴行の末殺害された女性たち十四名、救出された女性二名——つまりはサブナハ姉妹。魔術暴走による死傷者八名。少なくとも二十四名が一人の男によって人生を壊された。

 配慮なのだろう、性的被害を受けた者たちの名前は伏せられている。一方で魔術暴走の被害者にその配慮のベールが掛けられることはなかった。そして、驚くべきことに、記事にはアイリスの目に留まる名前もいくつかあった。

 アルマ・カンパネルダ。ガルド・クォーツ。……そして、ノウィル・ノーレッジ。ソフィア・ノーレッジ。

 アルマとガルドは言わずもがな。ノーレッジ夫妻についてはシシーと関連を疑うなという方が難しい。さらに意外なことにメルシー・ゲットリッドの名前すらある。

 つまるところ、この世界のアイリスとちかしい関係にある者達の殆どがこの事件でもって強固に結ばれていた。誰も彼もこの事件を口にしたがらないのは当たり前の事だった。

 アルマの心的外傷もあるいはここに起因しているかもしれない。シシーの変貌だってもしかしたら……


 ——死にたくなったんだ。

 

 か細く震える涙声だった。

「あの時、死んだようなコハネを見て、死にたくなったんだ」

 なんでだろうと振り返るシシーにアイリスは首を振った。

 雨脚は離れ、寒さ白く肌を撫でるが、月が見えるというだけで景色はどこかほっと緩んでいるようだった。この空気。アイリスとシシーの間には一抹も混ざり込めない。

 精神安定剤を投与されて眠っていたと聞いていたけれど、どうやらかなり浅い眠りだったようだ。

 コハネの記憶を追体験して、自分のせいであるという思いの消えないアイリスはその夜あまりに寝付けなくて、仕方なく居住区から外に出たのだった。息を吸いたかった。

「自分ではわからないの?」

「分かってたらこんなことになってない」

 むっとくる言い方ではなくて、どうしようもなく途方に暮れた子供のそれ。一人見知らぬ場所に取り残されているようだった。けれど、これはまだ人が見せる表情。あの幽鬼のような表情ではない。それだけでアイリスはホッとしていた。

「そう」

 静かな、静かな時間があった。

 マドニアからの光淡く、夜空に散りばまれた星々の冷たさよ。

 アイリスはシシーとの視線を切って空を仰いでいた。

「私もどうしようもなく追いつめられてたわ、だってコハネが死んでしまうかもしれなかったんだもの。そう思っただけで、死ぬほど悲しかった」

 でも、死にたいとは思わなかった。と、視線は移ろってヴィネルマへ。

「コハネが生きていてくれた。それがわかった今になって感じるのは、コハネへの強い罪悪感と――怒り」

 『黒』に、『天啓の折』に、コハネに纏わりつく理不尽に。アイリスの手のひらが拳を成す。

 これらは星のようなものだ。怒りの矛先が見えるのに、届かない。特に、『天啓の折』は頭上にさんざ煌めく一等星だった。矛を投げようものなら鋭い放物線を描いて、親しい者に突き立ってしまう。

 コハネは『天啓の折』。彼女が母の腹に宿って夢を見ている時にそれは入り込み、そして同化してしまった。ヴィネルマにそれを取り分ける術はなく、だから彼女とそれは一心同体。

 『天啓の折』は集まる思いを全てコハネに流している。

 私にはどうしようもなかった。それがまた心をふつふつと熱してくるのだった。

「そうだね。そう考えるべき、だよね」

 なんでだろうとシシーはまたしても鬱ぎ込んだ。

「いいえ。この思いが正しいものかどうかは分からないわ」

 うつむくシシーの目を見るために、アイリスは少し屈まなくてはいけなかった。

「シシー」

「何?」

「シシーが遺跡探索班に所属している理由はある?」

 親しき者の危機にここまで耐性がないというのに、なぜ、遺跡探索という思考判断のミス一つが自身や仲間を死に追い込んでしまうことすらある職に就いているのだろう。

 今まで以上に泣きそうになりながら喉を詰まらすシシーは、どうにもそういう意識とは距離の離れた所に居たらしい。答えはすぐにでも分かりそうなものなのに。

「守りたいからじゃない?」

「え」

「シシーの魔導二輪——光天ひかるかみは何よりも恒常性に特化しているとアルマさんから聞いたわ」

 外的要因に左右されず機体と搭乗者のコンディションを保つ。その究極型は危機とは無縁の安全性の獲得だ。銘付き魔導二輪は心の模型。そして、光天の最大搭乗可能人数は魔導二輪において破格な三人だった。

「出来る限り沢山の仲間を安全に——自分の手で守りたいって気持ちの表れだと私は思うの」

 コハネへの思いだって、きっとその優しさの末にある。

「……うん、そう。そうかもしれない。……そうだったらいいな」

 問題はその思いが過剰すぎて、強迫観念にも似た働きを始めてしまっていることだろう。

「皆何かに怯えてる」

 シシーだけではなかった。アルマも、ブックも、そしてガルドとツバサもいくらか。強くなりすぎた心の働きに振り回されているようにアイリスは感じている。

「いつか教えてくれる?」

 コハネを例外として、結果には過程がある。いや、コハネだって時折理から外れることはあっても、傾向としては同様だろう。心だって過程の産物だ。シシーたちがこうある理由が、どこかにあるはずだった。

 傾向、感染、集団心理。自分だって熱に浮かされている。心が先立ってしまっている。

 聞くべき事柄ではなかった。シシーの焦点がアイリスから過去に飛んでは苦しげに震えだした時、アイリスは自分の浅慮を呪った。

 この問がシシーをまたしても一人ぼっちにしてしまった。

「分からない。だって、僕にも分からないから」

「……そっか。ごめんなさい」

 まだまだ自分たちの間には時間が足りない。そう思わせるに足るやりとりになってしまった。たかだか一月とちょっと顔を合わせた程度で覗ける闇ではなかったのだ。けれど、

「でも」と顔を上げたシシーが「分かったら教えるよ、うん」と弱々しくとも言ってくれて、シシーの中に私という存在が小さくともいるのだと感じられて、アイリスは嬉しくなった。

「ありがとう」

 アイリスの笑みに一瞬ほうけた顔をしたシシーはおやすみなさいと言ってそそくさと建物の中に戻っていく。

 一人夜風にさらされて暫く、鼻孔に残る空気は心地良い花の香りを教えてくれる。

 アイリスはやっと息が出来た気がした。



       ◇



「さあ、アイリス・フランロッド・イリール。時間を旅した他世界の子。君には二つの選択がある」

 医療棟最上階、館長室。ヴィネルマ図書館総責任者、通称ヴィネルマ館長ブック・スパインは両手を持ち上げた。ガルド、そして見かけたことのない顔ぶれが幾人かの立会いの元、アイリスは差し出された彼の両手を注視する。

 左手にはアイリスが今まで使用していた身分証明証がある。図書班の司書として時を超えるための魔術が発見されるまでヴィネルマの内側での仕事に従事する道がまず一つ。

 右手に乗っているカードも同じく身分証明書だった。違っているのはヴィネルマのロゴの隣に金地で小ぶりの新円が印刷されているくらいのもので、ただし、そんな小さな紋様一つでこれから進む道を大きくたがうことになる。

 魔術が人類を滅ぼすことがないように、魔術の流れを査察する。そんな大それたお題目を本気で掲げて、何故か実行できている組織の一員であることを小さな金の真円が証明する。

「どっちを選ぶかい」

「分かっているくせに」

 アイリスはブックの瞳を見やった。

 コハネへの罪滅ぼしをするにも、この世界で遭遇した謎を解決するにも、取りうる道は決まっている。

 ブックはこの一週間自分がどのように考えてきたか、どのように情報をまとめてきたか、その一切を聞くことなく選択を迫る腹積もりらしかった。彼にとって『なんとなく』の思考に引きづられていなければ、自分がどちらの道を選択するのか大方予想がついているだろうから、特におかしなことでもない。

 それならばこちらも何も言わずカードを受け取るだけだった。

 残ったカードを白衣のポケットに仕舞い込んで、ブックは一層笑みを強くした。

 そして、

「ようこそ、魔術監察班へ」

 と言った。



       起ノ章 真題『天刑の檻』 了

投稿が遅れて申し訳ありません。

これにて原初の罪、起ノ章完結になります。

次話から承ノ章に入るのですが、二週間ほど間を空けた後に投稿開始となります。

投稿速度に関してはその時に。


それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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