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贖罪の決断

「あれ、久保田くん?」

「……あぁ」

同じゼミの同級生の名前すら直ぐに思い出せない程、俺は大学に来ていなかったのかと自嘲した。黒髪ショートの女性、前髪はワンレンで長く伸ばしているこの人は……確か、そう。

「牧田さん」

牧田みすず。研究室でひとり、シャーレで何かを培養している最中のようだ。彼女の研究テーマが何かを知らないが、「人体実験」でないことは確かだ。この大学の……いや、俺がお世話になっている教授、「田原重理」の裏の顔を知るものくらいしか、真の研究を行えない。その点、榊さんは田原教授の「裏」の顔を知っていたのだ。長くこの大学に居るだけのことはあるが、それだけでは近づけない真理である。ただ、榊さんの「裏」の顔を知っている今では、何も不思議なことはない。

「何しに来たの? 久保田くん。研究は終わったって聞いたけど?」

「あぁ……うん。まぁ、終わったといえば終わったんだけど」

卒論に、「人体実験」なんて書ける訳がない。そこは適当に、もうひとつ別の名目を打ってある。

「田原教授。ゼミ、今日入ってたっけ?」

「そんなことも把握しないで、よく大学生活やっていけるね?」

クスクスっと牧田さんは笑っていた。嘘のない、今時の女の子の笑い顔だ。そんな「一般人」の彼女が、俺の傷の不自然さに気づくことはない。

「うん。不思議なことにね」

俺はタバコを蒸そうと、胸ポケットに手を伸ばした……そのときだった。

「久保田くん」

「おはようございます、教授」

答えたのは、牧田さんだ。俺はタバコをしまって、教授の方へと歩いて行った。

「久しいな」

「そうですね」

よそよそしい空気が流れる。白髪まじりの単髪に白衣姿。メガネをかけていて、背丈は俺よりやや低い。声も露骨に低い。

「私の研究室に来なさい」

「そのつもりです」

そう言うと、俺は学生の研究室をあとにして、教授の部屋へと歩いて行った。

 大学の廊下。古い大学の棟で、廊下を照らす蛍光灯も、切れかかっている。こんなところで、なんとも背徳的な研究がされているとは……想像しようと思えば、案外出来るかもしれない。

「最近、どうだい? キミの研究成果は……」

「教授よりは、長生きさせてあげられていますよ」

「嫌味な言い方をするね、相変わらず」

「でも今、危ないんです」

教授もずっと、同じ研究をしていた。教授も「孤独」だったのか……何故、その研究をしていたのかは、諸説ある。俺としては、その点には興味がないため、深く追求はしていないし、するつもりもない。

 俺はただ、「秋」を助けたい。これまでの「実験体」のような末路を、辿らせたくない。それだけだ。


 教授の実験体。


 それは「秋の兄弟」と、呼ぶことにしている。


 秋の兄弟は皆……町外れの木々の下に、眠っている。


 即死だったもの、数時間だけ生き延びたもの。


 諸々あったけれども、末路は結局「死」。


 身体がもたなかったんだ。


「様子が可笑しいんです。副作用でも出たのか……それとも、他に原因があるのか」

「キミにも分からないことがあったのかい?」

「俺は万能じゃないから」

廊下の突き当たりが、田原教授の部屋である。俺は一礼すると、そのまま教授のあとに続いて入室した。

「これまでの資料を、読ませて欲しいんです」

「読んだところで、結果は変わらん。所詮……夢物語だったのだよ。私たちの実験は」

「……でも」

「でも?」


 俺は口をつぐんだ。


 秋はまだ、生きている。


 そんなことを言っても、なんの意味を成さない。


 死んでしまえば、同じこと。


「キミは、変わったな」

「……?」

「はじめは、一匹狼のようだったが……実験体に、恋でもしたか?」

「恋」なんていう言葉は、もとより当てはまらない。俺たちはそもそもが、男同士。

もちろん、恋愛に「性別」は関係ないとは思う。どんな「恋愛」の形も、否定するつもりはない。ただ俺は、「恋愛」には興味を抱けなかった。

それに秋との関係は、「恋」のような駆け引きを用いるようなものでもない。「秋」は生まれたときから俺にしか依存しない、そう、刷り込み現象を引き起こす「脳」を持っている。


 秋は、交通事故によって脳死判定された少年だった。


 秋の本当の名は、「佐倉神」。


 研究材料になるのならば、俺は……誰でも良かった。


 教授に紹介された、その「神」という少年の身体をまずは癒すことに専念し、身体が回復した後に、脳に例のA細胞を埋め込み、経過を見守った。この大学と連携している病院に、俺は何度も通った。

 神の親御さんには、多額の金と引換に神を実験体にすること。そして、その後の彼の人生を俺が引き受けることを、了承してもらっている。教授が話をつけてくれているのだ。田原教授は、名のある教授だった。


 実験に成功したら、その経過報告書をすべて教授に手渡す。


 それが俺と教授の交わした約束。


「田原教授」

「なんだね?」

「……組織、動き出していますよ。気をつけてくださいね」

大学に来てはみたものの、教授のいうとおり。確かにこれといって、今の秋の症状を緩和させるような資料は見当たらなかった。新たな発見も、何もない。


 いや、これは要するに……どうしようもないということを、訴えているのかもしれない。


 人体実験なんて、するものではない……と。


 「秋」は、もう助からない……と。


「……」

俺は教授に背を向けた状態で、ドアノブに手を掛け止まった。自らの思考で、「秋が助からない」ということに至ったところで、不意にどうしようもない、絶望感が襲ってきたのだ。


 ひとの命は、金では買えない。


 秋は事故によって、死ぬ運命だったのか……?


 俺はそれをただ、救いたかっただけ……ではない。


 利用した。


「教授」

「泣いているのかい?」

「……いえ」


 泣いては、いない。


 そんなズルいことをしたところで、何も変わらない。


 俺がしたことは、「秋」もといい、「神」の命を弄んだことになる。


 素直に……あのとき、看取ってあげるべきだったのだろうか。


 分からない。


 分からない……本音が。


 俺にはもう、道徳心も倫理を語る資格がない。


 それは、自覚していた。


「組織は、なんと言っていた? 接触したのだろう? その傷は……」

「被験者を探していましたよ。要するに、神のことを……」

「それで? あけ渡すのかい?」

「それは、教授との約束を裏切ることになるから」

「ふっ……それでいい」


 満足げに、にやりと笑みを浮かべると、教授はノートパソコンの電源を入れた。「表」の顔に戻ろうとしている。人間社会に貢献的な、教授の顔。


 組織は、教授の「表」の顔も「裏」の顔も知っている。


 だが、教授には手を出さない。


 それだけの権力を、この人は持っているからだ。


「キミをまだ、失いたくはないからな。特別に気をつけたまえ」

「……」


 組織の名は、知らされていない。


 ただ、「闇」組織であることは確かだ。


 銃にナイフ。


 なんでもアリな、デタラメな組織だと思い知った。


「どうした?」

「……いえ、分かりました。では、また気が向いたときに……」

「久保田くん」

「はい?」

「被検体を、決して渡すな。渡るくらいならば、被検体を殺してしまえ」

「……」

「いいね?」

「はい」


 パタン……。


 静かに扉を閉め、また薄暗い廊下へとひとり、戻ってきた。被検体を殺す……要するに、「秋」を殺せということ。そんなこと、今の俺に出来るはずがない。


 執着しているのは、依存しているのは……俺の方だ。


「愚かなものだな、俺は……」

ズキズキと傷口から痛みが走る。この痛みによって、自分への嫌気が緩和されることが心地よいような、より、後ろめたくなるような、複雑な心境だ。そして俺は……立ち止まる。


 無性に、泣きたい気持ちになった。


 人生において、泣いた記憶はない。


 だから、涙を流す感覚は分からない。


「これが……涙?」


 頬をツー……っと、水滴が伝っていく。片手でそれをそっと拭い、俺はまた、歩き出した。こんな感傷に浸っている場合ではない。

 組織からも、実験不適合との結果からも、秋を守らなければならない。「神」という少年はもう、居ない。今居るのは、「秋」という少年だ。


 寒空の下。秋を見つけたのは偶然でも何でもなかった。毎日、毎日監視し続けて、記録していた。本当に俺以外には靡かないのか。それとも、誰にでも依存するものなのか。そういう点も、記録していた。


『ママのママは、ダレ?』


「秋」の「ママ」は誰になるのだろうかと、あのアニメを見ていて思った。「秋」の身体を生んだもの、育てたものはあの、田原教授と一度だけ面会した、我が子の変わり果てた姿を前に、涙を流し嘆き悲しんでいた女性だ。でも、今の「秋」を創り出したのは「俺」。それならば、俺が秋のママになるのだろうか。

 そんな、「ひとが神」になるようなことを考えていたなんて、今思うと馬鹿げているとすら思える。おこがましいにも程がある。俺は何を成り上がっていたのだろう。人間は所詮、人間でしか居られないのに。


 そのとき、ふと俺の脳裏にあることがよぎった。


 秋を……「神」に戻そう、と。


 すべてを「無」に。


 俺のことも、組織のことも、研究のことも、無かったことにする。


 そうすれば、「秋」は居なくなっても、あの「身体」は助かるかもしれない。


 それこそが、俺の「贖罪」にも繋がるような気がした。



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