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主の帰宅

 カチカチ……。


 ときを刻む音がする。




「……」

生温かい感触が背中を通して伝わってくる。今、俺はどんな体勢を取っているのか。そもそも、俺は生きているのか。いや、思考出来ている時点で生きているのだろう。時間はどれほど経ったのだろうか。俺はうっすらと目を開けようと試みた。

「あら、起きた? まだ、家まで時間があるわよ。眠っていればいいのに」

どうして彼女がここに居るのか。そんなことは、さして問題ではなかった。そんなことよりも、どうして俺がここに居るのか、どうやって生き延びたのかが、気になった。しかし、聞くようなことでもないと判断した俺は、相手の言葉を聞いて重い瞼を再び閉じた。

「聞かないのね。やっぱり」

俺は、何も答えなかった。ただ目を閉じ、相手の言葉に耳を傾けながら、揺れる身体から伝わるのは、痛み。いや……痛みを通り越し、身体が熱くなっていた。思い返せば、身体を銃で撃ち抜かれているのだ。弾は貫通しているのだろうか。残っているとしたら、早く体外へと摘出しなければならない。俺は、遠ざからない眠気に重い瞼を無理やり開けると、被弾しなかった右手で、左肩に触れた。ズキズキと痛みが走るそこには、包帯が巻かれていた。

「……榊さんが?」

「あなた、医者は嫌がるでしょう? 本当は救急車に乗せようとしたんだけどね。それを思い出して、急遽タクシーに。あぁ、安心して? 運転手に口止め料は払ってあるから」

そんなものを信用していいのか知れないが、確かに救急車なんかで運ばれたら、入院生活ということになる。「組織」の連中に嗅ぎ付かれたら、そこで終わりだ。これは、榊さんの采配が正しいと俺も思った。

「電話、しておいたわよ。秋くんに」

「……」

今は、その名前を忘れて居たかった。いつだって忘れたことなんてなかったけれども……忘れられるわけがなかったけれども、今だけは、忘れて居たかった。


 贖罪のつもりだったのに、報いを受けるつもりで俺は捕まったというのに、この恥をさらに突きつけられている気がして。責め立てられている気がして……。


 俺はこのとき、はじめて自分にも、「罪」の意識があったのだと……俺にも、「人間」らしい感情があったのだと、実感した。


「笠原さんの家の方がよかったかしら?」

「んー……そうだね」

笠原佑也。俺の育ての親。詳しい血縁関係は、面倒臭いから省略。それもあるし、意識が朦朧とし始めて、再び瞼が重くなってきたことの方が大きい。

「眠っていればいいじゃない。無理して起きている必要はないわ」

「……うん」

安堵はない。ただ、もう何かを考えることが面倒になった俺は、全てを投げ出して、眠りに付いた。その行き着く場所が、秋の待つ俺の家だろうが、笠原さんの家だろうが、病院だろうが、構わない。




 もう、どうだってよかった。




「ちっとは落ち付けや。藍から連絡あったんやろ?」

「違う。榊って女からだ」

ぶっきらぼうに応える少年は、不機嫌さを顕わにし、髪をかきむしったり、あっちに行ったりこっちへ来たりと、とにかく落ち着かない様子で自宅の中をうろうろと徘徊していた。その様子を俺は、無理もないかと見ていることしか出来なかった。

 シン……もといい、現在の「秋」には、信じられるものは、「藍」だけなんだ。その藍が、「不在」ともなれば、心中穏やかではないのだろう。ましてや、藍に何かがあったとなれば、それは仕方がないことなのだ。

 俺はあの後、秋を藍の家へと連れ帰り、そのままこの部屋にて待機している。藍の声から察して、何かがあったことは間違いなかった。それに、秋の意識を奪っておいて、さっさとトンズラというのもまた、薄情だと感じたからだ。今では、秋の意識も回復していて、この様だ。

一時間ほど前に、再び携帯の呼び鈴が鳴った。今度は俺のではなく、秋の携帯だった。でも、その電話口の相手が藍ではなかったことがまた、秋にとっては面白くなかったらしい。

「なぁ、秋。落ち着けや。榊って女も、悪い人やあらへんで?」

「お前はいいよな!?」

唐突に、その苛立ちは俺へと向けられた。いや、誰かに苛立ちを向けなければ、自分を保っていられないのかもしれない。胸倉を掴まれたかと思えば、華奢な身体のどこにそんな力があるのか……俺を壁際まで一気に押しやり、俺の方が背丈が低いため、上から睨み付けられる形で、緊迫した空気が生まれた。

「お前は……何もかも知っているんだからなぁ!?」

「そないなことは……」

言い終わるのを待たず、秋は言葉を続けた。俺の言葉なんて、耳に入ってないんだ。所詮は他人ということか。

「俺っ、俺は……俺には、何もないんだぞ!? ふざけるな! 何がシンだ! 俺は、秋だ!」

そんなのは、こっちが聞きたかった。目の前に居るのは、確かに「シン」だ。それが、久しぶりに顔を合わせたと思ったら、自分は「秋」だと言い張るんだから。どうしたものか。まぁ、どうしてこういうことになったのかは、おおよそだけれども予想が付くのは俺の方だから、やっぱり、秋のことを気の毒だと感じた。

(秋は、兄弟のようにはならなかったんやな……)


 ガチャガチャ。


 ドアノブを回す音がした。


 強引な回し方だ。


「秋、鍵開けなあかんやろ?」

ぷいっと顔を背けると、俺の服から手を放し、やや駆け足でドアの方へ向かっていった。分かりやすい奴だと、正直思った。扉の向こうに、藍が居る。そう、思ったのだろう。まるで、飼い主に餌をもらえずただひたすらに待っている猫のようだった。

「久保ちゃ……」

怒りにも、喜びにも取れる第一声は、歯切れ悪く終わった。どうやら、扉の向こうの相手は、望んだ相手ではなかったようだ。

「どないしてん。秋……あっ」

顔をひょいと覗かせてみれば、血相変えて立っている男の姿があった。歳の頃は四十ほど。若白髪が目立つが、顔の皮膚には張りがあり、まだまだ若者という雰囲気だ。俺は彼を知っている。

「笠原さん!」

「ライガ? お前、何でここに居るんだ……というか、こいつか? 藍が……」

「ストーップ! ストップ、ストップ!」

俺は慌てて秋の前に割って入って、笠原さんの口元目掛けて手を当て飛び込んだ。

「なんだよ、相変わらずせわしい奴だな、お前は……」

興味は俺ではなく、秋にあるのは目に見えて分かる。俺に声をかけながらも、視線は常に秋の方へ向けられていた。

 笠原さんは、藍の育ての親。同じ孤児院に居たときに、藍を拾っていった育ての親の息子だった。余談だが、俺は俺で別の親に拾われていった。でも、便利な世の中だ。携帯電話でたまに話はしていたし、藍が大学でどんなことをしているのかも、俺は知っていた。

 藍が心を許しているのは、俺と、笠原さんだけだと勝手に思っていた。榊さんのことは、どう思っているのか分からない。とりあえず、今一緒に居るという時点で、悪くは思っていないのだろうと勝手に推測する。

「で、藍はどうした?」

どうやら、秋の件に関してはまだ内密に……ということが伝わったようだ。ただ、一人袖にされた秋は、またもや機嫌が悪そうだ。

「あんた、誰だよ」

「俺からしたら、お前誰だよ……ってところだけどな」

そそくさと靴を脱ぐと、笠原さんは部屋の中へと入ってきた。そして、コートを脱ぐとエアコンのスイッチで温度を調整した。藍が大学に入って、ここで一人暮らしするようになってからは、ここにはあまり立ち寄っていなかったみたいだけれども、エアコンのようなものならば、誰にでも操作は可能である。

「ライガ。藍はどうした」

「まだ……それより、笠原さん。どないしてん」

「ん? 連絡が来たんだよ。女から」

あぁ、榊さんか……と内心で呟いた。そして、笠原さんはせかせかと紺色のネクタイを緩めると、スーツ姿から、ワイシャツ姿を着崩して、ラフな格好となった。

「あの馬鹿は……いつかは、こうなると思っていたんだ」

独り言として受け止めた。「馬鹿」とは、無論、藍のことだ。笠原さんは、全てを知っていて、全てを黙認して来た。


 笠原さんの両親は、すでに亡くなっている。


 成人しているため、保護者なんてもう必要ないのかもしれないが、一応、藍の保護者はここに居る笠原さんということになる。笠原さんの両親の死については、「不慮の死」を遂げたとしか聞いていないから、具体的な死因は未だに誰も知らない。ただ、「組織」が絡んでいるのではないかと、俺は思っていた。

「で、お前が例の奴なんだな」

秋にではなく、視線だけは俺に向けられていた為、俺は黙って頷いた。

「話が見えないんだよ! ふたりで進めるな!」

眼鏡をかけている笠原さんは、ソレを光らせるとじっと秋を見つめた。何やら観察しているようだ。それから、しばしの沈黙が続く。蛍光灯のジジジ……っという音だけが、物静かな部屋に響いていた。エアコンと電気以外は、音を鳴らすものはない。やけに白く、殺風景な部屋だった。

「……名前は?」

先に、この重苦しい空気を切ったのは、笠原さんのほうだった。ソファーに腰をかけ、俺に何か飲み物を運んでくるよう目配せすると、秋にもソファーに座るよう促した。

「秋月、零治……」

俺は二人の会話に耳を傾けながら適当にキッチンを探り、コーヒーを探しはじめると、すぐにインスタントを見つけたので、それをコップに入れ始めた。あまり、じっとしているのは好きな方ではないからだ。手持ち無沙汰になった。

(へぇ、シンって……今はそんな名前やってん)

「……」

笠原さんは、無言のまま「秋」をにらみつけるように見つめていた。その無言の訴えに耐え切れなかったのか、秋は視線を逸らしながらソファーに拳を振り下ろした。

「何だよ! 秋月じゃ駄目なのか!?」

「駄目だな」

癇癪を起こした子どもをあやすのは、容易いことではない。しかし、秋を気の毒にも思う俺は、静かにこの場を見守ることにした。

 とりあえず、入れたコーヒーを二人の座るソファーの前のテーブルに置くと、自分の分は手に持ち、壁にもたれながら時折あったかいコーヒーをすすった。


 苦い。


「何でだよ!」

「逃げるな」

笠原さんの仕事はなんだったか……ただの一般サラリーマンだった気がするけれども、大学では、心理学をかじっていたらしいから、人のこころを揺さぶったりすることは、案外得意な方なのかもしれない。その逆も然り。安定させることも出来る。

「逃げるんじゃない。いいから、言ってみろ」

秋は、たじろぎながらもコーヒーを一口飲んだ。そして、俺に向かって砂糖が足りないと文句を言ってきた。本当に甘党だったのか、単に笠原さんから逃れたかったのかは……定かではない。

「だから、逃げるなと言ってるだろう……シン」

その瞬間、秋の顔つきが変わった。怯えた猫のような顔をして、コップの中のコーヒーをぶちまけた。しかし、まだ熱いコーヒーを頭から被った笠原さんは、動じることはなかった。

「シンじゃない……秋だ!」

「でたらめだな」

笠原さんが何をしたいのか、俺には皆目検討も付かなかった。とりあえず、濡れたままではいけないだろうと、タオルを風呂場まで取りにいくと、笠原さんに手渡した。すると、意外にも笠原さんはそれを手で制し、拒否をした。

「本当のことなんて、何もないんだよ。今のお前には……」

「……っ!」

痛烈な一言だった。胸を抉るかのような言葉を前に、俺さえも居たたまれなく、苦しくなるほどだった。

「知ってるんなら、聞くんじゃねぇ……そうだよ、俺には、何もねぇよ! 確かなものなんて、なにひとつ無いんだ!」

秋は、突如立ち上がるとそのまま玄関先へと向かった。慌てて俺は秋を追いかけると、秋は玄関先で足を止めていた。

「どうしたの、秋」




 そこに立っていたのは、久保田藍。


 不敵な笑みを浮かべた、この部屋の主だった。





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