抜け落ちた記憶
すべては、贖罪のつもりだった。
俺はきっと、許されない。
許されたいとも、思ってはいない……今は。
だが、簡単に消される訳にもいかない。
人間とは「死」に直面すると、それから逃れようとする生き物のようだ。
俺も、例外では無かった。
それは俺としては、意外過ぎて内心驚いていた。
「どこへやった?」
「さぁ?」
視界が霞んできた。もともと、体育会系ではなかったし、こんな反則物出されたら、一般人である俺が敵う訳はなかった。命が惜しいのではない。これは懺悔だと、俺は言い聞かせた。すべてもの報いだと。
いい人生を歩めるとも、思っていなかった。いつかは、何かに逆恨みされたり、誰かにこうして……銃を向けられると思っていた。
「さぁ……じゃないだろう。お前の所有物じゃなかったのか?」
「さぁ、ね」
所有物という言い方は気に入らなかったけど、まぁ、違うとも言い切れない。とりあえず、俺はタバコが不意に吸いたくなった。吸いたいのなら吸えばいいのだが、残念なことに手足を椅子に縛られていて、身動きが取れない。
「お前……殺されたいのか?」
俺はやんわりと笑みを浮かべた。そうだなぁ、死ぬなら即死がいい。痛いのを味わって死ぬより、何も感じず気づいたら真っ暗。そんなのがいい。
カチャッ……。
弾が込められた銃の、引き金に指がかかる。しかしこれはけん制だ。この弾では俺は撃たれない。
シュン……ッ。
サイレンサーの付いた銃から、一発の弾が放たれた。
しかし、俺は生きている。
ほらね……とでもいうかのように、俺は再び笑みを浮かべた。
ひとは、結局「独り」なんだ。
「毎度~。おおきにぃ」
商店街のアーケードの中を、ふてくされながら歩いていた。そんなにも賑わっていない商店街だが、それなりに客が居るのは、今日が土曜日だからだろうか。休日ということもあり、人通りがいつもよりは多かった。
特に何もないところだけれども、独りで公園へ行っても余計に虚しくなるだけだし、いつも相方……久保田藍と共に歩いてきたところを歩いたって、何かに期待している俺が馬鹿みたいに思えるから、あえて来たことのなかったこの商店街へ歩いてきたのだ。久保田のアパートから、さほど距離はないのだが、不思議なことに来たことはなかった。
「あっれ、君って……」
さっきから、威勢のいい声で客寄せをしていたひとりが、俺に近づいてきた。チラシを持っているし、きっと何かの勧誘か何かだろうかと思った為、スルーすることにした。
「藍の?」
その言葉を聞いて、俺は振り返らずには居られなかった。
「あ、やっぱり? なんやっけ。えぇと……神やない?」
聞きなれない、そして俺には分からない……身に覚えのない名前だった。シンと呼ばれていたときが、あったのだろうか……というよりも、それこそが俺の、本当の名前なのだろうか。
「なんや、覚えとらんのか。まぁ、しゃーないわなぁ」
派手な髪だった。紫色に染められ、髪は肩につくほどのものをひとつに束ね、瞳は大きく一見女のようにも見えるのだが、胸板があるので男だと判別される。俺と同い年くらいだろうか。まだ十代だと見受けられる少年だった。瞳はカラコンを入れているのか、こちらも髪の毛と同様の紫色である。
ここは関西地区ではないというのに、妙な関西なまりを使うこの男にも、やはり見覚えはなかった。ただ、相手は俺の何かを……そして、久保田の何かを知っていそうだった。
孤独に戻ったのだと思ってしまえば、案外切り替えは早く、俺はすぐさまアパートを出た。しかし、こころのどこかで久保田のことを気にかけていたことに、気づかされた。
「お前、何を知ってる」
俺は少年に向き直り、にらみを利かせて詰め寄った。しかし、そんなことで動じる相手ではなかった。客商売をしているからなのか。それとも、この少年の持つ素質というものなのか。俺には判断できるだけの材料がそろっていなかった。
「何って、なんや? シン、あんた自分のこと忘れてたん?」
俺は一瞬、時が止まるのを自覚した。自分のことを忘れていたかどうか。こんなにも的確にものを言われ、俺は狼狽した。それを見てか知らずか、少年は店のエプロンを外しショーケースの上にそれを無造作に置くと、俺の目を見てにこりと笑みを浮かべ、右手で軽く手招きをしてきた。
「えぇもん、見せてやるよって。ちょっとこっち来ぃや」
胡散臭い感じは、意外となかった。少年の目には、嘘や偽りというものが浮かんでいないからかもしれない。会ったこともないはずの少年が、今現在時点においては、一番俺のことを知っているという、不安定な位置に俺は居た。
「こっちって……?」
少年は、店の主だと思われる男に、ちょっと店を空けると言うと、商店街の外へと向かって歩き出した。それに続いて俺も少年の三歩ほど後ろをキープして、歩き出した。どうしようもなく孤独で、自分の存在に不安を感じていた俺だったが、久保田のことを、そして俺のことも知っていそうなこの少年の登場によって、俺は少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
もうじき秋だっていうのに、今日は蒸し暑かった。風もほとんど吹いていなくて、じめじめとした空気が身体をねっとりとまとわりついた。
「どこまで行くんだよ」
「いいから、いいから。俺に任せよって。なーんも心配あらへん」
俺は眉を寄せて怪訝な顔をして見せたが、相手の背中に目で訴えても何も伝わらない。仕方がなく、足を進めるペースの速いこの少年の後を、この後は無言で追いかけた。
自分を知る旅。
人生とは、そういうものだと思っていたけれども、自分のことを知ることほど、怖いことはないのかもしれないと、このとき思っていた。
「そういえば、お前の名前は?」
俺がそう尋ねると、少年は顔をわずかに俺の方へ向けて、足を止めずに応えた。
「莱伽や」
ライガ。年は十八。背丈は標準。中肉中背で小麦色に焼けた肌を持つ、健康的な少年だった。たこ焼き屋でバイトをしているらしく、あそこの店で客寄せをしていたそうだ。容姿はかなりのものだった。声はそこまで低くなく、どちらかといえば高い。
「ライガ、まだ着かないのか?」
「もうちょいや……ほ~ら、見えてきよってん」
指さしたほうに目をやると、そこは緑に包まれた墓地だった。西洋風の墓地だ。こんなところがあったとは、俺は知らなかった。
新緑輝く木々の根元に、ひと際厳かな雰囲気の墓石が立っていた。そこまで古いものではない。しかし、なんて書かれているのか、誰の墓なのかは、確認が出来ない。俺はもう少し近くへ行って、墓石と目の高さを合わせてみた。やはり、何の変哲もないただの墓石だ。
「これに……何か意味があるのか?」
俺はライガの顔を見上げてそう聞いた。するとライガは、ふっと笑みを浮かべて俺と同様にその場にしゃがんだ。そして墓石を撫でると、どこか神妙な面持ちで俺の顔を見た。
「シンの兄弟の墓や」
「えっ……?」
俺は思わず目を見開いた。俺に兄弟が居たことにも驚いたが、もう死んでいるなんて。兄なのか、弟なのかはわからないが、そこはさほど重要ではない。風が吹いた。緑が揺れ、俺のこころもまた、揺れていた。
「そういやぁ、藍はどないしたん? シンと一緒やないん?」
自分のことで頭がいっぱいで、ついつい忘れていたがそういえば、この男は久保田とも親しいようだった。今となっては、久保田がどうなっていようが、誰であろうが俺には関係のない話なのかもしれないが、やはり気にならないといえば、嘘になった。でも、自分からは、久保田のことを聞きだしづらかった。自分のことさえあやふやだというのに、人のことばかり詮索したりするのは、好きではない……というより、気が引けた。
リリリリン……。
リリリリン……。
携帯の音が鳴り響いた。俺の携帯音ではない。俺の携帯なら、久保田の家に置いてきた。もともと、あれは俺の所有物ではなかったからだ。久保田から借りていた、ワインレッドの携帯電話。久保田のもとを出るのなら、返すのが筋だと思い、置いてきたんだ。
呼び出し音が何度か鳴り響き、ライガは携帯をようやく取り出すと、シルバーの携帯電話を取り出して、画面を見て誰からの着信なのかを確認すると、一瞬こちらを振り返り、電話に出た。
「なんや? どないしてん……」
ライガの顔つきが変わった。声を潜め、俺には聞こえないように、受話音も下げて相手の言葉を聞いていた。
「……わかった。とりあえず、そこでじっとしとき」
ライガは急に、用事が出来たからといって、俺から距離を置こうとした。それを見て、何か違和感を覚えた俺は、第六感がこれは久保田からのSOSだと告げた。久保田に何かあったんだ。それはきっと、間違いない。
俺はすぐさま立ち上がると、ライガから電話を奪い取った。すでに切られている可能性もあったが、そんなことはお構いなしだ。
「久保ちゃん!? 久保ちゃんなんだろ!?」
「……」
まだ、電話は切られてはいなかった。しかし、俺の声を聞くや否や、すぐさま相手は何も言わずに電話を切った。
ツー……ツー……ツー……。
虚しく途切れた電話の音が耳にこだました。俺は思わず携帯を握り締め、地面に叩きつけようとしたが、ライガが制止し、冷静さを取り戻した俺は、電話を相手の胸に押し付けた。
「誰からだよ」
「ん? せやから、ちーとばかし、用事がな?」
「誰とだよ」
ライガは溜息を吐き、首を傾げた。そして、俺から携帯を奪うとすぐさま拳を作り、俺の鳩尾へと強く右手を捻り込んだ。
「……っ!」
息が止まる。華奢な身体のどこからこんな威力のあるパンチが繰り出されるのか。そんなことを考えながら、遠ざかる意識の中、ぼやける視界の中、徐々に謝りながら遠ざかるライガの姿を目で追い、その場に倒れこんだ。
「堪忍な」
うるさいと、悪態つきたくなった。
だが、痛みで意識が遠のいた。