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闇に堕ちる者

 深く、深く。


 どこまでも深い闇が、続いている。




 目を開けているのか、閉じているのか。感覚がないせいで、そんなことさえも分からない。暑くないし、寒くもない。ただ、孤独なのは確かだった。自分の姿が見えない。誰の姿も見えない。本当に、何もなかった。

 痛みさえない。あるのは、孤独。どうして俺はここに居るのだろう。どうして俺には、何もないのだろう。


 俺はいつから、孤独なのだろう。


「……!」

一瞬、電流のような痛みが走った……気がした。それを感知し、俺は身体を震わせ目を見開いた。頭がくらくらとする。貧血だろうか。ただ、目を開けた瞬間飛び込んできた白い天井には見覚えがあり、そのことを認識すると、少しずつ落ち着きを取り戻した。ここは、いつもの寝室だ。大丈夫、俺はどこにも行っていない。俺はいつもの夢を見ていただけだ。


 たった独り、取り残されて死んでいく夢を……。


「起きた?」

優しい笑みを浮かべていたのは、俺の知るこの家の主ではなかった。髪は少し明るめの茶色。ゆるめの巻き髪で化粧がやや濃い女。男にモテそうな今時の女。ただ、そんなことはどうだってよかった。俺が知りたいのは、こいつが誰なのかということと、俺は今まで何をしていたのかということ。そして、この家の主はどこへ行ったのかということだった。

「お前……誰だよ!」

「ん? 知りたい? いいわよ、教えてあげても……ただし」

女は、俺の口にそっと人差し指を当てた。その行為をよく思わなかった俺は、女との間に距離を置こうと、起き上がって身体を退いた。警戒している俺をよそに、女はくすりと笑うだけで、他の反応を見せなかった。

「ただし、君に覚悟が出来たら……ね」

「覚悟?」

カラコンだろうか。青い瞳をした女は、やはりうっすらと笑みを浮かべるだけだった。この仕草、誰かに似ている。そう思ったとき、その誰かがやってきた。

「秋」

そう、この家の主だ。

「久保ちゃん……?」

気のせいだろうか。いつもの、物静かで何を考えているのか分からない、飄々とした男の姿には、見えなかった。何かに怯えている……もしくは、悩まされている。そんな影を落とした男の姿がそこにはあった。

「何だよ、どうかしたのか?」

「……別に」

その瞬間、男はいつもの俺の知る「久保ちゃん」の顔に戻った。だから、俺はこころの中で安堵の笑みを浮かべた。こんなにも、「いつも」のことがありがたく思えるなんて、不思議な感覚だった……というより、そもそも、俺は一体寝室で何をしていたのだろうか。見覚えのない女の服は乱れているし、俺はといえば……服を脱がされている。いつもと変わらない格好をしているのは、久保ちゃんだけだ。

「ちょ、何!? 女! お前、俺に何かしたのか!?」

「だから……」

「何もしてないよ」

話に割り込んできた相方は、湯気を立てているコーヒーを俺に差し出すと、女の方を見て溜息を吐いた。

「あんまり、からかわないであげてね。こいつ、意外と真に受けるタイプだから」

その言い草に、若干引っかかるものを感じた俺だが、とりあえずコーヒーを受け取ると、気持ちを落ち着かせようとそれを一口飲んだ。ほろ苦い、久保ちゃん好みの味だった。ミルクを多めに入れて飲むのが俺流だったが、今は、相方の味を感じる方が何故か落ち着くと感じた為、文句を言わずに黙ってもう一口、それを口にした。

「はいはい。秋くん、私帰るから。またね」

「またって……知るかよ! ていうかお前、だから誰だよ!」

「いいの、いいの。きっとまた、会えるから」

何のことやら話にまるでついていけていない俺の様子を、楽しむかのように女は相方にはまた違った笑みを浮かべて、このアパートから去っていった。部屋に取り残された俺と相方は、少々気まずい空気の中、しばらくじっと動かずに時の流れるのを待った。


 先に沈黙を破ったのは、この静けさに耐え切れなかった俺だった。相方は、何か考え事をしているようで、いや、それはいつものことかもしれないんだけど、とにかく、ぼーっと俺の様子を黙ってみているものだから、俺はコーヒーを飲みつつも、話すタイミングを探し、相方を下から見上げた。

「く、久保ちゃん……さっきの女……」

「……」

俺の声が小さすぎたのか、それとも相方が本当に考え耽ってしまっているのか。返答がなかった為、俺はもう一度相方の名を呼んだ。すると、何事もなかったかのように、返事をするものだから、俺も何だか拍子抜けして、女が誰だったのかは、忘れることにした。

 別に、何もないって言ってたし、今俺は、別になんともないわけだし。だからきっと、気にすることではないと、思ったんだ。あんまり女のことを責め立てていたら、相方の様子がますますおかしくなるかもしれなかったし。何となく、そういうことはしたくないなって思ったんだ。


 嫌な夢を見た後だったからなのか。


独りだった俺を救ってくれた、この男、久保田藍の存在を、俺はもっと、大切にするべきだと感じはじめた瞬間だった。


「久保ちゃん、何かさ……腹減った」

「あぁ、食べてなかったね……そういえば」

時計を見てみると、もう夜の十時だった。こんな時間になっても、まだ食事をしていなかったとは……というか、俺たちは本当に何をしていたのか、何だか不思議で仕方なかったけど、久保ちゃんがいつもの笑みを浮かべたから、気にしないことにした。

「食べる? 豚キムチ」

「あ、そいやぁ……今晩の飯は豚キムチだったな。うん、食う」

そういうと、俺はベッドから立ち上がり、相方の方へ向かった。すると、相方も動き出し、台所の方へと向かって歩き出した。キッチンテーブルには、すでにサラダが並べられていて、キムチのいい香りがしていた。

「うわ、マジで一気に腹が減ってきた」

「うん、俺も」

ふたりで笑みを浮かべると、遅い夕食についた。特に何か重要な会話をするわけでもなく、新作ゲームの話や、飯が美味いだとか、眠いだとか、風呂はどうするかとか、そういう他愛ない話を、箸を進める合間にしていった。




 こんな日常が、いつまでも続く。


 そう、思っていた。




 だが……。




 あくる日の朝。


 「男」は、突如として姿を消した。




「ん……?」

セミダブルのベッドでひとり、俺は目を覚ました。いつもの光景が目に広がる。しかし、居るべき人物の姿が見当たらない。コンビニにでも行ったのかと思い、はじめは気にも留めなかった。

「まぁ、気長に待つか」

とりあえず、殺風景ながらに散らかりはじめたリビングを片付けようかと、灰皿を手に取った。吸殻が幾つか残されているが、今日吸ったと思われるものはまだ残ってはいなかった。それを片付け、テーブルを拭き、それから掃除機をかけた。路上暮らしなんてしていながら、割と綺麗好きだった俺は、こうしてたまに、部屋の片付けをしていた。

部屋は、白を貴重としたものが多い。白が好きという訳でないのだろうが、とりあえず赤などの暖色カラーはあの男には似合わない。どちらかといえば寒色系統のイメージだ。

「おっそいなぁ……久保ちゃん」

さすがに昼過ぎになっても帰ってこない様子を見ると、何かあったのではと不安に駆られた。

 十分、二十分、三十分。時間が経過すればするほど、俺の不安は膨らむ。これまでだって、たまにふらっとどこかへ居なくなることはあったけれども、こんなにも長い間、連絡もなしで行方をくらまされたことはなかった。俺はふと、携帯に電話を……と思いついた。どうしてすぐにかけなかったのかが不思議だ。いや、コンビニだとばかり思っていたから、別にかける必要性を感じなかっただけだ。

 ワインレッドの俺の携帯を取り出すと、すぐさま、唯一の登録ナンバーに電話を入れてみた。呼び出し音が鳴る。それだけで、少し安心した。まだ繋がっている。まだ、俺たちは大丈夫だと、その呼び出し音が言ってくれている気がした。けれども、いくら鳴らしてみても、相手がそれに応えることはなかった。

「……何やってんだよ」

それは、相手への言葉でもあり、俺自身への言葉でもあった。こんなところで、何をやっているのか。




秋月……誰だよ、それ。


俺は……。


 俺はまた、孤独になった。




 そう思えて、仕方なかった。




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