罪と潮時
「久保ちゃん……!?」
相方は何も言わずにただ、口から赤い液を吐き出しながらその場に倒れ込んだ。すぐさま動いたのは、女でもなく、俺でもなく……「傍観者」だったライガだった。
「榊! お前、やっぱ裏の人間やったんか!?」
ライガは、自分より背丈の高い女に向かって、タックルをかました。背丈こそ高いものの、相手は華奢な身体つきの女だ。ライガの力によって吹き飛ばされ、床に倒れ込んだ。でも、すぐにライガを睨みつけ、立ち上がると赤く染めている刃渡り二十センチほどの凶器を、ライガに向けて立ち上がった。
「あなたのことは、データには無い。でも、私のことを知っているのならば、藍の関係者ね? 生きては帰さないから」
「……っ! 秋、藍は刺されてん。はよ医者に診せんとあかん! その出血量は、マジであかん!」
「他人の心配していられるほど、余裕なのかしら。子どもの癖に……」
「大人とか、子どもとか……関係あらへん! 俺たちは、生きたい……それだけや!」
ライガの声が、言葉が、俺の「こころ」に響いた。
「生きたい」だけ。
そうだ、俺は……生きたい。
まだ、生きたい。
「ライガ、退け!」
「えっ?」
俺はベッドの上で立ち上がると、そのまま飛び蹴りで「榊」という女の右腕を狙った。刃物をとにかく手放させないと、こっちに分がないと思ったんだ。
「……っ!?」
俺がここまで動けるようになっているとは、思わなかったんだろう。女はライガに気を取られていたこともあり、ノーマークだった方からの飛び蹴りをそのまま喰らって、刃物は宙を舞った。それを見て、ライガは刃物が床に落ちるよりも先にキャッチして、リビング……女の手の届かないところへ、刃物を投げつけた。
「秋、取り押さえるで!」
「被検体の分際で、粋がるのはやめなさい!」
「……俺は、被検体じゃない」
かぶりを振って、女を睨みつける。
「俺は、秋月零治だ!」
胸を張って言える。
今なら言える。
俺は……「俺」だ。
「ち……っ、開き直って……それならそれで」
女は、倒れ込んだまま動かない相方に近づいた。それが、何を意味しているのか分からなかった俺だけど、ライガが声を張った。
「秋! さっきの銀紙! アレを渡すな!」
「!」
銀紙……薄眼でしか確認しなかったけれども、相方が右ポケットにしまっていた、アレのことだというのは、すぐに察しがついた。
「了解!」
そう言うと、俺は女に飛びかかりおさえつけようとした。しかし、女もしぶとい。華奢な割には力もあり、俺と互角といったところだ。ただ、もう凶器は持っていないようだから、人数的にもこっちに分がある……と、思いたい。
「藍、しっかりしぃや!」
そう言いながら、ライガは相方のズボンを探っていた。右ポケットから、無事に銀紙に包まれた何かを取り出すと、中身を確認することもなく、それをライガのポケットへとしまいこんだ。そして、俺の手を引いた。
「逃げるで!」
「えっ……逃げるって、久保ちゃんは!?」
「今は、逃げるしか道がないんや! コレも、秋も、渡す訳にはいかん!」
「でも!」
躊躇している俺の手を、ライガは強引に引き寄せる。ライガだって、華奢な身体だ。しかも、背丈だって、そこまであるわけじゃない。それなのに、どこにここまで強い力が宿っているのか……不思議なものだった。
「捕まったら、せっかく掴んだ人生が無駄になるんやで!?」
「久保ちゃんを放ってはおけない!」
そのときだった。外がさっきから騒がしいと思ったら、それはパトカーのサイレン音だったようだ。
「警察だ!」
誰が通報したのだろうか。タイミングよく、防弾チョッキを身につけた警察官が、土足でこの部屋へと入り込んできた。
「榊! 薬物密売並びに、殺人容疑で現行犯逮捕する!」
「な……っ、一体、誰が!?」
女も、まさか警察が踏み込んでくるとは思わなかったらしい。そのとき、俺はふと相方の手の中で、何かが光っているのを確認した。
それは、携帯電話。
意識の無いフリをして、通報したのはどうやら相方のようだった。声が響いて聞こえることから、スピーカーモードにしていたようだ。そのことに、女も気がついたらしい。
「藍……あんた!」
「……」
応えは無かった。
女は、そのまま警察官に連れて行かれ、そのすぐ後に笠原さんがやって来て、久保ちゃんは、アパートに横付けされていた救急車によって、笠原さん同伴の上、病院へと運ばれた。
俺とライガは、搬送先の病院名を聞いてからタクシーを拾って、すぐにその後を追いかけた。
「なぁ、ライガ」
「なんや?」
「それ……何だったんだ?」
「ん?」
女が欲した、銀紙の中身。それが気になっていた俺は、率直にたずねることにした。
「その、銀紙の中身」
「あぁ、これか? たぶんやけど、中身は……」
そう言ってライガは、ポケットから銀紙を取り出すと、そっと包みを広げていった。
「初期化チップや」
「初期化?」
「せや、秋を……神に戻すための神経刺激ツールってとこか? 仕組みはよう分からへん」
「いや、いい。それだけ分かれば充分」
相方は、俺を「神」に戻したかったんだ……本当に。それは、罪の意識からなのか。それとも、他に理由はあるのか。
すべては、相方の目が覚めないことには、分からないことだ。ライガは、色々と知っているとはいえ、あくまでも「傍観者」らしいし、それに何より研究者じゃない。その点は、俺と一緒なんだから、あまりにも問い詰めては可哀想だ。
「藍の傷、致命傷になってなけりゃえぇんやけど……深かったからなぁ。俺としたことが、気配にまるで気づかれへんかった」
「俺だって……久保ちゃんしか目に入ってなかったから……」
俺たちは、タクシーの中で沈黙した。そして、ほどなくして病院へとたどり着いた。
相方は、集中治療室の中に居るようだ。中の様子は、俺たちには分からない。その部屋の前の椅子に腰を下ろしていた笠原さんは、祈るように手を組み、眉を寄せていた。
「笠原さん、藍は……」
「あぁ、莱伽も着いたか……秋も、一緒だな」
「……おっさん。久保ちゃんは……助かったんだよな?」
「……」
だんまりだった。そのとき、これまで感じたことがないほど、嫌な予感がした。その予感が外れて欲しいと、心底祈った。
「なぁ、何とか言えよ。助かったんだろ!?」
「……笠原さん」
「……失血量が、多すぎたようだ」
「……」
すべてが、凍りつく。その先を、聞くのが怖かった。足元が揺れている……そんな感覚がするほど、視界が揺らいでいる。
「それで……藍は?」
「……心臓は、動いている」
「それって……まさか」
「……脳死と、宣告される可能性が高い」
「……」
目の前が、真っ暗になった。何が、どうして……こうなった。
「嘘やろ……そんな……」
「呼吸が止まっていたんだ。その時間が長すぎた」
「ま、まだ……わからんのやろ!? だったら、信じなあかん!」
「莱伽……潮時だったのかもしれないな。藍は、禁忌を犯していた。その報いを、受けたのかもしれない」
ふたりの会話が、聞こえているようで実際はあまり、耳に入っては来なかった。俺は今、立っているのか座っているのか。それすらも分からないほど、感覚が麻痺していた。
「藍は……欲しかっただけやろ。安心出来る場所が……自分の、居場所が……ただ、それだけや」
「今まで、藍を支えてくれてありがとうな、莱伽。お前、昨日から寝ていないんじゃないのか? お前、いったん自分の家に戻れ」
「今は、ここに居りたいねん」
「……秋、お前は?」
「……」
「秋?」
「……」
言葉が出ない。
頭が動かない。
身体が動かない。
「秋、しっかりしぃや!」
独り。
それは、とても冷たいものだと知った。
そして、とても心細いものだとも……。
ひとは、独りでは居られないのだと、知った。