逃げるのやめた
お金、地位や名誉の為に、「カミサマ」ごっこはしてはならない。
「莱伽。今度はちゃんとした研究をするよ」
「俺に言ってもしゃーないやろ? 秋に言ってやれや」
「秋に?」
「……久保ちゃん」
「……」
俺は、ゆっくりと目を開けた。そこには、この部屋の主である、タバコ好きないつもの男の姿があった。とても近い距離。冷蔵庫に顔を突っ込んで、顔を冷やして待っていた俺の額には、その男の手が乗っかっている。
俺は、意識を取り戻していた。
これは、ライガの提案だ。
ライガが、「真実」を知りたければ言うことを聞け……というから、こうやって久保ちゃんを欺いた次第だ。
正直なところ、久保ちゃんを騙すなんて行為、したくはなかった。だけど俺は、「本当」のことが知りたかった。「本物」を知りたかった。触れたかった。宙ぶらりんの生活は、もうイヤだったんだ。俺だけが置いていかれる生活にも、耐えられなくなって来ていた。
久保ちゃんが、何かを隠していることは、薄々だけど感づいてはいた。そして、明らかに久保ちゃんは何かが「欠如」していて、そしてその「欠如」を埋め合わすために、「俺」を求めていることは、はっきりとしていた。
「不確かなもの」は、俺だけじゃなかった。
久保ちゃんもまた、同じようなものだったんだと……知った。
朝、具合が悪かったのは本当だ。めまいも酷かったし、とても起き上がる気力もでなくて、ぐったり横たわっていた。昨晩、唐突に現れた「笠原」という男も「会社に行く」と出ていき、それからはライガとふたりっきりだった。ライガは、出会ったタコ焼き屋のある商店街へ帰ろうとはせずに、俺の傍についていた。
昼間……久保ちゃんが学校へ行っている間のこと。
「ん……」
「お、目ぇ覚めたん? 大丈夫か?」
目覚めは最悪。なんて言ったって、まだそこまでの仲ではない……それも、訳の分からないことばかりを抜かす紫の髪の少年、「ライガ」しか、この部屋には居ないんだから。俺が求めているのは、この「顔」じゃない。この「声」でもない。こんな、訛りのある喋りじゃなかった。
標準語を喋り、どこか抜けているようで、でも、安心感を与えてくれる。そんな「声」が聞けることを、俺は望んでいた。それなのに……その声の「主」は居ない。
「……久保ちゃんは?」
「あぁ、藍? 藍なら、用があってちょいと学校へ行ったけど?」
「用って……なんだよ。あんな……!」
俺は、「相方」が酷い傷で帰って来たことを思い出した。銃で撃たれたとか、なんだとか……。そんな漫画みたいな話があるのかってくらいな出来事が、昨日一日で散乱していた。
「あんな怪我して……あの馬鹿!」
俺は起き上がって、相方の学校とやらに出向こうとした……けれども、身体が思うように動かない。力の入れ方を忘れてしまったかのように、身体は脱力しきっていた。
「なんで……何かしたのか? お前」
「いんや、俺はなんもしてないで? 俺は単なる傍観者や」
「傍観者?」
「せや……悪いな。あんま動かん方がえぇで?」
「……なぁ」
「ん?」
このライガという少年は、必ず「何か」を知っている。
「俺」のことも、相方のことも……知っている。
「確か」なものを、知っている。
俺は、知りたい。
逃げたくない。
笠原とかいう男に言われたから……じゃないと言いたいけど、きっと、あのおっさんが言っていた、「逃げるな」という言葉が、頭から離れなくなっていた。俺は、知らなくちゃいけない。「俺」のことを……そして、「久保田藍」という、男のことを。
これからも、生きていきたいなら。
「秋月零治」として、生きていたいから。
相方の隣で……これからも、道を築いていきたいから。
「教えてくれないか……俺のこと」
「えぇで?」
ライガはあっさりと物を言った。その顔は、どこか満足げであり、且つ、嬉しそうだった。
「中途半端はあかん。それに、神だけが除けものってのも、ようないし。真実知る覚悟出来たってことは、えぇことや」
「……そうだな」
「何から話そうか……」
そこで、俺は自分が交通事故にあった少年「神」という名前で、十八年の人生を終えようとしていたこと。それを、「久保田藍」に拾われたことを知った。
相方が、大学でどんな研究をしてきていたのかも、はじめて知ることになった。あまりにも事が大きすぎて、俺の頭の中もこころの中も、苦しくて張り裂けそうで……息が詰まった。
「死なせてくれればよかったのに」
そう思う自分。
「……だけど。まだ、生きたい」
そう思う自分も、確かに居る。
「……大丈夫か?」
ライガは、顔色が悪くなった俺を心配し、ベッドで横になったままの俺のもとに、コーヒーを入れて持ってきてくれた。だけど、今は飲み物すら喉を通りそうにもない。ショックが大きすぎた。
乙女とか思われるかもしれないけど、俺は、「運命」だって思っていたんだ。相方との出会いを……。それが、すべては相方によって仕組まれたことで、今ある記憶もまた、すべてが相方による操作のものであることを知り、こころが揺れた。
「なぁ、久保ちゃんは……俺が秋月って名乗るところまで、計算していたのかな」
今にも泣きたい心境だ。でも、そんな惨めな姿を晒したら、余計に「可哀想な奴」と思われそうで、耐えられなかったから必死に堪えた。ぐったりベッドの上に横たわりながらも、言葉を紡いでいく。
「どこまでが本当で、どこからが嘘なんだろう」
「すべてがほんまのことで、嘘なんてあらへんやろ」
「どういうことだよ」
「だから、秋は秋。神は神ってこと」
まったくもって、訳が分からない。どういうことか、考える思考能力すら、手放したい気持ちだった。俺はこころから、絶望していた。
「俺の考えていることは、久保ちゃんには筒抜けみたいだった。それは、久保ちゃんが俺の脳を……記憶を、操作しているからじゃないのか」
「ん~……そないなこと出来るんかな? ほんまに。俺は、そこまではムリやって思っとるで?」
「……どうだろうな」
返答も、投げやりになる。声のトーンも落ちる。何も考えたくない、逃げてしまった方がどれだけ楽だったんだろうかと、後悔もする。
「寝る? 疲れたやろ……あんま、身体動かさん方がえぇ」
「死体だから?」
「身体の今の状態とかその辺のことは、俺にはようわからんけど……ほら、なんや顔色が悪いから。そういうときは、誰だって寝てた方がえぇやろ?」
「……なんでライガは、俺が神ってことを知ってたんだ。神時代に、面識があったのか?」
「ん~……微妙なとこやな。病院で、会うたんや。藍と教授と一緒に……脳死状態やった神を見た。せやから、商店街で秋を見たときに、すぐに気づいたんや」
「そっか……」
それから少し、俺は黙った。思考を落ち着かせようとしたんだ。
「恨んどる?」
「……久保ちゃんのこと?」
「うん」
「……なんか、訳わかんなくなった」
絶望しか無かった時間は過ぎた。
今あるのは、混乱。
俺は……肉親には金で見放され、相方には研究材料として拾われた存在。
何を思えば救われるのだろうかと、考えてみた。
でも……結論は見えなかった。
相方が孤児院で、どんな生活をしていたのかも聞いた。それで、こころが飢えているっていうのも感じ取れた。やっぱ、何かしらの「愛情」っていうものは、ひとが生きていく上では欠かせないものなんだっていうのを、思い知った。だから、本気で相方のことを恨むことは、やっぱり出来ないって……感じた。
俺の……実際には短かった路上生活。そのとき俺は、確かに寂しさから「愛情」に飢えていた。それが例え、相方によって植えつけられた「本質」だったとしても、やっぱり、寂しかった。いきがっていたけど、そこから連れ出してくれる「何か」を求めていたのは「本当」の気持ちだって思うから……思いたいから。
「……なぁ、ライガ」
「なんや?」
「相談があるんだけど」
「ん? 言うてみ?」
「……あのな」
そこで俺は、提案した。
俺を、死体のように見せかけて欲しい……と。
相方の顔を、「本当」の顔を見るために。
それで、身体を死人のように冷たくして、相方の帰りを待っていた。
「おかえり」
「……」
相方は、何も応えなかった。ただ、手の中にあるものをそっと、ズボンのポケットにしまうのが見えた。それが何なのかは、今のライガとのやりとりからだけじゃ、よくは分からなかったけど、あんまりイイものではないっていうことは、感じ取った。
「それ、なんだよ」
「……」
「久保ちゃん、聞こえてんだろ。俺の声。だったら、無視すんな」
「……」
「逃げんなよ、久保ちゃん」
「……莱伽。何を、どこまで話した?」
「久保ちゃん!」
俺は起き上がるとすぐに、相方の手を強く掴んだ。そして、睨みつけるように相方の目を見据えた。完全に視界に捉えると、俺はそのまま言葉を続けた。
「俺、もう逃げるのはやめたんだ。だから、久保ちゃんも逃げるな!」
「……」
「受け止めてやるから……久保ちゃんの歪んだ愛情。許してやるから、久保ちゃんの研究」
「……」
「埋めてやるから……久保ちゃんの、虚無感」
「……秋」
「俺に出来るのか分からない。死体だった俺にはもう、なんにも出来ないかもしれない。でも! それでも、秋として蘇ったことを運命だと信じて、今度は久保ちゃんの傍に居る……いや、居たいんだ!」
「俺には……そんな資格、ない」
「じゃあ、俺を殺せばいい。俺を生かすも殺すも、久保ちゃんの手の中なんだろ?」
「……ごめん」
こんなにも相方の辛そうな顔は、これまで見たことがなかった。
俺は、道を間違ったのかもしれない。
そう思えてしまうほど、相方は苦しそうだった。
罪の意識に苛まれ、潰れそうなんだと悟った。
「久保ちゃん……もう、終わりにするか? 組織っていうのも、聞いた。追われてるんなら、俺を明け渡すなり、なんなりすればいい」
「……出来ない」
「やれよ。中途半端はダメなんだ」
「分かってる……だから……だから、俺は……」
俯く相方の目からは、涙が滲んでいるようにも見えた。相方がこんなにも小さく見えたのもまた、はじめてかもしれない。
「だから、何?」
「……秋を、戻す」
「神に? 要するに……」
お別れってこと……か。
相方から手を放した俺は、目を静かに閉じた。
何故か、穏やかな心境だった。
はっきりしたからかもしれない。
俺は、はじめて「確か」な答えを得たんだ。
この、「不確か」な相方から。
口元が思わず、綻んだ。
ザク……ッ。
どす黒い音がした。
「させないわよ、藍」
続いて、女の声。
「……!」
目を開けると、そこには見覚えのある女の姿と、白かったはずのシャツを真っ赤に染める相方の姿があった。