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偽名の仲

 いつからだろうか。俺は覚えていない。喧嘩に明け暮れ、学校にも行かない。行ったところでサボるだけ。いつの日か俺は、先生どころか親にまで見離され、路上生活を送るようになっていた。けれども、別に構いはしなかった。特に夢があるわけではない。これから先なんて、考えたくも無い。そんな俺には、路上ミュージシャンの歌う夢に満ちた歌声が、煩くて仕方がなかった。


 煩くて、仕方がなかったはずなのに。


「どうしてキミは独りで居るんだい?」


 たったひとりの男の言葉だけは、今でも覚えている。


「なんか、怯えた仔猫のような目だ」


 いつもの俺なら、喧嘩売ってんのか……て、食って掛かっていたと思う。でもそのときは、不思議とその男の目を黙って見ていることしか出来なかった。その男の目は、俺の未来と同じように、先の見えないどこか遠くを見ているかのようなものだった。




「くーぼちゃん。何、まだ見てたわけ?」

ひょろりと背丈の高く、やや猫背の男は電化製品店の前でさっきから腕組みをしながらショーケース越しにテレビモニターを眺めていた。黒い髪は割と長めにセットしてあるせみロング。ワックスなどはつけていない。それでもやや外はねで、動きのある髪型だ。服装は黒をベースにしたゴシックファッション。しかし、いつもこんな格好というわけでもない。たまたまこの日はゴシックで決めていただけだ。昨日は確か、今日とは似つかないオレンジのTシャツだ。つまり、この男には特にファッションにこだわりがあるわけではないのだ。

「うん」

短く答えると腕組みしていた手を解き、髪を掻き始めた。俺を冷たくあしらっているわけではない。面倒くさがっているわけでもないことは、今なら分かる。初めて会ったころは、本当に何を考えているのか分からない人間だったけれども、最近になってようやく、本当に何も考えていない男なのだということが分かってきた。だから俺も気にしない。

「もうじき終わる」

俺は、何をそこまで見ているのかと隣に立ってモニター画面に視線を落とした。すると、そこには何とも子ども向けなアニメが流れているではないか。このアニメのどこに惹かれたのだろうかと俺は半ば呆れた。

 この男「久保田藍」通称久保ちゃんは、もう二十二歳といういい大人だった。県内の大学に一応通っている学生だ。一応というのは、ほとんど大学に通っているところを見たことがないからだ。卒業論文はすでにほぼ出来ているからいいとか何とか言っていたけれども、本当にいいのだろうか。そこのところを俺はよく知らない。俺はまだそんな歳ではないし、そもそも、もう学校になど行っていないのだから、知る由もなかった。俺は世間から離れたところで暮らしていた。


 この、久保ちゃんの住むアパートでふたり暮らしだ。


「あぁーあ、終わっちゃった。やっぱりアニメっていいところで終わるものだね」

「いや、アニメに限らずテレビってそういうもんじゃねーの?」

俺の突込みに対し、久保ちゃんはにやりと笑みを浮かべて笑った。

「確かに。でも俺はね、最後はハッピーエンドになると思うんだ」

このご時勢。誰が好き好んでバッドエンドを迎える作品を作るものかと言いたげな雰囲気だった。確かにそうだ。見て後味悪い作品なんか、この不景気かつ色々な天災に見まわれている日本では、受けが悪いだろう。あえてシュールに行く作品も、あるにはあるのだろうが、果たして一般受けするのかどうかは定かではない。

 ただ言えることは、ハッピーエンドになると言っておきながらも、久保ちゃんが好きな作品は、どちらかといえばそのシュールな作品だということだ。だから尚更、何でこのとき久保ちゃんがこんな子ども向けのアニメを見ていたのかが不思議でならなかった。オープニングテーマの途中でその店に差し掛かったから、約三十分はそこに立ち尽くしていたことになる。

 その間俺は何をしていたかといえば、こんなアニメに興味はなかったし、ゲームコーナーで新作ゲームを漁ったりしていたわけだ。もっとも、金がなかったから何も買ってはいないが、プロモーションビデオを見ているだけでも、わくわくするというものだ。最近のムービーのクオリティといえば、高いったらありゃしない。

「なるといいな」

「そうだね」

俺が心にもないことを言っていることを、相手はわかっている。だからこそ、お互い笑いあった。

「さてと、秋。帰る?」

秋月零治。通称「秋」が、俺の名前だ。歳は十八。普通に学校に行っていれば、今年高校卒業という歳だったけど、もう今となっては遅い話。今更だった。

「何言ってんだよ。まだ買出しの途中も何も、店に行ってもいねーじゃねぇか」

相手は、そうだっけと呟くと、エンディングテーマが流れるそのアニメに名残惜しい素振りも見せずに背を向け、すたすたと歩き出した。それを見て俺も相手に遅れをとらないように歩き出す。

 相手は俺より十センチほどは高い身長の持ち主だ。猫背だからか、それほど変わらないようにも見えるけれども、真っ直ぐに立った姿を見たことがあるから、おおよその背丈は把握している。

「今晩の飯は久保ちゃんが作るんだろ?」

「はいはい、分かってるよ」

本当かどうかは曖昧だ。とりあえず、スーパーに向かって足を進めていることから、夕食の食材を買うつもりはあるらしい。いや、買わなければもう家には何も食べるものがない。カップ麺があったかどうか、そのレベルだった。相手は決して裕福ではないが、貧乏でもなかった。ただ言えることといえば、俺は偉そうなことを全くもって言える立場ではないということだ。久保ちゃんは、時折ふらりとバイトに出かけるが、俺はほとんどバイトはしていない。することといえばゲームか、家事なら掃除は苦手。夕飯作ったり昼飯作ったり。その程度だった。


 俺たちは別に兄弟やら親戚でも何でもない。


全くの他人だった。


 それでもこうして一緒に暮らしているのは、久保ちゃんが俺を拾ったからだった。


 なぜ俺を拾ったのかは、俺は聞いたことがない。ただとにかく、ぐれて、はぐれになった俺は、一匹狼で路上生活を送っていた。親からも見捨てられていたから金もない。食べるものは食料品店で出る残飯……は、衛生的に悪いと思って、各地で行われる炊き出しの飯を狙って、転々としていた。十八の男にしては、随分と虚しい生活を送っていたと思う。




 夢だとか希望だとか、そういうものはあまりにも綺麗ごと過ぎて、俺の中には浸透してこなかった。路上生活が長かったから、色んな路上ミュージシャンの歌を聞いてきたけれども、どれも余計なお世話だとしか思えなかった。それだけこころが荒んでいたんだ。

 でも、そんな俺の中にも飛び込んでくるものがあった。それが、久保ちゃんだった。久保ちゃんは、どこかぼーっとした男だった。はじめて見たとき、老けてるのか若いのか、それすらも分からない容貌をしていたその男を前に、とりあえず俺は睨みをきかせた。たいていの人間がこれで竦んでしまってどこかへ去ってしまう。煩い人間を一掃するにはいい手だった。しかし、この男にはまるでそれが通じなかったのだ。

 確か、茶色のジャケットを着ていたと思う。うん、確かそうだ。そして、タバコをふかしながら目を細め、俺に声をかけてきた。


「どうしてキミは独りで居るんだい?」


 何故男が俺に声をかけてきたのかは知らない。しかも、質問はあまりにも唐突だった。威嚇している俺の目を諸共せず、男は飄々と後を続けるのだ。


「なんか、怯えた仔猫のような目だ」


 仔猫と言われた瞬間、俺は思わず目を見開いた。猛獣のように扱われてきた俺が、まさかの仔猫発言。単なる猫でも普段ならば苛立つところを、この男は俺を仔猫……つまり、子ども扱いしてきたんだ。それなのに、どうしても憎めなかった。それは、この男の人徳というものなのだろうか。それは、未だによくわかっていない。

 タバコをふかして眠そうに欠伸をすると、男は頭を掻いた。そして、座り込んでいる俺に目線を合わせようとしたのか、おもむろにその場にしゃがむと手を差し伸べてきた。しなやかに伸びた指、でも、節々がよく見える男らしい手だった。

「行くあてがないなら……家に来る?」

「は?」

俺は思わず聞き返した。こんな男、初めてだった。初対面で、いきなり家に来るかなんて普通誘わない。もしかしたら、身売りでもさせられるんじゃないかと思って俺は聞いてやった。

「人に売春とかさせるわけ?」

女の台詞かと内心笑っていた俺は、からかう気持ちでいた。そして男は俺の言葉を全く予想していなかったのか、細い目を少しだけ開いてにやりと笑った。不適な笑みだが、嫌味は感じられなかった。

「売りたいのなら売ればいいけど、俺にはそんな趣味ないよ」

くすくすと笑うと男は、差し伸べていた手を一旦引いた。そして、またしても欠伸をした。そんなにも退屈なのだろうか。それとも単に眠いのか。辺りは街灯の明かりと月明かりしかなく、そこまで明るくはない。しかし、至近距離の相手の顔くらいは見て取れるほどの光量はあった。目が細いのは眠いからではなく自前だと思われる。

「ちょっと、欲しくなっただけ」

俺が男の顔をじろじろと物色していると、それを知ってかしらずかは分からないが、男は言葉を続けてきた。奥の深い目が笑っている。何を考えているのかがここまで読めない人間も珍しい。そういえば、この時間にスーツでもなくカジュアルな格好で街を出歩いているということは、サラリーマンなどではないのだろう。もしかしたら、まだ学生なのかもしれない。

「何が欲しいんだ?」

俺が尋ねると、男は口角を少し上げて応えた。

「人間」

俺は唖然とした。何たる漠然とした答えだ。彼女、子ども、家族と答えるのならまだしも、「人間」と来た。人間なら老若男女誰でもよかったんだろうか。俺は、たまたまその中のひとりに当てられてしまったということなのだろうか。

 俺は、思わず笑った。馬鹿げている。どういう理由で人間を欲しているのかなんか、知ったこっちゃない。俺には関係のない話だった。ただ、俺がこの男に興味を抱くには十分な理由だったらしい。

「お前、名前は?」

「久保田」

それが本名かどうかだって、この男を前にしたら怪しいところだ。咄嗟に偽名でも出してきそうな雰囲気を持っていた。でも、俺はあえて気にしなかった。その代わり、俺は「俺」を隠してやろうと思った。謎めいたふたりっていうのも、悪くはない。

「久保田……ね。久保田、俺が欲しいと今も思うのなら、手、出せよ」

ここでこのまま野良を続けているつもりもなかったし、新たなる転機がやってきたと捉えた。でも、ここでこの男の気がすでに変わっていたとしたら……それはそれ。今回は縁がなかったということだ。

「……」

男は珍しく黙った。ためらっている様子でもない。一度瞬きをしてから、じっと俺の顔を覗いていた。俺は応えを急かすことなく、ただ待っていた。これは俺の人生だが、向こうにも人生がかかっているんだ。人間を拾うなんてこと、簡単に出来ることではない。それも、こんな得体も知れないホームレスをとなれば話は難しくなる一方だ。ひょっとしたら、男は怖気づいたのかもしれない、そう思ったときだった。

「はい」

男はすっと手を差し伸べてきた。顔は無表情。先ほどの笑みは消えていた。それが何を意味するのかは、俺には分からない。ただ、この男にはあったらしい。覚悟というものが。

「いいんだな?」

念を押すように言うと、男は頷いた。だから俺は、ぶっきらぼうに男の手を掴んでやった。そして、その手を掴んだままゆっくりと路上から立ち上がる。冷たい道路の感触から解き放たれ、今あるのはこの男の手の温もりだけ。夜風が俺の長い髪を揺らした。

「秋月。秋月零治だ」

偽名。秋で月明かりが綺麗な日だったから、そう名乗った。下の名前に意味は特にない。


ただ今思えば、「治る見込みのないはぐれもの」である俺に、ぴったりな名前だったと思った。


「秋月……呼びづらいなぁ。秋でいい?」

男は名前の省略を要望してきた。元々偽名なんだし、何て呼ばれようが俺はどうでもよかったから、適当に返事をしておいた。すると、男は満足したらしい。手を放して携帯灰皿にタバコを押しやると、新しいタバコを取り出し、手馴れた手つきで火をつけ、再びタバコを吸いはじめた。銘柄はキャビンだ。

「久保田。俺も呼び方変えていい?」

男は視線を俺に移すと、タバコを咥えライターをしまい、ひと煙ふかしてから突然歩き出した。俺は、呼び方を変えられるのがそんなにも嫌なのかと意外に思った。この男、出会って間もないが何かにこだわりを持つようには見えなかったからだ。

「お、おいって!」

男の歩幅は俺よりも大きかった。少し駆け足で男の後ろに回ると、男は立ち止まり俺の方を向いた。

「ん? どうかした?」

「いや、どうかって……だから、名前」

男は、「あぁ」と何かを思い出したかのような顔で俺を見た。掴みどころのない人間だと感じた瞬間だったかもしれない。

「名前ね。好きに呼べばいいんじゃない?」

「あ、っそう」

呆気にとられた俺をよそに、男はまた歩き出す。どこに向かっているかなんか知らない。この、どこか自分勝手な男の後を素直についていく必要も、今思えばなかったのかもしれないが、俺はなぜか必死になって男の後を追った。

「待てよ、久保ちゃん!」




 それが、俺と久保ちゃんのファーストコンタクト。





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