産んで、よかった
私が5つの時、父は外に女性を作り多額の借金を残し蒸発した。
初めての子供である姉が生まれた時、嬉々としてアルバムを作り姉を抱いて笑う程度には子煩悩ないい父親だった、らしい。
母は、姉を産んだ直後に『次は男を』とお姑さんに言われたそうだ。
だからだろう、2年後、私を身ごもった時、お姑さんが用意した赤ちゃんの衣服は全て男物だった。
だが私が女である可能性が高い、とお医者様が言った瞬間。
母の周囲は全て敵になった。
『女だって判った時、あんたをおろせとお父さんに言われた』
私が女だったから、お姑さんは母を無駄飯喰らい呼ばわりした。
私が女だったから、姉は両親が罵りあい憎みあう姿を見る羽目になった。
私が女だったから、実の父親に、死ねと言われた。
私が女だったから。
『引き取らなきゃ、幸せになれた』
母は、幸せになれなかった。
私が6つの時、母は父と離婚し実家に出戻った。
だがそこでの扱いも酷いものだった。
母は必死に働いて、働いて、私が7つの時に家族3人で暮らせる小さな古いアパートを借りてくれた。
そして更に必死に働いてくれて、私は無事高校を卒業する事が出来た。
高校を卒業してすぐ働きに出た。
正直短大や大学に行って青春を謳歌している同級生を見て、何で自分はこうなんだろうと思わない日はなかった。
それでも、道を逸れて荒れまくる姉を更生させようと必死な母を見ると、何も言えなかった。
ただただ必死に働いて、家にお金を入れ続けるしかなかった。
私のアルバムはない。
赤ちゃん時代の写真は、家の隅にビニール袋に入れられて放置されていた。
粗品で貰ったアルバムに、一枚一枚自分で写真を貼った。
2歳までの服は全部男物。
3歳以降の服は全部姉のお下がり。
父が私を抱いてくれている写真は、一枚もない。
かすかに覚えている父との思い出は、公園のゴミ箱(鉄網の奴)に放り込まれ置き去りにされるという凄まじいものひとつだけだ。
大泣きしなかったらそのままポイ捨てされていたんじゃないか、と今でも思う。
結婚して、主人の転勤にくっついて生まれ育った地を離れて、二年。
不妊治療を受けていた時、姉から連絡が入った。
母が末期がんで、余命半年の宣告を受けた、と。
離婚覚悟で介護に帰りたい、と主人とお義父さん、お義母さんに言った。
「何も気にしなくていいから、お母さんの傍にいてあげなさい」
本当にいい所に嫁いだと思った。
仕事が忙しい姉に代わり、母の介護をする日々。
痩せ細った母が、ぽつりと。
本当に、ぽつりと呟いた。
「あんたを、産んで、よかった」
生まれて初めて、母に自己の存在を肯定された。
私こそ、産んでくれてありがとう。…おかあさん。