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二、夏

 大学が四年目に入ると、就活が一気に忙しくなり、そうそうに連絡は取れなくなった。向こうも、作曲やら打ち合わせやらで暇がなくなったらしい。

 お互い駄文を連ねる趣味はないので、メールの内容も二言三言で終わりだ。

 冬に入り、例に漏れない努力と準備のお陰で、内定はいくつか貰っていた。その中で選んだのは、流通系の中小企業。理由は、自分が社内である程度の影響を持てて、かつ組織外に働きかけることができるから。社内方針も気に入った。「粉骨砕身、凡事徹底、用意周到」。なんともアリにお似合いだ。

 奴とは互いに近況を何日かおきに報せるだけ、という関係のまま二年が過ぎた。数えるほどだが、電話でも話し、少しずつでも前に進んでいるということを伝えあった。



 大きなミスをすることもなく(というよりミスをしないように用意を万全にして、起こっても表面化しないうちにリカバリーして)、会社の年度代わりを迎えると同時に辞令が下った。

『新規部門設立に伴う辞令 貴君を新規部長に任命する。担当は――』

 そこから後は頭に入ってこなかった。

 どうして入社二年目の若造が部長なのか。人事的にも年功序列的にもおかしいだろう。

 理解できない、間違っている、と先輩(といっても十は年上)に聞きに行ったところ、

「ほとんど飾りの役職やで。下に付くんも片手で数えれるぐらいやし。基本方針はまた上から言われるで待っときぃや」

 つまるところ、未参入分野に入る足掛かりを作れ、ということらしい。

「ま、なんでも箔つけとかいう理屈やな。給料は二、三割アップ。他の部とおんなじ扱いになるのは、はよても三年掛かるやろ。それまでにコネとパイプとノウハウ育てろいう話しやな」

 ならなんで自分なのか。

「わかっとらんのか。お前、ここ五年やと断トツで優秀なんやぞ? 第一、未参入ゆうのに、ジジイが行ってもしゃあないやろ。元の部署の技術捨てて、なんで新部署の邪魔せにゃならんねん」

 関西人の先輩は半ば怒り気味で言った。

「うちは、業務規模に対して人員規模が小さすぎんねん。給料と、扱う金はでかいけどな。新部署にちゃかちゃか人員回すほど余裕ないねん」

 放任主義で無責任。こんな会社大丈夫なのか。だが、

――これはチャンスだ。

 自分で新しい道を拓いていける。そんな体験ははじめてだった。そして、

――面白い。

 自分の力を、限界を知ってみるチャンス。会社という、自分の所属するコミュニティへの貢献。何もかもが面白い。



 部下は同期二人に新規採用の女性一人を加えた三人。自分を含めて男女比一対一だ。

「ゲームのカップリングみたいだな」

 奴には、昇進に対する言葉より先にそんなことを言われた。

「ちょうど四人だし、冒険にでも出るんじゃないだろうな?」

 久しぶりの電話で少し饒舌になっていた。

「――ま、何はともあれ」

 ふ、と電話の向こうで奴は笑う。

「おめでとう。がんばれよ?」

 ありがとう。もちろん。

 そっちはどうだ。尋ねると、困ったような呻きが聞こえた。

「音楽関係は順調。適当な音響の下請けなんかもやって、食う分には困らなくはなった」

 だが、と前置きがされた。

「…どうも、俺、ストーカーされているらしい。まさか、もう熱狂的なファンに付きまとわれるとは思っても見なかった」

 はあ?、と変な言葉が出たのは、あまりにも予想外だったから。

「しかも、だ。…どうやら男らしい」

 それは、とその先に続く言葉は予想外すぎて浮かばない。奴にソッチの気がないことは知っている。

 何か手伝いに行った方が良いか。聞くと、やめとけと苦笑が電話先から聞こえる。

「男のお前が、帰り道で護衛でもしてくれる気か? コッチ側かも~、で余計に助長するだけだぞ」

 心配するなと言うが、心配しない訳がない。いろんな意味で。

「なに、一応近場の相談相手もいるんだ」

 聞くと、懇意にしているスタジオだか楽器店だかの女性スタッフからアドバイスをもらっているらしい。

「そいつ、男同士の恋愛は大好物らしいんだが、ストーカーが許せないらしい。理系の知識でヤバい罠作ってるみたいだ」

 それなら良い。良いのか?

「で、何で俺らはたまの電話でこんなことを話さなきゃなんないんだ」

 聞いたぶっちゃけに吹き出したのがうるさかったらしく、アパートの隣の壁からドンドンと抗議の音が来た。

――がんばれよ。

「そっちこそ」

 それからは忙しく、結局夏まで一度も電話は掛けなかった。



 一から物事を始めるとは難しいことで、新部署の立ち上げは難航していた。無論、他部署からのアドバイザーや外部顧問が来てはいたが、基本は自分達でやっておけ、な会社だ。そうそうに軌道に乗ったりしない。

 ストレスと過労で体重が五キロ落ちた。体調を壊し、一週間入院だ。

 見舞いに来た先輩曰く「自分、何を最初から張り切りすぎとんねん」だ。

 退院後も無理矢理有給を取らされ、四日ほどアパートでゴロゴロしていた。

 梅雨明けの、まだ湿気がジメジメと残っていたころに復帰すると、同僚に等しい部下達からからかいを受けつつ通常業務へと戻った。



 同じ年の夏。海の日に重ねて有給を取らされ、プチ夏休みを味わっていた朝に、アパートの郵便受けへCDの束が入れられているのを見つけた。いつもの通り、奴からだった。

 ただ、暑中見舞いと一緒に束ねられていたそれは、それまでに送られていたものとは少し様式が違った。以前は、センスが良いとはいえ素人臭かったパッケージのデザインが、小綺麗にまとまっていた。

 連休三日目、休日出勤のつもりで会社へと出向き、ついでに奴の手助けにもなれば、と後輩に見せるためにCDを何枚か持っていった。

「それ、ガハラのシングルですよね? 最近メジャーデビューした」

 奴の芸名をやや関西のイントネーションで発音した後輩が、俺の知らない情報を言う。

「いや、週間ランキングでも下の方にちょこっと載ってましたよ。二十九位でしたっけ」

 そんなもの見たことない。

「歌は良いんですけどね。知名度がまだまだ低くて伸び悩んでますね」

 後輩の感想はどうでも良かった。

 メジャーデビュー? なんだそれは、聞いてないぞ。



「すまん。伝えた気になってた」

 奴に連絡を取ると、低いトーンで謝罪の言葉が来た。

「ストーカー騒ぎでゴタゴタし始めたころにレコード会社の方から連絡が会ったんだよ」

 それがどうして忘れる理由になる。

「ストーカー対策に、引っ越しの手続きと行き先偽装の手間なんかで方々に出向いてたんだ。しょうがないだろ」

 ムッとしたまま無言でいると、電話の向こうから小さく溜め息が聞こえた。

「…本当は、CDの発売発表日にいきなり電話して、驚かせるつもりだったんだ。嘘じゃない」

 誰もそこまで疑ってはいない。こちらも小さく諦めの溜め息をついた。許す、と呟く。

「…ありがとう」

 ただ、それよりも、引っ越したのか。

「ああ、何はともあれ住所を変えないと相手のレベルもわからないらしい」

 何のレベルだ。

「しつこさだ」

 そうすると、今は新居か。

「あ、いや、アドバイスくれてる奴の家に居候させてもらってる。日程が合わなくてな」

 その事実を反芻し、疑問が浮かぶ。

――女だろ、相手。

「…一人暮らしの、な」

 そこに、仮住まいとはいえ男と寝食を共にするのは貞操観念上あまり良くないだろう。

「俺も、変に意識しすぎてどうすれば良いのかわからない」

 まさかとは思うが、

――襲ったりなんかしてないよな。

「見くびるな。善意でやってくれてる人間を裏切るほど落ちぶれちゃいない」

 聞いて、安心する。そういう風に言うところが全く変わっていない。

「それよりも、偶々あいつの部屋を漁ってたら、男色系の際どい雑誌が置いてあってだな…」

 それもそれで人としてダメなんじゃないか。

 結局そのあとはどうでもいい話をして電話を切った。



 その次の夏。「ストーカー撃退。」というタイトルで送られてきたメールには、何故か落とし穴から警官に引き上げられるゴツくてケバい男を背景にして、やれやれと言う風な顔のヤツと、一緒に快活そうな笑顔を浮かべる背の低い女性の写真が送られてきた。これまたどうしてか、女性が着ていた緑の事務用エプロンには「藤野楽器店 弦楽器担当 たかはた」と書かれた名札がついていた。

 これは、と少しニヤケた顔をしつつ、返事にはキリギリスの産卵方法を詳しく書いて送った。それに対するレスポンスは、

「まだそういうことはやってない」

 まだ、と来る辺り、人生の墓場に片足突っ込んでそうだ。



 仕事の方は、ある意味順調で、問題という問題も起きずに業務範囲が拡大していった。強いていうなら、同期二人が何やら怪しい仲であると自分と後輩で噂になったことぐらいだ。

「同い年と惚れた腫れたの関係になるのは、私、想像できませんね」

 昼休み。オフィスの前の休憩所で、野菜ジュースの紙パックにストローを突き刺した後輩が言う。

「結局自分とおんなじようなのと暮らしていて何が楽しいんでしょうかねぇ」

 だったらお前はどういう男なら満足なんだ。

 休憩所の真ん中に置かれたベンチに座った後輩の背後。自分は自販機でブラックコーヒーを買いながら聞く。

 無言を数秒維持した後輩は、背をそらし顔だけを逆さにこちらへと向けた。長い髪と前髪が重力に引かれて下に垂れ、ほくろのある額が露になっている。

「…ちょっと年上の、仕事のできる上司とか」

 望みが高いな、と言うと、

「絶対惚れさせてみせますから」

 少し噛み合わない会話に首を傾げて、コーヒーを煽った。


次は明後日。

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