第十五節「夜明け前の訪問者」
朝靄に遠く木霊する黒鳥の鳴き声と、朝の訪れを告げるかのような小鳥の囀りが入れ替わる頃。
第十五節 「夜明け前の訪問者」
夢うつつに響くドアを打つ鈍い音。
未だ眠りに就いていたファイストであったが、繰り返すその音に目を覚ました。
虚ろながら開く瞼の前には、いつもと変わらぬ愛しき妻オディエットの美しい寝顔があった。
穏やかに通る声が、彼の名を呼ぶ声が聞こえる。
「人形師ファイストは御在宅か?」
まだ日も顔を出さぬ朝方、ファイストは少し迷惑そうに身を起こした。
ベッドから足を下ろしたものの、未だ夢の中にいるような面持ちに大きく溜息をついた。
それでも、繰り返し己を呼ぶ声に急かされると、オディエットを起こさぬようベッドを離れた。
「人形師ファイストは御在宅か?」
「はいっ・・・、今空けますから・・・」
そう言って、彼は家の扉をゆっくりと少しだけ開いた。
「私がそうですが、こんなに朝早く、何用で?」
欠伸に寝ぼけ眼を擦りながら向けた先には、深緑の外套を纏う若くも貴族らしい男が立っていた。
何やら人気を気にしているような素振り。
それを不可思議に思ったが、どこかで見た事があるような佇まいに記憶を辿っていた。
「朝早くすまぬ、頼みたい仕事がある、中に入れてもらえるか?」
ふと、聞き覚えのある声に、被るフードの顔を覗き込むファイスト。
「こ、これは大臣閣下・・・」
若くして国務を取り仕切る大臣となったメテウス。
そのやり手ぶりと国民からの信頼は絶大なものであった。
これが都の市場や通りの人混みであれば気付かぬこともあろうが
めったに王侯貴族などとは顔を合わせることのない田舎町ではそうはいかなかった。
まして、先だって行われた豊穣祭の折、都に出ていたファイストは司祭の傍で祈りを捧げる彼を見て知っていた。
「大臣閣下、このような所に・・・」
慌てて扉を開くファイストは、メテウスを家の中に招き入れると、寝室で眠るオディエットに声を掛けた。
「いや、気遣いは御無用・・・」
ファイストというよりは、地方の暮らしぶりを見るかのように目をやるメテウス。
ただ、彼もそれ程時間に余裕があるわけではなかった。
出来れば今日中に城に戻らねばと思っていた。
「手短に言おう、実は、内々に作ってもらいたいものがある・・・」
「内々に・・・」
「そう、‘生ける人形’とやらを頼みたい、謝礼は十分にはずむ・・・」
単刀直入に切り出したメテウスは、手にする金貨の入った革袋を差し出した。
「いや、それは・・・」
「何か不都合でもあるのか?それとも、これでは金が足らぬか?」
「いえ、そういうことでは・・・」
その唐突な申し入れにファイストは戸惑った。
それもその筈である。
確かに他に類を見ない美しさと精巧さを持つ人形を作る事は出来た。
いや、出来たというよりは、それを売りとし、生業として名声を上げてきた。
それが‘まるで生ける人の如し’と周りが形容するのであればそうなのかもしれない。
ただ、人形師としての名声が上がる度に、その名声には尾ひれや根も葉もない噂までもがついてまわった。
これまで彼は、ただの一度も‘生ける人形’など造って世に出した事は無かった。
オディエールとオディエットの事は、誰に話す事もなく秘密にもしていた。
それでも、彼の名声の陰には‘傀儡の禁呪’が囁かれた。
先に述べたように魔女エリスらの姦計によって。
「この人形は、国王陛下に献上する品となる・・・」
「こ、国王陛下に・・・」
もっとも、この時のメテウスに‘傀儡の禁呪’のことなど頭にはなかった。
美術商の言葉を鵜呑みにする軽率さは持ち合わせていなかったのだ。
それが本当に‘人の如く生ける人形’なのか?
それとも形容された賛辞のモノか?
造ってみれば分かる事というのが本音だった。
「大臣閣下、そのような大任、私のような若輩者ではなく・・・」
そうとは知らぬファイストは、メテウスの申し入れが如何なるものかと判断しかねていた。
よもや、国を預かる大臣が法を犯す頼みを口にする筈もないとも思ったが
彼の本心を確かめる事も出来ず、ただただウロたえるしかなかった。
自ら禁呪の事を口にするなど出来ようもなかったのだ。
また最悪の場合、三度、禁呪を犯すことになる。
それだけは絶対に避けねばならぬとファイストは思っていた。
まして、禁呪を施すにしても‘柘榴の木’が必要となる。
そうなれば法を犯すのは勿論、世に知れれば、これまで積み上げてきた全てを失ってしまうだろう。
そう考えると、この注文は彼にとって受けてはならないモノであった。
「やはり大臣閣下、私には、とても・・・」
何とかして、この申し出を断れないかと苦心するファイスト。
そんな彼の態度を察してかメテウスが言う。
「これは頼んでいるのではない、大臣である私からの命令だと思って頂きたい・・・」
メテウスのハッキリとしたモノ言いに言葉を失うしかないファイスト。
二人のやり取りを耳にし、不安げな面持ちでオディエットが寝室から顔を覗かせた。
「おお、これは御婦人であられるか、朝早くから大きな声を出して申し訳ない、お許し願いたい・・・」
「い、いえ・・・」
頭を垂れるメテウスに小さく会釈をするオディエット。
振り返るファイストの表情を悟ると彼女も少し顔を曇らせた。
そんな二人を前にメテウスは手荷物の包みを開いた。
「こ、これは・・・」
「そう、ROSELUNA王女様だ・・・」
それは‘転生の秘術’で異世界に赴いた‘王女ROSERUNA’の肖像画だった。
「この風の国の民ならば、まあ知らぬ者もおるまいが、一応、これぞというモノを持ってきた・・・」
「ということは、王女に似せた人形を造れと・・・」
「似せたでは困る、勝るとも劣らないモノを造って頂きたい・・・」
再びオディエットと目を合わせ、口籠るファイスト。
最早、彼にメテウスの頼み、いや、命令を拒む術はなかった。
「して、どのくらい掛かる?」
余りの事に苦慮するファイストであったが、大臣の迫る眼差しに重く口を開いた。
「最低でも・・・、ひと月は下さい・・・」
「いいだろう、ではひと月後だ、ひと月後に受け取りに来る・・・」
未だ釈然としない心持ではあったが、出来る限りの人形を造るしかないとファイストは自身に言い聞かせていた。
勿論、国王に献上する人形に‘傀儡の禁呪’など施せる訳もなかった。
それを大臣も期待している筈は無いと考えるようにした。
「よいか、このことは、一切、他言無用だ・・・」
再度、メテウスは念を押すと再び外套に身を包みフードで顔を覆った。
そうして、ファイストの家を後にしようとした時。
何かを思い出した様に立ち止った。
「おお、そうだ、お主に渡し物があるのを忘れていた・・・」
「渡し物?」
「街の美術商から預かった紹介状と、この宝石箱だ・・・」
「紹介状・・・」
確かにそれには、ファイストの人形を扱った事のある美術商の名前が記されていた。
しかし、手渡された宝石箱に見覚えは無かった。
「確かに渡したぞ、ひと月後を楽しみにしている、ひと月後だ・・・」
そう言い残してファイストは、人目を避けるかのように去って行った。
夜明け前に突然訪れた訪問者。
地平線と抱き合う空を赤く染める朝日が、ようやくメガラの街を闇夜から朝へと解き放ち始めていた・・・。




