第二十一話 急転
MAGのパーツは概ね6つに分けられる。両脚部、腰部、胴部、右腕部、左腕部、そして頭部。この中でもっとも損耗が激しいのが両脚部だということは、MAGに少し詳しい者であれば誰もが知っている。
腰部から上の全パーツを支える脚部は、機動力を信条とする機体の生命線と言っていい。載せた車を潰してしまいそうなくらいに重い武器や、何トンもの他パーツを一手、もとい一足に担う。当然のことながらかかる負荷はつとに凄まじい。緩衝材が関節部に内臓されているとはいえ、三階建てもの高さを有する金属塊だ。地面を一歩踏みしめるだけでも生じる衝撃は計り知れないし、ジャンプして着地すれば地面が何十メートルにもわたって振動し、小さな隕石が落ちたかのような亀裂が生じる。加えて、脚部に装着されているスラスターの高熱と噴射力による摩耗も決して少なくない。滑走による摩擦熱も、金属劣化の大きな要因となる。
MAGの町中での運用が緊急時を除いて固く禁じられているのも、そうしたリスクがあるからだ。賊を制圧しようとして、彼らが暴れるよりも深刻な被害をもたらしかねない。
機動性と攻撃性の二点において、MAGは他兵器とは一線を画す性能を有している。厄介なのは一撃離脱を信条とする戦闘機くらいのもので、戦車や装甲車、自走砲などといった兵器では相手にもならない。旋回能力に優れる最新鋭の戦闘ヘリでようやく互角に戦えるか、といったところだろう。一個師団を用いれば、敵軍が敷いた強固な陣地を容易に歪ませ、ごっそりと削り取るだけの力がある。
ただし、いかに固い装甲に覆われていようと耐久に限界はある。解体屋が扱うMAGもその多分に漏れず、どれほど丁寧に扱っても脚部は3年もたないと言われている。
付け加えると、対人戦闘においても頭部、胴部に負けず劣らず狙われやすい箇所であることもポイントだ。動きさえ止めてしまえば戦闘力は固定砲台並に激減、無力化できる。
何かと損ないやすい背景があるため、脚部のストックは他パーツに比べて需要が高い。理音が提出したブラン・メタリア社のアゲイラは一世代前の中量級機体。敵味方の目を引く深紅のカラーリングが特徴だ。
分厚さは標準的だが軽量合金が使われているため、軽装、重装MAGの代替パーツとしても融通が利く。資金に余裕のある者であれば正規品を購入するだろうが、理音のように個人でMAGを所有している者であればたとえ再利用品であろうと興味を抱かせるだけのスペックを持っている。
そうした背景を裏付けるかのように、5000エルと控えめに設定しておいた最低落札金額には、既に零が1つ増えていた。
『2万8000――31番さん、2万8500、3万1000――3万2000、失礼、18番さんがわずかに先でした。――3万さん……4000』
投げ出された赤い脚を巡る攻防に、久方振りに会場が湧き立った。今まででてきた腕部や胴部とは額こそ変わらないが勢いが違う。入札者の挙手と数字をチェックしている猪飼にも、さすがに余裕がなさそうだ。
理音があらかじめ到達予測していた入札金額は5万エル前後だったが、あっさり突破しそうな勢いだった。ヘリの時に比べて額はかなり低いものの、金額が塗り替えられる速度はこちらが遥かに上だ。そして、その勢いは標準以上の価格をもたらすのに非常に役立つ。
5万エル。希望落札額に到達した途端、一気に5000ほど塗り替えられた。映し出されたのは厳めしい顔に長い揉み上げが目立つ軍人然とした男だ。挙手しながらも威圧するような眼光をモニターのカメラに向けている。
5万5000エル。あるいはこれで終わるかと覚悟したが、猪飼の入札を促す声から数秒の間が空いて、さらに500の加算がなされた。
嬉しい悲鳴。もとい笑みがこぼれそうになり、口元を覆い隠した。感嘆が隣から漏れ聞こえたが、素知らぬ振りをする。まぁこれくらいは当然だろうという顔を張り付けながら、モニターに移る数字が――今は大分たどたどしくなっていたが――上昇していく様を追う。久々に貯蓄ができそうだ。そう思いながら、しかし心は先ほど優鴉が紡いだ言葉に傾いている。
果たして本当にこのままでいいのか。シズ・シティで解体屋を続けるにしても、その先に何をし、何を目指すのか。考えれば考えるほどに頭が痛くなる難問だった。
わかっているのは、今の自分にヤハヴェイを失う気はないということと、瓦礫と化した過去を建て直すことなどできはしないということだけだ。未来への道筋はあまりに漠然としている。かといって、元の場所に帰る道は完全に閉ざされていて、有体に言えば他に行くべきところを見出せなかった。
こちらが考えるのを先延ばしにしていた問題に、偶然とはいえ優鴉は鋭く切り込んできた。同時に、何故彼女がそんな恐れ多いことを口にできたのかというにも意識が及んだが、それについてはある程度答えが出ていた。おそらく優鴉はイーストリージョンにおいてかなりの発言力を有す家系にいるか、後見人を持っているのだろう。そうでなければ、任務から外れるという我儘を簡単に通せるはずがない。彼女が約束を守るための労力は、少なくとも自分よりは少ないはずだ。周りの環境に恵まれているのだ。
そうと思えば少しは気持ちが楽になる。ここも居心地は悪くないし、生活がかかっているという言葉も嘘ではない。簡単に首を縦に振るわけにはいかない。
一方で、そんな言い訳を多々用意しようとする自分の弱さに憤りも感じていた。はっきり言えば、やっと得た安息の場所を離れるのが怖いのだ。機士としての腕を磨くためにアフリカに行こうと思い切ったのが、遠い昔のことのようだった。
「――音ってばっ!」
「うぉっ」
頭に手をやった途端、肩を押された衝撃で体全体が戦慄いた。慌てて顔を上げると、いつの間にか優鴉が目の前に移動していた。心配そうな顔で覗き込んでいる。次いで、遮断されていた周りの歓声やどよめきが耳に入った。
「どうしたの、せっかく落札されたのにぼーっとしちゃって。どこか具合でも悪いの?」
「あ、いや、平気、だけど」
優鴉の言うとおりだった。目の前にいる彼女のすぐ横、モニター内に表示されているアゲイラの脚部には落札の印が捺されていた。金額の欄には赤い文字で6万3300エルと記されている。さすがにあそこからは伸び悩んだようだが、まぁまぁ上出来の部類だろう。
理音は小さく肩をすくめ、優鴉に席に戻るよう言ってから電子端末を開いた。画面の一番右下部分に口座情報の更新報告が届いている。ローンなどという無粋な支払いは、ジッフェル社のオークションでは許されていない。即刻振り込み手続きが成されたのだろう。明朝の予定振り込み金額が表示されている。
控除額は5%で税金が17%。手元に残るのは5万と少し。そこから整備を行った工場に対する費用も払う必要がある。今月の出費は整備費用や運搬費用、その他諸々を含めて3万エル強。差額として1万5000エルが手元に残る。
いつもならほくほく顔になれるだろう結果にも、やはり気が晴れることはなかった。
漫然とモニターを眺めている最中、口座情報の位置に新着情報が割り込んできた。周囲の状況を探っていたキャスからの報告だ。
その文面が、頭の中を堂々巡りしていた煩雑な感情を、一気に消し飛ばした。