第二十話 抵抗力
オークションは予定時刻通りに開始され、順調な盛り上がりを見せつつあった。
最初に競売にかけられたのは野生動物の観察に使われる精巧な鳥型ロボットで、1000エルから始まったものが3万エルで落札された。落札したのは80に届きそうな黒いシルクハットの老紳士で、初回落札者としてジッフェル社系列ホテルのスウィート宿泊券が花束と一緒にプレゼントされた。
その後、しばらくは飛行機のフィルターやオイルなどのこまごまとしたものが続き、落札価格はおおよそ500エルから1万エル以内に収まっていた。
開幕のテンションが徐々に鈍ってきた頃合い。ステージの奥からMAGが2機現れ、一階席から大きなどよめきが起こった。
そびえ立つツインタワー。アーミーグリーンの鉄巨人が二人がかりで運んできたのは、中型の自家用ヘリコプターで、値段も盛り上がりも今までとは桁違いだった。1万エルから始まった競売は5分もすると100万エルを超えていて、尚も入札が途切れる様子はなかった。一階の観客たちはいくらまで上がるのだろうと興奮気味に話し合い、二階では入札参加者が挙手する度にいくつもの視線が右往左往した。
『――150万、はい、71番さん170万。190、いえ、195ですね。200万に到達しました、ありがとうございます。おおっと、129番さん250、一気にアップしましたが他には。260、280』
猪飼の視線が目まぐるしく動き、檀上にあるモニターと会場とを慌ただしく行き交った。
入札に参加する方法は大まかに分けて二つある。挙手によるサインか、端末のテンキーを叩いての値段入力だ。
主催の会社によって方式は異なるが、スピード感を重視するここでは指を何本、どのように立てたかで入札額を提示することができる。例えば前入札者の150から10上げた数字――自分が提示する額は前の数値に加算した額となる――つまり160で入札する場合には、挙手した手の人差し指を1本だけ立てる。20を加算する場合にはVサインを作るし、30は親指と人差し指の先を合わせて丸を作る。はたまた40は五本の指をぴたりと揃え、縦に向きを変えるといった具合だ。
捕捉すると、一桁下の数値を示す場合には1秒の内に変化させる。15を示すのであれば、人差し指を立てた状態からパーに移行する。また、2秒の内にカウントされなかった手は一度下ろさねばならない。これは被りをなるべく防止するための措置だ。
理音がモニターの猪飼の横顔に感心したような視線を向けた。随所でカメラに映し出されているとはいえ、誰がどれだけの値段を示したかを一瞬で判別するのは楽な仕事ではないはずだ。整った顔立ちとスタイルが目につく彼女だが、これだけのことをポーカーフェイスでやってのけるのだから、オークショニアとしての腕も申し分ないだろう。
最終的に、出品されたヘリコプターは455万エルで落札となった。落札された品物と落札した人物が立体型モニターに映し出され、会場からの祝福を一身に受けた。50代は超えているだろう顎髭を生やした強面の男で、手を振って歓声に応えていた。その手には赤、青、黒、3種の指輪が嵌められていて、高そうなスーツを着こなしている。十人中十人が金持ちだとわかる風合いだ。
「うー、金銭感覚がおかしくなりそう」
落札の丸印がついたモニターを眺め、優鴉が茫然と呟いた。開始の値段ですら、そこいらの学生には手を出せない額だ。ましてや落札価格となると0の数を数えるのも億劫になるくらいだった。
一方の理音は、競売そのものにはあまり集中していない様子で、背もたれに体をだらしなく預けながら猪飼から手渡された商品のリストをぼんやりと眺めていた。ボタンを押したのも始まってから間もない時だけで、それもたった2回だけだ。優鴉はそんな理音の様子に肩透かしを食らったような顔をしていた。
「さっきから気乗りしなそうだけど、理音は何か買うつもりの物ないの?」
「生憎と、先立つ物がなくてな」
理音がふらふらと手を振った。あったとして買えない物の方が断然多いけど、と付け足すと、優鴉が強く同意を示した。資金が潤沢にあればあるいは、といったところだが、幸か不幸か今のところ食指を動かされるような品物は出ていない。
ヘリの後は乗り物やロボット、その拡張パーツなど、ハイコストの物に推移していた。物見高い観客やそういった趣味を持つ者にとっては垂涎物の光景だろうが、そうでないものにとっては単なる作業に過ぎない。
1時間ほどもすると目ぼしい品物が尽きたのか、いよいよMAGパーツの競売に入ることを告げられた。
10分間の小休止に入り、客たちは思い思いに寛ろぎ、はたまた席を立ってトイレへと向かった。
横に座っている優鴉もなにやらもじもじしていたので、声をかけようか迷った。だが、先に沈黙を破ったのは優鴉だった。
「これから、理音の出品物が出てくるんだよね」
「あぁそうだ。脚部だけな」
「脚部だけ、って、さっき言ってた多弾装銃は出てこないの?」
武器の売買については深夜にひっそりと行われ、一般の見物人も立ち入りを禁じられる。それを見るだけで自分が使う場面を連想し、暴力的な衝動を呼び起こすという心理学的な見地に則った配慮だった。銃で人を殺してみたいと思う人間はそれほどいないだろうが、一度は撃ってみたいと思っている人間は山ほどいるだろう。
加えて物騒な出品物については出品者と落札者のプライバシーが伏せられる。いくらで売れたかは明日、口座残高を見てのお楽しみだ。そんな説明を大まかに伝えると、優鴉の顔がわずかに曇った。
「……それじゃ、罪の意識が薄くなるのも無理ないよね」
しょんぼりと肩を落とした優鴉を見て、理音が面倒くさそうに頭を掻いた。
「罪って、あのなぁ、シズ・シティだけでも解体屋はそれなりの数がいるんだ。発掘品は俺が掘らなくともいずれ誰かが掘り出して売りさばく。使われるのが早いか遅いかの違いだけだ」
「理音、ボクが言いたいのはそういうことじゃ」
「おまえがさっきスフィアの中で言っていたことは俺も同感だし、悪いと思ってる。後ろめたさだってある」
「だ、だったらっ」
「だけど、こっちだって生活がかかっているし、運よく手に入れられた幸運をみすみす手放すつもりはねぇ。おまえが経費についてどこまで知っているかはわからないけど、あれを個人所有しようとしたら相当な維持費がかかる。発掘品を選り好みして売るなんて贅沢はしていられない。ましてや解体屋をやめちまったら、15のガキなんかには絶対に払いきれない額だ」
「……わからないよ、ヤハヴェイⅡを売れば今後の生活に困らないだけのお金は手に入るはずでしょ? なんでそこまで解体屋にこだわるわけ? そんなにMAGに乗り続けていたいの?」
「そういうんじゃねえんだよ、俺はただ」
抵抗力を失いたくないだけだ。理音の呻くような声に、優鴉が怪訝な顔をした。何に対してなのか問い質そうとしたところで、オークション再開のブザーが鳴った。
2人はお互いの顔を見合わせてから、ほとんど同時に顔を背けた。
優鴉の寂しげな視線を思い出しながら、理音は前髪を掻き上げ、天を仰いだ。抵抗力。自分で口にしたことで、初めて強い自覚が芽生えた。なぜ解体屋をやっているのか。そう訊ねられたら、今までならたまたまこの仕事を紹介されたからだと答えたはずだ。実際今まではそうしていた。
だが、胸の奥深くに刺さっているものがあった。大好きだったMAGの操縦を遠ざけたくなるほどの恐怖と、度し難い怒りの棘が。
金輪際MAGには乗るまい。2年前に抱いたその決意は決して軽いものではなかったはずだ。よもや数か月のうちに再びMAGに乗っている自分など想像もしていなかった。
シズ・シティに流れ着き、譲から解体屋の話を聞かされたときには戦闘以外の活用ができるという一点で興味を抱いた。あくまで食い繋ぐための手段としてそれを受け入れたのであって、MAGに乗り続けたいという意欲があったわけではなかった。
だが、仕事を初めて間もないうちにヤハヴェイを発見したときは、安っぽい言葉で表すなら運命を感じた。以前乗っていたものと機種こそ違ったが、自ら降りたはずのMAGが再び目の前に現れたのだ。しかも他の誰かが管理するものではなく、名実共に自分のものにすることが可能な機体が。
覚えがないほどの執着心が芽生え、手放したくないという強い思いが湧いた。そうするにはとにかく金が必要だった。駐機代や整備費用。機体を動かすための燃料代が。解体屋でもやらなければ維持費を賄うことなどできるはずもなかった。そう考えていた時点で、ヤハヴェイを売ることなど端から頭のどこにもなかったのだと今になって気づいた。
そんなにMAGに乗り続けていたいのか。理音は優鴉の問いを反芻した。乗り続けなければ操縦の勘が鈍るのも確かで、そうなることは望んでいなかった。心のどこかでは、機士としての経歴が屈辱に塗れたまま終わることが我慢できず、そんな自分をどうにかして救い出したいと願っていた。そういった機会に遭遇する可能性が、限りなく0に近かったとしても。
思考に耽る間にも、予定時間の半分が消化されていた。猪飼の合図に伴い、赤色に光る脚部がそっと展示台に置かれた。上から解析光が当てられ、客席に備え付けられたモニターが、修復された脚部を詳細なデータと共に映し出した。
『続きましてはブラン・メタリア社製MAG、アゲイラの脚部パーツです』
自分の出品物だ。理音が勢いよく体を起こした。
優鴉も展示されているそれが理音の出したパーツだとわかったのだろう。ほんの一瞬理音に流し目を送ってから、モニターに視線を戻した。
ステージ上の展示台に投げ出された紅の巨大な片足が、会場の注目を軒並み浚った。子どもたちの歓声が上がり、MAG保有者と思われる何人かがモニターに顔を近づけ、細かい数値をチェックし始めた。