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機翔のユア  作者: 本倉悠
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第十七話 違いなんてなかった

 白鶴の首にも似たポットの注ぎ口から、琥珀色の液体がユリの花弁を象ったカップに注がれていく。じっくりと蒸らした茶葉の芳香が、淀んだ空気に春風を招き入れた。

 舞台が英国庭園でないのは残念でならなかったが、気分だけは古の貴族だ。白いタキシードと赤いネクタイを着こなした男に目礼をしてから、カップの取っ手に指をはんなりと絡ませる。

 いきなり飲むような野暮な真似はしない。まずは香りを存分に楽しむ。カップを顎の高さまで持ち上げ、鼻を動かさずに。鮮烈さの中にもどこかほっとさせる温もりが頭の奥にまで沁み渡るようだ。

 理音は音を立てぬようにそっと二回、吐息を吹きかけ、温度を微調整してから口に含んだ。香りと熱が舌から喉へ、喉から全身へと広がっていくのがわかる。ストレートでは気になるだろう苦味や渋味も、濃厚なミルクと溶け合うことによってより複雑さを増し、まったく新たな味わいを引き出す。お互いの長所を引き出す理想的な相性(カップリング)だ。

 目を瞑れば高原の牧草地で蝶たちが戯れる光景が浮かんでくるかのよう。先に飲んだ二つよりも明らかにバランスがよい。かつて王侯貴族が好んだと言われる珠玉の逸品が果たしてどれなのか。理音は迷わず3と書かれた番号札をつまみ、係員に見せた。



『3番は10エルです、加点はありません』

「なっ、なんだとっ!?」


 会場内に響いた無慈悲な宣告に、そこかしこから落胆の息が漏れた。このざわめきの大きさからすると大多数が不正解に陥ったようだ。

 うんちくを垂れ流した挙句になんの変哲もない市販品を選んだ理音を前にして、優鴉がさもおかしそうに口元と腹とを押さえた。ひくひくと体を震わしている優鴉に、理音はふるふると拳を震わせた。今のお題はかなり自信があっただけに、悔しさも生半なものではなかった。そんな主人の横顔をキャスが冷ややかに、どこか憐みを込めて見つめている。

 ちなみに優鴉が選んだのはやや渋味が強い印象のあった2番。そちらの紅茶は一缶なんと500エルで加点も2。見事に高級品を選んでいた。

 確かに香りは良かった。百歩譲ってそこは認めるしかない。だが、砂糖なしで飲むには向かない感じがしたのも事実だ。実際、会場にいる参加者の大多数は3番を選んでいて、その次に1番。2番を選んだのは微々たる人数のようだった。

 納得がいかないといった様子の理音の肩を優鴉がぽむぽむと叩いた。にっこりと、満面の笑みを伴って。


「めげないめげない、誰にだって得手不得手はあるよ。……ぷふっ」


 閉じた口から漏れ出た笑声が、どうしようもなく癇に障った。言葉とは裏腹のしたり顔に、処理不能となった感情が胸に痒みを生じさせた。


「くそっ、勝ち誇っていられるのも今のうちだからな、今に見てろよっ」


 負け惜しみを言い捨てた理音が憤然と電光掲示板に向き直った。参加に気が進まなかったとはいえ、やるからには少しでも上を目指すのが勝負事というもの。現時点の合計で優鴉にはかなりの差をつけられていた。が、まだ巻き返しの余地はあるはずだ。知らずと熱くなっていることに気づき、ハンカチを取り出して手の平の汗を拭った。

 試験は三択がメインで、4択が今までに2回だけあった。てっきり食べ物がメインになるかと思っていたが、思いの外バラエティに飛んだ設問が出てきた。名工が作った弦楽器の音の聞き分け。古代ヨーロッパの細工師が作った装飾品の見極め。平成の世に流行ったとされるレアなレトロゲームなどがお題となり、参加者たちの頭を存分に悩ませた。



『お次は肉の選別でございます。カルフォルニア牛、国産乳牛、そして伊勢牛のリブステーキを用意いたしました。お昼には少し早いかと存じますが、どうぞご賞味くださいませ』

「伊勢牛、って銘柄牛のこと?」


 さり気なく際どい質問をしてきた優鴉に、理音は窘めの視線を返しつつうなずいた。優鴉もすぐに気づいたのかちろりと舌を出し、自分の頭をこつんと叩く素振りをしてみせた。素直に可愛いと思う自分がいたが、一方で余裕を見せつけられているという劣等感が口を真一文字に引き締めた。


「失敗失敗、それにしても結構な大判振る舞いだね。少しカロリーが心配かも」


 優鴉が自分のお腹を指先で押してみせた。その態度を見る限りでは、カロリーコントロールは優鴉にとって正解を選び抜くのと同じくらいに優先順位が高いことのようだった。

 理音は雑念を捨てるべく宙を睨み、自分のアベレージを頭の中で計算した。3択ないし4択問題を連続して行うこの大会では単純計算で30%前後、あてずっぽうでも3回に1回くらいは的中することになる。それぞれに得意分野もあるだろうから、平均値もそれよりは若干高い数値に向かうだろう。

 設問は先ほどの紅茶で7問目。そのうち正解を引いたのは3回で約43%。とすると、次の設問で外せば再び平均値へと転落することになる。つまるところ、絶対に外せない問題だ。


 理音が緊張の面持ちで、女性スタッフが差し出した皿を受け取った。皿には1から3までの番号がソースで描かれていて、ミディアムレアに焼かれた一口サイズのステーキが三つ、頂点で正三角形を結ぶように並んでいた。

 理音が内心で舌打ちした。インスタントをメインに据えているとはいえ、一人暮らしはそれなりに長い。スーパーで精肉コーナーを目にすることも少なくはない。故に生肉を見れば多少目利きもできるはずだったが、肉の焼き色を見る限り違いはほとんど感じられな――


「あ、これかな」


 隣からの囁き声に、理音がまさかという面持ちで優鴉を振り返った。既に食べる前からわかってしまっているというのか。いや、あるいは心理戦を仕掛けてきているのか。これが大会前であれば鼻で笑ってやるところだが、現時点で優鴉の成績は7回中5回当たりを引いている。実に70%強という驚異的な正答率を叩き出しているのだ。

 理音の視線に気づいた優鴉は、教えないよ、というように唇に指先を当てた。小憎らしい素振りに理音が大人げなく反発し、誰がそんな卑劣な真似をするものかと顔を背け、三種類の肉と睨み合った。

 焼き加減はほぼ均一で真ん中の一部だけが薄赤色だった。火を入れて間もないのか、まだほかほかと湯気が立っていた。高い肉はそれだけ希少なのだから、あるいは小さく切っているのではないかとも思ったのだが、幸か不幸かどれもほぼ同じ大きさだ。ならば、優鴉はどこで判断したのだろうか。いや、そう思わされている時点で彼女の術中に嵌ってしまっているのだろうか。


 思考の迷路に嵌りかけた時、理音は以前縁と交わしたやり取りを思い出した。肉の値段は良質な脂、つまり霜降りの有無で決まるとか、そんなことを言っていた気がした。

 そのアドバイスを踏まえてまずは1番。焦げ目のついた肉の表面を箸で軽く押してみる。先端がすんなりと埋もれ、穴から湯気立つ肉汁がじゅっと溢れ出した。

 口に入れるとさらさらとした脂が舌に纏わりついた。味付けは塩コショウのみのようだが、なんとも言えぬ甘さが舌の上で踊る。これはもしや、いきなり正解ではないだろうか。

 唯一気になる点と言えば噛み応えだ。噛んだ途端に肉の繊維が千切れてしまう。ここまで柔らかすぎるのはある意味肉失格ではなかろうか。いや、失格ではなく別格ということなのかも知れない。


 続いては2番の試食に移る。こちらは先ほどの肉よりやや弾力があり、肉独特の臭みを感じた。つまみ上げて口の中に放り込むと、なんとなく覚えのある味。つい最近、大衆レストランで似たようなものを食べた気がする。先ほどと比べて筋が多い印象もあるが、噛み切れないほど固いわけではない。とはいえ、1番を上回るとも思えない。これは十中八九外れだろう。


 最後に3番。理音は同じように箸で肉を押し、驚愕した。1番とほとんど同じ柔らかさだったのだ。これは味だけで判断をつけなければならないか。一番最初に食べた肉の味を頭の中に再現しつつ、理音は緊張の面持ちで口に入れた。

 歯と歯の間で肉の繊維が一斉に解かれていく。閉じ込められていた肉汁が口腔内に溢れ出し、舌にある味覚細胞を刺激。情報が電気信号に変換されて即座に脳へと伝達される。脳が今までの記憶からどんな味かを導き出し、舌に電気信号を送り返す。結論、1番に勝るとも劣らぬ美味。


 理音が神妙な面持ちで顎に手を当てた。どちらかが伊勢牛であることに間違いはない。だが、問題なのはそれだけではない。1番か3番、どちらかが乳牛かカルフォルニア牛であるという恐るべき事実だ。ブランド牛たる伊勢牛に比肩するほど味を向上させた牧場経営者たちの辛苦に思いを馳せ、そして格安で提供される上質の味わいに危機感を募らせる。そんなことを考えている内に、係員が番号札を確認しにやって来た。


『1番は100グラム12エルになります、加点は2です』

「よしよし、危なかったぜ」


 そう呟いた理音の横で、「えっ」という言葉が聞こえた。それでてっきり優鴉が3番を選んだのかとぬか喜びしたのだが、違った。優鴉はちゃんと1番の番号札を係員に渡していた。



「なんだ、どうかしたのか?」

「あ、ううん。今理音が、危なかったって言った気がしたから、何がだろう、って思っただけだよ」


 首を捻る優鴉を横目に理音が唖然とした。拮抗していると思われていた二つの肉に、優鴉が確信めいた差を感じていたということに。自分という人間は、実はかなり鈍感なのではないか。いつもなら流してしまうようなことが、妙に心配になってきたのだった。

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