第十六話 格付け
気まずい空気を打破する活路を見出せぬまま、バスは目的地へと近づきつつあった。
信号の度に曲がるようになり、バランスを崩さぬよう足を踏ん張る時間が増えた。隣にいる優鴉は先ほどと同じ愚を繰り返すまいと吊革握る手に力を込めているようだった。
理音たちを乗せたバスが二車線道路から逸れ、街路樹の高さが均一に整えられている円形道路に入っていく。前方で停車しているバスの後ろに追従すると、ふいに女性の機械音声が『国際展示場前』と駅の名を告げた。
前方のドアが開くや否や、立っていた乗客たちが早々と動き出し、座っていた乗客のほとんどが立ち上がった。後部座席側にいた理音は優鴉に指振りで降車することを伝え、一緒に列の最後尾へと加わった。市民コードの表示された電子端末を運転席の脇にある改札機にかざし、バスを降りた。
「……ん、優鴉、どうした?」
理音が振り返ると、後ろからついてきた優鴉がぽかんと口を開けていた。目の前にそびえ立つ建物の大きさに驚いているのだ。以前、自分が譲に連れられてきた時もこんな感じだったことだろう。
シズ・シティ国際展示場。四つの立方体を均等に配置して二段重ねにしたような大きな建物は、オークションやライブなどの様々なイベントが開催されることで知られている。娯楽施設と公民館を一極化したような施設で、つい数年前に建てられたこともあり、耐震構造や防犯設備は多分に整っているようだ。
バスから降りた客たちは漏れなく、目と鼻の先にある展示場の門へと進んでいく。人がごった返す敷地内では連射型の空気銃を――とはいってもスチール缶に穴を開けるくらいは用意な威力を秘めているのだが――肩から提げた警備員たちが、不審な入場者がいないかどうかチェックしていた。視界の端では、空っぽ同然になったバスが次の駅に向かうべく、円形道路を出ていった。
理音が建物を見上げている優鴉に、俺たちも行こう、と促そうとした。そこで、今度は手元が震えていることに気がついた。
やっとお目覚めか、と屈み込んだ理音が網籠を地面に置き、二つの蝶番で接続された蓋を開いた。はっとしたように、優鴉が籠の中に注視した。長めの耳をぷるぷると震わせているキャスの姿に、優鴉の唇が柔らかい笑みを形作った。
キャスは自分を見下ろす二人の巨人を見比べながら大欠伸をかまし、それから理音の膝を経由して肩に飛び乗った。首筋に擦れる薄茶の短毛の感触に、理音はくすぐったそうにキャスの体から首を遠ざけた。
「キャスちゃん、おはようっ」
「なぅー」
「やーん、この子ほんとにかわいーよ……」
生の声で応じたキャスに優鴉が両頬に手を当ててうっとりとした。サービスのつもりだろうか、とキャスの取り澄ました横顔を眺めた。人前での会話は禁じていないし、誰かに禁じられているわけでもないのだが、キャスはなぜか優鴉に言葉を解せることを打ち明けていない。質問攻めに晒されるのはたまらないと思っているのでは、と勝手に推測していたが真意のほどはわからなかった。ともあれ、先ほどから続いていた微妙な空気が緩和されたことについては感謝の念を抱いた。
バスの駐車場前に特設された入口ではシャコールグレーで統一された制服を着込んだスタッフが、入場券の販売とそれに伴う列の誘導を行っていた。
てっきり自分たちも並ぶものと思っていたのか、優鴉が長い列と理音とを見比べた。反して理音は並んでいる来場者たちに脇目も振らず、入口から少し外れたところまで歩を進め、来場者を観察している男性スタッフに声をかけた。
出品者のアルファベットコードが明記されているカード型の会員証を見せると、優男という言葉が当て嵌まりそうなスタッフがようこそ、と言うように手を腰の前で揃え、丁寧な会釈を披露した。
おもむろに、スタッフがポケットに入れていたリモコンを取り出し、軽快に操作し、背後の機械的な門に幾重にも引かれていた赤外線を上から順に解除した。それから肩の上にいるキャスに微笑みかけ、続いては理音の背に隠れている優鴉に目を移した。
「お連れ様は、当会場は初めてでいらっしゃいますか」
「ええ、遠縁の親戚なんですが田舎から出てきたばかりなもので、町の案内も兼ねて連れてきたんですよ」
打って変わって丁寧な言葉遣いになった理音に、優鴉が目をまん丸にした。
「左様でございましたか、それは良いタイミングでございましたね。――いかがですかお嬢様、シズ・シティの印象は」
「あえっ? あっと、ええと、その……」
急に話を振られ、優鴉が滑稽なくらいあたふたとした。最先端の技術が導入されているYブレインとやらに在籍していることを考えれば、むしろシズ・シティが田舎町に見えても不思議ではない。素知らぬ振りをしていた理音はしょうがないなというように肩をすくめ、フォローを入れた。
「いや、すみません。普段はもっと溌剌としている子なんですが、見知らぬ場所でいささか緊張しているようでして」
「いえいえ、こちらこそ変なことを聞いてしまいまして。あまりに可愛らしいお嬢様なもので、ついつい声をかけてしまいました」
歯の浮くような男の台詞に、しかし優鴉はそれで少し落ち着いたようだった。
「その、まだこちらに来て間もないもので、もう少し回ってから判断したいな、と思ってます。とにかく広い町ですから、道を覚えるのが大変で苦労してますけれど」
「なるほど、ごもっともでございますね」
快活に相槌を打った男に、理音が会員証を裏返しながら言った。
「こちらの注意書きには二人まで同行が認められると記載されているのですが、間違いありませんか」
「はい、その点は何ら問題ありません。ここだけの話、常連の方であれば一人や二人くらい多くても目を瞑っているのが現状でして」
指を立てて片目を瞑ったスタッフに、理音が肩をすくめてみせた。心配して損した、というように。
「それと、こちらの会場はご存知のようにかなり広いのですが、お使いになります?」
スタッフはそう前置きしてから、手の平に乗せているGPS機能のついた銀色のバッチを控えめに差し出した。一日に百人を越すこともある迷子防止のために配られている発信機ツールだ。近くにいるスタッフにバッチの番号を伝えれば即座に受信センターでバッチ所持者の位置が確認され、最寄りのスタッフに連絡を取って保護してくれるという仕組みになっている。
理音は優鴉を肩越しに見、つけるかどうかを訊ねた。優鴉は少し不満げな表情を作り、首を振った。子ども扱いしないでと言いたげだった。
「だそうです、なんというか変なところで意地っ張りで」
「ははは、自立心が強いのは結構なことじゃありませんか。お引き留めしてすみませんでした、さぁどうぞ中へ、ごゆっくりお楽しみください」
恥じ入るように頭を掻きながら、理音がスタッフからパンフレットを受け取った。優鴉はその背中にじと目を送っていた。
円盤状の蛍光灯で白々と照らされた廊下には、等間隔に熱煙感知器とスプリンクラーが備え付けられていた。外窓がない狭いバックヤードではスタッフや作業員らしきつなぎを着た男たちが行き来している。
「それにしたって、あんな言い方ってないよ。あれじゃあボクが跳ねっ返りのじゃじゃ馬みたいじゃない」
たっぷり五分くらいは愚痴を聞かされているだろうか。後ろを向かなくとも、ぞんざいな口調と乱暴な足音からむくれていることくらいはわかった。自覚していなかったのか、と口を突いて出そうになったが、思いとどまった。不用意に火に油を注げばそれこそ跳ね返ってきそうだからだ。
「単なる演技の一環で、特に深い意味はないよ。っと、こっちだな、はぐれるなよ」
曲がり角に来る度に、電子端末に映っている施設の縮小地図が点滅した。細い廊下を途中で左に曲がり、作業員用のバックヤードから計八つのホールへと通じる交差路に出た。
中央にある空間型モニターまでいくと、周りにいる来場者たちが現在地入りの地図を確認しつつ、自分が行くべきところ、行きたいところを手元のパンフレットと見合わせていた。MAGのオークションが行われるのは中央から見て南西側の第三ホール、若干入り口側へ戻る形となる。
「十三時までまだまだ時間があるな、さすがに少し早かったみたいだ」
「いいじゃない、せっかく来たんだから色々見ていこうよ。あっ、ねぇねぇ理音、ちょっとこれ見てよ、これ」
急かすように優鴉がくいくいと手招きした。どれどれ、と優鴉が広げているパンフレットを脇から覗き込んだ。
「『第4回格付け選手権』。違いがわかる紳士淑女の皆様、奮ってご参加ください? ……なんだぁこりゃ」
「面白そうでしょ、食べ物とか武器とか、廉価品の中に混じってる一品物を見極めて得点を競うんだってっ。賞品もかなり豪華みたいだし、やってみようよっ、ねっ」
異国の経験云々言っていたやつが、こんな通俗的なイベントに参加してどうするというのだろう。俄然乗り気な優鴉に悟られぬよう、理音は眉間を抓むように押さえた。