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機翔のユア  作者: 本倉悠
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第十五話 接触

 朝食が終わり、手早く身支度を整えた理音は、片手にキャスの入った網籠を手にして階段の下で優鴉を待っていた。

 普段は早起きの小さな家族も、今朝はまだ顔を見せていない。昨夜初対面を果たして喜色満面の優鴉に散々抱きつかれ、あるいはこねくり回され、至極お疲れのご様子だ。小さくてふわふわした物が好きだという少女の心理は、古今東西普遍のようだった。


 外に出てから二十分ほどが経過していたが、未だ上からのはない。バスの時間に間に合うだろうか、とスーツ姿の理音が腕時計に手をやった時――


「お待たせーっ!」


 快活な声を発しながら軽快に階段を駆け下りてきた優鴉が、目の前で急停止した。念入りに梳かしていた黒髪には寝ぐせの欠片も見当たらず、吹く風にさらさらとなびいている。身につけているのは縁が気を利かせて買ってきてくれたバーゲン品のフリースとキュロットを。更には、絵描きが被るような赤いベレー帽を被り、安っぽいライトオレンジのサングラスを胸ポケットに引っかけてもいた。

 束の間見惚れてしまっていた理音が、慌てて顔を背けた。


「さ、さてと、いくか。サングラスも一応かけとけよ」

「うん、わかってるよ」


 MAGに乗っていたのとボイスチェンジャーを使っていたのとで顔や所在が割れていることは考えにくい。だがもしイースト側、つまり優鴉の仲間たちにセントラルと通じている者がいたとしたら、気づく者は気づくかも知れない。考えすぎなのはわかっていたが、わずかな出費で予測不可能な危機を流せるのならば、手間は惜しまぬべきだった。


「えへへ、ちょっぴり照れくさいね、こういうのって。ボク、サングラスかけるなんて初めてかも」


 道すがら、隣から発せられた緊張感のない台詞に理音が眉をひそめた。家を出てからというもの、優鴉はずっと付近を隈なく見回していた。最初は不安からだと思っていたのだが、うわぁ、などといった感動詞を連呼しているのを聞いて違うのだとわかった。純粋に観光を楽しんでいるのだ。おどおどしているよりは自然に見える分ましだろうが、歩を進める度に辺りを見回していては人目を引きつけてしまう。ただでさえ優鴉は人目を引く容姿なのだ。


「あまりきょろきょろすんなよ、不審者だと思われたらどうするんだ」

 理音がそうと釘を刺すと、優鴉は気分を台無しにするなと言いたげに、微かに口を尖らせた。。


「だってさ、イーストにいる人でセントラルを観光旅行した人なんてそうはいないよ。古い建造物が一杯だし、異国にきたんだなぁってほんと実感する。ボク、実は今かなりすごい体験をしているんじゃない?」


 あっけらかんと笑う優鴉に、理音は溜息を落としながら頭を抱えた。


「あのなぁ、おまえは話がわかるやつだと信じてるから言うけど、もし見つかったらスパイ容疑で強制収容所行きの身分なんだぞ。俺は未成年者だから略式起訴で済むとしても、譲さんたちにまで迷惑かけるわけにはいかないだろ」

「うん、大丈夫。もし捕まったとしてもみんなのことは絶対に口を割らないよ」

「……だから、そういうことじゃなくてだな」

「……つまり、ボクのことを心配してくれてるの?」


 それも今更なのだが、面と向かった状態で認めるのはさすがに照れ臭かった。


「ああやば、こんなことしてる場合じゃないな、バスが来ちまう」

「あっ、ちょっと、誤魔化さないでちゃんと答えてよー」


 背後から投げかけられた恨みがましい視線を無視し、理音が車行き交う通りに出た。道路の混み具合を一瞥してから、白い基調の電子標識に歩み寄った。それから、行き先が点灯している丸いボタンを押した。そこは無人バスの停留所だった。ボタンを押さないと――降車する者がいるなら別として――バスは行き先が違うと判断してノンストップで行ってしまう。


「あれ、これってバス停なの?」


 優鴉が電子標識に映し出されている路線図をしげしげと見た。察するに、イーストのバス停とは少し趣が異なるようだ。

 別にタクシーでもよかったのだが、ここから目的地までは少し距離があった。目の前の道路をとろとろと走っている車のペースからすると、走行料金も高くつくだろう。

 シズ・シティでは年間の所得税を一定額以上納めている者にフリーパスのIDが電子端末に登録されるため、公共の施設や建物の使用に料金が発生しない。解体屋は特に収入と支出の行き来が激しく、税金でかなりの額を持っていかれている。ただで使えるものなのだから少しでも利用するべきだ。

 理音は後方を窺い、運転手のいないバスが遠くから来ていることを確認すると、周りの通行人に聞こえないくらい声を小さくした。


「バスの中でイーストの話題は、関連していることも含めて絶対に口にするなよ。録音か録画、あるいは両方されている可能性がある」

「……録音、って、なんで? 仮にも公共の乗り物でしょ?」


 声をひそめた理音に応じるように、優鴉がひそひそ声で訊ねた。


「犯罪の抑止力としてだ。警備機構やその関連団体が公共の乗り物に設置を義務付けている。予算の関係でそれほど普及しているわけじゃないが、後ろから来ているバスは新しめだからな。警戒するに越したことはない」

「そんなっ、ここじゃあ最低限のプライベートも守られてないの?」

「イーストじゃどうか知らないけど、こっちじゃ完全にプライベートな空間なんて持ち家くらいのもんさ。それから、この町の犯罪立件数は決して低くない。乗っていた飛行機を撃ち落とされたこと、まさか忘れたわけじゃないだろ」


 何気なく言った台詞に、優鴉の表情がはっきり強張った。


「……ここに、ボクらを撃ち落とした人たちも住んでいるってこと?」

「シズ・シティはおまえらが撃ち落とされた場所から一番近い市街地だ、MAGには定期的な整備が欠かせないからここを根城にしているやつがいてもおかしくない。暴力沙汰を好む連中はどこにだって巣くっているもんさ」


 説明する傍ら、理音は優鴉との温度差にひとつ納得のいく答えを見出していた。イーストの町は非常に治安がいいらしいという話を、譲から聞いたことがあったのだ。世界トップレベルの技術を持つ企業連を有しているだけあって人々の暮らしのレベルはセントラルよりも一段と高く、最新の技術力を駆使した腰の高さほどの警護ロボットが町を徘徊しているという。円筒形の機体の中には相手を無力化する催涙ガスやカラースプレー、はたまた電子網といった道具が搭載されている。軽々しく万引きしようものなら駆けつけたロボットに|たちまち群がられるだろう。

 一方のこちらはつい最近まで戦地だったこともあり、貧富の差が激しい。北の住人たちみたいな富裕層もいれば、中央に住まう中間層もいる。町の東側にはあまり行く機会がないが貧民街スラムじみた場所もある。犯罪者が生まれる土壌は出来てしまっているし、事実として犯罪率はそれなりに高い。治安のいい場所から来た優鴉にとっては尚更、好ましい状況ではないはずだ。

 バスの停車音に気づき、理音は開いたドアに優鴉を誘った。



 シズ・シティの南西側には滑走路の他に輸送物資の搬入口がある。MAGの出入りが可能なだけあって非常に大きな建物で、町に届く物資や食糧の大半が集められると言って過言ではない。

 バスに乗車中も優鴉からなにかと質問を受けていた理音は、可能な限り噛み砕いて説明した。その度に優鴉は吊革を握りながら考え込み、果ては倍々の質問にして返してきた。そこはどういった施設なのか。一体何をしにそこへいくのか。スーツにスラックスにネクタイと、理音がきちっとした身なりをしていることには何かわけがあるのか。


「そこでは月に二度、商業組合員立ち会いの元で様々な競りが開かれるんだ。今日はちょうどその日ってわけ」


 理音は電子端末の液晶を優鴉の方に向けながら言った。灰色の壁で囲まれた巨大な正方形の建物が映っており、その下に『フリーオークション開催』という太字が黄色で描かれている。


「競りって、お店の人たちが早朝市場でやっているあれのこと?」

「まぁ、そう思ってもらって構わない。なにも食料品に限っちゃいないけどな」

「へええ、それに理音が参加するの? 何か買いたい物があるとか?」

「いいや、俺は商品の提供側さ」

「提供……って、売る物があるの? 何も持ってきてないみたいだけど」


 優鴉が理音の持っている網籠に目を移し、それから手すりを握り締めている手を見つめた。


「持ってくるもなにも、生身じゃ持ち込めないんだよ、以前に発掘した廃棄機体のパーツが工場から上がってきたって三日前に連絡を受けていたんだ。大きさが大きさだけに長期保管すると倉庫代取られるから、売れそうなジャンク品をオークションにかけたのさ。今頃業者が会場に持ち込んでいるはずだ」


 優鴉は納得したような表情をして、そのままこてんと首を傾げた。あの子いいな、などという男子学生からの声が妙に癪に障った。


「でもさでもさ、廃棄機体なんかがそんなにお金になるものなの? そのままじゃ使えないわけでしょ?」

「足元を見られることもしょっちゅうだけど、場の空気と値段設定次第ではなかなかいい金になる。そうじゃなきゃ誰も解体屋なんて面倒な仕事やらないさ。ちゃんとした工場で付着した泥を除去して、錆も落として、切断面をならして、更に亀裂まで溶接すれば新品同然に仕上がる。大量生産している物であれば修理の方が金がかかるってこともざらだけど、工場の方もそういった事情は心得てるからな。そういった物はあらかじめ出品から除外してもらっている。溶鉱炉で溶かして金属塊にしてから売り払うんだ」


 部品も単に溶かすだけであれば修繕よりもずっと安上がりで済む。MAGには希少な合金や鉱物がたくさん使われているため、オークションの客には原材料目当ての業者も多いのだ。一般人にとっては単なる粗大ごみでも、精緻な加工技術を持つ者にとっては宝に等しい。MAG所有者にしても新品のMAGパーツは目が飛び出るような金額だから、こうしたところでパーツを揃えたがる傾向がある。となれば、必然的に中古品の需要も高まるわけである。

 そんな話をする度に、優鴉が大きく感嘆した。何度もうなずきながら目を輝かせている聞き手を前にしては、こちらも気恥かしさを禁じ得なかった。おのぼりさんに案内するようなその様子は、何割かのバスの乗客たちの興味を引いてしまっているようだった。


「話を聞いていてひとつ気になったんだけど、特許の問題とかはないの?」

「大いにあるはずだけれど、昔から中古業界では黙認されてるからな。どちらにしろ、争いごとを飯のタネにしている連中の権利を気にしてもしょうがないさ。もし技術流用を恐れてるって言うならそもそも回収される恐れがある戦場に出すべきじゃあない、そう思わないか」

「そう言われると、うん、そうかも」


 どことなく歯切れの悪い優鴉に、理音が首を傾げた。何か引っかかることがあるのか問い質そうとした矢先、ポーンという音と同時にバスの各所に備え付けられている降車ランプが一斉に点灯した。

 それから一分も経たぬうちに紺色のブレザーを着た学生がこぞって椅子から立ち上がり、並んで降りて行った。一挙に空いたバスの中で優鴉は歩道を歩いている学生たちをぼんやりと眺めていたが、はたと理音に向き直った。



「ねね、理音は学校いかなくていいの?」

「あん、なんだ藪から棒に」

「だって、今日って平日じゃない。それに今降りて行った子たち、ボクたちとほとんど同い年だったでしょ。本当なら理音だって学生服を着て通学しなきゃいけないんじゃないの?」

「あー、まーな」


 聞かれたくないことをこうもあっけらかんと聞かれてしまうと、こちらとしてもどのような反応をすればいいのか。と、こちらの表情から勝手に悟ったのか、優鴉が俯き、次いで表情を伺うような上目遣いを向けた。


「ご、ごめん。聞いちゃいけないことだった? その、誰かから嫌がらせを受けているとか?」


 聞いちゃいけないと思いつつ聞いてくる優鴉に、理音が思わず苦笑した。彼女のマイペース振りはどうやら並ではないらしい。


「心外だな、俺が特定の個人からいじめを受けるようなタイプに見えるってか?」

「ううん、あんまり見えないけど、その、ほら、ボクには負けたじゃない?」


 嫌みのない、しかし申し訳なさそうな言葉が胸にぐさりと刺さった。男である以上、周りに弱いと思われるのはあまり喜ばしいことではなかった。たまらず反論しかけたが、しかしすぐに口を噤んだ。油断していたんです、とか、本気で戦っていれば負けませんでした、というのはあながち嘘でもないのだが、男女平等の理念はさておいて男が女に対して荒事で本気になるのはどうかと思うし、なにより言い訳臭い感が拭えない。

 しかも、相手は別段体格がいいわけでもなく、本人の言い分を信じるならば寝起きで病み上がりで混乱状態という三重苦。万全の体調には程遠かっただろうことも想像に難くない。動揺や躊躇いを差し引いても、負けは負けだと認めねば潔くないだろう。

 それはそうと、と前置いて理音はさほど潔くない言葉を返した。


「うん、あれは事故っっていうか、おまえが怪物じみていただけだよな。そもそも生身で立ち向かおうとしたのが無謀だった」

「なんっ!」


 途端、膨れ面になった優鴉に、理音は笑いを噛み殺しながら肩をすくめた。


「というのは冗談だけど」

「もぅ、意地悪っ!」


 半ばじゃれ合うように脇腹を小突いてくる優鴉だったが、わりと本気で痛かった。理音は顔をしかめながらごめんごめんと謝った。


「それにしたって、おまえほんと強かったよな。俺だってそこらへんのチンピラに負けるほどやわな鍛え方はしてないつもりだったんだけど」

「つ、強いって、それが女の子にかける台詞――――きゃっ!」


 突然バスが前後に揺さぶられた。吊革から手を離しかけていた優鴉の体が前に泳いだのを見て、理音が半ば無意識に腕を伸ばした。伸ばした腕が支えとなり、なんとか転倒することは防げたが、前腕部に優鴉の胸が押し付けられる格好になってしまっていた。

 目をぱちくりさせていた優鴉が腕に抱かれている状況にようやく気づいたのか、火が付いたように顔を紅潮させて後ずさった。



「だ、大丈夫か」


 極力今の感触を意識せぬよう努めながらそう言った。


「う、うん、へ、へへ、平気だよっ。ご、ごめん、そそっかしくて……」


 そう言いつつも声の震えはまったく隠し切れていなかった。以降、優鴉はバスを降りるまでの20分間、終始無言のままだった。

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