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機翔のユア  作者: 本倉悠
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第十四話 もてなしの心得

 玄関の方から何かがことりと落ちる音が聞こえ、目が覚めた。

 ソファーの上に身を横たえていた理音は顔に乗っていた雑誌を鬱陶しそうに払いのけ、のそのそと体を起こした。玄関からの隙間風に晒されて微かに肌寒さを感じたが、12月であることを考えれば今年は随分と温かかった。

 いつも通り、家具据え置きの部屋に少しばかり日用品を付け足した程度の部屋がそこにあった。下がっているブラインドの隙間からは光が櫛の歯のようにフローリングの床を照らしている。



 夜通し付けっ放しになっていたPCのディスプレイではちょうど気象予報をやっていた。時刻は05:56を示している。解体屋を営んでいる者なら誰でも毎朝天候を確認するのが日課となっているだろう。

 年々進歩を遂げている気象予報は衛星が飛び交っていた頃と違い、各所の観測所で大気成分に含まれている窒素や水素等の割合を測定、演算機が導き出す理論値に則っている。それらを世界各地の現在気温、湿度、風向きなどのデータと照合すれば、24時間後の大まかな天気についてはほぼ100%的中する。

 とはいえ、細分化した区域での突発的な天候予測について難があるのは昔と変わらない。例えば、どこそこで突発的に交通事故が起きたというだけでも、火災によって発生する上昇気流で風向きにわずかながら誤差が生じる。その微細なズレは時を経て大きなズレとなり、何日か後になって思わぬ形で天候を左右することもある、というわけだ。

 天候を完全に予想するには初期条件の数値入力が必須となるが、その数値はあらゆる要素によって絶えず変動しているため、長期予報の計算式は根底から破綻している。変動した微細な数値を逐次更新することでようやく、信頼性の高い天候予測が可能になるのだ。


 晴、晴、曇。三日先までの天気を記憶したところで、理音が寝室のドアに視線を移した。普段使っているベッドには優鴉が眠っているはずだった。昨夜の彼女は、世話になっている自分がベッドを独占するのはと遠慮、もっというとごねていたのだが、押し問答も面倒になったので寝室に半ば強引に押し込み、ドアを閉めていた。


 2LDKの部屋は一人で住むには広すぎる。が、つい二日前までは、同じ年頃の少女が転がり込んでくるなどとは想像だにしていなかったわけで、環境の著しい変化に対しては戸惑うばかりだ。意識するなという方が無理だし、金を渡してホテルに宿泊させることも考えたくらいだが、逆に心配事を増やすことにもなりかねず、結論は部屋に泊めることに落ち着いた。

 いささか腹立たしいことに、管理人の譲はこちらのそういった葛藤や思惑を見切っているようであり、楽しんでいるようでもあった。一月分の家賃を払うから空いている二階を使わせてもらえないかと頼んだものの

「二人で2LDKを一つずつだぁ? 子どもの頃から過ぎた贅沢をするのは感心しねえな。大体、それを許すくらいなら俺とユカリンでとっくにやっとるわ」

 と、いささか納得いかない理由で却下された。



 理音は腰の下にかかっていた毛布を畳むと、寝ぼけ眼を擦りながら玄関の方に向かった。そして、郵便受けを開いて配達物の束を手早くめくっていく。高級住宅街ではオートロックもなんのその、配達員を偽装したりハイテク器具を利用した鍵破りが非常に多いようで、配達口のついていない耐熱ドアや網膜照合が主流になっている。医療用に使われていた内視鏡技術が犯罪に悪用されるとは嘆かわしい限りだ、などとニュース番組でお馴染みのコメンテーターが言っていたことを思い出した。


 書類を必要ボックスと不要ボックス(シュレッダー行き)に選り分けながら、今日率先して終わらせる事柄の順序付けをした。それから、まずは食事をどうするか、と再び寝室に目を遣った。まともな朝食を用意するのは気が向いた時だけだったが、気取って言うなら異国からの客人がいるのだし用意しないわけにもいかないだろう。

 理音は食卓を清潔な雑巾で満遍なく拭き、続いてはキッチンの戸棚から昨日買ってきたフランスパンを取り出した。



「……これは」


 何? と語尾を付け足すのを辛うじて堪えた優鴉が、食卓を見つめながら口を半開きにしていた。縁から譲り受けた水玉模様のパジャマ姿を身に着けていた彼女は、怒っているわけではなさそうだったが、喜んでいるようにも見えなかった。箱の中の物を手探りだけで当てる遊戯に興じているような、そんな顔だ。

 朝食だ。理音はそう言いながら、バターとブルーベリージャム付きのパンを頬張った。外側はサクサクで中はもっちりとした歯応えの申し分ない焼き加減だった。

 食卓には平皿と椀型のスープ皿が一ずつあり、それぞれに千切ったパンと、お湯を注ぐだけで作れるじゃがいものポタージュスープが入っていた。マグカップには温かい紅茶が、ティーパック付きで入っていた。縁に添えられたスライスレモンと手前に置かれたミルク、そしてスティックシュガーが、好きな飲み方でどうぞと告げていた。いささか質素ではあるが、ケチをつけるほどの味ではないはずだ。

 だが、彼女が今問題視していたのは、それ以外のことだった。


 透明な薬剤入れに入ったカプセルが三つ、マグカップの横に用意されていた。赤と白のものが一つ、青と白が一つ、黄と白が一つずつ。優鴉は、こんなものを朝食に出されたのは初めてだ、といった表情で、それらをしげしげと眺めていた。


「それぞれにビラミンB12を始めとする6種類のビタミンとカリウムやナトリウムなどのミネラル分、そして一日に必要な鉄分とヨウ素が入ってるんだ。お手軽だろ」


 理音は手慣れた様子で薬剤入れからカプセルを取り出すと、それを指で弾いて次々と宙に飛ばした。口の中に放り込まれていく三つのカプセルの軌跡を目で追い、優鴉が感心した表情を見せた後で、眉をひそめた。視線に気づいた理音はばつが悪そうに笑った。


「あぁすまん、少し行儀悪かったな」

「そうじゃなくてっ、……それもないことはないけど、その、理音はいつも栄養剤(サプリメント)で栄養補給してるの? 病人でもないのに?」

「サプリだけじゃないぞ。栄養ドリンクだって冷蔵庫に3種類揃えているし必須アミノ酸の入った粉末だって常備している。水だって――」

「も、もうそれはいい。あの、朝ご飯を用意してくれたことはとても嬉しいけれど――(これが料理の範疇に入るかもわからないけど)――なんというか、味気なくない? 食は、見栄えなんかも重要な要素だと思うんだけど」

「ああ、だからわざわざカプセルの色も全て違うのに――」

「――カプセルの話はこの際置いといて」


 と言いながら、優鴉が両手を左から右へ移動させた。


「居候の身でケチをつけたくはないけど、そこは承知で言わせてもらうよ。理音が用意した食事には、温かみが欠けてると思う!」


 ビシッと指を差され、理音は体を硬直させたまま手に持ったカップから立ち上る湯気に目線だけを落とした。


「ポタージュはまだ十分に温か――」

「そういう問題でもなくて」


 差されていた指が掌に変化した。その威容に押され、理音がうなずきながらも椅子を少し引き、手を膝の上に揃えた。


「サプリやインスタントが便利で頼りたくなるのはわかるよ。でも、でもね? 料理って言うのは手間暇をかけて心を込める作業が伴って初めて完成する物だと思うの。ボク、間違ったこと言ってるかな?」

「い、いや、そんなことはないけどさ。サプリだってインスタントだって、完成するまでは研究者たちがそりゃあ手間暇かけて」


 屁理屈だ、と優鴉が理音の言い訳を一刀両断した。


「そもそも、もてなしの心っていうのは相手に歓迎の気持ちを抱くことから始まるんだよ。それが出来合いの物ばかりって――それが手作りで、昨夜の残りを温めただけなんだけど、とかいうことなら全然OKだよ?――もし仮に、夕食に招待されて行ってみたらカップ麺と冷凍唐揚げと袋詰めのコールスローサラダだったとしたら、キミはどう思う?」


 理音は優鴉に言われた食卓を連想し、意外に悪くない気もするのだが、と首を捻った。麺類は生の真空パック詰めがほとんどで、具材もそこそこ気が利いているものが多い。強いて注文をつけるなら、カップ麺の種類は味噌トンコツにしてくれ、といったところだろうか。


「そりゃまぁ、縁さんの手心尽くしの料理と比べられたら劣るだろうけれど」

「劣るもなにも、同じ土俵にすら立ってないから比較対象にもならないよ」


 さらりとひどいことを言われ、それを常用していた理音はちょっぴり傷ついた。インスタントの味だって決して悪くはないのだ。それに満足できないとは、もしかして優鴉は意外と育ちが良かったりするのだろうか。自分をボクと呼ぶちょっと変わった女の子なのに。

 などと考えていると、彼女がじと目でこちらを見ていた。


「今、なにか失礼なこと考えなかった?」

「い、いや、ボクがそんなことを思うわけ」

「……ボク?」

「あぁあぁいや、俺だよ俺。じゃなくて、つまり、とどのつまり、手作りであればいいわけだな?」


 冷や汗をかいている理音を凝視して数秒後、優鴉が「違うよ」と首を横に振った。更に困り果てた様子の理音を見て、しょうがないな、といったふうに肩をすくめた。


「論より証拠だね、まずはお手本を見せてあげる」

「……手本?」

「しばらくはお世話になることだし、ピンチを救われたお礼も兼ねて今日の夕飯はボクが作るよ」


 胸を張る優鴉に、理音がおぉと感嘆した。可愛い女の子が手料理を作ってくれるとなれば、悪い気になる男はいないはずだ。

 その一方で、ちなみに料理の経験は、と釘を刺すことも忘れなかった。そこが理音の長所であり、短所でもあった。


「小さい頃から家事は一通りこなしてるから、大船に乗った気で任せてくれていいよ」

「へぇ……大した自信だな、わかった。今日の夕飯は全面的に優鴉に任せる。材料費は気にしなくてもいいぞ」

「うん、だから食材の買い出しに付き合って」



 もちろんだ、とうなずきかけ、訊き返した。


「……買い出し?」

「うん、ボク一人じゃきっと持ちきれないし、知らない町だからどこに何があるかもわからないから」

「それはそうだろうけど、俺は俺で今日の予定があるわけだが」

「心配しないでも大丈夫、仕事の邪魔はしないし暇を持て余す気もないよ。少しはどこに何があるか覚えなきゃ恩を返すのもままならないし。あ、何を作るかは食材を見てから決めるから楽しみにしててね」


 言動から察するに、同行する気満々のようだった。そして、いかにも楽しみにしているといったふうでパンを食む陽気さを挫く蛮勇を、理音は未だ持ち合わせていなかった。

 今日訪れる予定の場所で冷やかしを受けずに済むかどうかを頭に思い浮かべ、次第に重くなってきた頭を両手で支えた。

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