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機翔のユア  作者: 本倉悠
11/23

第九話 起きているようです

「一カ月待ち、ですか」


 新武装の取り寄せにかかる時間を告げられ、理音の顔が険しくなった。十分に申し訳なさそうだった店員の態度が、一層芳しくないものに変わった。周りから見れば、こちらがクレーマーでいちゃもんをつけているような感じに見えているかも知れなかった。

 店舗にとって年末や決算間近の売上は普段以上に上げておきたいものだ。大口と言って差し支えない契約を逃すわけにはいかない。とはいえ、一か月もすると相場そのものが大きく変動することもあるし、新商品であればまず確実に価値が下がっているだろう。契約書をこの場で交わすかは正直迷うところだ。


「も、申し訳ありません。一週間くらい前であれば空きがあったのですが年末まで輸送枠が埋まっていまして。あの、年明けにはなんとか取り寄せられると思いますが」

「ああ、いえ、ご心配なさらずとも入荷まで待たせてもらいます。そういった事情ならどこの店に行っても同じでしょうし」

「お、恐れ入ります。あの、できれば書面の手続きだけでもしていくつもりはございませんか。後でするのもお手間でしょうし。お詫びと言ってはなんですが、今回契約していただければブラン・メタリア社の新作、スタングレネード弾を二発だけおつけさせていただきますが」

「いやぁ、でもこっちも分割になりそうなんで、売買契約は年明けでもいいかなと考えているのですが」


 さらりと口にしたが、れっきとした嘘だ。単純に、店員がまだ持ち札を隠していないか確かめるためだけの言葉だった。

 こちらが口座を作っている二つの銀行にはこれまでに仕事で貯めた金がほぼ等分に入っており、その片方だけでも購入額には十分足りている。だからと言って、数万エルもの買い物で妥協するべきではない。おまけをしてくれるならばもう一声くらいあってもいいはずだった。交渉に手を抜くつもりは毛頭なかった。

 そんな理音の考えを察していたかはわからなかったが、鼻の下に手を置いていた店員は、意を決したように口を開いた。



「では、お約束通り、洗浄とスラスターの燃料は差し引かせていただきました。MAGの整備は済ませてありますので、3階の搭乗口に降りていただいてお客様のお名前を伝えていただければ」

「わかった、ありがとう」


 交渉の末に店員と売買契約を結んだ理音は、ヤハヴェイに搭乗してMAGパーツ専門店<アレグロ>を後にした。そして、駐機場に向かう途中で、買い物があったことを思い出した。

 駐機場に降り立った理音は自宅の方に向かわず、ショッピングモールのある町の北西部、駅の方角へと歩き出した。

 手にはしっかりと、キャスの網籠の持ち手が握られていた。



 白いレンガが敷き詰められた駅前広場のデジタル時計は14:06を示していた。この辺りは商店が立ち並んでいることもあり、休日の方が人の往来が激しい。近場のレストランのほとんどは大勢の家族連れで混雑しているようだった。


 エスカレーターに乗り、幅広の歩道橋に出来ていた双方向の人の川に加わった。流れはとても不規則で、ときおり後ろから押されたり、あるいは前を歩く人の靴の踵を踏んでしまうこともあった。

 アーケード街に入ると混み具合は一層増した。人々の体から発される熱気が息苦しく、押し合いへし合いが当たり前になった。

 入口から50メートルほど進んだところで焼きたてのパンの匂いに鼻腔をくすぐられ、急に食欲が刺激された。それから、朝から何も口にしていなかったことに気がついた。

 パン屋は客足が朝夕と二極化するため、早朝と夕方前の二回に分けて焼くことが多い。この時間帯には既に焼成もひと段落しているはずだったが、訪れた店の入り口にはいつでも焼き立てのパンの香りを嗅げるように、挽き立ての小麦の香りを発するコーヒーメーカーのような調香器具が置いてあった。中に入っている無害な化学物質の粉末に空気を送り込み、撹拌して流しているのだ。

 匂いで釣る商法については何年か前に物議を醸し出したこともあったようだが、痛んだ部分を引っくり返して売られている果物よりはずっと許せることだった。

 店をプロモーションする方法は個性があった方がいい。特定の商品を目立たせることを由としないのならば、脈絡のない動物が書かれた販促物や、特定の食べ物を連想させる歌なども規制されるべきだ。嗅覚だけを特別視する必要性はまったくない、というのが理音の意見だった。


 パン屋で店員に奨められるがままに試食を終えた理音は、中の生地がほんのりと甘いフランスパンを二つ買った。それから、向かいの野菜売り場にも足を運んだ。朝、自宅の階段を降りた先で落ち葉の掃き掃除をしていた縁に声をかけられ、買い物を頼まれていた。

 客引きの中年の女性が威勢のよい声を上げながらもぎたての、まだヘタの辺りが少し青いトマトを再生紙で作られた箱に綺麗に収まるよう並べていた。パンを買ったときに崩した銀色の1エル硬貨を3枚手渡し、それと引き換えに――明らかに大きめのを選んでくれていた――女がトマトを紙袋に入れ、笑顔と一緒に差し出してきた。それくらいに気持ちのよい笑顔であれば、たとえ営業スマイルであっても構わないと思わせた。


 買ったばかりのパンからは、とても良い香りがした。片手にキャスの入った網籠があったため、持てるのはパンと野菜類だけで一杯だった。理音は逆方向のまだ狭い流れに乗ると、荷物を脇に抱えたまま電子端末を取り出し、耳に近付けながら言った。


「そういえば、おまえは食いたいものとかあるか、何かあれば買ってやるけど」


 周りから見れば電話をしているようにしか見えなかっただろうが、液晶に映っているのは小さい時に撮った家族の集合写真、待ち受け画像のままだった。そして、それでも受話器から声が聞こえた。


<いえ、特に。実を言えば、もうお腹一杯でして>


 キャスの電子音声に理音は宙を仰ぎ、そして思い当った。大方<アレグロ>にいたときに職員から贈呈物を賜ったのだろう。致命的なトラウマやアレルギー等の体質を除き、可愛らしい動物が嫌いな人間はそういない。不特定多数から寵愛やお裾分けを与えられる頻度について、キャスは容姿端麗な美女にも劣らないものがあった。


「見た目が可愛いと得だよな」

<スペリオル、見た目が可愛い存在の大概は自分が可愛いと自覚しており、ひいては容姿よりも内面を褒められたいものなのですが>

「そうだな」

<そうだなって、他に何か仰りようがあるかと存じますけれども>

「頑張って、褒めてもらえるくらいの水準に達しないとな」

<…………>


 籠の中からキャスが不愉快を訴えるようにゴロゴロと喉を鳴らした。言わんとしたいことはわかっていたが、聞こえないフリをした。



 家の最寄りのバス停で降りた理音が、緩やかな桜並木の道を登っていく。一昨日の大雨が未だ後を引いているのか、歩いている途中、山の方から伸びてきている側溝がしきりにばしゃばしゃと音を立てているのがわかった。


 ほどなく、見慣れた白塗りのアパートに辿りついた。理音はそのまま真っ直ぐ階段には向かわず、一階の軒下に向かった。

 キャスの網籠を石床に置き、岸谷と書かれた表札のすぐ横、電子式ドアのインターフォンを鳴らした。十秒ほど待っても反応がなく、念のためにもう一度押してみた。


「やっぱり留守みたいだ、出かけたのかな」

<スペリオル、お手数ですが先に外へ出していただいてもよろしいですか>


 キャスが控えめに申し出た。さすがに一時間以上も籠の中で揺られるのは窮屈だったようだ。


 理音は網籠の左右にある金具を指で弾いて外した。次いで、地面に置かれた網籠からキャスがするりと抜け出てきた。手足を突っ張ってぷるぷると体を震わせ、それから日向がよく当たっている敷石に歩いてゆき、腰を下ろして尻尾を丹念に舐め始めた。


<夕飯までには戻ってくるでしょうし、ひとまず我々も部屋に戻りませんか>

「んー、まぁそうだな、そうするか。あの子の容態も気になるし、いい加減目が覚めているかも知れない」


 理音はキャスの提案に賛同した。一階の郵便受けをチェックし、二通の封筒をポケットに捻じ込むと、一段飛ばしで外付けの階段を駆け上がった。

 ドアの前に立ち、財布から取り出したカードキーを電卓のような端末に通した。続いて、4桁の暗証番号を打ち込んだ。9140は妹の誕生日、4月19日を逆さまにしたものだ。

 エンターキーを押すとOPENの文字が現れ、遅れてカチャリと施錠の外される音がした。


 銀色のドアノブを握りかけて、唐突にあることを思い出した。数日前、偶然立ち読みした漫画雑誌に、着替えている少女と鉢合わせになり、半殺しにされるシーンがあったのだ。そんな展開に遭遇するのは是が非でも避けたかった理音は、玄関のドアに軽くノックした。

 少し待ってみたが、返事は返ってこなかった。


「まだ意識が戻ってないのか、さすがにちょっと心配になってきたな。夜になっても目覚めないようなら病院に連れていった方が――」

<いえ、起きているようです>

「えっ、本当に?」


 驚きのあまり、理音が反射的に訊き返した。キャスは足元で小さくうなずいてみせた。


<いきなり襲われないとも限らないですからね。今しがた、玄関の防犯カメラに接続しました。鍵が開けられた音に気づいたようです。ダイニングの壁際から顔を半分出すようにして、明らかに玄関を警戒している模様です。武器は、これといって持っていないようですが>

「そりゃ何よりだ、刃物とか持ち出されても困るからな。それで、着替え中とかじゃないんだな?」

<はい、昨日縁様が着替えされたのと同じ格好です>

「なら、変に遠慮する必要もないか」



 家主が立ち往生するのも妙な話だ。理音はいつものように、と意識しながらドアノブを捻った。

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