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機翔のユア  作者: 本倉悠
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プロローグ

この作品はフィクションです。

作品の舞台は実際の世界と類似した部分が多々ありますが、新旧の歴史上人物、組織名、固有名称等とは何の因果関係もないことを予めここに申し上げます。


11月23日、第一話、脱文挿入しました。

 雲海が緩やかな風に乗って流動している。

 高みにはくすみひとつない藍色と、眩いばかりの太陽。降り注ぐ日差しは雲の陰影を浮き立たせ、降り立てるのではないかと錯覚させてしまうほどの確かさを与えている。


 息を細く吐き出すような穏やかな風音に、(ひず)みが生じた。歪みは少しずつピッチを上げて風音を侵食していき、それが最高潮に達した瞬間、雲海に巨大な影がよぎった。


 機影の主はずんぐりとした貨物機だった。外壁はオリーブグリーン色で、太めの茄子に翼をつけたような形状だ。重厚な駆動音を響かせる機体の尾部からは、煙の尾が真っ直ぐに伸びていた。通常見られる飛行機雲とは明らかに異なる油の臭いを伴う黒煙が、空を汚していく。


 雲に映し込まれる機影が少しずつ、しかし確実に大きさと色濃さを増していた。ほどなく貨物機の下腹が雲に接触すると、機体が大きく振れ動いた。

 丸みのある機首に掻き分けられた雲が、機体の前から後ろへと流れていく。

 ほどなく機体全部がすっぽりと埋まり、影と一緒に沈下した。



 さざ波の音に出迎えられ、瞬く間に機体がずぶぬれになった。フロントガラスに当たって砕け散った大量の水滴が、細い波となって左右へ押し退けられていく。

 雲の内部では穏やかさなど欠片もなかった。稲光が往来し、放電によって発せられた衝撃波が機体を何度となく揺さぶった。どこもかしこも濃い灰色一色で、数十メートル先も見通すことができなかった。


「駄目です! 第ニエンジンは完全停止! 第三エンジンも回転数が上がりません! 油圧低下、オイル漏れも発生している模様ですっ!」

「高度8000フィートを切りました! ――7950!」


 エンジ色の服を着たオペレーターたちからの報告に、機長帽を被った青年の顔が歪んだ。操縦席の脇にあるモニターで三次元座標の数値変動を視認しつつ、操縦桿を引き倒した。

 だが、尚もZの数値は下げ止まらない。それどころか姿勢制御で手一杯といった状況だ。墜落。爆発。否応にもその二文字が脳裏を掠める。手の震えを押し殺すのがやっとだった。


 貨物機の機首に当たる部分。先鋭的な作りの広いブリッジは慌ただしさに満ちていた。天井に備え付けられている三つの警告灯がくるくると輪舞し、赤い光をちらつかせる。それに合わせて緊急を知らせるビープ音が輪唱を繰り返す。

 カタカタと、キーボードを叩く音が数分前から鳴り止まない。すぐそばにまで忍び寄っている危機は、いくつもの計器類に異常値を示していた。その数値を改善しようと、スタッフ一同必死に立て直そうと躍起になっていたが、断続的に振動する機内とオペレーターたちの蒼白な顔が、切迫した事態を雄弁に物語っていた。

 コンパスの針が小刻みに振れ、ホワイトゾーンとレットゾーンを何度となく行き来していた。それはそのまま、自分たちの生か死かデッドオアライブを表す天秤に他ならなかった。

 ブリッジ中央の操縦席に座す青年機長が、操縦桿を握る手にぐっと力を込めた。視線が前方と、両サイドに投影される空間型モニター群を慌ただしく往復している様子が、操縦席の後ろからでも見て取れた。


 前触れもなく、機体が大きく縦に揺れた。後方からの爆音とほとんど同時だった。甲高い悲鳴がブリッジ内を飛び交い、立っていた者たちが頭を庇いつつその場に屈み込む。飛行機が左に大きく傾き、ペンや紙コップが音を立てて転がっていき、壁にぶつかった。

 その時には条件反射で、機長が傾きとは真逆の方向に操縦桿を引いていた。頼む、持ち堪えてくれ。切実な願いのこもった視線が、機長の背中に集約される。ほどなく、斜めになっていた視界が亀のようなじれったさで水平に戻っていった。


 再び前傾姿勢に戻った貨物機が、雲海の底に辿り着いた。灰色の床を突き抜けたところで上下が反転する。

 薄黒い天蓋の下では、視野を霞ませるほどの雨が降っていた。荒涼とした大地が眼下に広がっている。右手には海が、左手にはこの国最高峰の不格好な山があった。


 不時着しかない。誰もがそう覚悟せざるを得ない状況にあった。自領に近い地点ではあれ、ここはれっきとした敵地だった。機内を埋め尽くす悲壮感に、ついに嗚咽を漏らす乗組員が表れた。慌ててそれを慰めようとした別の乗組員も、声の震えを隠し切れていない。

 不時着に伴う心配は尽きなかったが、何をおいてもまずは眼前に差し迫る窮地を切り抜けなければならなかった。この状況でパニックに陥れば取り返しがつかない。そう判断した機長が、急ぎマイクスイッチに手を伸ばそうとした。

 鳴り響くビープ音にも負けぬ大きな拍手が二度鳴った。機長も含めて、その場にいた全員が肩をびくりと戦慄わななかせ、恐る恐る音が発された方を見た。


「みんな、少し落ち着きなさい。深呼吸でもして肩の力を抜いた方がいいわよ」


 二十前後の若い乗組員たちを前にして、今しがた後部ドアから入ってきたばかりの女性が、大きく手を横に広げて息を吸い、吐き出してみせた。

 顔立ちは二十代半ばといったところで、レンズが小さめの銀ぶち眼鏡をかけている。肌は浅黒。豊かな茶髪を赤い紐で結わえている。制服の襟には徽章が、左胸にはイルカを模した銀のネクタイピンが刺さっていた。

 やり手の教官といった佇まい。膝丈上のスカートの下からのぞく黒タイツが、歳にそぐわぬ色気を感じさせる。


「ティ、ティトルさん。今までどちらに」

「あら、女性にそんなことを訊ねるのは野暮じゃない? さ、そんな不安そうな顔していないで、笑って笑って」


 写真を取る時のような気楽さで、ティトルが促した。乗組員たちはなんとか笑おうとしたようだったが、そのほとんどは唇が変にひきつっただけだった。

 ティトルと呼ばれた女は彼らを咎めるでもなく、先ほどと変わらぬ調子で二の句を継いだ。


「みんなだって知ってるでしょ。人間、一番ポカをしやすいのは焦ったときよ。まずは今できることを整理して、やれることがあればやってしまいましょう、ね?」


 場にそぐわぬ微笑みとウィンクに、張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ。乗組員の中には明らかに顔を赤らめている者もいる。その内訳は男性がほとんどで、女性が少々。しっかり者を地で行く若い上司に憧れる若者は多かった。

 ティトルは胸の前で腕を組み、操縦席の手前まで歩を進めた。そして、褐色の目を機長の帽子に向けた。


「現状を手短かに、ご教授いただけるかしら」

「は、はい。現在当機は予定航路を外れ、<イースト・リージョン>空域まで約80マイルの地点を航行中。最寄りの管制所に緊急避難信号メーデーを伝えましたが、ここが不可侵領域内であり、また、攻撃側の所属先が明らかでない以上、緊急出動スクランブルは容認できないとのことです。しかしながら既に四基あるエンジンのうち二基が使用不能であり、これ以上の飛行は困難と判断します」


 ティトルが納得したようにうなずいた。それから、眼鏡の中央を指でぐっと押し上げた。


「それで、この付近に着陸できそうなスペースはあるの?」

「はい、管制官がゲートにほど近い地点を指定してきました。ナビを見る限りでは元国軍の演習場跡地とのことですので、滑走にも十分な距離があると思われます。問題は、そこに至るまで高度を維持できるかどうかですが」


 機長が高度計に不安げな視線を戻した。7200フィート付近を尚も下降中だ。先ほどよりは固さが取れたようだが、依然として操縦桿を握る手には青筋が盛り上がっていた。

 そう簡単にはいかないか、とティトルが腰に手を当てて宙を仰いだ。


「んー、車輪の開閉なんかは問題ないのね?」

「先ほど確認しましたが、今のところは異常ありません」

「ふんふん。それじゃあ着陸後の話になるけど、(ゲート)の通行許可は取ってあるの?」


 機長があっと声を漏らし、ばつが悪そうに肩を縮めた。現状の対応に精一杯で、そこまで頭が回っていなかったようだった。


「す、すみません、うっかりしてました。今すぐに」

「あ、あの、私がやっておきます」


 機長の隣に座っていたショートカットの女性副機長がおずおずと手を挙げ、その手で無線機を引き出した。当局とのやり取りに耳をそばだてながら、ティトルが目の前に垂れ下がっていた焦茶色の前髪を掻き上げる。


「オーケー、あとは姿勢の維持さえできれば最悪の事態は避けられるわね」

「え、ええ、多分」

「うん、誰にでも最初の一歩はあるものよ。こんな危険な状況には滅多にお目にかかれないから、今後あなたは不時着ごときでいちいち怯えずに済むようになるわ。よかったわね、ライバルたちに一歩先んじることができたじゃない」


 あまりに前向きであっけらかんとしたティトルの物言いに、何人かの乗組員たちが吹き出した。機長の方もいくぶん力が抜けたのか、先ほどよりも肩の強張りが取れているようだった。

 ティトルはよしよしと目を細め、肩越しに後ろを流し見て、ちょっぴりがっかりした。

 乗組員の何人かは変わらず不安げな顔を、天井の方に向けていた。


 天井から釣り下げられた収納式液晶パネルには、広域レーダーと光点が映し出されていた。地表を走る追撃者たちの機体反応だ。速度差で大分引き離してはいるものの、未だ諦めた様子はない。こちらの貨物機が緊急着陸を免れないことをわかっているのだろう。

 姿は山陰に隠れて見えないが、貨物機が被弾した直後には<MAGマグ>らしき光点もいくつか確認されていた。機動性に優れる兵器が総出で追ってくるとなれば、決して楽観視できる状況ではない。着陸後の迅速な行動が求められた。


 多機能性機甲兵装、Multifunctional Arms Gear。通称MAG。元々は地球外、宇宙空間での建設作業を行うために作られた乗用機体だ。昨今その形状や用途は多様化しているが、一般にもっとも馴染み深いのは人型だろう。

 標準的な機体の全長は10メートル前後で、三階建ての建築物に並ぶ高さがある。平均時速は60キロと大衆車並。通常走行はもちろん、足裏からローラーを出すことで滑走することも可能だ。平地や下り斜面であれば100キロを超えることも可能で、瞬間的な速度なら更にその上をいく。

 この兵器の強みは多種多様な武器の換装と、地形や勾配をものともしない機動性に尽きる。迷彩色にカラーリングされた鉄巨人が高火力武器を携えて戦場を疾駆する姿は、否応にも死や暴力などといったものを連想させる。

 事実として、この乗用機体が戦闘用に改造を施されてからは多くの戦場に投入され、現在進行形で多大な戦果をもたらしている。裏を返せば被害もだ。ティトル自身、MAGが近づいてくる様子を初めて目にしたときには、高層のビルが自分に向かって倒れてくるような錯覚を味わったものだった。


 こちら側、貨物機の装備は敵機に食い付かれた時に使うデコイやチャフなどの防衛機器のみ。これといった武器は搭載されていない。

 それでも非戦闘用貨物機としては上等な方であるし、仮に武器があったところで機銃や爆弾程度では、事態を好転させることはできない。どんな兵器をもってしても、対人戦を想定したMAG一個小隊と単独でやり合うのは自殺行為だ。彼我の戦力差を鑑みれば、逃げる以外の手段は残されていない。


 不運かつ不測の事態。進行方向で積乱雲が成長していたため、予定していた針路を少しだけずらした。機長の判断は常識的に正しく、責任を求める必要性はなかった。

 実際、地対空ミサイルなどという物騒なモノが雲を突き抜けてきたりしなければ、なんら問題はなかっただろう。

 進路を変えたことが、果たしてどれほど影響したのかはわからなかった。はっきりしているのは、自分たちが搭乗している貨物機が、地表で展開していた武装勢力の網に引っ掛かってしまったこと。敵側が対空武装を備えていること。そして、貨物機が上空を通過するタイミングで狙い撃たれたことの三点だ。

 ミサイルが飛来してくる際には接近を知らせる警告音が発されたのと同時に、自動防衛システムが作動してデコイがばらまかれた。

 しかしながら、ほとんど真下からの攻撃だったのが災いしたのだろう。接近してきたミサイルのいくつかがデコイに反応しなかった。その結果、エンジンの一部が中破して今に至るというわけだ。


 警告なしの攻撃行動から判断するに、常識が通じる相手ではない。おおかた駐留軍のはぐれ部隊か、さもなければ武装した賊のどちらかだろう。

 そして、どちらに拿捕(だほ)されたとしても待ち受ける運命に大差はない。金目の物を根こそぎ奪われた後で殺される。見目のいい女や少年であれば陵辱される恐れもある。よほど運が良ければ所属先のリージョンを相手取った身代金のダシにされるかも知れない。


 ティトルの目が貨物室カーゴに通じるドアへと向けられた。そこに積まれているのは整備を終えたばかりの量産型MAGが1機。人数分のソーラーバイク。そして、航行日数分より少しばかり多めの携帯食料のみ。俗にいう金目の物が積まれているわけではない。

 ただし、MAGに限って言及すれば、盗品売買のルートに流すと相当な額になる。いわくつきの品を欲する者はいつの時代も後を絶たない。需要がある限り供給する者が何処からか現れるのは世の常だった。

 こちらがどんな荷物を搭載しているかを連中が知り得たとは思えなかった。むしろ、通りがかりの飛行機を無差別に狙っていると考えた方が自然だ。信じ難いようなこの蛮行も、不法地帯で生活する彼らにとっては日常茶飯事的にやっていることなのだろう。

 そんな物騒な者たちと顔を合わせるような展開だけは願い下げだ。是が非でも逃げおおせなければならなかった。



 思考を中断し、高度計に目を向けた。ついに6000フィートを切ろうとしていた。先ほどまで見下ろしていたはずの山頂が、いつの間にか目の高さと同じになっている。

 次第に、ティトルも心が逸るのを抑えきれなくなってきた。想定よりも高度の落ち込み方が激しい。この分だと指定された着陸地点までもつかはかなり際どいところだ。

 乗員たちを監督する立場にある以上、表向きは落ち着きを保たねばならない。けれども、自分もこれほどの危機的状況に直面したことはない。不時着の経験なら何度かあるが、それは同盟国の領域内での話だ。

 脇が汗でじっとりと湿ってきているのがわかる。鳴り止まぬ警告音に聴覚を支配され、どうにも落ち着かない。正直怖かった。もし墜落してしまったら。そうでなくとも、無頼漢に囚われてしまったらどんな目に遭わされるか。考えるだけでもぞっとすることだった。吐き出したい不安を唾と一緒に飲み干し、なんとか胃に落とし込んでいた。


 可能であればすぐにでも積んでいるMAGで迎撃したいところだが、たかだか量産機一機でどうにかなるものではないし、応戦できたとして操縦士の安全面の問題も付き纏う。

 ふと、脳裏にあどけない顔が過ぎったが、ティトルは力なく首を横に振った。

 いっそのこと、積んでいるMAGを無人のまま射出し、餌代わりにして逃げるべきだろうか。金目当てなら高額なMAGを放置してまで追ってくるとは考えにくいし、積載重量が軽くなれば高度もより長い時間維持できる。損失はかなり大きいが背に腹は代えられない。

 もちろん推測は推測。相手がそう動く確証はない。それに、その説明を聞いてお偉方が納得してくれるかどうかという問題もある。いささか気鬱なことだが、人命より金を優先する者は敵味方を問わず存在するのだ。

 もうひとつの選択肢としては、このままぎりぎりまで判断を遅らせること。無事演習場まで辿り着ければそれでよし。逃走マニュアルに従ってゲートに向かう。

 逆に不時着が無理な場合には、その時点で緊急脱出装置を使って逃げる。そうなれば当然、積まれているソーラーバイクを機体ごと捨てることになる。地の利がない場所での徒歩移動となれば、ゲートまで逃げ切れる保証はない。



 この窮地をどう切り抜けるか。ティトルが物憂げに頭を抱えた直後、後ろから素っ頓狂な声が発された。前触れもなく、モニターが貨物室カーゴ内部の映像に切り替わったのだ。

 一様に怪訝な表情を浮かべた彼らの目には、全長10メートル以上はあろうかという巨大な金属の塊が映っていた。それは白い楕円形をしていて、中央よりやや上部にある透過壁越しに、鉄火面じみた物が覗いていた。表面が照明を反射しているせいで、細かい形や色合いまではわからなかった。


 にわかにざわつき始めた後ろを見、ティトルが私語を窘めようと口を開きかけた。

 それに先んじて、渋みを感じさせる男の声がブリッジに響き渡り、ティトルの細い眉が跳ね上がった。

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