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青騎士の失態  作者: 望月あん
番外編
68/69

【後日譚】星の瞬く夜明けに(前)

 肩にこつんともたれかかってくる重みと温もりがあった。そっと見やると、となりに座っていたルーチェが寝言とも寝息ともつかない声をこぼし眠っていた。ペールベージュの愛らしいつむじがメテオラを見あげている。メテオラはその無防備さにたまらず頬をゆるめた。

 テオリアの部屋でみなで輪になり、床に座り込んでの食事のさなかだった。

 鍋にあったチキンのスープだけでは足りないので、パントリーにあったパンやチーズやミート缶や野菜の酢漬けなど、すぐに食べられるありったけのものを住人の許可なく運び出すと、呆れ果てたテオリアは自棄になったのかパントリー奥のワイナリーからワインボトルを二本とグラスをふたつ持ち出してきた。

 そのワインの注がれたグラスが、あぐらをかいたメテオラの膝のそばにある。ルーチェは下戸だからとブラッドオレンジのジュースを飲んでいたが、隣り合っていたせいでどうやら取り違えてしまったらしい。

「ルーチェ」

 呼びかけても身じろぎひとつない。ほんのすこし前までシロカネとチキンを分け合っていたはずなのに、まるでおさない子どものようにすっかり眠りこけている。聞こえてくる鼓動はワインのせいかすこし早い。たとえばメテオラがきつく抱きしめたときくらいには。

 その向こうにいるシロカネもまた、ルーチェの膝にもたれかかって丸くなっていた。鬼の子の姿をしているというのに、いつもは隠しきれているふさふさしっぽがうっかり床をぱたぱたと叩いていた。

 つまり、起きている。

「なあ、シロカネ」

 メテオラはルーチェがずり落ちてしまわないよう肩を支えながらシロカネのほうへと身を乗り出した。

「寝たふりするならもうちょっとそれらしくしたらどう」

「むにゃむにゃ、ぼくもお酒はだめなたちなんですよねえ」

「どう見たっておまえは飲んでないでしょ」

「だってルーチェさんあったかくて心地いいんです」

 シロカネはちらりとメテオラを見あげて、小さな舌を出して笑った。

 村に置いていかれたことをシロカネはずいぶん怒り、そうしてからさめざめ泣いていたのだと、さきほどイナノメがこっそり教えてくれた。残して出立すれば怒るだろうとは想像していたが、まさか泣かせてしまうことになるとはメテオラも考えていなかった。

 宰相テオリアがなぜルーチェを必要としているのかわからないままシロカネを巻き込むわけにはいかなかった。彼を守るためだったのだ。そのくらいのことはシロカネだってわかっているだろうが、おとなしく聞き分けることとは別ということだろう。

「狐が狸寝入りなんかして、プライドはないの」

「そんなもの、このあったかさの前では小事ですよ」

 むにゃむにゃと続けて、シロカネはさらに強くルーチェに抱きついた。メテオラは呆れてため息をつきながら、一方では目の前の目映いような光景に見とれてもいた。

 あの岩窟でルーチェを見つけたときには、まさかこんな未来が待っているなんて思いもしなかった。さっさと宰相に引き渡して薬が得られればそれでよかった。呪いから解放されたなら、もう自分自身に怯える必要もなくなるのだから……。

 頬の蝶がざわりと身じろぐ。メテオラの胸のうちを見透かして笑っているのだ。蝶は母との契約があるのでメテオラに害をなすことはないが、だからといって親愛や慈悲などという心は持ち合わせていない。そのうえ、ひとの感情にもいやに聡い。蝶の態度はいつもメテオラのやわいところを的確についた。おかげでメテオラは誰にも説明しようのない独り言をときおり強いられるのだった。

「情というやつは厄介なものだねえ」

 蝶は明確な声をもたない。そのため蝶の言葉はかたちを成さないままメテオラの思考に染み込んでくる。

 メテオラは片膝に頬杖をつき、その手で口もとを覆ってもごもごと口を動かした。

「うるさい」

「われも、ようやくおまえさんとの縁が切れると思ったのだけど」

 たしかに特効薬さえあれば、蝶がメテオラのもとで呪いを濾過し続ける必要もなくなる。自分の選択は、蝶の自由も奪ってしまったのだとメテオラはあらためて気づいた。

「ごめん、おれのせいで」

「は? 謝るくらいなら、はなからするでないわ。ひよっこのくせに、自分ひとりで生きているような顔をするな、ばかもの」

 蝶の言葉は厳しいけれど、どこまでも正しい。メテオラは黙り込むしかできなかった。

 見かねたように蝶はふんっと鼻でわらった。

「しかしいまだけは大目に見てやらんでもない。このぬくもりのせいで、われと話すどころではないのだろう?」

 視線を向けるように蝶はメテオラの肌のうえを這い、ルーチェがもたれかかる肩へと紋様の先を伸ばした。

 服ごしにルーチェの髪を撫でる。

「すっかり眠っておるな」

 メテオラには、いとおしげにルーチェの髪に触れる女の横顔が見えるようだった。

『わたしは好きだよ、この頬が』

 雨に包まれた屋上でルーチェがそう話してくれたときから、蝶はルーチェのことをいたく気に入っている。口にはしないけれど、メテオラにはよくわかる。

 あんなふうにまっすぐな気持ちを向けられたら、誰だって悪い気はしない。

「おいたしないでよ、蝶姫」

 蝶はけらけらと笑うばかりでメテオラの頼みなどひとつも聞いていない。

「われもこの娘の血を食らってみたいのお」

「まるでおれがルーチェの血を飲んだみたいに言わないでよ」

「ふふ。せいぜい先を越されんように気張るがよいぞ、いとしいひとの子よ」

 伸ばしていた翅をたたむと、蝶はすっと鎮まってしまった。

「だから血は飲まないって……」

 そうこぼしながらメテオラはふと笑みをこぼした。蝶はああいう言い方しかしないけれど、これからも母との契約を、そして自分との繋がりを続けるつもりであると伝えてくれたのだろう。

 龍王の手でむりやり引き剥がされたとき、蝶は叫んだ。

 おまえなら必ず呪いに打ち克てる、われが保証する、と。

 メテオラはざらつく頬に指先で触れた。ありがとうという一言はかたちにせず、胸のうちに留めることにした。

 思いのほか近く聞こえる足音に気づいて、はっと顔をあげる。

「おまえ……、ひとりでなにをにやにやしている」

 空になった鍋を洗うためキッチンに立っていたテオリアが戻ってきて、心底不憫そうに眉をひそめる。

 メテオラは試しにちらりとルーチェのつむじへ視線を向けた。

「いや、べつに」

 テオリアはメテオラの視線を目で辿り、眠るルーチェをじっと見おろす。その眼差しに息づく猛々しさには、宰相の肩書きよりも赤騎士という呼称のほうがよく似合う。生来のたちなのだろうが、ルーチェに対してはそれがより顕著であるようにメテオラは感じていた。

 おなじ騎士としての厳しさや、兄妹という気安さからくるものかと思っていたが、いまのメテオラにはもっと別のかたちが見えはじめていた。

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